7 / 32
第1章 A Walking Lie
07.バークレイ姉弟の暮らし
しおりを挟む「うひゃあああ」
ランサムは女の悲鳴で目を覚ました。かばりと起き上がって、視界に飛び込んできた見慣れぬ景色に一瞬疑問符が乱舞したが、そういえば、怪我をしてジェーンの家にお世話になっているのだった。では、今の悲鳴はジェーンのものか。
辺りを見回してもジェーンの姿はない。立ち上がろうとして、そこでまた足首を怪我していたことに思い当たり痛みに顔を歪める。だが急いでジェーンの貸してくれた杖を手に取って、身体を起こした。
立ち上がって部屋を見回してもやはりジェーンの姿が見当たらない。しかし、
「うおおお、かっけえ!」
子供のはしゃぐ声が聞こえた。この元気な叫び声はロイドのものだろう。ジェーンの弟は双子で、姿も声もそっくりであったが、少なくともグレンの方は「うおおお、かっけえ」などと言いそうにない。たった一晩、少しの間話しただけだというのに、二人の違いはランサムにも良く分かっていた。
杖を支えにしながら扉の所まで歩くと、すぐ外に黒くて大きなものが見えた。
「ヴェガ! ヴェガじゃないか……!」
ランサムの馬である。金貨の袋を失った事は──どうせあぶく銭だ──それほど痛くなかったが、ヴェガのことは心配であった。だがこの足で探しに行く訳にもいかず、あんな夜更けにジェーンや双子たちに捜索を頼む訳にもいかない。ヴェガとはぐれたことを嘆いてもどうしようもないと分かっていたので夕べは何も言わなかったが、ならず者に盗まれたりしていないか、とても気になっていた。
「これ、貴方の馬……よね?」
外に出てヴェガがいたからジェーンは腰を抜かしたのだろう。スカートについた土を払いながら腰を上げ、ランサムを振り返る。彼女は一度ヴェガを目にしているはずだが、弟たちの手前か曖昧に濁した。
「いかにも、私の馬だ。昨日、崖の所ではぐれてしまっていたんだが」
「へえ、じゃあランサムのこと追っかけてきたんだ。賢いなあ」
「そう、ヴェガは賢いやつなんだ」
ロイドと言葉を交わしながらヴェガに近寄り、身体を撫でてやる。ヴェガに括り付けた荷物も無事であった。しかし、と、ランサムは周囲を見渡す。そういえば小屋の外の風景は初めて目にするものだ。中にいる時から古い小屋だと知ってはいたが、外観もかなり危なっかしい。ちょっと強い風が吹いたら壊れてしまいそうだ。
「ここは……ルルザの街なんだよね?」
「ええ、街の外れよ。貴方はあそこの川にいたの」
ジェーンが指さした方を見れば、確かに川の流れが見える。流れを遡れば緩やかな坂道が続いていて……なるほど、あの峠の先から自分は落ちて流れてきた訳だ。
そして川とは反対側の、道路らしきものの方を見れば、ジェーンの住む小屋と似たような作りの建物がいくつか並んでいた。街の中心からはかなり離れた場所に位置していて、道の状態も悪い。いわゆる低所得の人間が住む場所のようだ。
「……借家なの。あっちに、共用の井戸があるわ」
ランサムの故郷モルディスにもこういった形式の家は存在していたから、これらの建物が借家だということは言われなくても分かった。だが、モルディスでは夫や息子など、つまり働き手を失って地代が払えなくなった女性や老人がこのような家に住んでいた気がする。少なくともジェーン姉弟のような、いわゆる女子供だけで暮らすことはない。
もちろんモルディスに比べてルルザは都会だし、生活習慣や風土なども違うだろうからおかしいことだとは断言できない。とはいえ彼らには両親がいないのだろうか。なぜ姉弟だけでこんなところに住んでいるのだろうか……。
彼らについての疑問が次々と湧いてきたが、素性や出自を伏せておきたいのはランサムも同じだ。興味本位であれこれと聞きだすのも無粋であろう。
「この辺に、草を食ませられる場所はあるかな」
珍しそうに、或いは憧れの視線でヴェガを見やる姉弟たちにランサムはそう訊ねた。再会できたのは嬉しいが、ヴェガをこの小屋の前に置いておくわけにもいかない。馬小屋などというものもありそうにない。
「向こうの方に草むらがあるよ。小川も流れてるから、ちょうど良いんじゃないかな」
「そうなんだ、ありがとう」
嵐が来たりしなければ、そこで過ごさせても問題ないだろう。グレンが教えてくれたその場所に向かおうとすると、ジェーンが止める。
「ちょっと、その足じゃ無理よ。私が連れて行くわ」
「……遠くに行かないように、念のため両の脚をロープで緩く繋いでおくんだけど。君、馬には慣れている?」
ジェーンは首を振った。それではやはり危険だ。不用意に近づいて蹴飛ばされたりしては大変なことになる。
「では、貴方が転ばないようについて行くわ」
「おれも行く!」
「ぼくも行きたい」
ジェーンと二人きりになれる、と期待したのもつかの間、双子たちも行くと言った。まあ、そうなるよな、と残念に思いながらも四人で道を歩き出す。ふと視線を感じて横を見れば、別の借家に住む人間がこちらを覗き見ていた。小屋の中が暗くてよく見えないが、中年の女性のように思えた。顔見知りなのだろう、ジェーンが会釈をしたので、ランサムもなんとなくそれに倣う。すると、覗いていた女は挨拶を返すどころか扉をぴしゃりと閉めてしまった。ジェーンが肩を落とし、ため息をついた。
草むらは木々に囲まれていて、道路からはちょっとした目隠しを受けているような感じになっていた。これは良い場所だとランサムはさっそくヴェガに草を食ませる。
双子たちは小川にエビがいると騒ぎ始めた。淡水生の小さなエビで食用にはならないとジェーンが言ったが、何が面白いのかロイドは捕まえようと小川に手を突っ込んでいる。
「捕まえたって、持って帰れないからね!」
弟に向かってジェーンがそう叫び、それからランサムに向き直った。
「あの、さっきのことだけれど」
「さっき……とは?」
「他の借家の人が」
「ああ」
あの感じの悪い女性か。と口には出さないがランサムは頷く。
「私たち、姉弟三人だけで住んでいるから、あまりよく思われていないみたいで。貴方にも厭な思いをさせてしまって、悪かったわ」
「別に私は構わないよ。それに、君が謝ることではないと思う」
ただでさえ生活が苦しそうなのに、そこに置いて貰っている身では文句を言う立場にない。それに、これは何故姉弟三人だけで住んでいるのか、聞いてもよい流れなのだろうか。だがランサムが訊ねる前にジェーンが口を開いた。
「私たち、昔はもっと街中で暮らしていたの。五年前に母が亡くなって……半年前に、父も」
ではジェーンは五年前から弟たちの母代わりをしていたというのか。
「大変だったんだね」
「それで、父に借金があって……住んでいた家を出なくちゃならなかったの。私たち、他に身寄りがないから家を貸してくれる人もいなくて。今住んでいるところ、やっと見つけたのよ」
なんだかめちゃくちゃ重い話になってきた。だが「この話はもうやめよう」とも言い出し難い。
「それで、君が弟さんたちを養っているんだね」
ついつい、余計重い方向にいきそうな相槌を打ってしまう。
「え、ええ。まあ……薬草を摘みに行って、それを薬種屋に売っていたんだけど、それだけでは足りなくて、そのー……」
それで身を売る相手を探していたということか。気前よく振舞っておいてよかった。だが、
「ごめんよ、もう一度君を買ってあげたいけれど、あいにく先立つものがない」
ヴェガに積んでいた荷物の底から銀貨が数枚出てきたが、これは賭場で稼ぐための元手にするつもりだ。
「わ、私はそんなつもりで言ったんじゃなくて……つまり、普段からそういう事をしてる訳じゃないというか……」
「うん、分かってるよ」
それはそうだ。彼女は処女だったんだから。
しかし何故私はその記念すべき瞬間を覚えていないのだ……。
夕べジェーンに後悔していないのか念を押すと、彼女はしていないと言った。つまり自分はジェーンを抱いたのだろう。それも、悦びを与えたに違いない。
ランサムは首をひねる。
これまでに寝所を共にした女の子たちの名前を思い出せない事はあっても、彼女らの顔と、身体が、そしてその中の感触がどんな風だったかはきっちりと覚えている。それがジェーンの記憶だけ抜け落ちている。ランサム・ソレンソン一生の不覚である。口惜しくてならない。どうにかしてもう一度ジェーンと寝たくて、彼女の感触がどんな風か確かめたくて仕方がない。
こうなったら杖をつきながら賭場へ行って金貨を稼いでこようかとも考えたが、いくらなんでもそれはがっつきすぎな気がする。ジェーンとて引くだろう。
「姉ちゃん見て! でっかいカエル!」
「きゃー! ちょっと、こっちに持って来ないで!」
夕べ何度も誘いらしきものをかけたが、ジェーンには取り付く島も無かったし──やはり金貨と交換でなくてはだめだろうか──上手い具合に口説き落とせたとしても、弟たちがいるのではやりにくいよなあ……。
そんな事を考えながら来た道を戻って小屋へ帰ると、その小屋の前に誰かがいた。ジェーンよりも年下の女の子に見えた。彼女も女の子に気が付いたようで、
「ヤーナ!」
名前を呼びながら走っていく。近所の娘だろうか。だがジェーンはヤーナに「ちょっと待ってて」といい、いったん小屋の中へ入った。
「やあ、どうも」
ランサムがヤーナに挨拶をする。ジェーンの友達か、近所の人間だと思ったのだ。ヤーナは怪訝そうにランサムを見上げた。
「可愛らしいお嬢さん、私はランサム。君は、ジェーンのお友達かな?」
「い、いえ」
ヤーナは口ごもりながら後ずさる。しかしランサムは近所でのジェーンの評判を聞いたばかりだ。愛想良くしておいても損はないだろうと考えた。甘ったるい笑みを浮かべながらヤーナの髪を褒める。
「じゃあ、近所の人かな。素敵な巻毛だね。それに、可愛らしいリボンだ。君によく似合っているよ」
しかし、ヤーナは奇妙な生き物でも見るような視線をランサムに向けたままであった。もしかして頬の生傷がいけないのだろうか、と、そこに手をやった時、
「ヤーナ、お待たせ!」
小屋の中からジェーンが顔を出す。そしてヤーナに銀貨を手渡した。
「これ、今月分の家賃。はい」
ヤーナはジェーンの手から銀貨をぱっと奪い取るようにすると、それを持っていた巾着にしまい込み、瞬く間に駆けて行ってしまった。
「……今のは、大家さんかな。随分若いね」
「大家さんの、娘さん」
「なるほど……私は拙いことをしてしまったのだろうか」
「彼女に何か言ったの?」
「いや、リボンと巻毛を褒めただけだよ」
ジェーンは肩を竦めた。
「じゃあ、気にすることはないわ。彼女はいつもあんな感じだから」
ジェーンは住まわせてもらってるだけで有難いというが、やはり姉弟三人で云々というのが理由なのだろうか。見たところ、ジェーンは真面目に暮らしているし、弟たちの世話もよくやっている。なんだか、世の中は理不尽だとランサムは思った。
0
お気に入りに追加
212
あなたにおすすめの小説
純潔の寵姫と傀儡の騎士
四葉 翠花
恋愛
侯爵家の養女であるステファニアは、国王の寵愛を一身に受ける第一寵姫でありながら、未だ男を知らない乙女のままだった。
世継ぎの王子を授かれば正妃になれると、他の寵姫たちや養家の思惑が絡み合う中、不能の国王にかわってステファニアの寝台に送り込まれたのは、かつて想いを寄せた初恋の相手だった。
慰み者の姫は新皇帝に溺愛される
苺野 あん
恋愛
小国の王女フォセットは、貢物として帝国の皇帝に差し出された。
皇帝は齢六十の老人で、十八歳になったばかりのフォセットは慰み者として弄ばれるはずだった。
ところが呼ばれた寝室にいたのは若き新皇帝で、フォセットは花嫁として迎えられることになる。
早速、二人の初夜が始まった。
【R-18】嫁ぎ相手は氷の鬼畜王子と聞いていたのですが……?【完結】
千紘コウ
恋愛
公爵令嬢のブランシュはその性格の悪さから“冷血令嬢”と呼ばれている。そんなブランシュに縁談が届く。相手は“氷の鬼畜王子”との二つ名がある隣国の王太子フェリクス。
──S気の強い公爵令嬢が隣国のMっぽい鬼畜王子(疑惑)に嫁いでアレコレするけど勝てる気がしない話。
【注】女性主導でヒーローに乳○責めや自○強制、手○キする描写が2〜3話に集中しているので苦手な方はご自衛ください。挿入シーンは一瞬。
※4話以降ギャグコメディ調強め
※他サイトにも掲載(こちらに掲載の分は少しだけ加筆修正等しています)、全8話(後日談含む)
【R18】聖女のお役目【完結済】
ワシ蔵
恋愛
平凡なOLの加賀美紗香は、ある日入浴中に、突然異世界へ転移してしまう。
その国には、聖女が騎士たちに祝福を与えるという伝説があった。
紗香は、その聖女として召喚されたのだと言う。
祭壇に捧げられた聖女は、今日も騎士達に祝福を与える。
※性描写有りは★マークです。
※肉体的に複数と触れ合うため「逆ハーレム」タグをつけていますが、精神的にはほとんど1対1です。
[R18] 18禁ゲームの世界に御招待! 王子とヤらなきゃゲームが進まない。そんなのお断りします。
ピエール
恋愛
R18 がっつりエロです。ご注意下さい
えーー!!
転生したら、いきなり推しと リアルセッ○スの真っ最中!!!
ここって、もしかしたら???
18禁PCゲーム ラブキャッスル[愛と欲望の宮廷]の世界
私って悪役令嬢のカトリーヌに転生しちゃってるの???
カトリーヌって•••、あの、淫乱の•••
マズイ、非常にマズイ、貞操の危機だ!!!
私、確か、彼氏とドライブ中に事故に遭い••••
異世界転生って事は、絶対彼氏も転生しているはず!
だって[ラノベ]ではそれがお約束!
彼を探して、一緒に こんな世界から逃げ出してやる!
カトリーヌの身体に、男達のイヤラシイ魔の手が伸びる。
果たして、主人公は、数々のエロイベントを乗り切る事が出来るのか?
ゲームはエンディングを迎える事が出来るのか?
そして、彼氏の行方は•••
攻略対象別 オムニバスエロです。
完結しておりますので最後までお楽しみいただけます。
(攻略対象に変態もいます。ご注意下さい)
【R18】幼馴染な陛下と、甘々な毎日になりました💕
月極まろん
恋愛
幼なじみの陛下に、気持ちだけでも伝えたくて。いい思い出にしたくて告白したのに、執務室のソファに座らせられて、なぜかこんなえっちな日々になりました。
麗しのシークさまに執愛されてます
こいなだ陽日
恋愛
小さな村で調薬師として働くティシア。ある日、母が病気になり、高額な薬草を手に入れるため、王都の娼館で働くことにした。けれど、処女であることを理由に雇ってもらえず、ティシアは困ってしまう。そのとき思い出したのは、『抱かれた女性に幸運が訪れる』という噂がある男のこと。初体験をいい思い出にしたいと考えたティシアは彼のもとを訪れ、事情を話して抱いてもらった。優しく抱いてくれた彼に惹かれるものの、目的は果たしたのだからと別れるティシア。しかし、翌日、男は彼女に会いに娼館までやってきた。そのうえ、ティシアを専属娼婦に指名し、独占してきて……
大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました
扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!?
*こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。
――
ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。
そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。
その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。
結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。
が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。
彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。
しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。
どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。
そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。
――もしかして、これは嫌がらせ?
メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。
「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」
どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……?
*WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる