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番外編

回顧録02~ヒューイ・バークレイと双子の兄弟

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※※※
本編開始前のお話。
双子たちを預かって間もない頃のヒューイと、彼の婚活事情など。
※※※




 夜会から戻ったヒューイが寝支度を整えていた時のことだった。
 自室をノックするものがいる。

 ノックの後で少年が顔をのぞかせる。
 従弟のロイドであった。
「ヒューイ、起きてる?」
「ロイド。まだ起きていたのか」

 時間を確認すると、とっくに零時を過ぎている。
 成長期の少年にとって睡眠時間は大切なものだ。夜更かしはよくないと注意しようとして、ロイドの様子がおかしいことに気がついた。
 なんだかそわそわとしていて、微妙に困ったような表情を作っている。

「どうした。悩みでもあるのか」
 双子たちをこの家で預かるようになって数か月。
 来たばかりのころは二人ともヒューイを怖がって、苦手としていたようだ。これは新人騎士相手の研修でもいつも起こることなので、他人から煙たがられるのには慣れ切っているヒューイだ。
 しかし、ロイドとグレンは従弟であり、家族でもある。
 現在、お互いに様子を見ながら歩み寄っている状況……と表現しても良いだろう。

「……困ったことがあるのなら、言ってみたまえ」
「うん、あのさあ……」
 ロイドは小さく身体を揺すりながらヒューイの袖を引っ張り、見上げる。
「うんこしたいから、お便所ついてきて」
「……ロイド、君は一人で用足しに行けないのか?」
「ええー。だってさあ……」

 どうやら彼は学校の友人から妙な話を吹き込まれたらしかった。
 用を足し終えると、どこからか声が聞こえてきて……その声は、赤い紙が欲しいか、青い紙が欲しいかを訊ねるのだそうだ。

「それで赤い紙って答えると……う、うぉおおお!」
 よほど恐ろしいのか、ロイドは自分で自分を抱きしめながら腕をさすっている。
「でも青い紙って答えると、今度はさあ……お、おおおおう!」
「そんなもの、作り話に決まっているだろう。本気にするやつがあるか」
「だって怖いんだもん! ど、どうしよう、うんこもれそう。ヒューイ、お願い。ついてきて!」
「……まったく。今回だけだぞ」
「やったあ。はやくっ。もれちゃう、もれちゃう!」
 ロイドは小刻みに足踏みをしながら、ヒューイの袖をくいくいと引っ張った。
 ヒューイはため息をついてから、屋敷の離れに設えてあるトイレへと向かった。

 ロイドに前を行かせると、暗闇の中を歩くのが怖いと言い、背後につかせれば「後ろになんかいそうで怖い」と訴える。
 仕方がないので結局は二人並んで歩く。

「おれ、ヒューイの言いつけ通り十時前にはちゃんと眠ったんだぜ」
 だがロイドは便意をもよおして、夜中に目が覚めてしまった。
 なぜこんな時間に大きい方をもよおすのかヒューイにはさっぱりである。
「晩御飯の後に行ったんだけどさあ、出し切ってなかったのかなあ……」
 なんと彼は食後毎に大きい方が出るらしい。
 そこでヒューイはロイドとグレンの体躯と食べっぷりについて考えた。

 双子たちの姉、ジェーンの話では、幼いころの二人は鏡に映したようにそっくりだったらしい。
 だが、ロイドの方がよく食べよく動き、よく眠った。グレンはもともと食が細かったが、家の財政状態が悪化すると、ジェーンに遠慮してますます食べなくなってしまった。
 実際この家に双子がやってきた当初は、ロイドの方が──注意を払って観察すれば、の話だが──骨太で肉付きが良かった。
 しかし最近はグレンの身長と手足が伸びてきたように思える。彼の食が細いのは相変わらずだが、縦に縦にと、成長を始めているようだった。

 加えて、二人の性質は全く異なっていた。ロイドは活動的で勉強嫌い。外で過ごすのが好きだ。グレンは大人しく、家の中で本を読んでいるのが好きらしい。
 双子にも種類があって、複製したようにそっくりなタイプと、それほど似ておらず、性別さえ違って生まれるタイプがあると聞く。
 彼らに初めて会った時は前者だと思い込んでいたが、もしかしたら違っているのかもしれない。
 最近では遠目からでも二人の区別がつくようになったし、初対面の客人にも「おや、双子……かな?」などとちょっと自信なさげな質問を受けるようになったのだ。

 ロイド自身もグレンの成長ぶりが気になるようで、歩きながらぶつぶつとぼやいている。
「グレンのやつ、そんなに食べてないのに最近身長伸びだしたんだぜ。おれ、ネンピってやつが悪いのかなあ……食べても食べても全部うんこになってる気がするんだよな」
 その時風が吹いて、木々がざわざわと揺れた。
「うおっ。お、お化け……?」
 彼は飛び上がってヒューイに寄り添う。
 ヒューイは周囲を見渡した。空を厚い雲が覆っているようで、月も星も見えない。夜会の会場を後にする頃から、嵐の来そうな気配はあったのだ。
「亡霊ではない……が、雨が降りそうだな。急ごう」
「お、おう!」



 バークレイ家だけでなく、西地区にある殆どの屋敷は離れに用を足す場所を設けている。そこは下水道に繋がっていた。
 西地区に並ぶ邸宅と、それに次ぐレベルの高級住宅街ではこのような仕組みとなっているが、貧民街などでは穴と衝立だけが用意されている。しかも、住民たちが共同で使っているようだった。
 大雨が降ると浸水し、そこから病気が蔓延する。そして「また貧民街から病気が流行りだした」と、貧民街の住人はますます鼻つまみ者になるのだ。

 貧民街には衛生面においての整備が必要だと、ヒューイは考えている。あそこの生活水準が上がれば、国力の底上げにもなるだろう。
 異国人を安い賃金で雇用しているところもあるが、まずは貧民街を立ち直らせて国内の基盤を固めるべきだ。長い目で見ればその方が良い。

 ……と、バークレイ家にもっと大きな発言力があれば、ヒューイは積極的に議会に出席して、フェルビア王国のさらなる発展に尽力しているだろう。主に福祉と教育の面から。
 しかし残念なことに、貴族でないバークレイ家が議会に呼ばれる機会はあまりない。発言力も低い。
 出席できるだけでも幸運なのだろう。このまま騎士の家系としてバークレイ家が続いていけば、徐々に王家からの信頼も篤くなり発言権も増えるのかもしれないが、慎重にやっていては何代かかるのか分かったものではない。

 バークレイ家の力をより大きなものにするためにも、ヒューイは花嫁が欲しかった。貴族の血を引く娘、あるいは唸るほどの土地や金を持っている富豪の娘を、花嫁として。
 今夜のパーティーも、花嫁を探すために参加したものであった。
 そこで紹介された娘のことを思い出……そうとすると、便所の扉に手をかけたロイドが振り返った。

「ヒューイ! 絶対待っててくれよな!」
「ああ」
 ロイドはいったん中へ入ったが、もう一度顔を出した。
「いなくなったりすんなよ! 絶対だからな!」
「ああ、わかった」
「急に大声出して驚かせるのもナシだぜ!」
「誰がそんな子供じみた真似をするか。いいから早く済ませたまえ」
 そこでロイドはようやく中へ入って扉を閉めた。
 まったく、騒がしい少年である。
 ヒューイがため息をつくとほぼ同時に風が吹いて、遠くで雷鳴が轟いた。
「うおっ!? おお? 今の何!? お化け!?」
「亡霊ではない。雷だ」
「まじかよ。グレンのやつが怖がるかも。早くうんこして戻らなきゃ!」
「……グレンは雷が怖いのか」
「雷っていうか、あいつが怖いのは嵐だな」
 便所の扉越しに会話が続く。

 ロイドの話では、二人が子供の頃──ヒューイからしたら二人は今でも子供なのだが、もっともっと幼いころだ──のある夜、ルルザの街を嵐が襲った。
 雷鳴が轟き強い風が家を揺らし……そして、どこからか飛ばされてきた大きな木片が、隣家の窓ガラスを突き破ったのだそうだ。
 それは寝室の窓だったようで、眠っていた隣人は飛び込んできた木片とガラスの破片で怪我をし、医師のところへと運ばれていった。
 大きな音がしたから近所中が大騒ぎで、グレンは血まみれになった隣人の姿を目にしてしまった。
 幸い出血のわりに傷は浅かったようで、命にかかわるようなものではなかったらしいのだが、その光景はグレンの心に大きな傷を残してしまったらしい。嵐の夜と、血まみれの隣人が。

「でもさあ、グレンのやつ、嵐を怖がるくせにお化けは怖くないんだってさ。変だよな」
「そうか? 亡霊の存在は科学的に説明がつかん。恐れる理由がないだろう」

 そういえば……聞いた話によると、双子たちと彼らの義兄ランサム・ソレンソンの出会いはルルザに流れる川だったという。
 ランサムは崖から落ちて気を失った状態で川に流されていて──あの男らしい、間抜けな登場の仕方である──ロイドはそれを死体だと思い込み、棒でつついたのだとか。

 死体は怖くないがお化けは怖い……ヒューイにとってはロイドの恐れるものの方が不可解であった。
 一方で嵐や雷は人間の死因にもなり得るし、グレンは実際に怖い思いをしたのだ。実体のないものを恐れるよりはこちらの方が頷ける。

「よっしゃあ、出し切ったぜ! スッキリ!」
 ロイドは元気良く──というか、彼はいつも元気が良い──便所から出てくる。
「もういいのか」
「おう! 待たせたな!」
 彼はビシッと親指を立てつつも、弟の様子が気になるようで、早く戻ろうと言った。
 ロイドの子供っぽさはいつまでも抜けないが、弟を気遣うあたりはやはり「兄」なのだろうか……と、兄弟のいないヒューイはふと思う。

 いつの間にか、雨が降り出していた。
 また雷鳴が轟き、近くではないがそう遠くでもない場所に落ちる音がした。
「そうだな、急いで戻るぞ」
「おうよ!」

 ロイドを伴い、急ぎ足で屋敷へと戻る。
 リネンを手に取り、ロイドに濡れた頭を拭くように言いながら二階へ上がると、グレンの部屋の扉が開いていた。やはり雷の音で起きてしまったのだろう。寝台は空っぽだった。
 双子には共同の勉強部屋を一室、そして寝室は別々に与えてある。勉強部屋とロイドの寝室を覗いたが、そこにもグレンの姿はなかった。

「あいつ、どこに行ったんだ……?」
 ロイドは不思議そうに呟き、ハッとして腕をさすった。
「やべえ! もしかして、お化けに連れていかれたんじゃ……」
「いやそれはない」
 ヒューイはかぶせ気味に否定する。
 兄らしいところもあるのだと感心していたら、次の瞬間にはこれだ。
 現実的に考えて、ロイドの寝室にいないのであれば、グレンの向かう先は父のところだろう。或いは、ロイドを探し回っているか。

 グレンの所在を確認しておこうと、まずは主寝室へ向かう。
 この屋敷のことはヒューイが殆どを取り仕切っているが、それでも主は父である。主寝室も、彼が使っていた。

 だが主寝室の手前の方……ヒューイの部屋の前に人影があった。
「……グレン?」
 そう声をかけながら、手に持っていたランプを宙にかざす。
「ヒューイ!? ……ロイドも。どこに行ってたの」
「うんこしてきた」
 兄の答えに、グレンはロイドとヒューイを見比べた。
「……ヒューイも?」
 とんだ濡れ衣である。
「僕はロイドに付き合っただけだ。グレン、君は……雷で起きたのか」
「う、うん。ぼく……」
「ああ。ロイドから聞いている。昔、恐ろしい目に遭ったのだな」
「うん……ロイドに、一緒に寝てもらおうと思ったんだけど、いなかったから……」
「それで僕の部屋を覗いていたのか」
「ごめんなさい」
「いや、いい」
 気に病むことではないとグレンに伝え、同時に、自分はここまで寛容だっただろうかと不思議に思った。

 彼らがやってきた当初であったら、ヒューイはロイドを「用足しぐらい一人で済ませられなくてどうする」と叱りとばし、追い払っていたかもしれない。
 グレンのことも、情けない奴だと喝を入れていたのではないだろうか。
 自分の中で変化が起きている。どうしたことだ……と考えつつ、双子たちを部屋に送り届けようとした。彼らは、どちらかの部屋で一緒に眠るのだろうと。

 その時ロイドがヒューイの袖をつかんで、碌でもない提案をした。
「じゃあさ、みんなで一緒に寝ようぜ!」
「は……? おい。ロイド、」
 みんなとは、まさか僕もカウントしているんじゃないだろうな。そう訊ねたかったが、
「いいの?」
「たまにはいいよな。な、ヒューイ!」
 ダメだとは言えないような雰囲気になった。
 以前の自分であったら、厳しく言い聞かせて二人を追い返していたはずだ。はずなのに。



 ヒューイはロイドとグレンに挟まれる状態で、自分の寝台に横たわっていた。
 どうしてこうなった……と、そう考えながら。

 雷は断続的に鳴っていて、雨粒は窓ガラスを叩いている。時折、風でガタガタと揺れた。
 そんな中でもロイドの寝息が微かに聞こえる。
 グレンの方は寝付けないようで、何度も寝返りを打っていた。

「眠れないのか」
「う、うん。あの……もっと近くに寄ってもいい?」
「……ああ」
 グレンは遠慮して寝台の端にいたのだが、ヒューイが毛布を持ち上げてやると、こちらの方へ身を寄せてくる。
 ヒューイが近くにいたところで嵐が止むわけではないし、木片が飛んでこないとも限らない。だが、すぐに対処できる大人が近くにいると気持ち的に違うのだろうか。グレンは安心したように息を吐きだした。

「迷惑かけて、ごめんなさい」
「だから、気に病むことではない。それより、しっかり睡眠をとりたまえ」
「うん……」
 グレンは眠ろうとしたようだったが、間もなくしてまた口を開いた。
「ヒューイ……。今日、パーティーに行ってきたんでしょ」
「うむ」
「……お嫁さん、みつかった?」
「……難しい質問だな」

 今夜のパーティーで紹介された子爵家の娘を思い起こす。
 アリソンという名で、彼女は十六歳であった。



 バークレイ家はそこそこ良い家柄で、そこそこの金持ちだ。つまり、これといった強みがない。
 ヒューイが「自分の花嫁として好条件だ」と判断した娘は、強みのある──爵位があったり、大富豪だったりだ──家の男に持って行かれてしまうのが常であった。
 理想が高すぎるのかもしれないが、花嫁の血筋と家柄、品位の窺える容貌は、バークレイ家のためにも譲れない。

 アリソン嬢は全てを兼ね備えているように見えた。
 加えて彼女は招待客の中で一番若かった。
 女は若ければ若いほど良い、という男は多い。
 男たちは自分をアピールしようと、アリソン嬢の周囲をうろついていた。
 そんな中で、アリソン嬢の父親とパーティーの主催者は、真っ先に彼女とヒューイを引き合わせたのだ。ヒューイよりも条件の良い招待客が大勢いるのに、だ。

 裏がない筈がないと、ヒューイはすぐに気がついた。
 アリソン嬢の父親は借金まみれだったのである。領地を切り売りして食いつないでいる状態だ。
 条件の良い男に嫁がせるには、アリソン嬢の条件が悪すぎるのだ。
 バークレイ家あたりがちょうど良いと判断されたのだろう。

 ……バークレイ家も随分となめられたものだ。
 そう思わぬわけではなかったが、爵位ある家の娘……今回の話を見送ったら、次の機会は当分訪れないかもしれない。
 加えてこちらは、別荘地として開発が進む前に買っていた土地を、頃合いを見て売り払ったばかりであった。これで彼女の父親の借金はある程度返せるだろう。

 ヒューイも考えた。
 アリソン嬢を娶った時のメリットとデメリットを思いつく限り挙げ、頭の中で天秤にかけたのだ。

 借金持ちは痛い……が、資産運用に力を入れればおそらくは数年ですべて返せる。ただし、子爵が新たに借金を作った場合はその限りではない。
 しかし子爵家の娘を娶ったとすれば……議会に呼ばれる機会が増える。出世の大きな後ろ盾にもなるだろう。
 長い目で見れば、悪い話ではないはずだ。
 ヒューイはアリソン嬢をダンスに誘い、その後は二人で話をすることにした。

 だが、アリソン嬢の話す言葉といったら。
『ヒューイ様にお任せいたします』
『ええ、すべて良きように……』
 こればかりなのだ。
 飲み物すら自分で選ばない!

 自己主張するなと親に言いつけられているのかもしれない。
 相手にすべて任せるようにと。
 彼女は親の言うとおりに振る舞っているだけかもしれないが……若すぎる。年齢的にも、それ以外にも。

 若い女を娶って、着飾らせて傍に置くだけでいいという男もいる。
 妻を自分好みに教育していくのが醍醐味だという男も多い。
 しかしヒューイは、自分がその手の男ではないことを悟った。
 とにかく、簡単な会話すら成り立たないようでは、夫婦としてやっていくのは難しいだろう。
 妻にするならば、もっと精神的に成熟した相手がいい。痛感した。

 幸いアリソン嬢には順番待ちの男がたくさんいる。
 ヒューイがアプローチせずとも、他の男たちが群がっていくだろう。
 こうしてヒューイはパーティー会場を後にしたのだった。



 次の出会いに期待するか……やや沈んだ気持ちで帰宅したところに、ロイドがやってきたのだ。あとはもう、大騒ぎである。

「ヒューイ、おじさんがね……」
「ああ、なんだ?」
「ちゃんと好きになってから、お嫁さんに貰った方がいいって」
「……父はまだそんな事をいっているのか」

 父はどうも気持ちが弱くなってしまっている。親の決めた相手と結婚し、心を通わせることのないまま相手──ヒューイの母──が亡くなってしまったからだ。
 どうやら息子のヒューイには、恋愛結婚をしてほしいらしい。

 そもそも、貴族とそれに次ぐ階級の者たちの間では、恋愛結婚は稀だ。
 もちろん結婚した後で信頼や好意が芽生えることはあるだろう。というか、夫婦としてはそれが理想的だ。
 良い家柄の娘でなくては自分の意識が向かないし、──今夜のアリソン嬢のように──好意も敬意も生まれそうにない相手にアプローチするつもりはない。
 好意を抱けそうな相手を自分なりに選ぼうとしているわけだが、父がいうところの恋愛結婚はそういうものではないらしい。
 加えて彼は「愛」だの「情熱」だの、虫唾が走りそうな単語を口にする。

 第一、このヒューイ・バークレイは、愛や恋といった曖昧なものの存在は信じない。
 そんな感情に振り回されるのは、愚か者のすることだ。



***



「ラッキー、ほら。とってこい!」
 バークレイ邸の庭では、大きな犬が走り回っている。

 双子たちとヘザーがぼろ布を丸めたボールを投げ、それをラッキーがとってくる。そんな遊びを繰り返していた。昼食後の腹ごなしといったところだ。

 今日は双子たちの学校が休みで、彼らは寮を離れて帰宅している。そこで昼食会でもどうかと、ヘザーを招いたのだった。
 ちなみに夕方までにはきっちりと送り届けるとの約束で、ウィルクス夫人にはヘザーの単独行動を許してもらっていた。

「ラッキー。ほら……おっ」
 ボールを投げた瞬間、ロイドが感嘆の声を上げた。
 ボールが地面につく前に、ラッキーはそれを空中でキャッチしたのだ。
「おおーっ」
 ヘザーも拍手をし、それから向き直ったロイドと微笑み合い、
「イエーイ!」
 みんなでハイタッチを始めた。
 グレンはそういったノリが苦手なはずなのだが、他の二人につられる形で彼もやっている。だが、不愉快そうにはとても見えなかった。



「いやあ。賑やかでいいねえ」
 父はテラスの椅子に座って庭を眺め、幸せそうに呟いている。
 ヒューイとしてはうるさいくらいだが、注意して彼らの遊びに水を差すつもりはない。

「じゃ、もう一回投げるよー」
 ヘザーがボールを手に取ったまま、軽く手首を振った。
 投げてもらうのを待ちきれないラッキーが、後ろ脚立ちになってヘザーに詰め寄ろうとする。
「あははは! 待って、待ってよ。もうー」

 ドレスを汚したりしたら、後でウィルクス夫人に大目玉を食らうに違いない。
 ヒューイは気が気でなかったが、ヘザーは上手くラッキーをかわした。
 父からの視線で、自分が椅子から腰を上げ、思わず身を乗り出していたことに気付く。ごまかす様に服の皺を伸ばすふりをして、座り直した。

「彼女がお嫁に来たら、きっともっと楽しくなるだろうね」
「……だといいですね」
 そう言いはしたが、ヘザーが居て楽しくならないわけがない。自分が一番よく知っている。
 ヘザーは家柄も血筋も良くはない。金持ちでもない。しかし精神的には成熟して……

「イエーーイ!」
 ラッキーが先ほどより見事な空中キャッチをし、再びハイタッチが始まる。

 精神的に成熟しているかどうかも怪しいが、少なくとも感情的に振る舞うような幼さはないし、自分の考えもしっかり持っていて、それを相手に伝えることができる。
 なにより、彼女と話すのは楽しいと思えた。



「あっ」
 ヘザーの投げたボールが植木に当たり、軌道が変わってこちらの方へ転がってくる。もちろんラッキーも走ってきた。
 うっかりボールを拾ってしまった父が、大型犬の体当たりを受ける。
「うわっ」
「ああっ、すみませんレジナルド様……!」
 ヘザーは慌ててこちらへやってきたが、父はボールをラッキーにくわえさえ、上着の埃を払いつつ、恥ずかしそうに告げる。
「ヘザーちゃん。私のことは……『おとうさま』って呼んでくれたら、嬉しいんだけれど……」
 ヘザーは何度か瞬きを繰り返した後で言った。
「はい。じゃあ、えーと、お義父様。お義父様も、一緒にボール投げませんか?」

 父は途端に目をくわあっと見開き、ヒューイを振り返る。
「ちょ、ちょっとヒューイ! 聞いた? ヘザーちゃんが『おとうさま』だって! 聞いた!?」
「……。」
「聞いた? ヒューイ! 『おとうさま』だって『おとうさま』だって!」
「…………。」
 自分で言わせておいて何を。
 そう突っ込みたくなったが、自分の知る父の中で、彼は今最高に楽しそうにしている。

 父は張り切って庭へ出て行ったが、明日になって足腰が痛いなどと言い出さなければよいのだが。
「父上。無理はしないでくださいよ」
 年甲斐もなく庭ではしゃいでいる父の姿を見ながら考える。

 自分は、こんなに騒がしい家を理想と定めたことはなかったはずだ。
 だが、実際に賑やかな庭を見ていると……本当は、こんな家庭が欲しかったのではないか。心の奥底で欲していたものがいつの間にか形を成し、ヒューイの目の前に現れたのではないか。そう思えてくるから不思議だ。

「よーし、次いくぜっ!」
「あはははは!」

 午後の緩やかな日射しの中、バークレイ家の庭に、賑やかな笑い声が絶え間なく響いていた。



(番外編:回顧録02~ヒューイ・バークレイと双子の兄弟 了)



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