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第七話 私はドンとやってしまいました
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翌朝のことです。私は外の賑やかな雰囲気を察して、目が覚めました。
ベッドでしばらくぼうっとしていたのですが、ようやく状況を把握しました。そうです、ドラゴニアに嫁いできたのです、私は。ここはイオニス様のお屋敷、あてがわれたお部屋です。といっても、天井は高く、積み上がった壁の石一つ一つが均整に並び、そこにかけられたいくつもの見事な絹織物は絵画のような綿密な刺繍が施されています。一つはドラゴニアの地図、一つは竜生人の歴代君主たちの肖像、もう一つは人々が活気あふれる市場を開いている絵です。
私もレース編みを嗜んでいるからこそ、壁にかけられた絹織物の刺繍がどれほど卓越した技術で作られたものか、少しは分かります。何十年と手に針と糸を持ち続けた職人が、年単位の時間を費やして生まれる、そんな代物でしょう。加えて、絹の質も刺繍糸の染色も、単に仕事で作りましたとは言い難い、間違いなく匠の技をもって仕上げられた逸品です。
私はベッドから起き上がり、絹と糸に指先で触れて、微細な凹凸がどのようにして生み出され、それらがどんな含意を持ち得ているのかを捉えようとしました。そうです、ほぼ無意識に私は、そうしたいと思い、貪欲と言っていい好奇心と探究心、それに恥ずかしながら向上心でしょうか、そういった気持ちに推し動かされていました。
技術は発意と手業の積み重ねです。どこまでも懸命に、まるで世の真理に迫るがごとく、己の持つ技のその先を求めた結果、恐ろしいほどの数の作品が先達の進んでいく道の後ろに並べられていくのです。後進の人々はそれらを拾い集め、食い入るように眺め、後に続こうとします。
時折、歴史はその作品を洗いざらい押し流し、破壊し、忘却の彼方へと連れ去ります。しかし、その道が存在したことまでは消し去れません。何度失われても、技術者や職人たちは同じ道を辿り、新たな作品を残していきます。そうすることが己の使命なのだと言わんばかりに、それが己の矮小な人生の意味だったのだと後で思い知りながら。
その数ある成果の一つが、私の目の前にある刺繍入りの絹織物たちなのです。
(ああ、涙が出てしまいそうなほど、美しい努力の結晶ですね。竜生人だろうと人間だろうと、妖精種だろうと歌人魚だろうと、関係ありません。私たちが残せるのは、培った技術が作り出したものだけです。極論すれば、人の人生も思いも命も、作品にしか表れない。そう、作品にとってそんなものは不必要だからです)
市場で吟遊詩人が小さな竪琴を持っているさまを、赤い竜生人が戴冠する場面を、私が触れつつまじまじと眺めていると、背後の扉がノックされました。白漆喰の扉に付けられた真鍮製のドアノッカーは、随分控えめな音だったためなかなか気付きませんでした。
私の招きの声に応じてやってきたのは、オルトリンデ一人です。
「おはようございます、奥様。お疲れかと思いましたので、朝食をお持ちいたしました」
もの静かにやってきたオルトリンデは、ごく一般的な朝食の載ったトレイを持ってきてくれました。パンとスープ、サラダ、新鮮なくだもの。もちろん詳しく聞けば、パンは最高級の小麦を配合した生地を熟成させた焼きたてのものだとか、一昼夜煮込んだブイヨンに丁寧に挽いた香辛料を加えて仕上げに隠し味の秘伝のソースを足したものだとか、そういう手間暇のかかる高価で美味しいものであるための物語をオルトリンデは語ってくれるでしょう。
実際、オルトリンデは『おかしなもの』が入っていないことを証明するためか、私が朝食に手をつける横で控えめに説明してくれました。リトス王国とドラゴニアの食習慣の違い、この屋敷では人間の使用人もいるため専属の料理人が雇われていること。竜生人は竜生人で必要とするエネルギー量が多いため、朝から肉が大量に出るそうですので、私にはとても食べられないであろうことを分かってくれていたようです。
それが終わると、ベッドに腰掛けて朝食に手をつける私を、少し離れたところでオルトリンデが直立不動のまま待っています。私が食べ終わるまでお茶の給仕をしつつ、私の注文や要望に応えようと待ち構えているのでしょう。
うーん、少し気まずいです。かといって共通の話題もなく、昨日の出来事について聞かなければいけないような、と思いながらも——聞いてはいけないような、聞きたくないような。
結局、オルトリンデとはろくに会話することもなく、私は食べ終えてしまいました。
気まずい。とても気まずい、しかし私は笑顔を作って、トレイをオルトリンデへ渡します。
「ありがとうございます、オルトリンデさん。美味しかったです、お気遣い感謝します」
すると、オルトリンデは会釈をして、真面目そうな顔つきのままこう言いました。
「お口に合ったようでしたら、何よりです。イオニス様から、朝食後は自由に屋敷内を散策してかまわない、との言伝を承っております。ただ」
怜悧なオルトリンデの表情が、一瞬だけ曇りました。
「昨日の出来事については、のちほど相談したいとも」
「昨日の……あ、はい」
ついに話題に上ってしまった、昨日のアレ。私は真顔で受け止めるしかありません。
あのあと、応接間はどうなったのでしょう。大きな穴が空いていたと思いますが、具体的な状況は何一つ知ることなく、私は逃げ帰ってしまいました。今更ながら、非常に重たい罪悪感が込み上げてきます。はい。
私がその話題を嫌がらなかった、と思ってか、オルトリンデはさらに事務的に、詳細を語ってくれてしまいました。
「応接間の修繕については、ご心配にはおよびません。イオニス様が被害を最小限に抑えてくださったので、屋敷が倒壊することだけは避けられました」
修繕、被害を最小限。屋敷が、倒壊。
とんでもないワードが出てきましたが、オルトリンデに悪気はなさそうです。
いえ、私が責められて当然のことですが、責められないことが逆にいたたまれません。
どうやら昨日は、この屋敷が倒壊する寸前まで被害が出かねない状況だったと、そういうことのようです。私が慌ててイオニス様を押し退けようとして、ドンと突き飛ばそうとしたのですが、その結果、魔力がドンと出てしまったと。ドンと。
魔法は使っていませんが、ごく原始的な魔力の使用方法として、さまざまな力場を発生させてぶつけるというのはあるようなので、私は無意識のうちにそれをやってしまったのでしょう。
嫁いで初日で私、竜爵閣下のお屋敷を破壊してしまいました。
ベッドでしばらくぼうっとしていたのですが、ようやく状況を把握しました。そうです、ドラゴニアに嫁いできたのです、私は。ここはイオニス様のお屋敷、あてがわれたお部屋です。といっても、天井は高く、積み上がった壁の石一つ一つが均整に並び、そこにかけられたいくつもの見事な絹織物は絵画のような綿密な刺繍が施されています。一つはドラゴニアの地図、一つは竜生人の歴代君主たちの肖像、もう一つは人々が活気あふれる市場を開いている絵です。
私もレース編みを嗜んでいるからこそ、壁にかけられた絹織物の刺繍がどれほど卓越した技術で作られたものか、少しは分かります。何十年と手に針と糸を持ち続けた職人が、年単位の時間を費やして生まれる、そんな代物でしょう。加えて、絹の質も刺繍糸の染色も、単に仕事で作りましたとは言い難い、間違いなく匠の技をもって仕上げられた逸品です。
私はベッドから起き上がり、絹と糸に指先で触れて、微細な凹凸がどのようにして生み出され、それらがどんな含意を持ち得ているのかを捉えようとしました。そうです、ほぼ無意識に私は、そうしたいと思い、貪欲と言っていい好奇心と探究心、それに恥ずかしながら向上心でしょうか、そういった気持ちに推し動かされていました。
技術は発意と手業の積み重ねです。どこまでも懸命に、まるで世の真理に迫るがごとく、己の持つ技のその先を求めた結果、恐ろしいほどの数の作品が先達の進んでいく道の後ろに並べられていくのです。後進の人々はそれらを拾い集め、食い入るように眺め、後に続こうとします。
時折、歴史はその作品を洗いざらい押し流し、破壊し、忘却の彼方へと連れ去ります。しかし、その道が存在したことまでは消し去れません。何度失われても、技術者や職人たちは同じ道を辿り、新たな作品を残していきます。そうすることが己の使命なのだと言わんばかりに、それが己の矮小な人生の意味だったのだと後で思い知りながら。
その数ある成果の一つが、私の目の前にある刺繍入りの絹織物たちなのです。
(ああ、涙が出てしまいそうなほど、美しい努力の結晶ですね。竜生人だろうと人間だろうと、妖精種だろうと歌人魚だろうと、関係ありません。私たちが残せるのは、培った技術が作り出したものだけです。極論すれば、人の人生も思いも命も、作品にしか表れない。そう、作品にとってそんなものは不必要だからです)
市場で吟遊詩人が小さな竪琴を持っているさまを、赤い竜生人が戴冠する場面を、私が触れつつまじまじと眺めていると、背後の扉がノックされました。白漆喰の扉に付けられた真鍮製のドアノッカーは、随分控えめな音だったためなかなか気付きませんでした。
私の招きの声に応じてやってきたのは、オルトリンデ一人です。
「おはようございます、奥様。お疲れかと思いましたので、朝食をお持ちいたしました」
もの静かにやってきたオルトリンデは、ごく一般的な朝食の載ったトレイを持ってきてくれました。パンとスープ、サラダ、新鮮なくだもの。もちろん詳しく聞けば、パンは最高級の小麦を配合した生地を熟成させた焼きたてのものだとか、一昼夜煮込んだブイヨンに丁寧に挽いた香辛料を加えて仕上げに隠し味の秘伝のソースを足したものだとか、そういう手間暇のかかる高価で美味しいものであるための物語をオルトリンデは語ってくれるでしょう。
実際、オルトリンデは『おかしなもの』が入っていないことを証明するためか、私が朝食に手をつける横で控えめに説明してくれました。リトス王国とドラゴニアの食習慣の違い、この屋敷では人間の使用人もいるため専属の料理人が雇われていること。竜生人は竜生人で必要とするエネルギー量が多いため、朝から肉が大量に出るそうですので、私にはとても食べられないであろうことを分かってくれていたようです。
それが終わると、ベッドに腰掛けて朝食に手をつける私を、少し離れたところでオルトリンデが直立不動のまま待っています。私が食べ終わるまでお茶の給仕をしつつ、私の注文や要望に応えようと待ち構えているのでしょう。
うーん、少し気まずいです。かといって共通の話題もなく、昨日の出来事について聞かなければいけないような、と思いながらも——聞いてはいけないような、聞きたくないような。
結局、オルトリンデとはろくに会話することもなく、私は食べ終えてしまいました。
気まずい。とても気まずい、しかし私は笑顔を作って、トレイをオルトリンデへ渡します。
「ありがとうございます、オルトリンデさん。美味しかったです、お気遣い感謝します」
すると、オルトリンデは会釈をして、真面目そうな顔つきのままこう言いました。
「お口に合ったようでしたら、何よりです。イオニス様から、朝食後は自由に屋敷内を散策してかまわない、との言伝を承っております。ただ」
怜悧なオルトリンデの表情が、一瞬だけ曇りました。
「昨日の出来事については、のちほど相談したいとも」
「昨日の……あ、はい」
ついに話題に上ってしまった、昨日のアレ。私は真顔で受け止めるしかありません。
あのあと、応接間はどうなったのでしょう。大きな穴が空いていたと思いますが、具体的な状況は何一つ知ることなく、私は逃げ帰ってしまいました。今更ながら、非常に重たい罪悪感が込み上げてきます。はい。
私がその話題を嫌がらなかった、と思ってか、オルトリンデはさらに事務的に、詳細を語ってくれてしまいました。
「応接間の修繕については、ご心配にはおよびません。イオニス様が被害を最小限に抑えてくださったので、屋敷が倒壊することだけは避けられました」
修繕、被害を最小限。屋敷が、倒壊。
とんでもないワードが出てきましたが、オルトリンデに悪気はなさそうです。
いえ、私が責められて当然のことですが、責められないことが逆にいたたまれません。
どうやら昨日は、この屋敷が倒壊する寸前まで被害が出かねない状況だったと、そういうことのようです。私が慌ててイオニス様を押し退けようとして、ドンと突き飛ばそうとしたのですが、その結果、魔力がドンと出てしまったと。ドンと。
魔法は使っていませんが、ごく原始的な魔力の使用方法として、さまざまな力場を発生させてぶつけるというのはあるようなので、私は無意識のうちにそれをやってしまったのでしょう。
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