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第十五話

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 部屋にいる人々がざわめく。カーテン越しの人物など、性別も年齢も何もかも分からないのに、なぜ名前を当てられるのか。

 そんなこと、『過去視』でカーテン越しの人物が生まれてすぐのころの過去を見て、両親が名付ける瞬間を捉えたからだ。対象の人物の記憶だけでなく、過去のその時点の状況をまるで神の視点から俯瞰するごとく、ミリエットの『過去視』は見通せるほど強力になっていた。

 それゆえに、ミリエットはヴィリディアーナの次の質問にも答えられる。

「フルネームは分かる?」
「ええと、セリアン・パクスウェル・テレジェナ・イ・ベラスティール……と名付けられたようですが」

 またしても、部屋がざわついた。今来たばかりの事情に明るくないミリエットにさえ当然のように答えられて、それは確定したのだろう。

 ヴィリディアーナが、部屋の右手のカーテンへと声をかける。

「とのことです、ウルリカ様」
「うむ。誰がいるかも分からぬ状態で『過去視』の魔女がそうだとしたならば、それは正しいのだろう。カーテンを開け」

 重苦しく固い女性の声に従い、すべてのカーテンが開かれる。

 部屋の奥、ミリエットの正面にいたのは、十二歳ほどの少年だった。簡素なシャツとズボン、貴族の子弟にしては素っ気ない。濃紺の髪は少し伸びていて、くっきりとした藍色の目は一目見て将来に期待を持たせる力強さを持っている。

 片や、部屋の右手には、ソファに男装の麗人が座っていた。髪を短く切りそろえ、凛々しさは中年に差し掛かってもなお衰えない、『霊圏視』の魔女クルアヴィン女伯爵ウルリカはそんな女性だ。

 ミリエットがセリアンと『視』た少年がウルリカへ、怖気付くことなく訴える。

「これで分かったでしょう。間違いなく、私はベラスティール侯の遺児です」
「まあ、三人の魔女がそうだとしたならば、認めてもよいだろう。陛下にはそう報告しておく、追って沙汰を待て」
「ええ、分かりました」

 セリアン少年は立ち上がり、大股で部屋から出ていく。その後ろを、従者と思しき男性が追いかけていった。

 ふう、とひとつため息を吐いて、ウルリカはミリエットへ向き直る。

「大儀であったな、ミリエット。あの子はベラスティール侯爵家唯一の男児、次期侯爵となるべく呼ばれたのだが、少々来歴が特殊でね」
「それは、ベラスティール侯爵夫人が駆け落ちをしたから?」

 ミリエットにとってはついさっき『過去視』で見た光景だったが、ウルリカが眉をひそめたことでどうやらタブーだったらしいことが判明する。

「ごほん、わきまえなさい、ミリエット」
「申し訳ございません、つい」
「とにかく、そういう事情であの子が本当にベラスティール侯の遺児であるかを確かめなければならなかった。しかし、これであの子はやっとベラスティール侯爵家を継げるだろう。次は継母と継子を追い出すことから始めなければならないがね」

 なるほど、ミリエットはようやく得心がいった。

 大貴族であるベラスティール侯爵家のお家騒動、それを治めるため、セリアン少年の素性を秘密裡に確かめるためにミリエットは呼ばれた。

 それよりも——ミリエットは部屋を退出すると、急いでセリアン少年を追いかける。通りすがりの兵士や使用人に尋ね歩きながら、まだ城内にいたセリアンにやっとの思いで追いついた。

「セリアン様」

 従者に何かを命じて待っていいただろう少年が、ミリエットの呼びかけに気付く。

 ミリエットよりもまだまだ背の低い少年は、振り返って首を傾げる。

「何だ、さっきの魔女か」
「ミリエットと申します。何か、お力になれることはないかと思い、まかり越しました」

 肩で息をしながら、ミリエットは頭を下げる。

 セリアン少年は、いぶかしげに突然現れた魔女を横目で見る。

「なぜ私にそんなことを? あなたには関係ないだろう」
「いえ、その……何となく?」
「そんなどうでもいい理由で他家の事情に首を突っ込むなど、貴族令嬢としてあるまじき行いだと分からないのか?」
「いいえ、ですが、それよりも大事なことがございますから」
「大事なこと? それは何だ?」

 セリアン少年と喋りながら、ミリエットは『過去視』を使っていた。必死に頭を巡らせ、『過去視』で得たすべての情報を高速処理し、その結果、ある結論に辿り着く。

(間違いない。すんなり『過去視』ができるということは前世の私と強い縁がある、でも前世の記憶がということは……この子が、お腹の中にいた子だわ)

 セリアン少年が——前世の糸魚川静の子、名前さえ付けられずに死んでしまった我が子だと、ミリエットは確信した。

 ならば、ミリエットが取る行動は一つだけだ。

「私は『過去視』の魔女です。あなたの過去はすべて『視』ました、その上であなたの助けになりたいと思ったのです。それ以上は申し上げられません」
「なぜ?」
「信じていただけないだろうからです。そして、魔女の禁忌にも触れることだからです」
「そんな言い訳で近づくことを許すとでも? ベラスティール侯爵家が、どれほどエスティナ王国で重要な地位にあるか、知ってのことか?」
「地位とか何とか、そんなことは本当にどうでもよろしいのです!」

 思わず、ミリエットは感情が昂ぶって叫んでしまう。

 会いたかった前世の我が子を前に、どうしても母親としての記憶と感情が心を揺さぶる。冷静でいられなくなり、ついには涙さえも浮かんできた。

 どう言えば信じてもらえるだろうか。今まで『過去視』の魔女として、その言葉はほぼ無条件に信じられてきた。しかし、目の前のセリアン少年を納得させることは、その材料があったとしても出せないのだ。何一つ、物的な証拠のないことだからであり、あくまでミリエット側が執着しているだけなのだから。

 顔がくしゃくしゃになるほど泣く令嬢を前に、セリアン少年は憎まれ口を叩きながらも弱る。

「泣くな、ああもう、いきなり来て泣き出すなんて、はしたない」

 何事かと戻ってきた従者がハンカチをミリエットへ差し出し、それでもまだミリエットの涙は止まらない。

 何もかもを吐き出してしまえれば楽になるが、それができないだけに、ミリエットは何を言えばいいのか分からない。ご機嫌伺いの言葉さえも思いつかない。

 ついには、セリアン少年のほうが折れた。

「分かった、降参だ。好きなようにしてくれ、私だって味方が一人でも増えれば有り難い」

 自分のハンカチでミリエットの鼻を拭きながら、セリアン少年はやれやれと世話を焼く。どうやらこの少年、お人好しなのかもしれない。ミリエットは鼻を啜りながら、そう思った。

 ひと段落して、ミリエットは赤みの残る目と鼻のまま、こう宣言した。

「では、ベラスティール侯爵家に居座る継母と継子の方々を、一掃してまいりますね!」

 セリアン様は日が暮れてからベラスティール侯爵家のお屋敷に来てください、と言い残し、ミリエットは走り去った。

 やることが決まれば、あとは進むだけである。
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