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第九話 考えればドツボにハマる

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 クロードは蝙蝠傘を引っ掴んで、カフェのテラスから見えた屋台のようなものへと小走りで近づく。

 屋台は道端に停まり、商品が濡れないよう屋根からテントを引っ張り出し、道端の街灯に端を紐でくくりつけていた。その中に、次々と新聞が並べられていく。同じ新聞ではなく、紙面が違うものが所狭しと並べられているから、ロロベスキ侯爵領のものだけとは思えない。

 クロードが蝙蝠傘を畳んで外に置き、テントの中に入って商品を物色していると、髭面の新聞屋台の店主に声をかけられた。

「おっと、いらっしゃい。何かお探しで?」

 屋台の裏から出てきた新聞屋台の店主は、ビール樽のような腹をした髭面の中年男性だった。その指先にはペンダコがいくつもあり、長年執筆する職業に携わってきたことを表している。

 クロードは屋台の棚に平積みにされた新聞の一つを指差し、質問する。

「この新聞は? 地方紙かな?」
「それはロロベスキ侯爵領でのみ出回る日刊紙だね。うちの国は今全国紙がなくてね、前は隔週であったんだが」
「ほう、そうなのか。どうしてだい?」

 クロードが興味深げに相槌を打つと、新聞屋台の店主は気をよくしたのか喋りはじめた。

「どうにもこうにも、十年くらい前から王都では検閲が強化されて、王都の情報を流すだけでとっ捕まるやつも出はじめてね。今じゃ王都のニュースを知りたければ役所にある公報に頼るしかない。王都から逃げ出した新聞社は各地に散り散りになって、そのおかげで各地に日刊紙が立ち上がって、地方でもいろんな最新のニュースに触れることができるようになったってのは皮肉だがね」

 つまりは、イアムス王国の中枢部は異例の情報統制をされているのだが、雨降って地固まるというものか、王都から逃げ出した知識人たちのおかげで地方の人々がそれぞれ知識や情報にリーチする手段を得た。その前まではどうせ地方は王都の情報が何ヶ月も遅れて入っていただろうし、自分の住む土地の知らない情報や最新の知らせを知ることができるのは、それはそれでいいことだ、クロードはそんな感想を抱いた。

 ただ、王都の情報さえも地方に流れてこない、というのは異常だ。クロードの知りたい情報だってほとんどは王都発であるはず、ロロベスキ侯爵領にいては知ることができない、というわけだ。

「今の王都はどんな状況なんだい? そんなに厳しいなら、誰が住んでいるやらだ」

 髭面を撫でて、新聞屋台の店主はクロードをいぶかしんだ。

「あんた、そんなことを聞くなんて、この国の人間じゃないね?」
「うん。ロロベスキ侯爵夫人に呼ばれて来ただけさ」

 クロードは端的にそう言った。それ以上のことを言う必要はなく、怪しまれるような情報はどこに漏らされるやら分からない。

 新聞屋台の店主は、まあいい、と勝手に納得して、親切にも無知な外国人であるクロードへ丁寧に説明してくれた。きっと、本当は知っていることを喋りたくてたまらない性分なんだろう。

「今の王都は、大臣や官僚たちの理想の街になっているんだと。治安もよく、浮浪児もおらず、道は綺麗で、不足する物資はない。その代わり、貴族がいたころのような華美な催しや贅沢品はなく、学問と規律を重視するいくつかの王立学校が全国から才能豊かな人材を集める。学生街なんてのもあるらしいが、羽目を外す若者なんて一人もいやしないんだとさ」

 理想の街。

 そんなものの存在を、鼻で笑う新聞屋台の店主は信じていないに違いない。

「理想ね、理想。随分と窮屈な街だ。華やかな王都は今は昔、ってところかな」
「違いないね。だが、それ以前に比べると、庶民の暮らしがよくなったことは事実だ」
「ふぅん?」
「貴族たちのくだらない争いに巻き込まれる可哀想な大臣や官僚たちはいなくなった。国王に忠誠を誓って、有能な大臣のもとに有能な家臣たちがいる。官僚がサボることも、下級官吏が賄賂を要求することもなくなった。それが手本となって、各地の貴族や官吏たちも下手な真似はできなくなったんだ。多少息は詰まるかもしれないが、庶民にとっては筋の通らない不幸や理不尽がガクンと減って生きやすくなったことは確かなんだよ」

 それを聞いて、クロードは素直に、新聞屋台の店主とイアムス王国を少しは賞賛する気持ちになった。罪を語るならば、功も語らねばならない。その公平性を新聞屋台の店主は保って、嫌いであってもきちんと語ってくれた。そして、イアムス王国は奇妙で異常ながらも、これまでの政治の犠牲となった部分をきちんと見直し、それなりに褒めるべき政治改革を行なっている。

 果たしてそれは、例の事件によって生まれた変化なのか。だとすれば、この話はクロードが耳を傾けなければならない、貴重な情報ということになる。

 ふむふむと大学の講義並みに真剣に聞き耳を立てるクロードへ、調子の乗った新聞屋台の店主は、このゾフィアでは御法度ごはっとに近いことまで喋ってくれた。

「それに、言いづらいが、ロロベスキ侯爵夫人だって前は奢侈しゃし贅沢ぜいたくで知られたご婦人だったんだ」
「今は違うのかい?」
「ああ。あれがあってから……王都でほら、十数年前に」
「え……もしかして、『行方不明のクラリッサ嬢』事件かい?」
「そう、それだよ。その報を耳にして、侯爵夫人はひどく嘆き悲しみ、いつしか無駄な贅沢をやめて領内の発展に尽くすようになった。侯爵夫人が他人をたしなめるときの口癖は、「クラリッサならそんなことはしないわ」だそうだ」

 ありうる。記憶の中のマダム・マーガリーであれば、間違いなくそう言うだろう。マダム・マーガリーもまた『行方不明のクラリッサ嬢』事件の余波で、変化を余儀なくされた一人のようだ。

 とはいえ、高慢ちきな貴族が改心したのはいいことだ。他にはないだろうか。

「それはまあ、いいことやら悪いことやらで……だったら、ヴェルセット公爵家なんかはどうなったんだ? 愛娘を失った公爵夫妻は?」

 新聞屋台の店主は、片眉を上げて口を尖らせた。

「あんまりいい噂は耳にしないね。西方や北方の蛮族たちを自領に招いて、軍事教練にも参加させている、なんて聞く」
「それって、反乱の下準備じゃないのか」
「しっ! 下手なことを言うもんじゃない」

 それは言ってはダメなのか、納得行かない。クロードはしぶしぶ、口を閉ざす。

 クロードの子どもっぽい反応を見てか、新聞屋台の店主は、声をひそめて忠告してきた。

「とにかく、あんたがロロベスキ侯爵家の客人だとしても、あまりヴェルセット公爵家のことを根掘り葉掘り聞いたりしなさんな。あくまで噂に過ぎないが、ロロベスキ侯爵家が裏で膨大な額の資金援助をしているって話もあるんだ。そのために侯爵夫人は真面目に働くようになった、と尾ひれも付いているんだぞ」

 新聞屋台の店主は、、と言いたげだ。

 まるで、、とばかりだ。反乱を企ててもおかしくはない、それどころかそのことに同情さえしている様子だ。

 それを見て、クロードは満足することにした。

「興味深い話をありがとう。とりあえず、ロロベスキ侯爵領の新聞をくれないか?」
「まいどあり」

 クロードは三種の新聞をそれぞれ一部、硬貨を六枚渡して受け取り、濡れないようボロ鞄にしまいこむ。

 テントの外でずぶ濡れの蝙蝠傘を助けて、水気を払って広げ、クロードは何事もなかったかのように宿への道を歩いていく。

 だが、内心はあたふたと、今後考えうる最悪のケースをいくつか想定しては恐怖に震えていた。

(ひょっとして、この国、割とまずい状況なんじゃないか……?)

 クロードは客分の身分からこの都市でその考えをひけらかすわけにはいかないし、マダム・マーガリーやアンドーチェに答えを聞くわけにもいかなかった。

 クロードでも想定できる最悪のケース——それは、だった。
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