ヴェルセット公爵家令嬢クラリッサはどこへ消えた?

ルーシャオ

文字の大きさ
上 下
21 / 22

最終話 ある夜の告白②

しおりを挟む
「体制を築き、次に私は幕を引く支度をしました。黒髪緑目で生まれてしまったアンドーチェをどうにか安全な場所へ移そうと画策し、ドゥ夫人の名でマーガリー叔母様と内通して密かに事を進めたのです。マーガリー叔母様は実はとても道化師のふりをすることが上手いの、王都から脱出した私は——私を売ろうとしたメイドを殺害して古井戸に放り込み、他のドゥ夫人に『行方不明のクラリッサ嬢』発見と事件の終焉という状況を作り出してもらって、ロロベスキ侯爵領へ逃げ延びた。荷物に紛れ、時に占い師や老婆の変装をして、マーガリー叔母様の別荘の一つにメイドとして紛れ込んでいたのです。努力したおかげか、約三年間、私を疑う人はいませんでしたわ」

 クロードは少しばかり感心した。クラリッサの協力者に、初めてマダム・マーガリーが名を現した。今までは部外者だとばかり思っていたが、実のところ、マダム・マーガリーは重要な役どころにいた、というわけだ。まんまとクロードは騙されてしまった気がした。

「マーガリー叔母様は私を信じてくれた一方で、どこか信じきれていなかったから、あなたを呼んで私とアンドーチェを国外へ逃す道を作ってくれました。もし万一、私がクラリッサでなかったなら、ドゥ夫人がいなくなったイアムス王国がそれ以降、クラリッサやアンドーチェを推戴する国になる可能性があった。だから、その可能性を潰したのです」

 周到なクラリッサの計画は成功し、その恐れはなくなったといっていい。

 間違いなく、これから数年以内にイアムス王国王室は滅ぶ。後世にもあの国に王が生まれるかは分からないが、『行方不明のクラリッサ嬢』事件は王室を守るための教訓として残るだろう。

 とはいえ、クラリッサはすっきりした、やってやった、とばかりの顔はしていない。

 むしろ、彼女の白い顔には、多くの悔恨が刻まれている。

「たくさんの人を粛清しました。たくさんの人を追放して、生活をすっかり変えて、落ちぶれさせて、あるいは繁栄させました。それはひとえに、です。アンドーチェや王子たちの全員を連れ出すことはできません、だから……王と同じ金髪碧眼の目立つ第二王子は、捨てました。今後あの国でどんな目に遭おうと、私は関与しません」
「……」
「酷い女。悪女。母親失格だ、そう罵ってくださってもけっこうです。そのとおりだと、私も思いますから」

 まるで、そう罵ってほしいとばかりだ。

 自分の行いは悪である、自覚している、他人にもそう思われるだろう。その確証が欲しいのだ、と。

 だが、クラリッサには大きな誤算がある。

 生憎と、クロードの性分はその癖毛のようにひねくれているため、素直に認めたり、慰めたりといった常識的なことはしないのだ。

 机に向かったまま、クロードは語気を若干強めて、これが返事だと言わんばかりに語る。

「僕はね、人が人を裁くなんておこがましいにも程がある、と思うんです。かといって法律がすべてを公正に裁けるとも思わないし、神が依怙贔屓えこひいきをしないとも思わない。結局のところ、その人が正しく、あるいはく生きたかという問いには、その人しか答えられないんですよ」

 絶対の神をも恐れず、法律や裁判官さえも論外、神籤しんせんで指導者を選ぶ神中心シアセントリックの国に生まれながらの人間主義ヒューマニズム生物中心主義バイオセントリズム

 それが元皇帝一族の人間であるクロードから生まれたことは、時代の流れかもしれない。

「『悪を裁け、正義を成せ』、なんとまあ傲慢なフレーズだ。、それがまず、土台不可能であると気付いていないあたりが最高に道化です。たった一文の法律の解釈さえ全員一致させられないのに、『正義』の意味なんて星の数ほど存在するのだから、重視する必要性がない。社会通念さえ他人と衝突しなければいいのに、なぜそこに『正義』を含ませるのか。馬鹿馬鹿しい、都合のよろしい『正義』は他人を殺す道具に最適だ」

 だんだんと滑舌がよくなり、主張が激しさを増すクロードの弁論を、クラリッサは黙って聞いている。異論を挟むこともなく、ただじっと、耳を傾ける。

「死体を見れば分かるんですよ。所詮、この世に道理などない。生か死かがそこにあり、無惨に切り裂かれていようと、首を吊っていようと、四肢を奪われていようと、そこにどんな理由があれば正当化されるんです? 何をもってしても正当化などできない、。だから……あなたも自分の行いや人生を正当化しなくていい。悪が本性だと思うなら認めていればいいし、アンドーチェに優しくしたっていい。何をしても、最終的に人生の終わりであなたが納得すればいいんです。果たして自分は善く生きられただろうか、と問いかけてね」

 善く生きられたか、という問いの中に、果たしてどれほどの正義が含まれているだろうか。

 復讐が正義であるならば、なぜ人は後悔するのか。後悔せずとも、誰かがそれを悪だと罵るのであれば、それは正義ではないのではないか?

 所詮、その程度のことだ。誰かが異論を唱えた瞬間にコインの裏表のように善悪が変わってしまうのなら、それを中心とした価値観はあまりにも脆弱だ。

 だがもし、その価値観の中心に『己』がいるのであれば、そうはならない。

 クロードは、一転して緩やかな口調で、クラリッサへ問う。

「クラリッサ、あなたは自分の行いを後悔しているから誰かに懺悔したかったんでしょう?」
「……そうかもしれませんね」
「後悔したっていいし、認めたっていい。人間、割り切れやしませんよ。その気持ちと生涯付き合っていくしかないんです。それこそが人の犯した罪に対する罰で、他人には決して許されないし、他人では許すことのできないものなんです」

 すると、クラリッサは——ここまでのクロードの話を理解しきったのか——逆にクロードへこう言った。

「アーニー……もしかして、あなたもを背負っているのですか?」

 数秒間を空けて、クロードははにかんだ。

「元皇帝の一族だなんて、とんでもない恨みを買うんです。死ぬような目に遭わされました、でも死なせることもあった。でもまあ、それを一切合切僕のせいだと言われても、釈然としないもので」

 クロードは、それ以上何があったかは言わない。どうせ話しても胸糞悪いことを思い出すだけだからだ。

 そんなことよりもとクロードは両手を挙げて万歳のポーズを取る。

「しかし、やっとこの国とおさらばできる! その気持ちは、イアムス王国から逃げるときのあなたと一緒だったと思うんですが、どうです?」

 おそらく、このときのクロードの目は、子どものように輝いていたのだろう。

 クラリッサは初めは黙っていたが、そのうち笑いを堪えきれなくなったのか、小さく笑いをこぼし、ついには我慢できずに両手で口を抑えた。

「ふ、ふふっ……ふふふっ」
「笑うところかなぁ」
「おかしいわ、あなた。私もだけれど、あなたもそう」
「いいじゃないか。おかしくない人間なんていない、誰も彼もが道化師だ」

 ふふふ、という上品な小さい笑い声がしばし続く。

 クロードは、イアムス王国を脱出してから、クラリッサの笑い声を初めて聞いた気がした。

 そのクラリッサは、何を思ったのか、笑うことをやめて、すっきりした表情で——クロードの額にかかる癖毛を手でかき上げ、唇を軽く当てた。

 目の前をクラリッサの豊かな胸元が覆って、何だか釈然としないが、クロードはされるがままだ。クロードから離れたクラリッサの目が、愛おしそうにクロードを見つめていたことも、少し納得がいかない。

 クロード自身、女性に好かれるようなことを一言たりとも言った憶えがないからだ。

「おやすみなさい、アーニー。また明日」
「ああ、おやすみ、クラリッサ」

 クラリッサは、何事もなかったかのように、鉄扉をくぐって、部屋を出ていった。

 残されたクロードは——自分の額に手を当て、予想以上に口紅がしっかりとくっついていることに気付き、慌てていた。

 顔を赤らめて、こんな姿をアンドーチェに見られたらたまったものではない、と。




(了)
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

婚約破棄に乗り換え、上等です。私は名前を変えて隣国へ行きますね

ルーシャオ
恋愛
アンカーソン伯爵家令嬢メリッサはテイト公爵家後継のヒューバートから婚約破棄を言い渡される。幼い頃妹ライラをかばってできたあざを指して「失せろ、その顔が治ってから出直してこい」と言い放たれ、挙句にはヒューバートはライラと婚約することに。 失意のメリッサは王立寄宿学校の教師マギニスの言葉に支えられ、一人で生きていくことを決断。エミーと名前を変え、隣国アスタニア帝国に渡って書籍商になる。するとあるとき、ジーベルン子爵アレクシスと出会う。ひょんなことでアレクシスに顔のあざを見られ——。

本日より他人として生きさせていただきます

ネコ
恋愛
伯爵令嬢のアルマは、愛のない婚約者レオナードに尽くし続けてきた。しかし、彼の隣にはいつも「運命の相手」を自称する美女の姿が。家族も周囲もレオナードの一方的なわがままを容認するばかり。ある夜会で二人の逢瀬を目撃したアルマは、今さら怒る気力も失せてしまう。「それなら私は他人として過ごしましょう」そう告げて婚約破棄に踏み切る。だが、彼女が去った瞬間からレオナードの人生には不穏なほつれが生じ始めるのだった。

【完】隣国に売られるように渡った王女

まるねこ
恋愛
幼いころから王妃の命令で勉強ばかりしていたリヴィア。乳母に支えられながら成長し、ある日、父である国王陛下から呼び出しがあった。 「リヴィア、お前は長年王女として過ごしているが未だ婚約者がいなかったな。良い嫁ぎ先を選んでおいた」と。 リヴィアの不遇はいつまで続くのか。 Copyright©︎2024-まるねこ

ご自慢の聖女がいるのだから、私は失礼しますわ

ネコ
恋愛
伯爵令嬢ユリアは、幼い頃から第二王子アレクサンドルの婚約者。だが、留学から戻ってきたアレクサンドルは「聖女が僕の真実の花嫁だ」と堂々宣言。周囲は“奇跡の力を持つ聖女”と王子の恋を応援し、ユリアを貶める噂まで広まった。婚約者の座を奪われるより先に、ユリアは自分から破棄を申し出る。「お好きにどうぞ。もう私には関係ありません」そう言った途端、王宮では聖女の力が何かとおかしな騒ぎを起こし始めるのだった。

【完結】亡くなった人を愛する貴方を、愛し続ける事はできませんでした

凛蓮月
恋愛
【おかげさまで完全完結致しました。閲覧頂きありがとうございます】 いつか見た、貴方と婚約者の仲睦まじい姿。 婚約者を失い悲しみにくれている貴方と新たに婚約をした私。 貴方は私を愛する事は無いと言ったけれど、私は貴方をお慕いしておりました。 例え貴方が今でも、亡くなった婚約者の女性を愛していても。 私は貴方が生きてさえいれば それで良いと思っていたのです──。 【早速のホトラン入りありがとうございます!】 ※作者の脳内異世界のお話です。 ※小説家になろうにも同時掲載しています。 ※諸事情により感想欄は閉じています。詳しくは近況ボードをご覧下さい。(追記12/31〜1/2迄受付る事に致しました)

【完結】転生地味悪役令嬢は婚約者と男好きヒロイン諸共無視しまくる。

なーさ
恋愛
アイドルオタクの地味女子 水上羽月はある日推しが轢かれそうになるのを助けて死んでしまう。そのことを不憫に思った女神が「あなた、可哀想だから転生!」「え?」なんの因果か異世界に転生してしまう!転生したのは地味な公爵令嬢レフカ・エミリーだった。目が覚めると私の周りを大人が囲っていた。婚約者の第一王子も男好きヒロインも無視します!今世はうーん小説にでも生きようかな〜と思ったらあれ?あの人は前世の推しでは!?地味令嬢のエミリーが知らず知らずのうちに戦ったり溺愛されたりするお話。 本当に駄文です。そんなものでも読んでお気に入り登録していただけたら嬉しいです!

どーでもいいからさっさと勘当して

恋愛
とある侯爵貴族、三兄妹の真ん中長女のヒルディア。優秀な兄、可憐な妹に囲まれた彼女の人生はある日をきっかけに転機を迎える。 妹に婚約者?あたしの婚約者だった人? 姉だから妹の幸せを祈って身を引け?普通逆じゃないっけ。 うん、まあどーでもいいし、それならこっちも好き勝手にするわ。 ※ザマアに期待しないでください

婚約破棄は別にいいですけど、優秀な姉と無能な妹なんて噂、本気で信じてるんですか?

リオール
恋愛
侯爵家の執務を汗水流してこなしていた私──バルバラ。 だがある日突然、婚約者に婚約破棄を告げられ、父に次期当主は姉だと宣言され。出て行けと言われるのだった。 世間では姉が優秀、妹は駄目だと思われてるようですが、だから何? せいぜい束の間の贅沢を楽しめばいいです。 貴方達が遊んでる間に、私は──侯爵家、乗っ取らせていただきます! ===== いつもの勢いで書いた小説です。 前作とは逆に妹が主人公。優秀では無いけど努力する人。 妹、頑張ります! ※全41話完結。短編としておきながら読みの甘さが露呈…

処理中です...