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第七話 目玉がゼリー状

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 大木を切り倒す様子を故郷で見たことがある。

 両側に切り込みを入れて、倒したい方向の切り込みを深くして、上手くできたら反対側から蹴り倒す。すると——大地を揺らすほどの衝撃と、近くの枝葉をバキバキと巻き込む音が広がり、たとえ変な方向に倒れてきても当たらないほど遠く離れていても、びっくりして言葉が出なかった。

 タビは走馬灯を見ていた。それどころではないと我に返ったのは、じわじわと足になっている根っこを何本も動かして迫ってくる大木のモンスターの足音が、タビの足元まで響いてきていたからだ。

 今、これが倒れてきたら、僕、潰される。

「つぶ、潰れ、いやあああ!?」

 真っ青な顔をして、タビは脱兎のごとく、歩く大樹から反転して逃げ出した。ちらりと振り返ると、初めて見るモンスターは体である木の真ん中が蠢いて、ぎゅるんと大きな紫色の目玉を一つ出してみせた。

「ぎゃあ気持ち悪い! 無理ー!」

 しかも、目玉が出てきてから大木のモンスターはタビにしっかり照準を合わせたようで、明らかに追ってきていた。人の歩く速さ程度だが、その足音が徐々に速くなってきている。

 逃げる、その選択肢しか今のタビの頭の中にはない。

 涙目になりつつ腕を振って走って逃げるタビは、『共鳴器レソナトール』から漏れるイフィクラテスの声にやっと気付いた。

「聞こえるか? おーい。何だ、どうした」

 タビは、さっきまでイフィクラテスと話していたことすら忘れていた。そうだ、イフィクラテスがいたのだ。助けを求めないと。

「大きな木が! 動いてます! 襲ってきてます!」

 しかし、返ってきた答えは無慈悲だった。

「落ち着け。『共鳴器』の出力を制御して、木を切り倒せると言っていただろう。やってみろ」
「ええ~!?」

 タビは後悔した。余計なことを言ってしまった、と。

 確かにできる、『共鳴器』を使って振動を起こし——正確には、切断したい最小限の箇所にあらかじめ強くごく短い振動を当てて分解しておき、倒したい方向へ『共鳴器』によって倍加した衝撃を加える——ということはできる。タビはすでに何本も木を切り倒して実験済みだ、『共鳴器』の性能を考えれば全然できる。

 だが、今でなくてもいいのでは? タビは泣きそうになった。もっと平和なときに落ち着いてやりたかった。

 ただ、イフィクラテスが愉快げにタビを追い詰める情報を口にし続けるため、そんなことを言っている場合ではなかった。

「その木のモンスターは、ソクラテアという。歩く木として有名で、足となる根っこを増やしてどんどん動く。縄張り意識が強く、縄張りを守るために動くようになった、とも言われていてな。おそらくそこはそいつの縄張りだったんだろう。倒さないかぎり、ひたすら追いかけてくると思うぞ」

 そこまで言われては、やらないという選択肢はついには消え失せてしまった。

 タビは鼻声で叫ぶ。

「うわーん! 『共鳴器』、音声ウォクス・認識モデレータ起動!」

 立ち止まり、振り返って、紫色の目玉をぎょろつかせて追いかけてくる大木のモンスターへ、右手の人差し指に親指を添えて、向ける。

「切ってぇ!」

 親指にはめた『共鳴器』を、人差し指の付け根で擦る。

 『共鳴器』には、イフィクラテスが説明してくれない機能がまだまだ眠っている。やっとタビが見つけた機能の一つ——音声ウォクス・認識モデレータは、『共鳴器』に機能だ。どうやら『共鳴器』は過去の使用例の記憶もしていて、同時にその命令の言葉を覚えさせることで短縮してその機能を再現させることができる。

 唯一、タビが自力で発見して、『共鳴器』に記憶させている命令が『切る』ということだ。動作を覚えさせているので、『共鳴器』を向けるなどして対象を指定するだけで、最適な調整を自動で行い、『切る』。

 一度『共鳴器』がエネルギーを発すれば、音速以上で飛んでいく。あまりにも速すぎて、人間の裸眼がそれを観察することはできない。

 大木のモンスター・ソクラテアに振動が当たり、分解、切断されるまでにかかる時間は、瞬きの間ほどだ。

 タビが『共鳴器』へ命じ、瞬きをすれば、あっという間にソクラテアは目玉ごと上下に切断され、後ろへ向けて倒れていった。後ろにあった木々を薙ぎ倒し、勢い余って足である無数の根っこが大地から離れて天へ放り出され、そしてまた土を撒き散らしながら地面に落ちる。

 その無数の根っこが、四方八方に暴れて触手のように動くさまを目撃してしまったタビは「ひいっ!?」と悲鳴を上げたが、ダンジョンを揺らす震えとぎゃあぎゃあと飛んで喚く鳥の声にすっかりかき消されていた。

 動かなくなったソクラテアの周りの土埃が落ち着いたころ、恐怖で固まっていたタビのもとにどこからともなくイフィクラテスが走ってやってきた。

「お、ここにいたか。暴れてくれたおかげで位置が特定できたぞ」

 青い宝石の錫杖に、白いフードに仮面の癖っ毛。どこからどう見ても、イフィクラテスである。別れて三十分と経っていないのに、タビは心の底から会いたくて仕方がなくて、思いっきり抱きつこうとした。

 だが、イフィクラテスはそっとタビの両肩を掴んでくるりと回し、ソクラテアへ向き直らせて背中を叩いた。

「師匠~何で~!?」
「泣くな、このくらいじゃ死なない。それより、核を取ってくるんだ」

 核? タビは頭の中の辞書から、ようやくモンスターの核という単語を引っ張り出した。そして目の前にはソクラテアというモンスターの死骸がある。紫色の目玉が両断されて、ぷるんとゼリー状の何かが垂れている。怖い。

「核……どんなのですか」
「知らん! モンスターごとに違うからな!」
「うぅ」

 背中を強引に押されては、タビも引き返せない。近くにあった長めの枝を拾って、恐る恐るソクラテアの死骸に近づく。

 核といえば、宝石のようなものだろうか。タビはモンスターの核を見たことがない、もしかするとあるのかもしれないが、それがモンスターの核だとはきっと認識していなかったに違いない。

 ソクラテアの体は、大半が空洞の多い大木だった。なぜこれであんなにも激しく動けたのだろう、とタビは疑問がいくつも浮かんでくるが、それよりも核の在処が問題だ。

 当たってほしくはないが、タビの予想では、ソクラテアの核は——紫色の目玉の中だろう。というよりも、空洞ばかりある体には、生物学的に——モンスターは生物なのか何なのかはさておき——臓器の一種であろう核をポンと置くことはなさそうだ。

 なので、タビはゼリー状の目玉の中身をかき回して、コツンと枝に当たったものを引っ張り出した。楕円形の紫色の、水晶のようなそれの大きさは、タビの頭ほどもある。

 触りたくはない。触りたくはないが、取って帰る必要がある。

 タビは、念のため、核の上から回復ポーションをかけて、近くの大きくて布代わりになる葉っぱで丁寧にゼリー状の液体を拭き取った。核を転がして何もついていないことを確認してから、両手で抱き上げる。十歳のタビが、ようやく持ち上げられる重さだ。

 タビは、イフィクラテスへ叫んだ。

「これですか? これですよね? もういや!」

 もう、タビは我慢ならない。恐怖や衝撃くらいならまだよかった、しかしモンスターの目玉をかき回して核を出して拭き取って持ち上げる、などと拷問のような仕打ちに、ついには泣き出した。巨石ほどの大きさの目玉の現状など見たくない、気持ち悪くてたまらないのだ。

 イフィクラテスもさすがに鬼ではない。急いでやってきて、錫杖を持つ片手で核を受け取り、もう片方の手でタビの頭を撫でた。

「よしよし、大収穫だぞ、タビ。それに初陣は勝てたんだ、自信を持て」
「もう二度とやりたくないです!」
「分かった分かった」

 タビが泣き止むまで、イフィクラテスは相槌を打ちながら、ひたすらになだめていた。
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