竜爵閣下、あなたのためにこっそり魔導匠見習いになって働きます!

ルーシャオ

文字の大きさ
上 下
26 / 26

最終話 私は魔導匠エルミーヌ(下)

しおりを挟む
「へ?」
「街の魔法薬品を取り扱う薬局で買ったのだろう。いくら支払った?」
「えっと、ドラゴニア金貨一千枚でした」

 どうも、この言葉がイオニス様にとってはハートを射止めるほどの効果があった模様です。

 イオニス様は、実に愉快そうに笑い出したのです。

「はあっはっは! この屋敷を建て替えて余りあるほどの大金だな。そうか、それを一日で稼いだのか。職人として大した腕だ!」

 今の言葉にそこまで効果があると思っていなかった引きこもりの私は、あとで知るのです。

 金貨一千枚という額は、低い爵位さえ買い取ってしまえるほどの大金であり、そんなお金を誰かのために、ましてや夫のためにと即決して費やす人間はいないのだ、と。

 竜生人ドラゴニュートには自分よりも力の強い者を認めて敬う文化があり、イオニス様は私に一目置いて、なおかつその私がイオニス様のためにと高価な薬を持ってきたことは——もはやイオニス様側から即座に求愛すべき案件なのだと。

 イオニス様はそれらを確かめ終えて、納得したようでした。

「誇れ、エルミーヌ。お前は望まずしてやってきておきながら、異郷の地で目も眩むほどの大金を稼ぎ、夫の傷を治すためにとすべてを費やした。お前が今まで編んだレースを売ったことも知っている、あの古着商に聞いたからな」

 ラッセルが師匠の工房に来たほどですもの、そこまで筒抜けでもおかしくはありません。何だかんだとイオニス様は私を心配し、そして敬意を表して——その言い方が正しいかどうかは分かりませんが——三ヶ月もの間、何もせず黙っていてくれたのです。とはいえ私の行き先の情報くらいは仕入れていた、そんな感じでしょう。

 もはや最高に機嫌のいいイオニス様は、やっとのことでこの機会を得たとばかりに、私の意思確認へと押し進みます。私の手を取り、顔の高さまで上げて、一言。

「それとも、それは私への愛ゆえの行動ではなかったのか?」

 どう答えるべきか、迷った末に私は——イオニス様の左の角に手を添えます。

 冷たくもなく、骨のようで、それでいて分厚い革のような、後頭部の後ろまで伸びる金色の角です。竜生人ドラゴニュートにとって大事な体の一部であり、権威の象徴にもなるそれは、すっかり何の傷もなく、熟練の職人によって金箔を焼き付けられた陶磁器のようです。

「治ったならよかった、本当に」

 私は、素直ではありません。馬鹿で、引きこもりで、迷惑ばかりかける娘です。

 でも、愛してもいないものが治って、嬉しく思ったりはしません。

 その気持ちが伝わったのかどうか、イオニス様が私へ覆い被さるように抱きついてきたことで色々考えは吹き飛びました。

「エルミーヌ、少し我慢してほしい」
「ひゃっ!? ま、また舐め」
「いや、これは竜生人ドラゴニュートとして、生涯をともにする伴侶への契約を結ぶマーキング行為だ。本来ならキスでいいのだが、嫌だろうからと思ってだな、首筋に」
「キスのほうがいいです!」

 そう叫んでから、私は赤面します。

「はしたない……恥ずかしい……!」

 まるでキスをしてくれと言ったようではありませんか、私。いえそうではなくてですね、首筋を舐められるくらいならキスのほうがいいという意思表示なのです本当に。私はそう生娘ですから、キスもしたことがないのですよ、イオニス様。どうか伝わってほしいこの気持ち。

 そんな葛藤は、機嫌のいいイオニス様にはどうでもよかったのかもしれません。

「遠慮するな。お前が示した愛に、私は全力で応える」

 そんな決め台詞を耳元で囁かれた日には、卒倒します。

 でも、卒倒しかねない衝撃の出来事があっても、私の魔力は暴走しませんでした。部屋に仕組まれた魔法防壁のおかげなのか、あるいは……。


 
 よく考えなくても、夫婦なのだからキスは当たり前では。抱きついたイオニス様が私の頭にスリスリ猫のようにじゃれている最中、冷静になった私は堂々巡りな気持ちになるのです。

 最初からイオニス様がキスをすると宣言してくれれば問題なかったのでは。それは言わないでおきましょう。はい。




□□□□□□




 それから何日か経って、私はアラデルの店を訪れました。今までの事情を話し、私の身分も明らかにします。

 アラデルは大きな大きなため息を吐いて、煙管を吸い込み、愚痴を漏らしました。

「はあー、竜爵閣下の部下が乗り込んできたときは、肝を冷やしたよ」
「申し訳ございません。黙っていたほうがいいかと思って」
「今度から言うように! まったくもう!」

 それは今度があれば、ということで。

 今後とも私はアラデルとアフディージャ師匠の下で魔導匠マギストーンとして働きます。イオニス様は許してくださいましたし、何より私には新しくやらなければならないことができました。

「それで、魔導匠マギストーンとして働くことは許してもらったのかい?」
「ええ。腕が上達したら、イオニス様からの注文をこなすことを約束して」
「へえ、どんな注文を?」
「これです」

 私は自分の左手薬指にはまった銀色の指輪を、アラデルへ見せました。そこには、小さな深紅のガーネットが一つだけ輝いています。

「結婚指輪、これが永劫残るように魔力を込めて加工を、って」





 やがて魔導匠マギストーンエルミーヌ、竜爵夫人の工房はひっそりと開店を迎え、正式に職人ギルドへの加盟も果たします。

 その先は、また別の話。エルミーヌが織姫蜘蛛の糸のレースを作るそのとき、またお話ししましょう。




おしまい。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

〖完結〗幼馴染みの王女様の方が大切な婚約者は要らない。愛してる? もう興味ありません。

藍川みいな
恋愛
婚約者のカイン様は、婚約者の私よりも幼馴染みのクリスティ王女殿下ばかりを優先する。 何度も約束を破られ、彼と過ごせる時間は全くなかった。約束を破る理由はいつだって、「クリスティが……」だ。 同じ学園に通っているのに、私はまるで他人のよう。毎日毎日、二人の仲のいい姿を見せられ、苦しんでいることさえ彼は気付かない。 もうやめる。 カイン様との婚約は解消する。 でもなぜか、別れを告げたのに彼が付きまとってくる。 愛してる? 私はもう、あなたに興味はありません! 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 沢山の感想ありがとうございます。返信出来ず、申し訳ありません。

【完】愛人に王妃の座を奪い取られました。

112
恋愛
クインツ国の王妃アンは、王レイナルドの命を受け廃妃となった。 愛人であったリディア嬢が新しい王妃となり、アンはその日のうちに王宮を出ていく。 実家の伯爵家の屋敷へ帰るが、継母のダーナによって身を寄せることも敵わない。 アンは動じることなく、継母に一つの提案をする。 「私に娼館を紹介してください」 娼婦になると思った継母は喜んでアンを娼館へと送り出して──

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

【完結】引きこもり令嬢は迷い込んできた猫達を愛でることにしました

かな
恋愛
乙女ゲームのモブですらない公爵令嬢に転生してしまった主人公は訳あって絶賛引きこもり中! そんな主人公の生活はとある2匹の猫を保護したことによって一変してしまい……? 可愛い猫達を可愛がっていたら、とんでもないことに巻き込まれてしまった主人公の無自覚無双の幕開けです! そしていつのまにか溺愛ルートにまで突入していて……!? イケメンからの溺愛なんて、元引きこもりの私には刺激が強すぎます!! 毎日17時と19時に更新します。 全12話完結+番外編 「小説家になろう」でも掲載しています。

処理中です...