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第十一話 ドゥ夫人とは誰か?

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 アルキスからドゥ夫人について話を聞き終えたクロードが、すっかり頭を抱えている姿を見て、大ぶりのティーポットを手に帰ってきたイヴォンヌは上機嫌になった。

「あら? 珍しいわね、アーニー。あなたが頭を抱えるなんて。涼しい顔して満点を量産していたあのころには見られなかった光景だわ」
「楽しそうだな、イヴ」
「ええ、あなたの苦しむさまを見るのは楽しいわ!」
「それはとてもいいご趣味だ。世間様には知らせられない」

 クロードの皮肉など聞き流すほどに、イヴォンヌは満面の笑顔だ。これにはアルキスも苦笑いをしている。

 部屋に備え付けのティーセットからカップを三つ持ってきて、小さなテーブルで茶を注ぎながらイヴォンヌは自分のいない間に何があったのかを尋ねた。

「で、何があったの? よっぽど面白い話でもしたの?」
「ドゥ夫人について軽くお話ししたところ、頭を抱えられました」
「ふぅん」
「イヴ、君はよく今も宮仕えを続けられるな?」
「もちろんよ。他に平民で女の医師を雇ってくれるところがある? 宮廷医はまだいいほうよ、産婆扱いよりはね」

 それはそうだが、クロードは口ごもる。何だかんだとクロードは、医師にもならないのに大学に残ることを許された身分だ。もしイヴォンヌであれば、そうはいかなかっただろう。さっさと結婚しろだの、貴族の女性に雇われる傍付きの医師になれだのと言われ、好き勝手にはできなかったはずだ。イヴォンヌほどの才媛であっても男性と同じような栄達の道はほとんど閉ざされているのだから、この世の理不尽さ不公平さは、クロードに利している。それがどうにも居心地が悪い。

 その風潮で言えば、ドゥ夫人もまた、イヴォンヌと同じく男性優位の社会で権力者として栄達の道を進む女傑だ。それも、国政を左右するほどの地位にあり——決して、国王の愛人という立場だけで得たものではないだろう。

 アルキスを頭から疑うわけではないが、クロードは確認のためにイヴォンヌにもドゥ夫人について聞いておくことにした。

「確認するが、ドゥ夫人は……国王の公妾で、第二王子と第三王子の実母。少なくとも、公式発表ではそうなっている」
「ええ、私は第三王子を出産されたときに立ち会ったからよく知っているわ。第二王子については、『隠された王子』だった噂くらいしか知らないけれど」
「それは第一王子のデルバートがいたからだろう。だが、彼が失脚してからは公に姿を見せられるようになった」
「きっとそうでしょうね。正室である王妃を早くに亡くされていた国王陛下は、ドゥ夫人と関係を持っていたもののデルバート王子の手前、大っぴらにはできなかった。けれど、『行方不明のクラリッサ嬢』事件以降は立場が逆転、ドゥ夫人は失意の国王陛下を会議場における政治面でも支えるようになった」

 まあそんなところでしょうね、とイヴォンヌは自分の立場を付け加えることを忘れない。

 『行方不明のクラリッサ嬢』事件について、イヴォンヌは当事者ではない。それは発生当時も、白骨死体発見当時も、だ。だから、推測も多分に含まれていて、確実だと言うことはないが……まずもって、そうそう間違ってはいないだろう。

 何にせよ、クロードはまた頭を抱えた。

「ああ、嫌だ嫌だ。僕はそういう俗な話が嫌いなんだ。色恋沙汰で人傷沙汰の死体なんか飽きるほど検死してきたんだからもういいじゃないか。くそ、どうしてこうも世界はどうでもいいことばかりで争っているんだ!」
「お気の毒さま、もうあなた、出家して僧侶にでもなったら?」
「僕はああいうインチキな手合いを論破しすぎて嫌われているから無理だよ」
「身から出た錆じゃない。あなたの性分じゃ歩くだけで敵が湧いてくるでしょうし」
「放っておいてくれ。そんなことより、なぜデルバート王子は廃嫡されていないんだ?」

 デルバート、廃嫡。その言葉に、イヴォンヌとアルキスが反応した。

 イアムス王国は、公式にはいまだに誰も国王の後継者たる王太子がいない。王子が三人もいながら、立太子されていないのだ。

「ドゥ夫人が聞いた話のとおりの人物なら、デルバート王子の存在は邪魔でしかない。国王をそそのかすなり、冤罪を付けるなりして継承権を奪ったほうが安全だ。もちろん、イアムス王国の将来を考えてもそのほうがいいだろう。なのに、摂政のごとく振る舞うまでに成り上がった女傑は、なぜ邪魔なデルバート王子を十年以上も離宮に監禁して放置しているんだ? 自然死を待っているとか、そういうことか?」

 アルキスはまるで「それは自分に答えられることではない」とばかりにだんまりで、イヴォンヌが仕方なさげに答えた。

「それに関しては、私は何も知らないわ。そもそも、私はデルバート王子と会ったこともないもの。私が宮廷医になったのはデルバート王子が自領ソルウィングダムの離宮に移ってしばらくしてからだし、離宮はまったく管轄が違うから」
「ドゥ夫人が離宮に行くことは?」
「私の記憶の限りでは一度もなかったわ。もちろん、プライベートまで全部把握しているわけじゃないから、絶対に、とは言えないけれど」

 イヴォンヌはティーカップをクロードとアルキスへ手渡す。クロードが口をつけると、飲みごろに冷めた茶は、濃いめに淹れた薬草茶の一種で、すでに砂糖が入っていた。それも、クロード好みにたっぷりと入っており、横目で見るとアルキスには甘すぎたのか一口でやめてしまっていた。

 涼しい顔をしたイヴォンヌもまた茶を飲んで、軽く手を叩く。

「まあ、話せることは大体話したから、もういいでしょう。アーニー、似合わない探偵ごっこはさっさと切り上げたほうが身のためよ」
「そうだな、僕もそう思うよ、奇遇だな」
「ふん、貴族の争いなんてあなたが一番嫌いでしょうに」

 よくご存知で、とクロードは小声で皮肉に返したが、イヴォンヌは嬉しいのかニヤニヤと笑っているだけだ。

 ティーカップと茶で口を塞ぎ、喋らなくていい間を作って、クロードは考える。ドゥ夫人についてはさておき——『行方不明のクラリッサ嬢』事件でのある一幕について、改めて考えてみてもやはりおかしな点があった。

(そう、そこも不可解なんだ。当時、第二皇女キルステンがクラリッサ嬢を貶めるために使った理由が、『ヴェルセット公爵家令嬢クラリッサは、実は隣国ジルヴェイグ大皇国で反乱を起こそうとしたポーラウェーズ伯爵の遺児である』というだが)

 証拠もなく、ただの風聞でそう主張したのだろう、というのが現在大方の見解ではあるが、それにしても妙だった。

(果たして、それは事実か? ポーラウェーズ伯爵家というのは……?)

 なのに、第二皇女キルステンがそれを知らないことなどありえるだろうか?

 そんな不確かなことで他国を揺るがせにした時点で、第二皇女キルステンの罪は重い。事実かどうかではなく、貴族は疑いを持たれること、それを払拭できないことが最大の醜聞なのだから。

 すでに昔の話とはいえ、ジルヴェイグ大皇国の上流階級であれば嘘だと見抜けるということを、誰もが今も無視して、確かめようともせず、ヴェルセット公爵でさえも対策していない。

 それとも、もうどうでもいいことなのだろうか?

 他に、

 それをイヴォンヌとアルキスに尋ねても、答えが出ないことは分かりきっている。

 クロードは疑問を胸の裡にしまい、その後はイヴォンヌのご機嫌取りがてらしばし雑談して、夕食前にはお開きになった。

 次の日には王城へとトンボ帰りするというイヴォンヌとアルキスは、それ以上クロードの味方にはならないだろう。だが、今のクロードならば次の手が打てる。

 宿の食堂で夕食もそこそこに切り上げ、クロードは手持ちの中で一番質のいい封筒と便箋を使って、手紙を書きはじめた。
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