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第四話
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聖地メッカが月に地盤ごと移転したことで、さらに硬い地盤があることが判明し、サウジアラビア政府はそこに地下都市メッカを完成させた。それが西暦二〇五三年十月のことで、より居住環境を快適にするため拡張工事は完成後も上下東西南北四方八方へ続けられている。
地下都市メッカでは、天井の花崗岩地層とガラス硬材の入れ替え作業が今日も行われている。少しでも太陽光を取り入れるため、さらにはサウジアラビアのデザインを取り入れた青いモザイクガラスも配され、すでに天井部分の三分の一が何十層と重なるガラス製になっている。それを支える幾本もの巨大な樹状柱も、青を基調とした幾何学模様で彩られていた。
西暦二〇五三年末に地球を襲った史上稀に見る『極大太陽フレア』は、地表の約三割を焼き払った。危惧されていた大量の電子や放射線量よりも、圧倒的に増大した日射量が、文字通り人も建物も森も焼いてしまったのだ。
極地の状況は未だ不明、そもそも地上は人類が防護服なしで歩ける環境ではない。せめて地球上の雲の生成サイクルが正常に戻るまで、地下都市からは外出できないだろう。
そんな状況でも、人類の生活はそうそう変わるわけではなく、地下都市郊外の平屋では、今朝も誠は低血圧で起き上がれずにいた。
芋虫のように毛布に包まる誠の上に、どかりと双子の少年と少女がのしかかる。
「誠さん、起きなさーい!」
「起きなさーい!」
先日十一歳になったシャウリャとシャーンヴィだ。メナハの長男と三女で、くりくりとした大きな目が可愛い、浅黒い肌の美男子と美少女だ。
その双子は誠の毛布を無情にも剥ぎ取り、必死に丸まる細身の日本人の体を揺らす。子どもは家主に対してもあまりにも容赦がない。
「まぶしい……」
「朝ごはんができましたよ! 眠気も吹っ飛ぶレモングラス入りです」
「やめてくれよぉ、そういうの」
「はいはい起きる起きるー」
双子たちは母メナハの真似をして、誠を叩き起こす係に就任してもう二年も経つ。学校へ行く前のひと仕事とばかりだ。ようやく誠がベッドから落ち、のろのろと立ち上がる。幽霊のように歩く家主を支え、居間に連れ出すのも彼らの仕事のうちだ。
メナハの長女アルシと次女クリパは、リヤドから移転してきたキングサウード大学で文学や法学を専攻しているため、すでに朝食を食べて家を出ている。しかし帰ってくると弟妹の勉強を見たり、だらしない誠にお説教をしたり、やはりメナハの面倒見のよさが受け継がれているようだった。
『極大太陽フレア』の警告が発された後、結局誠はメナハへそれを説明し、家族をインドからサウジアラビアへ連れてくるよう助言した。とはいえ出稼ぎならともかく、移住はなかなかに厳しい。そこで長女と次女のキングサウード大学への留学を進めるとともに、ディルガームに後見人となってもらうことにした。渋ったディルガームを、プレイステーションソフト『モンスターファーム』とクリア済みデータ入りメモリーカードで買収したのは誠である。
居間には、メナハの夫シンがいた。シク教徒のターバンを着用し、顔には多くの深いしわ、その両手は金細工職人として働いてきた頑丈さと、薬品と火傷による皮膚の斑模様でできている。
シンは先に朝食を済ませた子どもたちの食器を片付けていた。意外にも、シンは家事手伝いを進んで行うタイプで、自分の仕事以外ではもっぱらメナハの手伝いをしている。男尊女卑が横行しているインドの世俗の流れとは一線を画していた。
シンは目が合うと、にっこりと深いしわをさらに作って、誠へ会釈した。
「おはよう、シンさん」
「おはようございます。毎日ね、子どもたちが大暴れで申し訳ない」
「お気になさらず」
そう言っている間にも、シャウリャとシャーンヴィは誠を丸く分厚い座布団に乗せて、大量の固いクッションで倒れ込まないよう壁を作っていた。二度寝防止なのだろうが、その気になれば座ったまま誠には無意味だ。
地下都市に移り住んだ誠は、メナハ一家を地下都市に用意した平屋の自宅に住まわせることにした。サウジアラビア人にとって、インド人は異教徒で外国人だ。住み慣れない土地に放り出すわけにもいかない、呼び寄せるよう助言した誠にも責任がある。
最初、地下都市メッカは暗かった。人工の灯りで照らしても、やはり太陽光には敵わない。地上と違って川がいくつも流れていても、耕作に向かない土地柄、水耕栽培用農業施設が出来上がるまで緑らしい緑は少なかったほどだ。
そこで、ディルガームが天井の分厚い岩盤を少しずつガラス製に置き換えていくことを提案した。スラグに砕いたガラスを混ぜて耐久性を確かめ、何十にも及ぶ層を形成しつつ、ガラス面が地表に到達したのはほんの数ヶ月前だ。
相変わらずの厳しい太陽の光が地上を焼き、時には摂氏七十度近くなる。それでもましなほうで、おそらく極地はもっと酷い有様となっているだろう。世界中にいくつシェルターが作られたかは不明だが、地下都市メッカ以外にも大規模避難施設は建造され、近隣の三つのシェルターとは連絡が取れている。
さて、次に人類が太陽を仰ぎ見、月に手を伸ばすのは何十年、何百年かかるだろうか。その前に、地下都市はどこまで維持できるだろうか。
絶望的な計算から、希望的観測まで、集められた『SOM計画』に参加する科学者たちの中でも意見が割れている。国王の信頼厚いディルガームが主導するからこそ、瓦解していないようなものだ。
それは一般市民には知らされていない。だが、誠はそれでいいと思う。彼らは希望に満ちた未来に繋がる情報を欲しているのだから、それだけを教えておけばいい。絶望を受け止める係を引き受けるのは、政権上層部と誠たちだけでいいのだ。
「はい、誠さん。温野菜サラダですよ」
メナハが運んできたのは、顔が入りそうなガラスボウルに、茹でた芋やブロッコリー、名前も知らない葉っぱが積まれているものだ。
誠はしばし考え、尋ねる。
「……スープは?」
「あたしが飲んだよ!」
「僕も飲んだ!」
「ああそう、もうないのか……ドレッシングくれる?」
「はい、どうぞ!」
「フォークもね!」
苦笑いするメナハと夫シンの前で、双子が何かと誠の世話を焼く。
聖地もなく、テレビもなくなった居間で、家族の団欒は続いていた。
だが——課題は、山積していた。今ここでそれを知るのは、誠だけだ。
誠は、今日予定されている会議の重要性を嫌というほど認識していた。
地下都市メッカでは、天井の花崗岩地層とガラス硬材の入れ替え作業が今日も行われている。少しでも太陽光を取り入れるため、さらにはサウジアラビアのデザインを取り入れた青いモザイクガラスも配され、すでに天井部分の三分の一が何十層と重なるガラス製になっている。それを支える幾本もの巨大な樹状柱も、青を基調とした幾何学模様で彩られていた。
西暦二〇五三年末に地球を襲った史上稀に見る『極大太陽フレア』は、地表の約三割を焼き払った。危惧されていた大量の電子や放射線量よりも、圧倒的に増大した日射量が、文字通り人も建物も森も焼いてしまったのだ。
極地の状況は未だ不明、そもそも地上は人類が防護服なしで歩ける環境ではない。せめて地球上の雲の生成サイクルが正常に戻るまで、地下都市からは外出できないだろう。
そんな状況でも、人類の生活はそうそう変わるわけではなく、地下都市郊外の平屋では、今朝も誠は低血圧で起き上がれずにいた。
芋虫のように毛布に包まる誠の上に、どかりと双子の少年と少女がのしかかる。
「誠さん、起きなさーい!」
「起きなさーい!」
先日十一歳になったシャウリャとシャーンヴィだ。メナハの長男と三女で、くりくりとした大きな目が可愛い、浅黒い肌の美男子と美少女だ。
その双子は誠の毛布を無情にも剥ぎ取り、必死に丸まる細身の日本人の体を揺らす。子どもは家主に対してもあまりにも容赦がない。
「まぶしい……」
「朝ごはんができましたよ! 眠気も吹っ飛ぶレモングラス入りです」
「やめてくれよぉ、そういうの」
「はいはい起きる起きるー」
双子たちは母メナハの真似をして、誠を叩き起こす係に就任してもう二年も経つ。学校へ行く前のひと仕事とばかりだ。ようやく誠がベッドから落ち、のろのろと立ち上がる。幽霊のように歩く家主を支え、居間に連れ出すのも彼らの仕事のうちだ。
メナハの長女アルシと次女クリパは、リヤドから移転してきたキングサウード大学で文学や法学を専攻しているため、すでに朝食を食べて家を出ている。しかし帰ってくると弟妹の勉強を見たり、だらしない誠にお説教をしたり、やはりメナハの面倒見のよさが受け継がれているようだった。
『極大太陽フレア』の警告が発された後、結局誠はメナハへそれを説明し、家族をインドからサウジアラビアへ連れてくるよう助言した。とはいえ出稼ぎならともかく、移住はなかなかに厳しい。そこで長女と次女のキングサウード大学への留学を進めるとともに、ディルガームに後見人となってもらうことにした。渋ったディルガームを、プレイステーションソフト『モンスターファーム』とクリア済みデータ入りメモリーカードで買収したのは誠である。
居間には、メナハの夫シンがいた。シク教徒のターバンを着用し、顔には多くの深いしわ、その両手は金細工職人として働いてきた頑丈さと、薬品と火傷による皮膚の斑模様でできている。
シンは先に朝食を済ませた子どもたちの食器を片付けていた。意外にも、シンは家事手伝いを進んで行うタイプで、自分の仕事以外ではもっぱらメナハの手伝いをしている。男尊女卑が横行しているインドの世俗の流れとは一線を画していた。
シンは目が合うと、にっこりと深いしわをさらに作って、誠へ会釈した。
「おはよう、シンさん」
「おはようございます。毎日ね、子どもたちが大暴れで申し訳ない」
「お気になさらず」
そう言っている間にも、シャウリャとシャーンヴィは誠を丸く分厚い座布団に乗せて、大量の固いクッションで倒れ込まないよう壁を作っていた。二度寝防止なのだろうが、その気になれば座ったまま誠には無意味だ。
地下都市に移り住んだ誠は、メナハ一家を地下都市に用意した平屋の自宅に住まわせることにした。サウジアラビア人にとって、インド人は異教徒で外国人だ。住み慣れない土地に放り出すわけにもいかない、呼び寄せるよう助言した誠にも責任がある。
最初、地下都市メッカは暗かった。人工の灯りで照らしても、やはり太陽光には敵わない。地上と違って川がいくつも流れていても、耕作に向かない土地柄、水耕栽培用農業施設が出来上がるまで緑らしい緑は少なかったほどだ。
そこで、ディルガームが天井の分厚い岩盤を少しずつガラス製に置き換えていくことを提案した。スラグに砕いたガラスを混ぜて耐久性を確かめ、何十にも及ぶ層を形成しつつ、ガラス面が地表に到達したのはほんの数ヶ月前だ。
相変わらずの厳しい太陽の光が地上を焼き、時には摂氏七十度近くなる。それでもましなほうで、おそらく極地はもっと酷い有様となっているだろう。世界中にいくつシェルターが作られたかは不明だが、地下都市メッカ以外にも大規模避難施設は建造され、近隣の三つのシェルターとは連絡が取れている。
さて、次に人類が太陽を仰ぎ見、月に手を伸ばすのは何十年、何百年かかるだろうか。その前に、地下都市はどこまで維持できるだろうか。
絶望的な計算から、希望的観測まで、集められた『SOM計画』に参加する科学者たちの中でも意見が割れている。国王の信頼厚いディルガームが主導するからこそ、瓦解していないようなものだ。
それは一般市民には知らされていない。だが、誠はそれでいいと思う。彼らは希望に満ちた未来に繋がる情報を欲しているのだから、それだけを教えておけばいい。絶望を受け止める係を引き受けるのは、政権上層部と誠たちだけでいいのだ。
「はい、誠さん。温野菜サラダですよ」
メナハが運んできたのは、顔が入りそうなガラスボウルに、茹でた芋やブロッコリー、名前も知らない葉っぱが積まれているものだ。
誠はしばし考え、尋ねる。
「……スープは?」
「あたしが飲んだよ!」
「僕も飲んだ!」
「ああそう、もうないのか……ドレッシングくれる?」
「はい、どうぞ!」
「フォークもね!」
苦笑いするメナハと夫シンの前で、双子が何かと誠の世話を焼く。
聖地もなく、テレビもなくなった居間で、家族の団欒は続いていた。
だが——課題は、山積していた。今ここでそれを知るのは、誠だけだ。
誠は、今日予定されている会議の重要性を嫌というほど認識していた。
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