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番外編
邁進、乙女チック花嫁街道! 1
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過去のニアミス発覚&お互いにメロメロな現在の二人。
※※※
「では、行ってまいりますからね」
「はい。ウィルクス夫人。行ってらっしゃいませ」
淑女になるための教師であるウィルクス夫人は現在ヘザーと共同生活中であるが、彼女にも本来の家がある。
週に一度か二度、ウィルクス夫人は着替えを用意したり使用人に指示を出したりと、雑事をこなすために屋敷に戻る日があった。
ヘザーはお行儀よくウィルクス夫人を見送り、彼女の乗った馬車が走り出すところを窓から確認して、ふうっと息を吐きだした。
それから周囲を見渡す。
共同生活者の一人である使用人のアイリーンはウィルクス夫人について行った。通いでやって来ているコックの女性は、買い出しに出かけている。
今この部屋にはヘザー一人。
……一人である!
「はぁあああ……」
呻きながら伸びをして、勢いよく長椅子に座った。ついでに窮屈な靴を脱ぎ捨てて、つま先をもぞもぞと動かした。
こんな場面、ウィルクス夫人に見られたら卒倒されてしまうだろう。だが今は誰もいない! 自由なのだ!
だらしなく椅子の背に身を預け、束の間の自由を味わう。
騎士をやっていた頃と比べると、一人だけの自由な時間は恐ろしく減ってしまったが、これも自分で決めたことだ。それに、花嫁修業が終わって晴れてヘザー・バークレイとなったら、今よりは融通の利く生活になるはず。
つま先を動かしながら未来の自分を思い描いてみる。
バークレイ家のような階級の奥様達は、普段何をやっているのだろう。昼間はお茶会とかサロンとやらに行って、夜になって旦那様が帰って来たら……
「うーん……」
いまいち、そういう光景が浮かばない。
自分の生い立ちを思い返してみても、ヘザーが物心つく頃には家に母親がいなかったし、父は職場にヘザーを連れて行ってくれていた。
ヘザーが闘技場で働くようになってからも、休日はなるべく父と同じ日になるようにしていたし、滅多になかったが自分が休みで父が仕事の日は……夕方になると父を迎えに闘技場まで出向いていた。そして帰り道に食堂に入って夕食をとったり、惣菜を買って家で食べたり。そんな生活だったのだ。
ヒューイが帰って来たらしゃなりしゃなりと玄関まで行って、『おかえりなさい、あなた』とか取り澄ました口調で出迎えたりするのだろうか。
「んー……?」
呻りつつ首を傾げる。そんな光景は本当に思い描けない。
帰ってきたヒューイを肩に担いで寝室に連れ込む自分ならばいくらでも想像できるのだが、屋敷には彼の父親もいるわけで。実際にやったら大変な事になってしまうだろう。
もやもやしたビジョンをなんとか形にしようとしたが疲れるだけだったので、ヘザーは立ち上がった。
ウィルクス夫人は厳しいし花嫁修業は慣れない事ばかりで大変でもあるが、小さいながらも進歩はあった。
もうすぐ、ヒューイの婚約者として夜会に参加することが出来そうなのだ。これまでは人前に出せる状態ではないとウィルクス夫人に判断されていたが、ようやく夫人が納得するレベルに近づきつつあるようだ。
したがって、最近はダンスのレッスンも始まった。
ダンスの先生がいる建物までウィルクス夫人と出向いて、他の生徒たちと一緒にレッスンを受ける。
ヘザーは近衛騎士時代にコンスタンス王女の練習相手──ヘザーは男性パートである──を務めたりもしていたから、ダンスの要領は分かる。先生にも運動神経の良さを褒められはしたが、動きや身のこなしが大雑把すぎるらしい。
お上品な動きを心がけるのは難しいが、身体を動かせるダンスのレッスン自体はヘザーは気に入っている。
「フンフーン、フーン」
先日教わった曲を口ずさみながら、おさらいがてらその場でステップを踏んでみる。
「フフーン……」
この曲、初めて習った時にも思ったけれど、出だしのところがヘザーの敬愛する楽団(バンド)、スカル・スカベンジャーズの「カナルヴィル・ウォリアーズ」にそっくりであった。
これはスカル・スカベンジャーズがカナルヴィル闘技場のために作った曲であり、王都での演奏会(ライブ)ではまだ演奏されていない。
「フン! フフフフーン!」
ダンスの練習曲を口ずさんでいた筈だったが、いつの間にかそれは「カナルヴィル・ウォリアーズ」のメロディにとって代わり、ヘザーは長椅子に片足を乗せて激しく首を振り出していた。
「フン、フフーン、ワイルド・トゥ・ザ・ボォオオオーン! イェア、イェア!」
ノリノリで首と腕を振り回していると、ガチャリと扉が開いた。
まずい、夫人が帰ってきた……! 今の状況をどう説明しようかと考えつつ振り返れば、そこに立っていたのはウィルクス夫人ではなくてヒューイであった。
「う、うわあ!」
慌てて椅子から足を下ろして靴を履き直す。
その間もヒューイは立ち尽くしていた。
「い、いきなり開けないでよう」
「ノックは三度した。が、返事はなかった」
それもそうだろう。ヘザーはシャウトしながら首を振っていたのだから、誰かの来訪に気づくわけもない。
ヒューイは険しい表情で、何かを考えているように見える。
ヘザーと婚約したことを後悔していたりして。ひょっとして結婚を考え直してもいるのだろうか……。いや、ファーストコンタクト時に彼の目の前でやってしまった行為に比べたらなんてことはない気もするが。でも。
「あ、あの……」
ちょっと不安になってきて躊躇いがちに口を開くと、彼も同時に言葉を発した。
「ヘザー。今の曲だが……」
「えっ? 曲? スカル・スカベンジャーズのだけど」
そこに反応されるとは思っていなかったので驚いた。この曲は王都のライブでは演奏されていない。つまりヒューイが耳にしたこともない筈だ。
しかしヒューイは難しい顔を保ったままヘザーを見つめている。
「君はその曲を……王城の敷地内で歌ったことがあるか?」
「え?」
兵舎の自室でならばしょっちゅう歌っていた気もする。
ヒューイは腕を持ち上げたかと思うと、人差し指をびしっとヘザーに突き付けた。
「さらに言えば、多目的棟の二階でだ!」
「え? えーと……」
多目的棟。王城と兵舎の間にあり、騎士たちが使う建物である。勉強やちょっとした打ち合わせに使われるのはもちろんだが、空いている部屋でサボる人間も多い。
ヘザーのかつての主、コンスタンス王女もその一人であった。
***
ヘザーはコンスタンス王女の公務に付き添い、城に帰ってきたところだった。
「ああ、足が疲れちゃった。ねえ、ヘザー。ちょっと休みたいわ」
「はい。では、多目的棟に行きましょうか」
この日の公務は終了し、あとは王女を居室まで送り届けるのみであったが、そうなると王女を待ち構えていた侍女たちが彼女の世話を焼こうとして、我先にとわらわら湧いてくる。
コンスタンス王女が一人にしてくれと言えば済む話でもあるが、それでは侍女たちががっかりするかもしれない。人の好い王女は彼女らを突き放すようなことは決してしなかった。
そんな王女に一人だけの自由時間を工面してやるのもヘザーの仕事であった。
騎士たちの使う多目的棟は侍女たちに見つかることなく、こっそりと過ごせるコンスタンス王女の特別な場所。そうなりつつあったのだ。
多目的棟に入ったヘザーは周囲をざっと見て回り、使われていない部屋の前に見張りとして他の近衛騎士を立たせると、中へ王女を案内する。
「ああ、ここに来るとホッとするわ」
王女は部屋にあった椅子にどさりと腰かけ、ため息を吐く。
「飲み物を持ってきましょうか」
「いえ。喉は渇いていないわ。それより、この前の話の続きだけれどね……」
「ああ、それ、気になってたんです!」
王女はヘザーとお喋りしたい気分らしい。そしてヘザーも王女の話を聞きたい気分であった。
それも、王都では剣術大会が開かれたばかりだったのだ。
こういった催し物が大好きであるコンスタンス王女はもちろん観戦していたし、ヘザーも彼女についていた。侍女たちもそうだ。
舞台が良く見える場所を早くから陣取り、もうすぐトーナメントが始まる……とワクワクしていたのだが、ヘザーは殆どの試合を見損ねてしまったのだ。
侍女たちが暑いだの喉が渇いただのぼやきだしたのだ。ヘザーは彼女らの対応に追われた。陽射しが強いせいで気分が悪くなったと訴える者までいて、彼女を居室まで送り届け医師を呼び……などとやっているうちに時間はどんどん過ぎ、ヘザーが会場に戻ってきた時には、多くの試合が終わってしまった後だった。
決勝戦を観ることが出来ただけでも幸いだったのだが……だが、この日一番会場が沸いたのは、トーナメントの一回戦、両者失格となった試合だというではないか!
「ここのお城の騎士と、どこかの地方から出て来た騎士の勝負だったんだけどね」
なんとその地方騎士は、会場のどこかにいる恋人に向かって、試合開始前に求婚したのだそうだ。それで一気に観客が沸いた。
「そもそも、なんで失格になっちゃったんですか?」
「途中までは王宮騎士の方が断然押してたのだけれどねえ、地方騎士の剣が折れちゃったの」
公開プロポーズした手前、負けるわけには行かないと、地方騎士はなおも折れた剣で戦おうとした。すると、王宮騎士の方が武器を捨てて素手で殴り掛かったらしい。地方騎士も応戦し、またまた観客が沸いた。
しかし定められている武器でないものを使ったため、二人とも失格となった。
「本当に、すごく盛り上がったのよ。もう一度見たいくらい!」
「ええ~、私も見たかったなあ~! いいなあ~!」
侍女たちへの対応は他の近衛騎士に任せることも出来たが、この第三王女の近衛隊に所属する騎士は殆どが女で、しかも結婚までの腰かけとして職務についている者が多い。つまりやる気があまりない。時折しっかりした娘が入っては来るが、やはり結婚が決まったと言ってはすぐに辞めていく。顔ぶれが定着せず、結局長く勤めているヘザーがきびきびと動くことが多くなってしまうのだった。
仮にも自分は近衛隊長であるのにそれもどうなのよ、と思わぬわけでもないが平民出身の自分がどこまで偉そうにしていいのやら……などと悩んでいる時間があったら動いてしまう方が早い。
でもヘザーが会場にいない間に、そんなに面白そうな試合が行われていたなんて。
この時ばかりは他の人に頼んで、自分は王女と一緒に観戦していればよかったと後悔した。
大舞台で武器を捨てて、拳でのケンカを始めるなんて、いったいどんな騎士なのだろう。この王宮の騎士らしいとは言うが……きっと豪放磊落な人なんだろうなあ~。
ヘザーは見知らぬ騎士──王城内ですれ違ったことくらいならばあるかもしれないが──に思いを馳せてみる。
「ヘザー。あなたのお話も聞かせて頂戴な。この前帰省してきたでしょう? スカル・スカベンジャーズの演奏は聴いてきたの?」
王女の言葉にヘザーは顔を上げた。
何を隠そう、コンスタンス王女もスカル・スカベンジャーズのファンなのである。もっとも王女が彼らの演奏を聴いたのはただ一度だけ。
コンスタンス王女はカナルヴィルの闘技場を視察で訪れたことがある。その際、戦士たちの試合を盛り上げるためにスカル・スカベンジャーズが演奏を行っていた。
そして彼らの演奏の後に試合を控えていたのがヘザー。王女はヘザーの戦いぶりを気に入ったようで、是非自分の近衛として王城にいらっしゃいとスカウトしてくれた。
コンスタンス王女とカナルヴィル闘技場、スカル・スカベンジャーズとヘザーは奇妙な縁で結ばれているのだ。
ヘザーは帰省すると闘技場へ足を運ぶ。スカル・スカベンジャーズの演奏を聴き、それから仕事を終えた父親と一緒に家に帰る。それが習慣となっていたのだが。
「それが……」
ここ最近、スカル・スカベンジャーズは有名になって来て、彼らはカナルヴィルの外でもライブを行うようになった。
「最近はあんまり闘技場での演奏はしないみたいなんです。この前はルルザで公演したんですって」
無名の頃から彼らを応援してきたヘザーにとっては、嬉しくもあり寂しくもある。
「まあ。では、そのうち王都での公演もあるかもしれないわね」
王女の言葉にヘザーはハッと顔を上げた。この王都で彼らの演奏を聴けるとは考えもしなかったのだ。
「そ、それもそうですよね!」
「私も彼らの演奏を聴きたいわ。王都でのライブが実現するように、一緒に応援しましょう!」
「……そうですよね!」
二人は互いの手を取って励まし合う。それから王女が立ち上がった。
「ねえヘザー! 歌いましょうよ!」
「もちろんですとも! 歌いましょう!」
王女が言っているのは、彼女の一番お気に入りの曲、カナルヴィル・ウォリアーズだ。王女はヘザーと二人でリラックスして過ごす時──侍女たちが煙たがるので彼女らの前では決してやらないが──これを歌いたがる。
ヘザーも立ち上がり、片足を椅子に掛けてリュートを持つ真似をした。気分を盛り上げるためのエア・リュートである。
ヘザーは一度咳ばらいをし、それから大きく息を吸い込んだ。
「では、『カナルヴィル・ウォリアーズ』、いきまーす!」
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