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番外編

爆走、乙女チック花嫁街道! 4

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 王都とアディシュの往復に一週間、街への滞在が一週間という旅の日程である。
 到着した日にヘザーと父へ無事についたと手紙をしたため、それからは王都側の人間──王宮の騎士と、寄宿学校の教師──と、アディシュ側の人間──アディシュ駐留軍に身を置く騎士と、アディシュの学校の教師たちだ──が合流して仕事を行った。

 アディシュの学校を見学し、教師が推薦する生徒との面談、さらに生徒の両親との面談を済ませる。
 そして生徒に筆記試験を受けさせた。これは形式的なもので、よほど妙な答えを書いたり、異常に点数が低かったりする以外は特に問題にしない。
 こうして今年は二人の生徒が王都にやってきて、寄宿学校へ入り騎士を目指すこととなった。
 日程を恙無く終え、最終日の夜は軽く打ち上げを行う。はずであった。

「もう一軒! もう一軒行きましょう! ね!」
 アディシュ駐留軍の騎士に、「もう一軒もう一軒」を繰り返す男がいたのだ。
「もう一軒だけ! ね!」
「グリント殿、王都の方たちは明朝から旅に入るんですよ。ここらへんでお開きに……」
「次で最後! 最後だから! ね!」

 すでに三つの店を回り、グリント氏は四軒目に行こうとしている。時間はとうに零時を過ぎていた。彼の同僚がこちらを慮って窘めてくれたが、グリント氏は「次で最後だから」とごねまくっている。
 ヒューイとしては「いい加減にしたまえ! こちらは帰りの旅を控えているのだぞ」と怒鳴りつけたいところであるが、グリント氏はどう見ても年上であったし、王都とアディシュの今後の付き合いもある。言いたいことを言うわけにもいかず、それに路上で揉めている暇があったらさっさとグリント氏を黙らせてしまった方がいい気がした。
 こうしてヒューイは四軒目の店に入ることになったのである。

「さあ! 飲むぞ飲むぞ! お姉ちゃん、ビールを人数分とー、それからあ……」
 席に着いたグリント氏はさっそく店員を呼びつけ、勝手に酒や料理を頼みだす。
 というか四軒目だというのになぜビール。ヒューイは二軒目でワイン、三軒目でブランデーを飲んだ後、これで帰れるものだと思い込み最後にお茶を頼んだ。
 それを今さらビールに戻れだと……?
 だが自分以外はビールとヨリを戻せるタイプらしく、グリント氏の勝手な注文を気にした風でもない。
 イライラは最高潮である。

「いやあ、すみませんね。遅い時間まで付き合ってもらっちゃって」
 ヒューイのこめかみがピクピクしていたことに気付いたのか、隣の席についていた男──アディシュ駐留軍の、グリント氏の同期の騎士だ──が申し訳なさそうにグリント氏の行動を詫びる。
「……いえ。滅多にない機会ですから。たまにはこういうのもいいでしょう」
 ヒューイは思ってもいないことを答えた。
 本当は「まったくだ! グリント殿の同期なら君は彼を担いででも帰るべきだろう! こんな時間までだらだらと付き合わせるなんて。こちらの事情も考えたまえ!」と怒鳴りつけたい気分であったが。

 グリント氏は運ばれてきたビールを一息に呷る。その様子はどこかヤケクソ気味にも見えた。するとグリント氏の同期はそんな彼を一瞥し、ヒューイに顔を寄せて小声になる。
「グリント殿はね……奥さんが出て行っちゃったんですよ」
「ああ、それは……」
 なるほど。家に帰りたくないわけだ。

 そこでなんとなく、父親の姿を思い起こしてしまった。もっともレジナルドの妻──ヒューイの母──は出て行ったのではなく、亡くなってしまったわけだが。
 かつて、父は母に良き妻であることを……「周囲から良き妻だと思われるように行動すること」を強いていた。バークレイ家は何の問題もない、素晴らしい家庭だと思われるように、言動には細心の注意を払えと。
 祖母も同じ考えだったし、ヒューイもそういうものだと思っていた。母がどう思っていたかはわからないが……バークレイ家の評判は悪くはなかった。

 母が亡くなって暫くたった頃、ヒューイは書斎で父が強い酒の入ったグラスを傾けているところを目にした。
 父がやたらと小さく見えて、ヒューイは衝撃を受けた。
 母の葬儀で父が涙を流すことはなかったが、書斎での父は涙を流さずに泣いている、そんな風に見えたのだ。
 それからというもの、父の覇気は少しずつ失われていった。

 母の死の二年後、祖母までもが亡くなってしまう。
 父は一気に老け込んだ。
 妻と母親を立て続けに失った父は、バークレイ家のことを「立派な入れ物だが、その中身は空っぽだった」というような事を口にした。
 ヒューイは肉親を亡くしたことを悲しむ前に、まずは父の様子の方が心配であった。
 その際、ウィルクス夫妻にはかなり世話になった。彼らは父を慰め、旅行に連れ出してくれたりもしたのだ。

 父が立ち直るのには時間がかかりそうだった。そんな時にロイドとグレンを引き取ることになり、父の顔に生気が戻ってきた。家の中があり得ないほどに騒々しくなった──主にロイドのせいで──が、双子の存在は本当に有り難かった。
 現在双子たちは寄宿学校へ入ってしまったが、週に一度は帰ってくるし、ヘザーの輿入れも控えている。ヒューイとヘザーが夫婦になった後は、さらに新しい家族が増えるかもしれない。
 父はそれが楽しみでならないらしい。夢いっぱいの女学生みたいに瞳をきらきらさせて日々を過ごしている。あまりにも浮かれて落ち着きがないので、たまにちょっとだけ煩わしいのだが、一時期の父の様子を思えば、これもまた有り難いことである。

「……で、グリント殿の奥さんがね……」
「あ、はい」
 父やバークレイ家のこれからのことを考えてしまったが、グリント氏の同期のお喋りはまだ終わってはいなかった。気を取り直して彼の話に耳を傾ける。

 グリント氏は男爵家の次男。アディシュ駐留軍の騎士として身を立てている。彼は街のパン屋の看板娘を妻として娶った。
 もともとは孤児で、パン屋夫妻に養女として育てられた娘だ。けっこうな身分差婚である。
 妻の方は周囲から玉の輿だと祝福されたり妬まれたり。グリント氏の方も、若くて可愛いお嫁さんをもらったと、やはり祝福されたり妬まれたりした。「貴族の血を引く人間がなんという早まったことを」と、グリント氏を咎める者も多かったようだ。
 そして彼の妻は上流階級の生活に馴染めなかった。舞踏会やお茶会に参加しても、彼女の出身を卑しいと言って、あからさまに無視する人もいた。
 グリント氏の妻はすっかり参ってしまい、引きこもりがちになった。

「そしてある日、グリント殿が帰宅すると、置手紙が……」
 夫に宛てた手紙を残し、彼女は家を出てしまったのだ。かなりの醜聞になったので、アディシュの街に留まることも出来ず、田舎に住む養親の知り合いの家で暮らしているらしい。
「グリント殿は妻を迎えに行ったんだけど、彼女の方は離縁の手続きをしたがっているそうで。これから、どうなることか……」
「なるほど。そんなことが……」
 彼の話に相槌を打ちつつ、ヒューイは思った。なんだか、バークレイ家と似ていると。
 世間に向けて取り繕っていたが、その実、完全にすれ違っていた父と母。
 育った世界の違う女性を娶ろうとして、彼女を上流階級に馴染ませようとしている自分。
 どこかでボタンを掛け違えたら、グリント氏と同じ結末になるのではないか。

「あ。そういえばバークレイさんはご結婚は……」
「婚約中です」
 そう答えると、グリント氏の同期は「まずい」という表情になる。
「結婚を控えた人にするお話ではありませんでしたね。いや、申し訳ない」

 確かに進んで聞きたい話ではなかったが、自分を見つめ直すきっかけにはなった。
 ただでさえヒューイは一度失敗している。結婚を急ごうとして、ヘザーに「退職届はいつ出すんだ」と迫り、それでケンカになったのだ。
 結局ヘザーは自分で決めていたよりも早く騎士を辞めた。それはヒューイのためだった。男だらけの場所にヘザーが居るのが気が気でない、ヒューイの心の安寧のために。
 彼女は自分の意志や希望よりも、二人の関係性を優先してくれたのだ。
 それからのヘザーはヒューイの用意した住まいで、花嫁修業に励んでくれている。ヒューイの立場と生活に、自分が合わせるために。
 夫婦になるとはいえ、ヘザーは他人のために生き方を変えた。
 ヒューイの知る誰よりもタフな女だとはいえ、生き方を変えたことによるヘザーの精神的重圧は如何なものだろう。
 ヘザーの努力に見合う男でありたいとは思っているが……。
 彼女は立派に自分で自分を養っていく力のある女である。ヒューイがいなくとも、充分にやっていける女なのだ。
 ──じゃあ、チューして
 あの時、ちゃんとキスしてやれば良かったと思った。慌ただしくごまかすようなものではなく、ヘザーが喜ぶような、情熱的なものをしてやれば良かったと。



 ヒューイが宿に戻るころには、午前三時近くになっていた。
 朝は七時出立の予定であるから、健康的な睡眠時間は取れそうもない。
 飲み過ぎてはいないはずだが、念のために二日酔い防止の薬湯を飲んでおこう……などと考えながらフロントで自室の鍵をもらうと、
「あ、バークレイ様。お手紙を預かっております」
「手紙? 僕に?」
 アディシュの宿にいる自分に手紙など、いったい誰からだろうと首を傾げつつ受け取る。
 そして封筒に書かれた若干汚い文字を見て、ハッと目を見開いた。

 手紙はヘザーからだったのである。
 おそらくはヒューイがアディシュ到着時に出した手紙の返事として届いたものだ。
 もう少し配達が遅れていたら、行き違いになるところだった。受け取ることができて良かったと思う。

 ヒューイは自室へ戻ると、封を開けて便箋を取り出した。
 ウィルクス夫人から詩を習ったこと、新しい靴を買いに行ったこと、コックの作る料理がいつも美味しいこと……などなど、たわい無い内容がちょっといびつな文字で書き連ねてあった。
 王都を出る前、数分だけ顔を合わせた時に、ヘザーから手紙をもらったことが一度もないとヒューイはぼやいた。
 だから彼女は書いてくれたのだ。日々の出来事を知らせるために。
 最後に、次に会えるのを楽しみにしている、貴方の旅の無事を祈っていると記されていた。
 こちらの意志を他所に散々連れまわしてくれたグリント氏への苛立ちは、一気に吹き飛んでしまった。

 ヘザーの文字を何度も目で辿る。
 以前ヒューイはヘザーに、「退職した後、しばらく実家で過ごしてはどうか」と打診したことがあった。
 花嫁教育は受けてもらわなくてはいけないが、その前に故郷でゆっくり身体を休める期間があってもよいだろうと、ヒューイはそう考えたのだ。
 結局ヘザーは王都に留まったわけだが、今になって思えば、ヘザーと離れて過ごそうなどとどうして考えられたのだろう。

 便箋を、静かに胸に当てた。
 ヘザーに会いたくてたまらない。


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