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第五話
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回復したロディオンはアイリスを連れて、冬の離宮へ向かうことにした。
先年死去した母の墓参り、という名目で王城から離れ、金の鎖と小さなプレートでできたネックレスを手に、記憶を頼りに森へ足を踏み入れる。
相変わらず霜の降りた森は寒々としていて、近くの村落の人々はもう何年も狼を見ていないとのことだった。ロディオンとアイリスは護衛の兵士を二人連れたほかは警戒することもなく、比較的大きな木の根元にあるウロへネックレスと干し肉を置く。
ネックレスのプレートには『Endla』と文字が刻まれていた。遠い遠い昔の伝承では、極北には冬をもたらす雌狼がいて、その名をエンドラと言った。ロディオンはその名を、お節介な灰色狼に与えたかったのだ。
時と生命が止まったような冬の森の中で、ロディオンは空へと語りかける。
「エンドラ、お前は僕の代わりに動いて、王位を取らせてあげようと考えたんだね」
誰が聞いているでもなく、ましてや獣に人間の言葉が分かるなど誰も信じていない。
ロディオン自身も、そんな都合のいい話を信じるほど子どもでも信心深くもなかった。
それでも、『区切り』なのだ。エンドラが狼の悪霊となってまでもロディオンを助けてあげようと考えたことは、裏を返せばそれほどまでにロディオンが頼りなく見えていたのだ。
そう考えた上で、ロディオンはエンドラへ約束する。
「春になったらお前のために狼の土地を用意しよう、僕はそこの領主に封じてもらおう。そうすれば、お前は安全な住処を得て、子々孫々暮らしていける。僕も子孫の代までお前を守っていける」
ついにロディオンは決心した。
王位争いから身を引いて、どこかの領主となって身の丈に合った暮らしをしよう、と。
アイリスは傍で、ロディオンの決意に頷く。
「ロディ様はそれでよろしいのですね?」
「ああ。アイリス、嫌かな?」
「いいえ。あなたのお傍にいられるなら、どこへでも行きます。狼たちもきっと喜ぶことでしょう」
それが二人の出した答えだった。二人が森を離れたあと、狼の遠吠えが聞こえた。
一匹の灰色の狼が金のネックレスを、器用に自らの首へとかける。干し肉をくわえ、森の奥へと帰っていく。
それからずっと、この土地では狼は現れなかった。
三年後、ヒェムス王国に新たな王が誕生した。アグリス王と摂政スレフによる政治体制が本格的に始まり、ヒェムス王国は急速に発展していくことになる。
そんな折、ヒェムス王国南方、名もない辺境の地に封じられた領主がいた。高い山と深い森に囲まれ、長い冬には雪に埋もれる土地を、新たな爵位を得た元王族の青年が開拓に乗り出した。
妻の実家クーランジュ公爵家と隣国の親族から援助を受けつつ、彼——ヴォルチェメスト辺境伯ロディオンは一から道、村落、畑を作っていくことになるが、そこでロディオンの眠っていた才能が開花する。王子としては不十分でも、辺境伯として民に寄り添いながら一歩一歩善政を敷いていくことは、彼にとっては天職だった。善人であり、現国王の弟であり、才女と名高い夫人の支えがある。人望厚く、民を導くことに長けたロディオンのもとには、多くの開拓民たちが集まった。
そして何よりも、彼の領地では不思議なことがたびたび起きていた。
先年死去した母の墓参り、という名目で王城から離れ、金の鎖と小さなプレートでできたネックレスを手に、記憶を頼りに森へ足を踏み入れる。
相変わらず霜の降りた森は寒々としていて、近くの村落の人々はもう何年も狼を見ていないとのことだった。ロディオンとアイリスは護衛の兵士を二人連れたほかは警戒することもなく、比較的大きな木の根元にあるウロへネックレスと干し肉を置く。
ネックレスのプレートには『Endla』と文字が刻まれていた。遠い遠い昔の伝承では、極北には冬をもたらす雌狼がいて、その名をエンドラと言った。ロディオンはその名を、お節介な灰色狼に与えたかったのだ。
時と生命が止まったような冬の森の中で、ロディオンは空へと語りかける。
「エンドラ、お前は僕の代わりに動いて、王位を取らせてあげようと考えたんだね」
誰が聞いているでもなく、ましてや獣に人間の言葉が分かるなど誰も信じていない。
ロディオン自身も、そんな都合のいい話を信じるほど子どもでも信心深くもなかった。
それでも、『区切り』なのだ。エンドラが狼の悪霊となってまでもロディオンを助けてあげようと考えたことは、裏を返せばそれほどまでにロディオンが頼りなく見えていたのだ。
そう考えた上で、ロディオンはエンドラへ約束する。
「春になったらお前のために狼の土地を用意しよう、僕はそこの領主に封じてもらおう。そうすれば、お前は安全な住処を得て、子々孫々暮らしていける。僕も子孫の代までお前を守っていける」
ついにロディオンは決心した。
王位争いから身を引いて、どこかの領主となって身の丈に合った暮らしをしよう、と。
アイリスは傍で、ロディオンの決意に頷く。
「ロディ様はそれでよろしいのですね?」
「ああ。アイリス、嫌かな?」
「いいえ。あなたのお傍にいられるなら、どこへでも行きます。狼たちもきっと喜ぶことでしょう」
それが二人の出した答えだった。二人が森を離れたあと、狼の遠吠えが聞こえた。
一匹の灰色の狼が金のネックレスを、器用に自らの首へとかける。干し肉をくわえ、森の奥へと帰っていく。
それからずっと、この土地では狼は現れなかった。
三年後、ヒェムス王国に新たな王が誕生した。アグリス王と摂政スレフによる政治体制が本格的に始まり、ヒェムス王国は急速に発展していくことになる。
そんな折、ヒェムス王国南方、名もない辺境の地に封じられた領主がいた。高い山と深い森に囲まれ、長い冬には雪に埋もれる土地を、新たな爵位を得た元王族の青年が開拓に乗り出した。
妻の実家クーランジュ公爵家と隣国の親族から援助を受けつつ、彼——ヴォルチェメスト辺境伯ロディオンは一から道、村落、畑を作っていくことになるが、そこでロディオンの眠っていた才能が開花する。王子としては不十分でも、辺境伯として民に寄り添いながら一歩一歩善政を敷いていくことは、彼にとっては天職だった。善人であり、現国王の弟であり、才女と名高い夫人の支えがある。人望厚く、民を導くことに長けたロディオンのもとには、多くの開拓民たちが集まった。
そして何よりも、彼の領地では不思議なことがたびたび起きていた。
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