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第十八話 あなたもでしたか

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 岩場はやがて巨大な風穴へと繋がって、ドラゴンだって余裕で飛行しながら突入できそうな大洞窟が現れた。

「長年の激しい風と、以前はかなりの水位の川があったのかもしれないから、その影響で綺麗な洞窟ができたと思われるわ」
「そういうものか」
「それから地中で活動するモンスターの影響で風穴ができたのだろうけど」

 あちこちに空いた風穴から風の音が奇妙な叫び声のように聞こえ、あまりにも騒々しい。しかし、イフィゲネイアが「会話が聞こえないわ」の一言とともに錫杖を振り上げた。周囲に目に見えるほど渦巻いていた風がぴたりと止まり、やがて三人の周囲だけが時が止まったような凪の空間となる。少しすればモンスターの大きな羽や小石が風穴に落ちては飛んでいくことを繰り返しはじめ、四方八方からの風が復活していたが、三人は問題なく声で意思疎通が図れる。

 だからか、松明——イフィゲネイア手持ちの薬剤を振りかけて、殊更炎が明るい——を掲げる先頭のシノンは割合足元の平らかな大洞窟へと足を踏み入れながら、最後尾のイフィゲネイアへこんなことを尋ねていた。

「なあ、イフィゲネイア。少し話を聞いても?」
「かまわないわ。何から聞きたいの?」
「どうしてタビを弟子に? ロッタもだが……あんたたちのお眼鏡にかなったということか?」
「そういうわけでもないけれど」

 真ん中のタビは、二人の顔をきょろきょろと眺める。シノンがそれに気付いた。

「タビ? どうした?」
「ええと」

 タビはチラリとイフィゲネイアを見た。イフィゲネイアもタビの言葉を待っている。

 この半年間聞きたかったような、聞きたくなかったような、それでも聞かなければならないことを、タビは——二人へ問う。

「人を助けることには、やっぱり理由が必要なんですか」

 それを聞いたシノンとイフィゲネイアは顔を見合わせた。

 二人とも、至極真面目に答える。

「時と場合によるが、基本的には必要ないな。ただ……それじゃ納得しないやつも多い、当事者たちじゃなくて外野がな」

 そうなのか。そう聞くように、タビはイフィゲネイアをじっと見る。

 イフィゲネイアの調子はいつもどおりだった。普通のこともそうでないことも、ごくごく普通のように平静に語る。

「イフィクラテスがタビを弟子にすると言い出したことに、本当は理由なんてないのよ」
「えっ……才能がとか、そういう話は」
「もちろんあなたに才能があるというのは本当よ。でも、だから助けたというわけじゃないわ。もし才能がなかったとしても、あなたが困っていて出会ったのなら助けていた。それは確かだから。錬金術師というのは、そういうを持つ人々のことを言うの」
……」
「そう。古より今まで、誰かを救わずにいられない人々は、何もかもを救える方法を追い求めた。それが錬金術よ」

 イフィクラテスとイフィゲネイアは錬金術師である。だから、タビを助けた。弟子にした。それ以上の理由なんて実はなくて——それに、シノンだって誰かを助ける類の人間のようだ。

 タビはずっと考えていた。いくら錬金術師の弟子にと望まれたって、タビは助けてくれたイフィクラテスとイフィゲネイアに何が返せるのだろう。二人以上の錬金術師になんてなれそうにないし、地位やお金に固執しない二人は何を喜ぶのだろう。

 自分には一体、何ができるのか。

 錬金術を少しずつ知るにつれ、タビは自分の小ささと世界の広さを思い知っていた。カスヴィカウプンキができてから、人の営む社会、世間というものを知るようになった。

 するとタビは、自分はまだまだ子供で、錬金術を少しかじっただけの未熟者だと分かるようになってきた。早くもっとたくさんのことを知って、大きくなって師匠二人のようにいろいろなことができるようになりたいと願うようになってきた。

 半年前にイフィクラテスとイフィゲネイアに助けられた理由なんてそう大したことではなくて、そんなに恩返しと気負わなくていいのに——未熟さに焦って、失望して、暗中模索を続ける中で、少しだけ気が滅入っていたのだ。

 少なくとも、二人への恩返しは今考えることではない。何かができるようになってから考えることだ。

 ほんの少しだけ気が楽になったタビは、シノンが心配そうに見下ろしてきていることに気付いた。はにかんで、大丈夫だと伝える。

 ただ——イフィゲネイアは、重要なことを付け足した。

「でも、世の中には助けを必要としない、諦めてしまった人々もいる。もう誰も信用できなくなって、近づく者すべてが敵だと思う人もいる。そういう人は残念ながら助けられなくて、私たちは何度も失敗してきたわ」

 失敗、とタビはつぶやく。

 その言葉は、にわかには信じられなかった。『双生の錬金術師』イフィゲネイアには何とも似つかわしくない、できなかったこと。

 それは聞いてもいいことなのかどうか、タビが迷っているうちに、シノンが静かに動いた。松明を押しつけたタビをイフィゲネイアへと押しやり、前に向けて走り出す。

 走る最中、すでにシノンは背中の大剣の留め具を力づくで外し、右手でしっかりと柄を握りしめていた。右に一振りし、それから思い切り足を踏み締めて前方へ逆袈裟に斬り払う。

 シノンの行動はあまりにも素早すぎて、タビは目で追えていない。馬のいななきのような悲鳴が聞こえ、やっと状況を理解し、タビは渡された松明を掲げる。

 息を吐く威嚇音とともに、シノンの前に立ち塞がっていたのは——家よりも大きな獅子だ。鼻先に真新しい切り傷を持つ山羊と鶏の首を生やし、顔まで回ってくる尻尾は巨木を思わせる太さの大蛇という見たこともないモンスターだった。

 全体像を見てしまうと、大剣を構える大男のシノンさえも小さく見える。タビは悲鳴を上げそうになったが、イフィゲネイアがすかさずタビの口を押さえた。

 シノンが振り向かずに、後方の二人へ指示を出す。

「こいつはキメラだな。ここでさっきの分解は使うなよ、もうダンジョン内だ」
「分かったわ」
「しかし『アングルボザの磐座』、前に来たときよりもかなりでかくなっているな。モンスターの異常繁殖の原因は、この中か」

 シノンは巨大なキメラを眼前にしているというのに、ずいぶんと落ち着いた声だ。そのおかげで、タビはいくらか恐怖を和らげることができた。先手を打ったシノンがそこに立ち塞がっているだけで、キメラも攻めあぐねていることがはっきりと見て取れる。

 突然、イフィゲネイアが錫杖の石突で、近くの岩を叩いた。

 しかし、錫杖の石突は岩にぬるりと刺さり、穴からは岩が泥のように溶け落ちていく。

 これにはタビも驚愕を隠せない。

「ひえ!? い、岩が溶けた!?」
「違うわ。しっかり見て、ここに岩はないのよ」

 イフィゲネイアが何を言っているのか分からないが、タビはしっかりと見ることだけはやってみる。

 石突の先、すっかり穴の空いた岩——そこには、波紋が広がっていた。岩ではなく、そこは水面であるかのようにだ。波紋はずっと伝わっていき、岩を越え、見えない壁があるかのように天井近くの暗がりまで到達している。

 イフィゲネイアは頷いた。

「空間の歪曲にしては、これはこのダンジョン本来の作用ではないわ。誰かが干渉しているのかしら」

 タビから手を離し、イフィゲネイアは岩へと近づく。

「シノン、しばらくここにモンスターを近寄せないで。ダンジョン内の異常を調査するから」
「分かった。タビ、イフィゲネイアから離れるなよ」
「は、はい!」

 そう言うが早いか、シノンはもうキメラに斬りかかっている。

 キメラへ向けて、人の背丈はある無骨な大剣を振るい、切り返す。動作としてはたったそれだけなのだが、あまりにも力強く、あまりにも速すぎた。一拍遅れてキメラの苦悶の声が漏れたかと思ったら、すでにシノンはキメラの獅子の顔目掛けて一文字に大剣を振り払っている。

 先ほどイフィゲネイアが騒音軽減ノイズキャンセリングの措置を施してくれていなかったら、洞窟中に響き渡る巨獣の凄惨な悲鳴が耳をつんざき、タビはすっかり身が竦んでいただろう。

 一方的と言えるくらい、シノンは流れるようにキメラに襲いかかって、切り伏せて、血祭りに上げている。

 唖然としてその戦い——虐殺ではないだろうか——を眺めるしかないタビへ、イフィゲネイアはちょっとズレたことを言う。

「大丈夫よ、タビ。シノンは『マーナガルム』討伐の英雄だから、キメラくらいあっという間に倒してしまうわ」

 タビはその心配はしていない、目の前ですでにキメラの鶏の首が縦に割れてしまった。物理的に、まるで柔らかい食材に鋭い包丁が入るかのように、まさしく両断されたのだ。かなりえげつない量の血飛沫が噴き上がり、それでもシノンはまったく攻撃の手を緩めない。

 『マーナガルム』が何なのか、タビはおとぎ話の大狼のことだと知っていた。太陽を追いかける巨大な狼、その狼が太陽に追いついて食らいつき、太陽が欠ける現象が起きる。そんなふうなおとぎ話なら、ラエティアには広く知られている——が、まさか実在するものとは思わなかった。

「『マーナガルム』って、その」
「ええ、以前ラエティア西部に出没した災害級のモンスターよ。幻日マーナガルムさえも斬り伏せた人間はシノンくらいなものだから」

 イフィゲネイアはしゃがんで岩付近を探りながらそう答える。

 それを聞いたタビは、呆然として思った。

 ——気象現象のたとえになるようなモンスターさえ、人の手で討伐するのはちょっとおかしいと思う。

 数分と経たずに返り血を浴びたシノンが戻ってくるまで、タビは現実の処理に頭が追いつかなかった。
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