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番外編
邁進、乙女チック花嫁街道! 3
しおりを挟む「えーっ。じゃあ剣術大会でケンカしたのって貴方だったの!」
「あの時騒いでいたのは君だったのか!!」
真相が判明すると、二人は同時に叫び、それから無言で互いの顔を見つめた。
ヘザーはそんな出来事があったのをすっかり忘れていたが、一度思い出したら細かいことまでどんどん蘇ってきた。
そうそう、あの時は謎の騎士について言いたい放題で……うざいとか最低とかかなり辛辣な事も言った。それで王女に窘められたのだった。
剣術大会で派手なケンカをしたくせに、眉間に皺を寄せてヘザーたちに文句を言いに来た謎の騎士。ヘザーは彼に会ったこともないのに、勝手に期待して勝手に失望したのだ。
そしてその人は今、自分の婚約者としてヘザーの目の前に立っている。
でも、謎の騎士に対する自分の想像は、的外れでもない気がした。
ヒューイ・バークレイは細かくて怒りっぽくて感じ悪いけど、時折ヘザーがびっくりするほどの情熱的な一面も見せてくれるのだ。
もしもあの時、王女が「もっとここで過ごしたいのに」と残念そうにしていたら──もっとも王女はそんなことを言う人間ではなかったので、皆から好かれていたのだが──ヘザーは息巻いて階下へ抗議しに行っていただろう。
もしもあの時、ヘザーがヒューイと顔を合わせていたら、今の二人の関係は違ったものになっていたのだろうか……。
ふとそんなことを思ったが、ヒューイは自分の目の前でいきなり自慰を始めた女と婚約するくらい奇特な男である。結果はあまり変わらないような気がして、ヘザーは笑ってしまった。
「もう、来るなら言ってくれればいいのに」
ヒューイならばいつ来てくれても大歓迎だが、せめて事前に連絡を貰えていたらヘザーはもうちょっとお行儀よくしていた。
「今朝、使いをやったはずだが……?」
「え?」
使いの者なんて来ていない。アイリーンが応対していたら彼女は教えてくれるはずだ。まさか、忘れていたなんてことは……
「あっ」
そこでヘザーはあることを思い出し、自室の扉を開け、棚の上を確認した。
棚の上には銀のトレイ。そこにメモが置いてあった。
『今日の夕方、そちらへ行く』と、ヒューイのきれいな文字で記されているメモが。
この建物に入居する時、ヘザーはしっかりと説明を受けていた。手紙の類はアイリーンが仕分けして、ヘザーの分はこの銀のトレイに置かれることを。
しかし、ヘザーに充てられた手紙が来ることは無かった。自分も父親もまめに手紙を書く方ではないし、買物の請求書やら何やらはバークレイの屋敷へ配達されているようだ。だから銀のトレイの存在をすっかり忘れていた。自分宛ての手紙が銀のトレイに乗せられるという習慣もまったく身についていなかった。
「ご、ごめーん……」
「そんな事だろうとは思った」
ヒューイは肩を竦め、それから一人掛けのソファに腰かけた。
ヘザーは詫びながら彼の元へ戻ろうとして……トレイの脇に一輪挿しが置いてあることに気がついた。ふわふわとした花びらの、オレンジ色の花が活けてある。
これ、今まであっただろうか……? トレイの存在を忘れてはいたが、こんなに小さくて危なっかしい花瓶が近くに置いてあったなら、服や身体を引っかけたりしないように気を配っていたはずだ、たぶん。
この一輪挿しはいつからあったのだろうとヘザーは少し考え、そして花とヒューイのメモを見比べた。
「ね、ねえ。もしかして……メモと一緒にお花もくれた?」
ヒューイは表情を変えずにヘザーの方を見る。
彼は、はっきりとした肯定の言葉は口にしなかったが。
「……メモ一枚では味気ないと思っただけだ」
要するに、これは彼がくれた花だ。
まさかヒューイがそんなことをしてくれるとは思っていなかったので、ヘザーは嬉しくなって込み上げてくる笑みを抑えることが出来ない。
「えへへ……」
「何をニヤニヤしているんだ」
「だって、嬉しい。ありがとう。綺麗な……えーと、綺麗な……」
この花、なんて言うんだろう。一瞬バラかと思ったけれど、バラの花びらはこんなに柔らかそうにふわふわしていなかったような気がする。でも、わりと良く目にするから、珍しいものではない筈だが……。
これまで花に注意を払ったことが殆どないヘザーは、その外見と名前を一致させることができない。
「えーと、綺麗な……」
「……それは、カーネーションだ」
「ああ、そうそう。綺麗なカーネーション!」
しらじらしいヘザーの返事に、ヒューイは「嘘つけ。君は絶対に分かっていなかっただろう」とでも言いたげな視線をくれた。
「えへへ……」
今度は誤魔化すように笑いながらヒューイの元へ向かい、ヘザーは彼の膝の上にどさりと腰かけた。そして首に腕を回す。
「私の髪と同じ色のお花……ほんとに嬉しい。ありがとう」
ちなみにこの時のヘザーの頭の中のイメージは、恋人の膝に乗り、可愛らしくその腕の中に収まる女性……であるが、傍から見たら今の自分たちの格好はすごいことになっているだろう。
一人用のソファにそれなりに立派な体躯をした男と、バカでかい女がぎゅうぎゅうに詰まっているのだから。
あつかましくも膝の上に腰かけられたヒューイだったが、彼は文句は言わなかった。それどころかヘザーの身体に手を回して、「恋人の腕の中に可愛らしく収まる女性」というヘザーのイメージを現実にしてくれた。
……幸せ。
ああ、幸せっっっ。
ヘザーはさらにあつかましくなって、ヒューイに身体を押しつけて首に回した腕に力を込めた。
ヒューイの顔を半ば力尽くで引き寄せて、その頬に口づける。
こういう時のヘザーは、いつもはすぐに肉欲に直結してしまい、ヒューイにぐいぐい迫ってしまうのだが、今回は不思議なことにそれは起こらなかった──もちろんヒューイが迫って来たら全力で彼に応えるつもりだ──。
今はただ、「大好き」「大切にしてくれてありがとう」と、ヒューイの腕の中でそんな幸せな気持ちに浸っていたいとそう思う。
おそらくはヒューイも同じ気持ちなのだろう。彼は唇を寄せてきたが、それは情交を匂わせるような深いキスではなかった。
かと言って触れるだけの淡白なものでもない。
舌は使わずに、唇だけを動かしてキスを求めあう。
寄り添っていない側の互いの手のひらがぴったりと合わさり、きゅっと指を組んだ。
ああ……ほんとに幸せ。
ヒューイとくっついて、うっとりしながらキスを続けていると、
「あなたたち、何をやっているの!!」
ウィルクス夫人のキンキン声が響き渡った。
「婚約しているとはいえ、あなたたちはまだ夫婦ではないのですよ!」
ウィルクス夫人はヒューイとヘザーを並んで立たせ、ガミガミと怒鳴りつけている。
失敗した。ドアを開けるとしたらアイリーンの方だと思い込んでいた。しかし彼女は御者と一緒に、馬車の荷台から夫人の荷物を下ろしていたようだ。それでウィルクス夫人の方が先に扉を開けてしまったのだ。
アイリーンや買い出しから戻ってきたコックに見られたのならばともかくとして、相手がウィルクス夫人では取り繕う余裕もなかった。
「まったく! ヒューイ様もヒューイ様です! まさか、貴方のような男性が淫らな真似をするとは! 失望しました!」
「も、申し訳ない……」
ウィルクス夫人が相手では、さすがのヒューイもたじたじであった。夫人の雇用主はヒューイだが、お願いして来てもらっている状況だし互いの家同士の付き合いのこともあって、立場はウィルクス夫人の方が強いのだ。
でも、珍しくしどろもどろになっているヒューイはちょっとカワイーかも……なんて、ヘザーは俯きつつ笑いをこらえていたが、ウィルクス夫人の怒りはまだまだ収まらない。
「とにかく! しばらくの間二人で会うのは禁止します!」
「えっ、それって……」
「口ごたえも禁止!」
「ええぇ……」
ええーーーーっ!!!
こうして、ヘザーに「ヒューイ禁止令」が下ってしまったのだった。
ヒューイが帰った後、ヘザーは夕食までの時間を使って反省文を書かされていた。
……あーあ。
今回は別にエッチな事してた訳じゃないのになあ。あれは恋人同士の純粋な触れ合い、だと思う。
しかしウィルクス夫人の目にはそうは映らなかったようだ。
「まったく、近頃の若い人たちときたら! 結婚する前にお腹が大きくなったりしたら、どうするというんです!」
そういうことになる人たちも、実は結構多いらしい。急いで結婚したかと思ったら、計算の合わない子供が生まれてくるのだと。もしもヘザーがそうなったら、指導を行っているウィルクス夫人まで恥をかくことになる。
その点ヒューイは細心の注意を払ってくれている。避妊薬を使った上に、ヘザーの中には種を蒔かない。
だが「大丈夫、避妊はばっちりです!」などと夫人に言ったところで火に油を注ぐようなものだろう。ここは我慢して、大人しく反省文を書いておくしかない。
それにしても、ヒューイ禁止って、いつまで会えないんだろう……。
「はぁあああ……」
思わず大きなため息を吐くと、
「ピッ!」
笛の音が聞こえた。
驚いて顔を上げると、なんと、ウィルクス夫人が腰に手を当てて笛を吹いているではないか。いつ用意したのだ、そんなもの。
「そこ! ヒューイ様禁止ですよ!」
「えっ」
「今、ヒューイ様のことを考えておりましたね! 禁止です!」
「え、ちょ……想像もダメなんですか?」
「ピッ! 禁止っ!」
えぇえええ……。
ヘザーがげんなりしかけていると、夫人は一輪差しのところで目を留めた。
「あら、可愛らしいお花だこと……」
そうでしょう? それ、ヒューイがくれたんです! と答えたかったが、彼の名前を出した途端また笛を吹かれるかもしれない。
「ああ、そうそう。ヘザーお嬢様にお渡しする本がありました」
ウィルクス夫人はそう言って部屋を出て行ったが、すぐに戻ってきた。そしてヘザーに一冊の本を差し出す。
また勉強の本か……と、一瞬身構える。本の表紙には『花言葉』と記されていた。ヘザーはこれを詩集か何かの類だと思ったが、違った。
「それぞれのお花には、意味があるのですよ」
植物園などは社交の場にもなっているし、どこかの邸宅のガーデンパーティーに招待された時など、花言葉を覚えておくと話の種になるのだと夫人は言う。
「この本は辞典のようなものです。覚えておいて損はないですからね」
ただ、花に込められた意味をまったく気にしない人もいるのだとか。そういう人が花を贈ったり贈られたりして、誤解を生むこともあるのだと、夫人は付け加えた。
ヘザーも改めて、一輪挿しに視線をやった。
それからもちろんカーネーションの花言葉を調べてみる。
なんと、色によっても意味が異なってくるようだった。
──君を熱烈に愛する
花の方は淡いオレンジで、ヘザーの髪は焚火のような濃い色だが、彼はヘザーの髪の毛に合わせてオレンジを選んでくれたのだと、なんとなくそう思っていた。
でも、ヒューイはオレンジ色のカーネーションの意味を知っていて、それで贈ってくれたのだろうか……。
うん。ヒューイのことだ。知っていたに違いない。
こんなことしてもらったら、しばらく会えなくても頑張れそうだ。
にへらあ……と頬が緩んでくるのを止められなかった。
「うへへへへへ……」
ああ、もう! ヒューイが好き! 好き好きィ! イェア、イェア!
「イェア!」
この直後、もちろんウィルクス夫人の笛が鳴り響いた。
*
「僕としたことが……」
帰りの馬車の中で、ヒューイはぶつぶつと呟いていた。
よりによってウィルクス夫人に目撃されてしまうとは。
自分も結構なお説教を食らったが、ヘザーは未だに叱られまくっているのかもしれない。
それにしても、あの時多目的棟で大騒ぎしていたのがヘザーだったなんて。
知った瞬間こそ驚いたが、よく考えてみれば、ああいう真似をするのはヘザー以外にいない気もした。
「もしもあの時……」
ヒューイがヘザーと顔を合わせていたら。
今の二人の関係は違ったものになっていたのだろうか。
ふと考えたが、小さく首を振った。
ヒューイは目の前でいきなり自慰を始めた女と恋に落ちてしまったのである。絶叫して騒いでいるくらい、自慰に比べたらなんてことはない。
あの時ヘザーと顔を合わせていたところで、今の二人の関係に変化は無いだろう。
しかし。しかしだ。
ヘザーは花の名前すら知らない女であった。
メモと一緒に贈る花について、散々頭を悩ませた自分の苦労はいったい何だったのだろう。
彼女が花に込められた意味を知っているとまでは期待していなかったが、カーネーションも知らないとは。特に珍しい花ではない筈なのだが?
……本当に、とんでもない女だ!
そう片付けようとしたが、ヘザーが花に気づいた直後のことを思い起こす。
──嬉しい。ありがとう。
彼女は頬を染めて照れくさそうにしていたと思ったら、図々しくもヒューイの上に腰かけて身体をくっつけてきた。
ヘザーの表情は、夢見るように満たされていた。
好きな楽団の曲を絶叫しているヘザーも嫌いではないが、あつかましく甘えてくるヘザーも可愛……そこでヒューイは首を傾げた。かわ……いや、萌え……ここで首を振る。彼女のそういうところも、好ましいと思っている。好ましい、そう、これだった。
ヘザーと会うのはしばらくの間禁止となってしまったが、手紙の類は駄目だと言われなかったはずだ。
次に贈る花は何にしようか。
それをじっくり考えることにしよう。
(番外編:邁進、乙女チック花嫁街道! 了)
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