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第2話 惨劇を目の当たりにさえ
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深夜。私は国王たる父の代理人として、すでに王代の執務に関わり、夜が更けてもなお仕事に追われていた。摂政として、他の王族や家臣たちに女だからと侮られてはならないし、まだ二十歳と年若いゆえに能力不足だと決めつけられたくはなかった。各地から送られてくる大小様々な出来事の報告書に目を通し、国内政治の均衡を保つべく配慮し、外交使節との面会もこなす。
なかなかに多忙だった。だが、これが過ぎれば、少なくとも冬には落ち着くはずだと自分に言い聞かせて、私は踏ん張っていた。その先の春には結婚式の日取りが決まる、すべてはそれまでの辛抱だと。
実は、トリフィスとも最近は会えていない。彼は隣国に一旦帰り、種々の折衝を終えてはまたこちらへ戻りの繰り返しだった。両王国の合併が近く、調整しなくてはならない実務が数多ある。弟のネストラスもその手伝いをしていて、私の代理として隣国へ赴かせることもしばしばだった。
もう少し、もう少しだ。私はいつもそう思っていた。
それがいけなかったのだろう。
後悔先に立たず。ようやく自室に帰って、ベッドで泥のように眠る私の元へ、明け方に火急の知らせが届いた。
「レオカディア様! 落ち着いて、どうか落ち着いてお聞きくださいませ!」
ベッド横に跪き、そう言ってきたのは、大臣の一人であるクルールだ。普段は冷静沈着な彼が、なぜそこまで動揺しているのだ、と私は事態の重さを察知する。
「分かった。クルール、何があったの?」
私にあれだけ言っておきながら、クルールは一旦深呼吸して、自分を落ち着かせようと必死になっていた。やや待ちぼうけを食らったのち、私はクルールの口からとんでもない知らせを浴びせられる。
「トリフィス様が、何者かに殺害されました」
一瞬の沈黙、それは事態を呑み込むために必要だった。
私はすべての湧き上がる感情を抑え、事務的な体裁を取り繕う。ここまではそれができた。
「それは、まごうことなき事実なのね? いつ、どこで?」
私の声には、言葉以外の意味は乗っていない。
しかし、クルールはあまりにも私の——予想される怒りを、恐れていた。
「あの! レオカディア様、どうか、どうかお許しを。すでに、トリフィス様のご遺体は……教会で隣国流の指導のもと、炉の火にて清めました」
「何ですって!?」
さすがにそれは聞き流せない。火葬? それだけでも土葬が一般的な土地に生まれた私にとっては非常識な話だし、さっき死亡したはずなのにすでに葬ったとは、どういうこと?
尋ねる前に、クルールは平身低頭、必死になって許しを懇願し、言い訳とも配慮とも取れる言葉を吐いていた。
「お許しください! しかし、致し方ないのです! あのような惨たらしいお姿を、レオカディア様にお見せするわけにはまいりません。どうか、堪えてくださいませ。お伝えできることはすべて、冷静にご覧になれるよう急ぎ報告書にまとめます。あくまで、それは私の独断です。しかし! しかし……あれは」
クルールは言葉を詰まらせる。
そこまで深刻な事情があるのか、と私は半信半疑だったが、クルールはつまらない嘘を吐く人間ではない。何かが、あるのだ。
将来の女王となるべく育てられたせいか、私は婚約者の死を伝え聞いても動揺を抑えられた。今は泣き崩れている場合ではないからだ。それは幸か不幸か、とにかく将来の女王としてみっともない真似はできない。
私はトリフィスの動向を知っているかもしれない弟ネストラスに思い至る。
「そうだ。ネストラスは? 帰ってきているのでしょう?」
「え、ええ。もうじきこちらに来られるかと」
「分かったわ。ありがとう、クルール。心配しないで、私はちゃんと、職責を果たします」
クルールはそれ以上、私の機嫌を取ろうとはしなかった。私がそれを望んでいないと知っている古参の家臣だから、というだけではなく、クルールは単純に私のことが怖いだけだ。
そうして、自室で独りになった私は、対面も体裁も取り繕う必要がなくなった。トリフィスの死など関係ないとばかりに朝日は差し込み、テラスの外で小鳥は鳴く。だが、私にとってそんなことはどうでもいい。
溢れ出る涙を拭くよりも、着替えるよりも、私は考えなくてはならない。
「一体、何があって、トリフィスにそんな不幸が……? 信じられない、どうして?」
考えろ。トリフィスのために、トリフィスの無念を晴らすために。
悲しいからと言って泣いていても、トリフィスは帰ってこない。むしろ、ここで私が立ち止まって油断する隙が生まれれば、それこそがトリフィスを殺した憎き犯人の思う壺だ。これ以上の被害はないと断定できるようになるまで——私が崩れ落ちることは許されない。
私はクルールの報告書を待たず、動くことにした。機械的にベッドから離れ、習慣として身についている公務用のドレスを纏い、侍女に最低限の髪と化粧を頼んで、自室を離れる。
トリフィスと親しく、補佐の役割も担っていた弟ネストラスならば何か知っているかもしれないと、私は呼び出そうと考えた。しかし、それよりも早く、ネストラスは王代としての私の執務室前にいた。
部屋の主の来訪を待ち構えていたネストラスは、なんだか興奮していた。
「レオ姉! ああいや、姉上、お元気そうで何よりです」
ぴくり、と私は眉根を上げる。無神経な言葉が気に障った。
「お元気? 言葉に気を付けることね、ネストラス。あなたは何か知って」
「トリフィスのことでしょう? あれは公にするわけにはいかないでしょうね」
もったいぶった言動に、苛立った私は噛みつく。
「あなた、何を知っているの? トリフィスを見たの?」
「ええ。酷い有り様でしたよ。まさか、王城内の教会堂で、縛られた本人の血と他の男の体液まみれで死んでいた、なんて故郷に伝えられませんよ。何があったやら、さっぱりだ」
興奮して抑揚をつけた言葉とは裏腹に、その内容は凄惨どころか、おぞましいものだった。
その言葉の内容を頭で処理できても、想像が追いつかない。何を言っているのだ、こいつは。私は初めて、弟が意味不明なことを言う存在になってしまった、と心が冷たくなった。
私の顔からは、きっと血の気が失せていただろう。長年積み上げてきた弟に対する親愛の情さえも、失せていった気がした。
ネストラスは気にしていないのか、何かを思いついたように自分の両手を叩いた。
「それと、姉上」
「……何?」
「他にも色々と起きたようです。俺は様子を見て回りますから、ご心配なく」
それだけを言い放ち、ネストラスは足早に、王城の廊下を駆けていく。
私は反射的に捕まえようとしたが、間に合わなかった。
「あなた……待ちなさい、ネストラス! 待って!」
ネストラスはすぐに姿を消した。慌ててやってくる官僚たちの人波に、私は執務室へと押し込まれてしまい、追いかけることはできなかった。
それに、クルールの報告書を待ち侘びている私の耳へ入ってきたのは、別の緊急案件ばかりだった。
「そんな、ことが? ……昨日の晩から今日の朝にかけてだけで、この国の重要人物が五人も殺された?」
それはまだ隣国人であるトリフィスを除いて、だが、もはやそれはサナティカ王国に対する宣戦布告と言っていい。大臣の一人、家臣団の三人、将軍の一人が一気に何者かに殺害され、王城も軍も慌てふためいているという。
とにかく、冷静に対処しなくては。私は縋るように命令を待つ官僚たちへ、最優先の指示を出す。
「国王陛下をお守りしなさい。何かあれば、まず狙われるのは陛下です。私よりも優先して」
「か、かしこまりました!」
官僚たちは異常事態を前に、明らかに浮き足立っていた。サナティカ国王、私の父は数年前から病床に就いており、最近は目覚めることさえできていないと主治医から聞いていた。私でさえ面会も思うようにできず、しかしそれでも国王だ。殺されてはならない、決して。
執務室にはひっきりなしに家臣団の使いがやってくる。王城に詰めている官僚たちとは違って、家臣団は王都や地方に散らばっており、同僚が三人も殺されたとあっては身震いして自宅に籠っているようだ。とにかく登城しろと使いを突き返し、警備を担当していた衛兵隊や近衛兵隊たちからの事情聴取もままならない中、やっとの思いで私は指示を出し切った。
ほんの数分の休憩を得て、落ち着くかと思いきや——ネストラスの言葉がフラッシュバックする。
「ええ。酷い有り様でしたよ。まさか、王城内の教会堂で……——」
私は頭を大きく振って、その先をかき消そうとした。おぞましく、思い出したくもない、嘘であってほしい言葉。
それがどうして、弟の口から?
いや、いかに態度や言動が不愉快であっても、弟に当たったってしょうがない。
私は、感情の矛先を変える。恐怖に支配されるくらいなら、憎悪を呼び込んだ方がマシだ。
トリフィス、私の婚約者。感情表現が下手な私に、いつも笑いかけてくれた人。
「許さない。トリフィスを殺した犯人は、必ず裁いてやる……!」
両手の指を組み、強く握りしめる。食い込む十の爪の痛みで、どうにかなりそうな怒りに沸騰した頭を、自分の主柱に収めていく。
ところが、私ははたと気付いた。
なかなかに多忙だった。だが、これが過ぎれば、少なくとも冬には落ち着くはずだと自分に言い聞かせて、私は踏ん張っていた。その先の春には結婚式の日取りが決まる、すべてはそれまでの辛抱だと。
実は、トリフィスとも最近は会えていない。彼は隣国に一旦帰り、種々の折衝を終えてはまたこちらへ戻りの繰り返しだった。両王国の合併が近く、調整しなくてはならない実務が数多ある。弟のネストラスもその手伝いをしていて、私の代理として隣国へ赴かせることもしばしばだった。
もう少し、もう少しだ。私はいつもそう思っていた。
それがいけなかったのだろう。
後悔先に立たず。ようやく自室に帰って、ベッドで泥のように眠る私の元へ、明け方に火急の知らせが届いた。
「レオカディア様! 落ち着いて、どうか落ち着いてお聞きくださいませ!」
ベッド横に跪き、そう言ってきたのは、大臣の一人であるクルールだ。普段は冷静沈着な彼が、なぜそこまで動揺しているのだ、と私は事態の重さを察知する。
「分かった。クルール、何があったの?」
私にあれだけ言っておきながら、クルールは一旦深呼吸して、自分を落ち着かせようと必死になっていた。やや待ちぼうけを食らったのち、私はクルールの口からとんでもない知らせを浴びせられる。
「トリフィス様が、何者かに殺害されました」
一瞬の沈黙、それは事態を呑み込むために必要だった。
私はすべての湧き上がる感情を抑え、事務的な体裁を取り繕う。ここまではそれができた。
「それは、まごうことなき事実なのね? いつ、どこで?」
私の声には、言葉以外の意味は乗っていない。
しかし、クルールはあまりにも私の——予想される怒りを、恐れていた。
「あの! レオカディア様、どうか、どうかお許しを。すでに、トリフィス様のご遺体は……教会で隣国流の指導のもと、炉の火にて清めました」
「何ですって!?」
さすがにそれは聞き流せない。火葬? それだけでも土葬が一般的な土地に生まれた私にとっては非常識な話だし、さっき死亡したはずなのにすでに葬ったとは、どういうこと?
尋ねる前に、クルールは平身低頭、必死になって許しを懇願し、言い訳とも配慮とも取れる言葉を吐いていた。
「お許しください! しかし、致し方ないのです! あのような惨たらしいお姿を、レオカディア様にお見せするわけにはまいりません。どうか、堪えてくださいませ。お伝えできることはすべて、冷静にご覧になれるよう急ぎ報告書にまとめます。あくまで、それは私の独断です。しかし! しかし……あれは」
クルールは言葉を詰まらせる。
そこまで深刻な事情があるのか、と私は半信半疑だったが、クルールはつまらない嘘を吐く人間ではない。何かが、あるのだ。
将来の女王となるべく育てられたせいか、私は婚約者の死を伝え聞いても動揺を抑えられた。今は泣き崩れている場合ではないからだ。それは幸か不幸か、とにかく将来の女王としてみっともない真似はできない。
私はトリフィスの動向を知っているかもしれない弟ネストラスに思い至る。
「そうだ。ネストラスは? 帰ってきているのでしょう?」
「え、ええ。もうじきこちらに来られるかと」
「分かったわ。ありがとう、クルール。心配しないで、私はちゃんと、職責を果たします」
クルールはそれ以上、私の機嫌を取ろうとはしなかった。私がそれを望んでいないと知っている古参の家臣だから、というだけではなく、クルールは単純に私のことが怖いだけだ。
そうして、自室で独りになった私は、対面も体裁も取り繕う必要がなくなった。トリフィスの死など関係ないとばかりに朝日は差し込み、テラスの外で小鳥は鳴く。だが、私にとってそんなことはどうでもいい。
溢れ出る涙を拭くよりも、着替えるよりも、私は考えなくてはならない。
「一体、何があって、トリフィスにそんな不幸が……? 信じられない、どうして?」
考えろ。トリフィスのために、トリフィスの無念を晴らすために。
悲しいからと言って泣いていても、トリフィスは帰ってこない。むしろ、ここで私が立ち止まって油断する隙が生まれれば、それこそがトリフィスを殺した憎き犯人の思う壺だ。これ以上の被害はないと断定できるようになるまで——私が崩れ落ちることは許されない。
私はクルールの報告書を待たず、動くことにした。機械的にベッドから離れ、習慣として身についている公務用のドレスを纏い、侍女に最低限の髪と化粧を頼んで、自室を離れる。
トリフィスと親しく、補佐の役割も担っていた弟ネストラスならば何か知っているかもしれないと、私は呼び出そうと考えた。しかし、それよりも早く、ネストラスは王代としての私の執務室前にいた。
部屋の主の来訪を待ち構えていたネストラスは、なんだか興奮していた。
「レオ姉! ああいや、姉上、お元気そうで何よりです」
ぴくり、と私は眉根を上げる。無神経な言葉が気に障った。
「お元気? 言葉に気を付けることね、ネストラス。あなたは何か知って」
「トリフィスのことでしょう? あれは公にするわけにはいかないでしょうね」
もったいぶった言動に、苛立った私は噛みつく。
「あなた、何を知っているの? トリフィスを見たの?」
「ええ。酷い有り様でしたよ。まさか、王城内の教会堂で、縛られた本人の血と他の男の体液まみれで死んでいた、なんて故郷に伝えられませんよ。何があったやら、さっぱりだ」
興奮して抑揚をつけた言葉とは裏腹に、その内容は凄惨どころか、おぞましいものだった。
その言葉の内容を頭で処理できても、想像が追いつかない。何を言っているのだ、こいつは。私は初めて、弟が意味不明なことを言う存在になってしまった、と心が冷たくなった。
私の顔からは、きっと血の気が失せていただろう。長年積み上げてきた弟に対する親愛の情さえも、失せていった気がした。
ネストラスは気にしていないのか、何かを思いついたように自分の両手を叩いた。
「それと、姉上」
「……何?」
「他にも色々と起きたようです。俺は様子を見て回りますから、ご心配なく」
それだけを言い放ち、ネストラスは足早に、王城の廊下を駆けていく。
私は反射的に捕まえようとしたが、間に合わなかった。
「あなた……待ちなさい、ネストラス! 待って!」
ネストラスはすぐに姿を消した。慌ててやってくる官僚たちの人波に、私は執務室へと押し込まれてしまい、追いかけることはできなかった。
それに、クルールの報告書を待ち侘びている私の耳へ入ってきたのは、別の緊急案件ばかりだった。
「そんな、ことが? ……昨日の晩から今日の朝にかけてだけで、この国の重要人物が五人も殺された?」
それはまだ隣国人であるトリフィスを除いて、だが、もはやそれはサナティカ王国に対する宣戦布告と言っていい。大臣の一人、家臣団の三人、将軍の一人が一気に何者かに殺害され、王城も軍も慌てふためいているという。
とにかく、冷静に対処しなくては。私は縋るように命令を待つ官僚たちへ、最優先の指示を出す。
「国王陛下をお守りしなさい。何かあれば、まず狙われるのは陛下です。私よりも優先して」
「か、かしこまりました!」
官僚たちは異常事態を前に、明らかに浮き足立っていた。サナティカ国王、私の父は数年前から病床に就いており、最近は目覚めることさえできていないと主治医から聞いていた。私でさえ面会も思うようにできず、しかしそれでも国王だ。殺されてはならない、決して。
執務室にはひっきりなしに家臣団の使いがやってくる。王城に詰めている官僚たちとは違って、家臣団は王都や地方に散らばっており、同僚が三人も殺されたとあっては身震いして自宅に籠っているようだ。とにかく登城しろと使いを突き返し、警備を担当していた衛兵隊や近衛兵隊たちからの事情聴取もままならない中、やっとの思いで私は指示を出し切った。
ほんの数分の休憩を得て、落ち着くかと思いきや——ネストラスの言葉がフラッシュバックする。
「ええ。酷い有り様でしたよ。まさか、王城内の教会堂で……——」
私は頭を大きく振って、その先をかき消そうとした。おぞましく、思い出したくもない、嘘であってほしい言葉。
それがどうして、弟の口から?
いや、いかに態度や言動が不愉快であっても、弟に当たったってしょうがない。
私は、感情の矛先を変える。恐怖に支配されるくらいなら、憎悪を呼び込んだ方がマシだ。
トリフィス、私の婚約者。感情表現が下手な私に、いつも笑いかけてくれた人。
「許さない。トリフィスを殺した犯人は、必ず裁いてやる……!」
両手の指を組み、強く握りしめる。食い込む十の爪の痛みで、どうにかなりそうな怒りに沸騰した頭を、自分の主柱に収めていく。
ところが、私ははたと気付いた。
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