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第四話
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ロディオンの記憶が正しければ、それは十年も前のことだったらしい。
そのころ、幼い三人の王子たちは、冬には南の離宮に集まって暮らしていた。今ほど王位争いの機運が熾烈ではなかったため、仲睦まじく勉強や狩猟に励んでいた。
特に第二王子スレフは森に入っての狩りを好み、熟練の狩人たちを引き連れて害獣である兎や狐、ときには熊の巻狩りに参加するほどだった。
国の南方とはいえ、地面を霜が覆う冬の森で、その日もスレフ少年率いる狩猟団が獲物を探していた。葉の落ちた木々の隙間を縫って、一匹の灰色狼が走っていく。
「いたぞ、狼だ!」
狩人たちは灰色の狼を追い込む。やがて、狩人たちが仕掛けていたロープの罠に足を取られ、灰色の狼は転んでしまう。足に食い込むロープを外そうともがくが、その間にも狩人たちは接近して、猟銃を構える。
獲物を見つけたスレフは叫び、自ら猟銃を手に前へ出ようとする。
しかし、スレフのコートの袖を、灰色の髪の少年が引っ張った。
「兄上、その狼は雌です。乳も張っていて、きっと小さな子どもがいます」
猟銃を持ち、すでに大人と同じ背丈となっていたスレフと違い、六つも違う小柄な弟ロディオンにとっては初めての狩りだった。目の前で無闇に命が奪われることを嫌い、温厚なロディオンは必死に灰色狼の助命を嘆願する。
確かに、倒れた灰色の狼は雌だった。腹の毛が若干薄く、乳房も見える。ロディオンの言うとおり、子育て中なのだろう。
獲物を前におあずけを食らったスレフはムッとして、弟を諭そうとする。
「だから何だ? 家畜を盗む狼を駆除しないと、民が困るんだぞ」
「ですが、かわいそうです。せめて、追い払うくらいにしてあげてください。痛い目を見て、もうここへは来ないでしょうから」
それはあまりにも甘い考えで、周囲の狩人たちは呆れていた。子どものわがままと一蹴し、飢えた狼を逃すことは人や家畜を襲わせてしまうのだという現実の残酷さを教えてやらなければならない、スレフでさえそう考え、葛藤していた。
しかし、スレフは猟銃を持つ腕を下げ、ロディオンの頭を撫でた。
「分かった分かった、ロディは優しいな。おい、罠を外してやれ。山のほうへ追いやるんだ」
第二王子の命令とあれば狩人たちも逆らえない、数人がかりで灰色狼の罠を外し、村落と逆方向の山へと音を立てて追いやる。
何度か振り向きつつも、灰色狼は森の中へと去っていった。罠にかかった足は無事だったのだろう、駆けていく。
それを見送って、スレフたちは帰途に着く。スレフは怒ることなく、ロディオンへこう言った。
「ロディは狩りには向いていないな」
「はい……申し訳ありません」
「気にするな。兄上もお前は優しすぎるから心配だとこぼしておられたぞ」
ロディオンはうつむき、小さくため息を吐いた。いつも出来のいい兄二人と比べられてしまうからこそ、ロディオンは自分の性分をよく知っていた。自由闊達で競争を厭わない兄たち、それに比べて争いごとが得手ではないおっとりとした自分。優しいという言葉は、王子という身分の少年にとっては褒め言葉にはならないのだ。もちろん、兄たちは褒めているのだとロディオンも分かっているが、それはどうやっても武器にはならない。
森から街道に出ると、長兄である第一王子アグリスが供を引き連れて弟たちの帰りを待っていた。
「ロディ、スレフ。そろそろ離宮へ戻ろう。そういえばロディ、お前の小さな婚約者が探していたぞ。お前のことが心配でたまらないそうだ」
「アイリスが? 彼女も来ていたんだ」
「ははっ、何だ、早くも仲がいいな!」
「からかわないでください、もう!」
ムキになってロディは兄たちへ抗議するが、弟の可愛い反応にアグリスもスレフも思わず笑顔になる。
三人は仲のいい兄弟だった。おそらくは今でも仲はいい、ただ立場がそれを表に出すことを許さないだけだ。
この数年後、第一王子アグリスと第二王子スレフは王位争いを激化させていく。家臣たちを巻き込み、ヒェムス王国の貴族たちの支持を得るべく活躍し、立派に成長を遂げる。
だが、その一方で第三王子ロディオンは正妃である母が病に倒れたことをきっかけに、王のそばを離れて実母の治療のために奔走する——できるかぎり争いの中枢である王城から遠ざかろうという意図は誰の目にも明らかだった。
次の国王は、第一王子か第二王子か。国中が好奇の視線を向ける中、誰もが第三王子を忘れつつあった。
だからだろう、灰色の狼は恩人の行く末を心配していたのだ。
そのころ、幼い三人の王子たちは、冬には南の離宮に集まって暮らしていた。今ほど王位争いの機運が熾烈ではなかったため、仲睦まじく勉強や狩猟に励んでいた。
特に第二王子スレフは森に入っての狩りを好み、熟練の狩人たちを引き連れて害獣である兎や狐、ときには熊の巻狩りに参加するほどだった。
国の南方とはいえ、地面を霜が覆う冬の森で、その日もスレフ少年率いる狩猟団が獲物を探していた。葉の落ちた木々の隙間を縫って、一匹の灰色狼が走っていく。
「いたぞ、狼だ!」
狩人たちは灰色の狼を追い込む。やがて、狩人たちが仕掛けていたロープの罠に足を取られ、灰色の狼は転んでしまう。足に食い込むロープを外そうともがくが、その間にも狩人たちは接近して、猟銃を構える。
獲物を見つけたスレフは叫び、自ら猟銃を手に前へ出ようとする。
しかし、スレフのコートの袖を、灰色の髪の少年が引っ張った。
「兄上、その狼は雌です。乳も張っていて、きっと小さな子どもがいます」
猟銃を持ち、すでに大人と同じ背丈となっていたスレフと違い、六つも違う小柄な弟ロディオンにとっては初めての狩りだった。目の前で無闇に命が奪われることを嫌い、温厚なロディオンは必死に灰色狼の助命を嘆願する。
確かに、倒れた灰色の狼は雌だった。腹の毛が若干薄く、乳房も見える。ロディオンの言うとおり、子育て中なのだろう。
獲物を前におあずけを食らったスレフはムッとして、弟を諭そうとする。
「だから何だ? 家畜を盗む狼を駆除しないと、民が困るんだぞ」
「ですが、かわいそうです。せめて、追い払うくらいにしてあげてください。痛い目を見て、もうここへは来ないでしょうから」
それはあまりにも甘い考えで、周囲の狩人たちは呆れていた。子どものわがままと一蹴し、飢えた狼を逃すことは人や家畜を襲わせてしまうのだという現実の残酷さを教えてやらなければならない、スレフでさえそう考え、葛藤していた。
しかし、スレフは猟銃を持つ腕を下げ、ロディオンの頭を撫でた。
「分かった分かった、ロディは優しいな。おい、罠を外してやれ。山のほうへ追いやるんだ」
第二王子の命令とあれば狩人たちも逆らえない、数人がかりで灰色狼の罠を外し、村落と逆方向の山へと音を立てて追いやる。
何度か振り向きつつも、灰色狼は森の中へと去っていった。罠にかかった足は無事だったのだろう、駆けていく。
それを見送って、スレフたちは帰途に着く。スレフは怒ることなく、ロディオンへこう言った。
「ロディは狩りには向いていないな」
「はい……申し訳ありません」
「気にするな。兄上もお前は優しすぎるから心配だとこぼしておられたぞ」
ロディオンはうつむき、小さくため息を吐いた。いつも出来のいい兄二人と比べられてしまうからこそ、ロディオンは自分の性分をよく知っていた。自由闊達で競争を厭わない兄たち、それに比べて争いごとが得手ではないおっとりとした自分。優しいという言葉は、王子という身分の少年にとっては褒め言葉にはならないのだ。もちろん、兄たちは褒めているのだとロディオンも分かっているが、それはどうやっても武器にはならない。
森から街道に出ると、長兄である第一王子アグリスが供を引き連れて弟たちの帰りを待っていた。
「ロディ、スレフ。そろそろ離宮へ戻ろう。そういえばロディ、お前の小さな婚約者が探していたぞ。お前のことが心配でたまらないそうだ」
「アイリスが? 彼女も来ていたんだ」
「ははっ、何だ、早くも仲がいいな!」
「からかわないでください、もう!」
ムキになってロディは兄たちへ抗議するが、弟の可愛い反応にアグリスもスレフも思わず笑顔になる。
三人は仲のいい兄弟だった。おそらくは今でも仲はいい、ただ立場がそれを表に出すことを許さないだけだ。
この数年後、第一王子アグリスと第二王子スレフは王位争いを激化させていく。家臣たちを巻き込み、ヒェムス王国の貴族たちの支持を得るべく活躍し、立派に成長を遂げる。
だが、その一方で第三王子ロディオンは正妃である母が病に倒れたことをきっかけに、王のそばを離れて実母の治療のために奔走する——できるかぎり争いの中枢である王城から遠ざかろうという意図は誰の目にも明らかだった。
次の国王は、第一王子か第二王子か。国中が好奇の視線を向ける中、誰もが第三王子を忘れつつあった。
だからだろう、灰色の狼は恩人の行く末を心配していたのだ。
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