嫌われ女騎士は塩対応だった堅物騎士様と蜜愛中! 愚者の花道

Canaan

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番外編

回顧録01~ヘザーのピアス

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※※※
ヘザー、十五歳。色々と夢見るお年頃。
闘技場で下働きをしていた頃、彼女にも憧れの姉御的存在がおりました。
※※※



 カナルヴィル闘技場の中には、たくさんの店が並んでいる。
 観客たちが飲み食いするための食堂と屋台、土産物屋はもちろんのこと、剣技とはまったく関係のない衣類や食器、装飾品を売っている店まである。
 大勢の人が集まるから、商売がし易いのだ。

 観戦客の他に単なる買い物客も訪れ、闘技場はそっち側の客も取り入れようと一生懸命チケットをさばく。

「夜の部のチケット! 今のうちに買っておけば二割引きになるよ! 屋台でチケットを見せればビールが一杯無料になってお得でーす!」

 十五歳のヘザーは、業務終了前──今日の仕事は夕方までのチケット販売である──に出来るだけ売りさばいてしまおうと、声を張り上げていた。

 自分の裁量で、ただし闘技場が損をしないレベルで、割引や飲み物無料などのオプションもつける。
 戦いを観るのが好きな者、賭け事が好きな者、応援したい剣士がいる者は放っておいてもチケットを買ってくれるが、ただの買い物客を引き込むにはこういった工夫も必要なのである。
 時間帯や曜日によっても客層が異なるから、家族連れが多く目に付く時は四枚綴りで安く売ったり、子供用の菓子をサービスしたりもする。カップル割引なんてものもやってみたことがある。
 今日建物の中をうろついているのは男性の方が多いようだから、予め屋台の方に話を通し、ビールを付けることにしたのだった。



 昼の部を殆ど満席にし、夜の部の前売り券もすべて捌いた。こういう時は大入袋がオーナーから貰えるのだ。
 ちょっとした臨時収入の見込みに、ヘザーはにやにやしながら帰り支度を始めた。
 交代の者に挨拶して、チケットブースを後にする。
 それから闘技場の剣士をしている父親と一緒に帰るために、剣士控室の方へ向かった。

 廊下を歩いていると、ヘザーの前に立ちはだかった人物がいた。
「ヘザー、お疲れ!」
「グウェンねえさん!」
 闘技場の女剣士、グウェンドリンである。

 彼女はカナルヴィル闘技場において、一、二を争う人気剣士だった。
 太腿の上の方でぶった切ったズボンの下に黒いタイツを身に着け、足の形をさらけ出すという斬新な衣装。
 短くて真っ赤な髪の毛──本来は黒なのだが、染めているらしい──は、遠く離れた客席から見ても目立っていた。
 それに、首に巻いた長い長いストール。本来こういったものは事故の元になるので、大抵の剣士たちはひらひらする装飾品は身に着けない。
 だがこのストールを巻いたグウェンが戦いの舞台に立つと……グウェンが剣を振るう度に、ストールは彼女の動きに合わせて美しい弧を描く。
 派手な衣装に華やかな戦い方。それに何と言っても彼女はとびきりの美人だ。
 人気があるのも頷けるし、ヘザーにとっても憧れの剣士であった。
 いつかグウェンのような女剣士になりたい。ヘザーはそんな夢を見ていて、現在下働きをしながら剣の修業中でもある。

 グウェンはヘザーの前に小さな袋を差し出した。
「ほら。オーナーから預かってきた」
「わあ!」
 期待の大入り袋である。
「夜の部の前売り券、全部売ったらしいじゃん? 頑張ったじゃない」
「だって、夜はグウェン姉さんの試合があるでしょ?」
 グウェンの美しい戦い方を知らない人たちに、是非是非彼女を観てほしかった。そして彼女のファンになってほしかったのだ。

 ヘザーは大入袋を受け取って中身を確認する。
「うわあ、銀貨が二枚も!」
「オーナーも喜んでたよ」
 すべてのチケットを売り捌いたのは初めてではないが、大入袋に銀貨が二枚も入っていたのは初めてである。
 ヘザーは銀貨の入った袋を両手で握りしめ、大げさな音を立ててキスをした。

「オーナーはあんたに期待してるんだよ」
 今は下働きの少女だが、いずれはカナルヴィル闘技場を背負う女剣士となるように。
「それに、あたしもあんたに期待してる。あたしの後継者としてさ」
「グウェンねえさん……」

 実は、グウェンは剣士を辞めることになったのだ。理由は、結婚。
 剣士とはいえ二十代の美しい女性だ。いつかは彼女も結婚するのだろう、ヘザーはそう思っていたし分かってもいた。
 ただ、相手は同じ剣士か、剣士でなくとも闘技場の中で働いている者だろうと何となく思い込んでいたのだ。
 グウェンが引退して誰かの奥さんになって、やがてはお母さんになって、剣士となったヘザーは時折グウェンの住まいを訪ねる。彼女との付き合いはこの先もずっと続くだろうと。

 それが、グウェンの選んだ相手は学者であった。
 彼は渡り鳥の生態を研究していて、鳥たちを追いかけて自らも船に乗り馬車に乗り、国内外をそれこそ渡り鳥のように飛び回っている男性だ。
 決まった住まいを持たず、各地を転々としているらしい。

 二人の出会いはこの闘技場。カナルヴィルの街で開かれた学会に出席し、付き合いで闘技場へ連れてこられた彼は──荒っぽい雰囲気の場所には慣れていなかったのだろう──興奮して騒いでいる観客たちにもみくちゃにされ、失神してしまったらしい。
 たまたま試合の予定がなかったグウェンは、医務室に運ばれた彼が目覚めるまで付き添っていた。
 そこから恋が始まったのだとか。

 ちなみに現在の彼は王都のアカデミーに呼ばれ、講師を務めながら論文を作成中だと言う。その論文が完成したら彼はグウェンを迎えにやって来て、今度は二人で旅に出るのだ。

 闘技場で働く女たちは、母親のいないヘザーの面倒をよく見てくれた。
 ヘザーがある年頃に差し掛かると女性の身体について説明してくれ、対処法や使用する下着についても教えてくれた。ヴァルデスの手に負えない繕い物が発生した時も、女剣士の誰かや売店の女性などが手伝ってくれた。
 その中でもグウェンは、ヘザーの母であり姉であり親友でもあったのだ。
 グウェンに会えなくなってしまう……おめでたいことなのに、寂しさが拭えない。

「もう、ヘザー。そんな顔しないでよ」
「あ、う、うん。ごめんね」
「論文が書き上がるのはまだ先らしいからさ。それまでにあたしの持ってる技、全部あんたに授けてあげる!」
「う、うん……!」
 ヘザーは十六になったら剣士として舞台に上がることになっている。おそらくはグウェンの引退と殆ど同時のデビューになるだろう。

「あたし、あんたの剣のレベルは申し分ないと思うのよね」
 現在、ヘザーは空いた時間を使って剣の特訓中だ。
 しかし闘技場で必要とされるのは、純粋な強さだけではない。
 どの剣士がどんな風に勝てば客は盛り上がるのか……闘技場側はそれを計算して試合予定を組み、星の調整をしている。
 これを八百長と受け止める人間も少なからずいるが、闘技場が提供しているのは飽く迄も「ショー」なのである。

 剣士たちには、演技力も必要とされた。
 勝ち負けを如何に自然に見せるか。派手な動きと技で、観客を盛り上げることができるか。
 二人でヴァルデスの元へ向かいながら、グウェンは剣士の心得をおさらいがてら、一つ一つ挙げていく。
「あとはどれだけ人目を惹けるか、これも重要ね」
 グウェンはそう言いながら、自分の身体を触って見せる。
 真っ赤な髪。女性でここまで短い人は珍しいが、グウェンにはよく似合っている。
 それから大胆な丈のズボンと、ぴったりしたタイツ。
 女性が足の形を露わにすることをタブー視している人間も多い。女騎士や牧場で仕事をする女たちはズボンを身に着けるが、その分上着の丈が長かったり生地に余裕があったりして、足やお尻の形がはっきりとわかるようにはなっていないのだ。しかしグウェンは敢えてタブーに挑戦した。そして見事に受け入れられた。
 あとは剣を振るうたびに宙を舞う長いストールと、舞台脇の篝火をきらきらと反射するガラスのピアス。
 グウェンは全てが華やかで美しかった。

 ヘザーは自分の姿を見下ろし、それからグウェンに目をやった。
 自分が彼女より目立てるところなんて、背の高さくらいのものだろうか。
 でも、グウェンは笑いながら首を振る。

「これがあたしよ! っていう、トレードマークを作るのよ。あんたなんて、背が高いからお客さんに覚えてもらいやすいわ。あとは、そうねえ……」
 身長の他に何があるだろう。グウェンの長いストールは真似したいほどカッコいいけれど、あれを上手く捌きながら試合をする余裕は自分にはない。
 信じられないくらい短いズボンはちょっと恥ずかしいし、グウェンほどには似合わないだろう。
 するとグウェンはヘザーの三つ編みを持ち上げた。
「これ。おさげはやめて、ポニーテールにするのはどう? 動きに華が出るかもよ」
「そっか……うん、やってみる!」
 稽古中はこの三つ編みごとお団子にして纏めているが、ポニーテールにするのもいいかもしれない。ストールほど邪魔でも危険でもなさそうだし。
 今日受け取った銀貨二枚は、舞台へ上がる衣装をそろえるために大事に貯めておこう。

 ああでもないこうでもないと、ヘザーの衣装について話し合いながら、剣士控室の扉を開ける。
 しかしそこに父親の姿はなかった。
 控室の中で休憩していた他の剣士が、ヴァルデスはタトゥーショップに行ったと教えてくれた。
 そこでグウェンに別れを告げて、ヘザーは父親がいる場所へ向かった。



 この建物の奥のそのまた奥、一番奥にタトゥーショップは位置していた。
 廊下からでは店の中は見えない仕様で、異国風の香の匂いがたちこめており、まるで呪術屋を思わせる怪しげな店構えである。

 店の中を覗くと、案の定ヴァルデスがいた。
 ちょうど彫り終ったばかりらしく、彫師に背を向け、処置してもらっているところだった。
「父さん」
「おう、ヘザーじゃねえか! なんだ、もう仕事終わったのか?」
「うん。夜の部の前売り、全部売れたの! 父さんと一緒に帰ろうと思って控室に行ったら、ここだって言うから」
「おお、そうかそうか。ちょっと待ってろ。今、服着るからよ」
 ヴァルデスは立ち上がり、脇に抱えていたシャツを広げた。

 父の身体にはたくさんのタトゥーが彫ってある。
 男の剣士はパフォーマンスの一環として、上半身裸で戦うことも多い。身体に模様を刻んでおくと、観客の注目を浴びる。
 グウェンが奇抜な衣装を身に着けているように、こうして観客へのアピールを行ってファンを獲得していくのだ。

 加えてヴァルデスの場合は、タトゥーショップの宣伝も兼ねていた。
 実際に「人気剣士のヴァルデスと同じ模様を彫ってくれ」、「ヴァルデスと同じ彫師に彫ってもらいたい」という客が多いそうなのだ。
 おかげでヴァルデスの胴体と腕は模様だらけである。
 今回は、数少ないスペースの一つであった左肩の一角に、何かを彫ってもらったようだった。



「これ、何?」
「どっかの異国の模様だってよ」
 家に帰り、寝支度の前に父の包帯を替えようとすると、見たこともない図柄が現れた。
 ヘザーはそれをまじまじと見つめる。

 黒いインクで彫ったばかりの模様の周りは、赤くなって熱を持っていた。
 そして何日か経つと、これはインクと同じ色の、真っ黒なかさぶたになる。
 治りかけの傷の痒みや、かさぶたを剥がしたい欲求に打ち勝ち、自然な形でそれが剥がれるとタトゥーの出来上がりだ。
 もう何度も父親のタトゥーを見てきたから、手当も慣れ切ったものである。
 彫りたての模様の上に軟膏を塗り伸ばしてから──これは痒み止めと化膿止めの効果もあるが、傷と包帯がくっつかないようにするためでもある──包帯を巻いてやった。

「できたよ」
「おう、サンキュ」
 父がシャツを羽織る前に、二の腕や腰のあたりに彫られた模様をヘザーは指で辿った。

 二の腕の蜥蜴。これはヘザーが生まれる前、一番初めに彫ったものらしい。
 確かにこの模様を彫る人は、最近はあまりいない。ちょっとばかり時代を感じる図柄である。
 腰には狼。ややコミカルなタッチで彫られており、ヘザーはこれを気に入っている。それもそのはず、この狼は幼いヘザーを喜ばせるために彫ったものだったのだ。母親が出て行ってすぐのことだっただろうか……。
 そして胸には鷲。闘技場を背負う剣士の一人としてヴァルデスの名が挙がり始めた時に、彫師の方から「是非彫らせてくれ」と頼まれて入れたものらしい。
 それから……と、他の模様も確かめようとしたとき、ヴァルデスが笑いながら身をよじった。
「おいおい、くすぐってえぞ」
「あ、ごめーん」
 手を離し、父親がシャツを羽織るところを見守る。
 ヴァルデスの身体は、彼の年表でもあるのだ……そう考えながら。

 それから、グウェンの言葉も思い出した。
 これぞ自分! というアピールをして、観客たちに自分を印象付けなくてはならないことを。
「私も、何か彫ろうかなあ」
 とはいえ、女剣士が上半身裸になるわけにはいかない。二の腕と肩を露出するのがせいぜいだろうか。それでいてインパクトのある図柄となると……。
「うーん。お前は女の子だからなあ。あんまりデカい模様はなあ……」
「父さんは、反対?」
 そう訊ねると、ヴァルデスは微妙な表情を返す。
 本当は反対だが、自分の身体がタトゥーだらけなので強くは言えないのだろう。
「父さんが反対なら、やめとくけど」
「ああ、でもよ……小さい……ワンポイントみたいなやつなら、可愛いんじゃないか?」
 舞台で目立つ装いと方法を考えているのに、ワンポイントでは目立たないではないか。

 同時に、いなくなった母親が胸元に小さな蝶のタトゥーを彫っていたことを思い出してしまった。
 彼女は常に襟ぐりの深い服を身に纏い、タトゥーがちらちらと覗くようにしていた。あれは、男の視線を胸元に引き付けるためだったのかなあと、今になって思った。
「タトゥーは……やめとく」



 これといった案もないまま、月日は流れる。
 グウェンの彼から、間もなく王都を出立するという連絡があったようだ。
 闘技場のオーナーと剣士たち、従業員が集って、グウェンの引退試合をどんなものにするか、どんな風に盛り上げるかの打ち合わせが行われた。

「ヘザー。ちょっといい?」
 打ち合わせが終わった後で、グウェンが手招きする。
 彼女は右手に何かを握っており、ヘザーに「手を出しな」と言った。

 ヘザーの手のひらにぽとりと落とされたのは、一対のガラスのピアスだ。
「グウェンねえさん、これ……」
「うん。あんたにあげる」

 このピアスをきらきらさせながら舞うように動くグウェンは、本当に美しかった。
 ガラスとはいえ、ダイヤモンドに劣らぬ輝きを放てるように、特別にカットされたものだと聞いている。

「これ、高いんじゃ……」
「ま、それなりに高かったけど、でもガラスだよ。宝石ほどの値段じゃない」
「でも、大事なものなんでしょう?」
「だからあんたにあげるのよ」

 さすがに涙がこぼれた。
「グウェンねえさーん……!」
「きゃっ。ちょっと、鼻水つけないでよ!」
 そう言いながらも、グウェンはヘザーの身体を抱き寄せて頭を撫でてくれた。
「どれどれ、つけてあげよっか……って、そういえばあんた、穴がないじゃない!」
「あ、開ける! 今開ける!」

 闘技場の中には安物のアクセサリーを売っている店があって、そこではピアスの穴も開けてくれる。
 さっそく二人はアクセサリー店に向かった。
 こうしてヘザーの耳に、美しいガラスのピアスが収まったのだった。

「これ、ほんとにもらっちゃっていいの」
「うん。もうあんたのモンだよ」
 鏡とグウェンを見比べるヘザーに、彼女はいたずらっぽく笑いながら「それにね」と言って、首元の細い鎖を引っ張る。
 そのネックレスには、美しい輝きを放つ指輪が通してあった。
 結婚の約束をした時に婚約者に貰ったものだが、これをつけて舞台にあがるのはさすがに躊躇われるので、こうして首に下げているのだという。
「あたしは本物があるから」
「うわあ、綺麗……」

 ダイヤの指輪に見惚れるヘザーの額をちょんとつつき、グウェンは言った。
「あんたも、本物を買ってくれる男を見つけなさいね」



***



 ヘザーは老舗の宝飾店の奥の間に案内され、ふかふかのソファに腰かけていた。

「お待たせいたしました」
 白手袋の店員が運んできたビロード張りのトレイの上には、ペンダントにブレスレットにイヤリング、ブローチ、ヘアピン……様々な装飾品が乗せられていた。
 ヒューイはトレイを覗き込み、気に入ったものを選べとヘザーに言う。

 ヘザーは先日新しいドレスを作ったのだが、それに合わせるための装飾品も用意しなくてはならないらしい。
 ドレスや小物の類はウィルクス夫人が見立ててくれるが、夫人が言うには、装飾品は婚約者に贈ってもらうものなんだとか。

 ダイヤモンドの婚約指輪ならばもう貰っているのだが、夜会に参加するには指輪以外にも何か身に着けた方がいいとのことで、こうして宝飾店に連れてきてもらった。

「気に入るものはあったか?」
「な、なんか……どれも立派で……」
 宝飾店に向かうと告げられた時、ヘザーはショーウィンドウ越しに選ぶものだとばかり思っていたので、この形式は緊張する。
 しかも買うものがある程度決まっている場合や、「なんでもいいからとにかく宝石が欲しい!」と言う場合は、屋敷まで営業に来てくれるらしいではないか。
 バークレイ家の社会的地位の高さに改めて目眩を覚えそうになる。

「指輪と同じ石で揃えたいか? 或いは、ドレスの色に合わせてもいいと思うが……」
 なかなか選ぶことができないヘザーにヒューイがそう言うと、店員はどんなドレスを作ったのかと質問してくる。
 色と生地、大まかなデザインを告げると、それに似合うであろう宝石をまた持ってきてくれるらしい。店員は「少々お待ちください」と言って部屋を後にした。

 ウィルクス夫人に、屋内で二人きりになってはダメときつく言われているが、これは不可抗力というものだ。それにこんなに畏まった空間では、さすがのヘザーもイチャイチャしようとは思えない。
 ヒューイと二人だけになると、少しだけ緊張の解けたヘザーはほっと息を吐きだした。

 彼はヘザーの手首を持ち上げてブレスレットを合わせたり、首元にペンダントを持ってきてみたりしている。
 それから顔の横にイヤリングを並べようとして、今頃ヘザーのピアスの穴に気がついたようだった。
「……おい。傷……? があるぞ」
「傷じゃないわよ。これ、ピアスの穴」
 グウェンにもらったピアスは今も大事にとってあるが、あまりにキラキラし過ぎているため、騎士になってからは日常的に身に着けたことがなかった。
 穴が塞がらないよう、気がついた時に耳に通してみることもあったが、最後にそれをやったのはいつだったか……。
 ヘザーは穴の存在を確認しようとして、耳たぶに手をやった。

 ヒューイは手にしたイヤリングとヘザーの耳を見比べる。
「これは付けられないのか?」
「んー、そんなことはないけど」
 ヘザーの耳たぶは薄い。
 クリップのように留める方式のイヤリングはすぐに落っこちてしまう。ねじ式のものはきつく締めあげなくてはならないため、すごく痛いうえに頭痛まで併発することがあった。

「では、イヤリングはやめた方がよさそうだな。後でピアスも持ってきてもらうか」
 次に店員がやってきた時に、ヒューイはピアスを持ってきてもらうつもりのようだった。

 身につけるピアスは、グウェンからもらったものだけ。
 ヘザーはなんとなくそう決めていて、これまで自分でピアスを購入することはなかった。
 グウェンのピアスではないものを使うつもりはなかったのだ。
 だが……。

 ヒューイが贈ってくれたものならば、ヘザーにとってはあのピアスと同等の価値──価値と言っても、単なる値段のことではない──あるものになるだろう。

「じゃ、ピアスにしようかなあ」
「他にも気になるものがあったら、遠慮なく言いたまえ」
「え。で、でも」
 はっきり言って気が引ける。
「宝飾品をいくつか購入したところで家が傾くようなことはない。安心したまえ。手あたり次第購入した挙句、飽きてすぐに使わなくなるようでは困るが、君は……そうではないだろう」
「う、うん。たぶん」
 ヒューイはおそらく、ヘザーのリボン……コンスタンス王女に貰ったリボンのことを思い浮かべているのだろう。
 どれほど部屋が汚くなっても、ヘザーはあのリボンだけは綺麗な状態でとっておいた。
 そのリボンとは別にグウェンのピアスも大事にしているのだが、ヒューイはまだピアスの存在を知らない筈だ。

 それから、ヘザーはあることに思い当って顔を上げた。
「あ、そうだ。帰りに本屋さんに寄ってもいい?」
 グウェンの旦那さんの著書、「渡り鳥の世界」の第六巻がそろそろ出回るはずである。
「『渡り鳥の世界』……? 君は鳥に興味があったのか?」
「うーん、そういう訳じゃなかったんだけどね」

 「渡り鳥の世界」はエッセイ調で記されており、それほど興味のない人間でも楽しく読めてしまう内容となっている。
 中でも著者が妻と協力し合って行く先々、新しい土地に馴染んでいく様は興味深い。
 彼らは敢えて子を持たなかった──旅の連続だからであろう──が、二人仲睦まじく暮らしている様が窺えて、とても微笑ましいのだ。
 渡り鳥を追いかける彼ら二人の旅はまだまだ続くようだが、いつか旅をやめる時が来たら、二人が出会った土地に家を買うつもりらしい。
 きっと何十年も先のことだろうけれど、グウェンと再び会えるその時を楽しみにしていようとヘザーは思う。

 十五歳だったヘザー。
 姉であり親友でもあったグウェン。
 ガラスのピアス。

 ──あんたも、本物を買ってくれる男を見つけなさいね

 そう言われた当初はピンと来なかったし、自分にそんな人が見つかるはずがないとも思っていた。

 ヘザーは本物を贈ってくれる男性を見つめ。

「あとで、ぜーんぶ話してあげるね!」

 首を傾げるヒューイに、そう伝えたのだった。



(番外編:回顧録01~ヘザーのピアス 了)

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