竜爵閣下、あなたのためにこっそり魔導匠見習いになって働きます!

ルーシャオ

文字の大きさ
上 下
10 / 26

第六話 私は新天地で……(中)

しおりを挟む
 まっすぐ進んでトランクの取っ手に手をかけて、赤い明滅する光を掴むように一歩を踏み出す。

 踏み出した私のブーツの底が、広場の石畳ではなく土の地面を圧した瞬間。私の視界には、もう王城も『千年樹デントロ』も、父も母もいません。

 嗅いだことのないような澄んだ空気が胸へ充満し、足元から立ち昇ってくるような湯気にも似た魔力の暖気が手足を包みます。

 夕暮れの紅葉彩る見事な庭園に、私はいました。

「ここが、ドラゴニア?」

 無意識に出た問いに、誰かが答えてくれました。

「はい。ここはドラゴニア九子連合国きゅうしれんごうこくが一つ、『第九竜頭領エンネア・ケファリア』」でございます」

 ハッとして、真正面へと顔を向けると、六人のメイドたちが横一列に並んでいました。そのうちの一人——ヘアバンドのように鈍色の角が銀髪の頭に巻き付いている、竜生人ドラゴニュートの妙齢の女性です——が歩み出て、恭しく一礼します。

「お荷物をお持ちいたします」
「は、はい。あなたは?」
「オルトリンデ・リューグと申します。エルミーヌ様お付きのメイドを拝命いたしました。よろしくお願いいたします」

 礼儀正しく、聞き取りやすい声をした彼女は、もう一度深くお辞儀をします。私の両脇にあった大きなトランク二つの取っ手を軽々と両手で運び、後ろにいた人間のメイドへ渡しつつ、庭園から伸びる道の先へと招き入れます。

「どうぞ、こちらへ。イオニス様がお待ちです」

 黙って頷き、私はオルトリンデの後ろについていきます。

 チラリと見た残りのメイドたちは、人間ばかりのようですが、どこか違う気もします。今は詮索するときではない、そう思って私は緊張しながらも、オルトリンデを追いかけました。

 整備された土道は埃一つ立たず、美しい紅葉した落ち葉もまた道の隅に寄せられて、丁寧に管理されていることがよく分かる庭園の道を少し歩くと、三階建ての石造りの屋敷が見えてきました。と言っても、見えている部分はほんの一部でしょう。歩きながら、オルトリンデが案内をしてくれました。

「こちらは主屋に当たる紅玉館アントラクスです。さらに奥には旦那様が執務をなさる城塞があり、周囲は城壁代わりの魔導炎壁マギプロクスが囲んでおります。目には見えませんが、外敵の侵入を阻む最高レベルの防壁がございますので、ご安心くださいませ」

 はあ、と私が感嘆のため息を漏らしている間に、屋敷の玄関口であろう豪奢な観音扉が竜生人ドラゴニュートの使用人の青年によって開かれていました。あまりにも自然かつ静かな動作すぎて、まったく存在すら感じさせないほど、何もかもの出来事がスムーズに流れていきます。

 その流れで、緊張をほぐす暇もなく、私はいつの間にかイオニス様がいらっしゃるという応接間の前にやってきていました。

 驚く私をよそに、オルトリンデは応接間の扉を開き、私を中へと導いていました。まずい、まだ心の準備ができていない、と思うと同時に、心のどこかに嬉しさもあり、薄ぼんやりとしかまだ覚えられていない旦那様ことイオニス様がここにいらっしゃるのだと胸が高鳴ります。

 第一印象はとにかく立派な竜生人ドラゴニュートの殿方だった、としか覚えていませんが、無理もありません。実は私、魔力が有り余りすぎて、何でもかんでも魔力の感覚で物事を覚える癖が付いてしまっています。姿形よりもどんな魔力を纏っているのか、という情報が先立ち、そのせいで——竜生人ドラゴニュートという強大な存在は、その魔力にばかり目がいって、他のことを覚えられなかったのです。

 確か昨日会ったイオニス様は、立派な竜生人ドラゴニュートで真っ赤なお方だった、とは思うのですが、それだけです。だから、もっとよく見て、しっかりと知らなければ、と緊張を飲み下して、私は応接間へと足を踏み出します。

 シャンデリアのある高い天井、開かれた採光用の三面もあるガラス窓、厚いクッションのあるソファが円形に並び、ルビー細工のローテーブルの向こうには誰かが立っています。

(イオニス様……かしら?)

 竜生人ドラゴニュートの魔力は、本当に膨大なものです。応接間に入った瞬間、その空気にさえイオニス様のものであろう魔力が漂っていました。ただそこにいるだけで魔力を持つ生物として最高峰の存在がいる、と感じさせるには十分な、それでいてプレッシャーを感じません。

 だって、私が目を見開いて捉えたその方は、ほんの少しですが微笑んでいました。

 このドラゴニアを統べる九人の君主の一人。『竜爵ヴァシリアス』の称号を持つ竜生人ドラゴニュート、見目麗しいその角持つ男性は、私へ穏やかに呼びかけます。

「よく来たな、エルミーヌ」

 昨日とは随分と印象が異なりますが、間違いありません。魔力ではなく、この目でしかと捉えたイオニス様が、そこにいらっしゃいました。

 呆けている場合ではありません。私はすみやかに右手をお腹の前に、左手を背にして頭を下げ、略式ながら敬礼をします。

 そして、一世一代の口上を述べるのです。

「改めまして、エルミーヌ・サフィールと申します。このたびは、イオニス・ハイドロス・ナインス竜爵閣下へ嫁ぐよう王命を受け、拝命いたしましてございます」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。

くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」 「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」 いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。 「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と…… 私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。 「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」 「はい、お父様、お母様」 「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」 「……はい」 「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」 「はい、わかりました」 パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、 兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。 誰も私の言葉を聞いてくれない。 誰も私を見てくれない。 そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。 ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。 「……なんか、馬鹿みたいだわ!」 もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる! ふるゆわ設定です。 ※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい! ※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇‍♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ! 追加文 番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。

にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。 父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。 恋に浮かれて、剣を捨た。 コールと結婚をして初夜を迎えた。 リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。 ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。 結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。 混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。 もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと…… お読みいただき、ありがとうございます。 エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。 それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

【完結】引きこもり令嬢は迷い込んできた猫達を愛でることにしました

かな
恋愛
乙女ゲームのモブですらない公爵令嬢に転生してしまった主人公は訳あって絶賛引きこもり中! そんな主人公の生活はとある2匹の猫を保護したことによって一変してしまい……? 可愛い猫達を可愛がっていたら、とんでもないことに巻き込まれてしまった主人公の無自覚無双の幕開けです! そしていつのまにか溺愛ルートにまで突入していて……!? イケメンからの溺愛なんて、元引きこもりの私には刺激が強すぎます!! 毎日17時と19時に更新します。 全12話完結+番外編 「小説家になろう」でも掲載しています。

【完結済】姿を偽った黒髪令嬢は、女嫌いな公爵様のお世話係をしているうちに溺愛されていたみたいです

鳴宮野々花@書籍2冊発売中
恋愛
王国の片田舎にある小さな町から、八歳の時に母方の縁戚であるエヴェリー伯爵家に引き取られたミシェル。彼女は伯爵一家に疎まれ、美しい髪を黒く染めて使用人として生活するよう強いられた。以来エヴェリー一家に虐げられて育つ。 十年後。ミシェルは同い年でエヴェリー伯爵家の一人娘であるパドマの婚約者に嵌められ、伯爵家を身一つで追い出されることに。ボロボロの格好で人気のない場所を彷徨っていたミシェルは、空腹のあまりふらつき倒れそうになる。 そこへ馬で通りがかった男性と、危うくぶつかりそうになり────── ※いつもの独自の世界のゆる設定なお話です。何もかもファンタジーです。よろしくお願いします。 ※この作品はカクヨム、小説家になろう、ベリーズカフェにも投稿しています。

処理中です...