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第十話(胸糞注意その3)

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 アルマナとミリエットは、記録官の男性と老執事ペトリールへ目配せする。

 ノートとペンを持った記録官は、一応は取り調べという体裁になっているため同席しているのだが、「ここで起きたことは一切外に漏らさない」ことを条件に老父母の療養地での生活の保障が約束されている。本来はミリエットから口止めの見返りに栄典や金を提示していたのだが、記録官の仕事が気に入っているらしく、それらしく『取り調べ』の記録を完璧に作り上げておくことを約束してのことだ。

 ペトリールに至っては、彼自身がアルマナとミリエットの手を汚させないために、と自ら望んでここにいる。指の長さほどのを何本も用意し、金槌を携え、二人の後ろに待機している。

 心の準備ができたミリエットは、語りはじめた。

「あるところに、一人の女がいました。天涯孤独で、路銀もなく、その日暮らしの仕事をやっとこなしていく毎日。女は疲れ切っていました。偶然知り合った男と、さして時間も置かず結婚したのです。お金や家があり、愛する夫がいれば、安心して生きていけるだろうと願ってのことでした」

 平然と、淡々と語っているよう振る舞っているが、アルマナもミリエットも心中穏やかではない。それでも、感情に任せての復讐では意味がないのだと、自らをなだめる。

「しかし、夫は妻となった女が従順なことをいいことに、やりたい放題です。お前は馬鹿だから、金も稼げないくせにと罵倒し、あまつさえ暴力を振るいます。怠惰で無能な妻を躾けているのだ、と言い放ち、無責任に犯し、しまいには外で何人もの愛人をこさえます。それを知っていても、女は黙っていました。子ども共々、見捨てられるのが怖かったからです」

 足元で震える男女は、呻くのをやめていた。

「毎日毎日、激しい折檻せっかんの嵐。外に出られなくなるほど顔は腫れ、使い物にならないと台所の隅で蹴られて怯えて暮らすうちに、女は逃げられなくなりました。夫は外では仕事熱心なキャリアを演じ、妻は無能でどうにもならないがその夫を支えるいい女友達がいるのだ、とアピールしていたようです。みんな分かっていても何も言いません、愛人を家に連れ込んで妻を一緒になって虐待していたなど、きっと知っていても言えなかったのでしょうね、ええ」

 すう、とミリエットは息を大きく吸った。

 ここまでの話でさえも、聞くに堪えない。前世の自分に起きていたことを語る、ただそれだけなのに胸が痛み、抑えていた憎しみが熱を帯びてふつふつと沸いてくる。

 アルマナが一歩を踏み出し、縛られて床に寝転がる男女へこう言った。

「思い出したかしら? ううん、最初から全部、思い出しているのよね。前世の知識を悪用して、犯罪で稼いではよその土地に転々として、贅沢三昧。そうよね? 口八丁なあなただもの、時代遅れの世界の人間を手玉に取るなんて簡単だ、なんて思っていたのでしょうね」

 はっきり言って、前世である現代日本で受けた高等教育の知識、常識、教養があれば、この世界ではよほど運が悪くないかぎりいい生活を営める。

 ましてや、前世の糸魚川良大はいい大学を出て、いい企業に就職して、着実にキャリアを積んでいたエリートだった。その憂さ晴らしに身寄りのない弱い女を選び、妻という枷をつけて暴力を振るっていたのだから性根は腐り切っているが。

 ミリエットが咳払いをして、アルマナから話を引き継ぐ。過去に関してはミリエットが担当する、と決めていたからだ。

「さて、話を戻しましょう。あなたたちの視点で言えば『ある日、女は事切れていました』、よね? 私が死んだことにも興味はなかったんでしょう? 死体を台所の地下倉庫奥に隠して、何食わぬ顔で引越した」

 アルマナとミリエットでさえ、それを知ったのは自分に『過去視』を使ってからだ。死んだ後のことまで前世の記憶にはない、だから自分が死んだその後の顛末てんまつを知るためにはそうするしかなかったのだが——直接知ってしまったミリエットは、しばらくは体調を崩すほどショックを受けていた。

 糸魚川静の遺体は、彼らにとってはことに第二次関東大震災の発生で有耶無耶になった。十年以上放置され、さらにマンションが全面倒壊し、津波まで来たのだから、人目に触れたころにはどこにあったのかも分からない白骨死体だ。震災の犠牲者として名前も分からず埋葬されてしまった。

 つまり——糸魚川良大と鷺沼ゆりは、静を殺した罪を何一つ償っていない。責められてすらおらず、彼女の死後もことあるごとに彼女をおとしめつづけた。

 それ以上のことを知る必要はなく、ミリエットは頭を振った。

 それよりも、さらに別の罪を教えてやらなければならない。

 ミリエットの口は重く、重々しく語る。

「私の息子、令詩れいしを率先して虐待したのはあなた、そうよね? 鷺沼ゆり。ただあなたは狡猾だった、ずっと令詩を家に閉じ込めていた。あの子の口から私の死がバレるかもしれない、そう思ったんでしょうね。でも、五歳になった令詩は逃げようと玄関から飛び出して、車にはねられて死んでしまった。あなたたちにとっては都合のいいことに、口封じができた」

 そう、

 何もかもが、前世は糸魚川良大と鷺沼ゆりにとって味方になっていたかのような人生だった。

 アルマナの口が歪む。憎しみのあまり、吐き捨てるように皮肉を言う。

「あなたたちは天寿を全うした。素晴らしいわね、日頃の行いがよかったから? あなたたちには幸運の女神が付いていたから? それとも、悪いのは私とあの子たち? ねえ、どう思う?」

 そこまで言ってから、アルマナは気付いた。

「ああ、そうか。あなたたちは、私のお腹にも子どもがいることを知らなかったのね」

 殺した人数が一つ増えたからと、『イヴァンとエラ』こと糸魚川良大と鷺沼ゆりは、悪びれもしないだろう。

 床の男女はみっともなくうーうーと唸り、口答えをしているかのようだった。アルマナもミリエットもそれが気に食わない。

 アルマナはしゃがみ、確実に聞こえるように、これからのことを二人へ教えてやった。

「ねえ、知っている? あなたたちが移送されるパペチュエリー公爵領の最高刑は、火炙ひあぶりよ。その前に広場で公開の石打ち、鞭打ちもね。それが終わったころには皮膚も肉も裂けて骨が見えているのですって。それから鋼鉄の棺桶に入れて、燃やしていくの。しっかりと中に空気を送り込んでできるだけ生かし、空気穴から悲鳴が聞こえなくなっても、三日三晩火にかけつづける。刑罰としてはとても惨たらしいけれど、そこまでされる罪人は今まで他人に背負わせた苦しみを味わわせて償わせないと、地獄にも入れてもらえないだろうから……そんな理由なの」

 アルマナが見下ろす、芋虫のようになっている二人は、押し黙った。

 ——自分たちがこれから味わう地獄を、想像できただろうか。前世でその刑罰に近いのは『ファラリスの雄牛』あたりだが、知っているだろうか? 糸魚川良大は知っているだろう、そういうことには詳しかった。

 
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