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番外編

ジャンク狂詩曲 2

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 数日間食事の量を減らしたくらいで、身体のサイズが変わる訳はなかった。
 そして都合よく雨が降る訳もなかった。
 ヘザーは厳しい現実に直面していた。

「まあ。良く似合っているではないですか!」
 新しいドレスを着たヘザーの姿を見て、ウィルクス夫人はそう褒めてくれた。
 しかし、
「う、う……」
 苦しい。コルセットをこれ以上ないほど締め付けてもらってなんとか着ることが出来たが、呼吸する度に変な呻き声がもれる。そのくらい苦しいのだ。
 食事を減らしたせいで腹がぐうぐう鳴っているのに、それでも痩せてないなんて、なんだか納得いかない。
「あら。浮かない顔ですね……具合でも悪いのですか」
 ヘザーは首を振る。
 具合が悪いことにして今日はキャンセルしてしまいたいが、身体が元通りになるまで予定のキャンセルを続けていたら、その前に医者を呼ばれてしまうかもしれない。
 ここは我慢だ。コルセットの苦しさにもそのうち慣れるだろう。なんといっても、夜会にはあり得ないほど細いウエストを作ってやって来る女性もいる。彼女らはあの状態で笑ってお喋りしたり、お酒を飲んだり、ダンスをしたりするのだから、ヘザーだってきっと慣れるはずだ。

「ヘザーお嬢様? 顔色も悪いようですが……本当に大丈夫なのでしょうね」
「う。は、はい」
 コルセットを付けた途端ヘザーの顔色が悪くなったので、アイリーンが多めに頬紅を差してくれた。
 しかしまだまだ足りなかったのだろうか。ウィルクス夫人が険しい表情でヘザーの顔を覗き込んだ。
「それから、今日は日差しが強いです。お帽子を用意した方が良いでしょう」
 するとアイリーンがドレスに合いそうなものを二、三運んでくる。ウィルクス夫人はその中から最も服装と天候に適したものを選んでくれた。

 時間になるとヒューイが迎えに来たわけだが、
「ヘザー。顔色が優れないようだが……体調はどうだ」
 彼はウィルクス夫人と同じような質問をする。よほど顔色が悪いのだろう。
「え。へ、平気だけど」
 そう答えると、ヒューイは一歩下がってヘザーの頭からつま先までを眺めまわす。
 ひょっとして、太ったことがばれたのだろうか。
 ヘザーはぎくりとしたが、新しいドレスを確認しているだけかもしれない。
「あ。前に買ってもらったドレス、届いたから、着てみたの」
「あ、ああ」
 彼はまだ難しい顔でヘザーの腹のあたりを見つめているような気がする。
 やめてほしい。ヘザーは気が気ではない。
 新しいドレスは赤とクリーム色の縦縞模様で、ヘザーは生地を目にした時、これは派手すぎやしないかと気後れした。
 しかし赤色の部分は少し灰色を混ぜたような渋めのもので、実際に着てみると心配していたような派手さはない。コルセットがきつくさえなければ、着ているだけで気分が上がるようなドレスだ。
 縦縞という柄も、身体が細く見えるというから不幸中の幸いだと思っていたのだが、ヒューイの視線から察するに……誤魔化せていないのかもしれない。

「これから集合場所へ向かうが……気分がすぐれないようだったら、すぐに僕に言いたまえ」
「う、うん……」
 もしかして、コルセットが苦しいことまでばれているのだろうか?
 暴食して太ったなどと知れたら、自制できないダメな奴だと呆れられてしまうかもしれない。
 これでもかというほどコルセットを締めつけている筈なのに、なんだか身体中の肉と脂が主張しているような気がする。歩くたびにズシンズシンと音が響いている気すらしてきた。
 その時、馬車へエスコートしようとしたヒューイの手が、ヘザーの腰に掛かった。
「……ぎゃわあ!」
 腹回りを触られてはまずい。ヒューイは鋭いから触られたらまずい。思わずヘザーは妙な声を上げつつ、ヒューイの腕を避けるように動いてしまう。
 彼は自分の手と、ヘザーの顔と、それからヘザーの腹を見比べていた。
 コルセット越しとはいえ、違和感があったのかもしれない。絶対怪しんでいる。
 ヘザーは今の態度を取り繕うように、ぱっとヒューイの腕にしがみ付いた。
「え、えへへ。なんか今日は、腕を組みたい気分」
 さらに笑ってみる。
「……わかった」
 ヒューイはヘザーの要望を受け入れてくれた。
 太ったことがばれているようなばれていないような。でも、改めて聞くのも怖い。
 今日は天気も良く、そして暑くも寒くもない。屋外での催しには最高の日なのに、ヘザーの気は重かった。ついでに身体も重かった。



 チェンバレン氏のボートは立派なものだった。
 今日の招待客は、川沿いに設えられた小さな船着き場から二艘のボートに分かれて乗り込み、下流までの景色を楽しむことになっている。
 チェンバレン氏はこういった舟遊びをたびたび開催しており、下流に到着したボートは大きな台車に乗せて、何頭もの馬で引っ張って川沿いの道を戻り、また上流へ戻すのだとか。お金持ちの贅沢な遊びである。
 皆チェンバレン氏の説明を聞きながら、川べりに咲く花を見て楽しんだり、川面を覗いては魚がいると言って笑い声をあげたりしていた。

 ヘザーはというと、それどころではなかった。
 さっきの馬車でもそうだったが、座ると身体がますます圧迫されて、息ができないのだ。なんとか楽に呼吸できる姿勢を取ろうとして試行錯誤する。
「ヘザー……大丈夫か?」
 隣に座っているヒューイがヘザーの耳元で呟く。
「ん、ん……うん……」
「やはり顔色が悪いぞ……船から下りた方がいいのではないか」
 この川で舟遊びをする人は多いらしく、所々に船着き場が設けられている。ヒューイは船を止めて下ろしてもらうつもりなのだろうか。彼がきょろきょろとし始めたので、ヘザーは首を振った。
「ううん、へ、平気、平気……!」
「しかし君の顔色が悪い」
 確かに船から下りて身体を真っ直ぐにできたら、呼吸は少しだけ楽になるだろう。だがそんなことでホストのチェンバレン氏に迷惑を掛けたくない。
 ヒューイとひそひそ話をしていると、チェンバレン氏がこちらを見た。
 彼にまで顔色が悪いと思われるのを避けたくて、ヘザーは帽子を深く被り直そうとした。

 その時、川面を強い風が吹き抜けた。
「あっ」
 ヘザーの被ったつばの広い帽子は風をもろに受けて舞い上がった。帽子の内部には、こういったことを防ぐために小さなクリップが取り付けられていたが、風の方が強力だった。
 帽子はヘザーの髪を乱しながら、その頭から離れていく。
「ああっ」
「ヘザー!」
 帽子を捕まえようとしたが、急に立ち上がったせいでボートが揺れる。しかも酸欠気味だったせいか、ここ数日食事を減らしていて空腹状態が続いていたせいか、同時に目眩がした。
 ヘザーはボートの上からひっくり返るように、水の中に落ちてしまったのである。



 何とか水の中から顔を出す。
「ヘザー! つかまりたまえ!」
 ヒューイがボートから身を乗り出して、腕を差し出しているのが分かった。

 ヘザーも腕を伸ばそうとしたが、水の中でドレスがまとわりついて思うように動けない。川底に付いていたはずの足がドレスと一緒にさらわれて、ヘザーの身体は再び水の中に引きずり込まれてしまった。
 それ程深くはない川で、貴婦人が舟遊びで溺れてしまう話をたまに聞く。耳にするたびにどうしてだろうと不思議に思っていたが、生地をふんだんに使ったドレスを纏っているからだ。或いはコルセットが苦しくて思うように動けなかったか。今、身を以って知った。

 やがてどちらが川面でどちらが川底なのかも分からなくなり、本格的に命の危険を感じたところで、誰かがヘザーの腕を掴んで上に引き摺りあげてくれた。
 ヒューイだ。
「ヘザー、大丈夫か!?」
「うっ、うん……」
 彼は自分も飛び込んで、ヘザーを助けてくれたようだ。

「水はどれくらい飲んだ? 身体は冷えてないか」
 ヘザーを岸にあげると、ヒューイはヘザーのドレスを絞りながら質問をした。
「ん。へ、平気……」
「大丈夫ですか! キャシディさん、バークレイさん!」
 ボートを最寄りの船着き場に付けたらしいチェンバレン氏が、走ってこちらへやって来る。
 ヒューイとチェンバレン氏は、ずぶ濡れのヘザー──もちろんヒューイもずぶ濡れである──をどうするかを相談している。申し訳なくて、消え入りたくなった。
 こんなことになったのは、欲望の赴くままに暴食を重ねた自分のせいである。
 それに、ヒューイに言われた時に素直にボートから下ろしてもらっていれば、ここまで酷いことにはならなかった。
 しかもヒューイの買ってくれたドレスを台無しにしてしまった……。

 ヘザーがかつてないほどの自己嫌悪に陥っていると、ヒューイに抱きあげられる。
「え? うわっ……な、なに?」
「チェンバレン氏の狩猟小屋がこの先にあるそうだ。使わせてもらえることになった」
 ヘザーが落ち込んでいる間に、二人は色々と相談したらしい。
 下流のボートの到着地点には、招待客を乗せる馬車を待たせてある。ヘザーをもう一度ボートに乗せて、そこまで連れていくべきか。いや、ずぶ濡れの者が二人もいたのでは周囲の人間にも何かと迷惑をかけてしまう。幸いチェンバレン氏の狩猟小屋が近くにある。そこを使うのはどうだろう。
「そういう話になった」
 そして馬車で自分の屋敷に戻ったチェンバレン氏は、使用人に言って、乾いた服を届けてくれるという。
「服は間に合わせのものになるが、濡れたまま移動するよりはいいだろう」
「う、うん……あの。一人で歩けるよ」
「だめだ。君は……体調が良くないのだろう」
 コルセットが苦しいだけで、病気ではないのだが……だが、体調のことを言われた途端、また苦しくなってきた。
「だって、お、重いよ?」
「ああ、水に濡れているからな」
 ドレスは軽く絞ったが、まだ水を滴らせている。
 こんな風に持ち上げられたら、あっという間に太ったことがばれそうなものだが、ヒューイは水を吸ったドレスのせいだと考えているようだ。



 狩猟小屋に着くと、ヒューイはヘザーのドレスを脱がせにかかった。
「わ、わあ! 何するの……!」
「そのままでは身体が冷えるぞ。早く脱いだ方がいい」
 この小屋に着替えはないが、リネンや毛布は置いてあるようだ。ヒューイは濡れたドレスを脱いでそれを使えという。
 確かに濡れたドレスは身体にまとわりついて、重たくて不快だった。毛布でもなんでもいいから、乾いたものを身に纏いたい。

 ヘザーが大人しくなったので、ヒューイは背中側のボタンをどんどん外していく。そしてドレスの身頃を剥いでコルセットが現れた時、彼は叫ぶように言った。
「君は、こんな窮屈なものを身に着けていたのか!」
「う、うう……」
 太ったくせに、なんて身の程知らずな! 彼はそう言いたいのだろうか。ヘザーは返す言葉もなく、ただ唸るしかない。
「この紐……切っていもいいか?」
 コルセットの紐が、濡れたせいで解けにくくなっているらしかった。彼は狩猟小屋にある机の引き出しを開け、ナイフを見つけて戻ってくる。

 プツプツと紐の切れる音がするたびに呼吸が楽になって、ヘザーは生き返っていくような気持ちになったが、コルセットを取り外そうとしたヒューイの手が腰に掛かった。
「ぎゃっ」
 腹に触れられてはいけない。
 ヘザーは思わず叫んで身体を捩ろうとした。
「ヘザー! まだ終わっていない、じっとしていたまえ!」
「うわあ、おっ、お腹は……お腹はやめてえっっ!」
 腹を押さえて蹲ると、ヒューイの動きもぴたりと止まる。

「ヘ、ヘザー……き、君は、自覚が……あったのか……?」
 見上げると、彼は真っ白い顔をして立ち尽くしていた。
 自覚って、肥えた自覚の事だろうか。もちろんある。それに、やっぱりヒューイも気づいていたようだ。
「ご、ごめんなさい……」
 自制できなくてごめんなさい。脂と贅肉を身に纏ってしまってごめんなさい。楽しい集まりに水を差してごめんなさい。せっかく買ってくれたドレスをこんなにしてごめんなさい。
 色々な意味を込めた謝罪の言葉だった。
 ヒューイの顔は真っ白いままだったが、彼はなんとか言葉を紡ぐ。
「い、いや……僕もすぐに対処するべきだった。君をこんな目に遭わせて申し訳ない……」
 対処? ヘザーが太ったと知って、ヒューイが出来る対処とはなんだろう。コックやウィルクス夫人への指示だろうか。それとも、婚約破棄……。
「だが、君も君だ。なぜもっと早く言わない!」
「ごっ、ごめんなさあい!」
「君は、妊娠しているのだろう?」
「こんなに太るなんて思わなかったのー!」
「……。」
「……。」
「……え?」
「えっ?」

 しんとした狩猟小屋の中で、二人はしばし見つめ合った。


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