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番外編
Radical Romance 3
しおりを挟む「バークレイ君」
「はい」
教官長の呼びかけに、ヒューイは背筋を伸ばした。
「君の教え子だった、ノール・ステイプルトンが表彰されたそうだ」
「ステイプルトン……確か、ルルザへ派遣された……」
「そうそう。ルルザ駐留軍が密輸グループと戦闘になって、彼はかなりの活躍をしたらしい」
ノール・ステイプルトンはヒューイが去年指導していた騎士である。研修後は国王直轄の都市ルルザへ派遣された。
「君の教え子が表彰されるのはこれで何人目だったか……君は、若いのに素晴らしいなあ」
「勿体ないお言葉です」
教官長は、文字通り全ての教官を取りまとめる長である。もともと、新人騎士を教育する役目は年輩の騎士の仕事であった。騎士としても人間としても経験豊かなものが、引退する前に若者を指導する、以前はそうだったのだ。
そしてほんの数年前、新しく教官長になったものがある提案をした。若い騎士にも指導させてみてはどうかと。その提案をしたのが現在の教官長であり、抜擢されたのがヒューイとベネディクトであった。
初めは驚いたが、目下の者を導く役目は自分に向いているかもしれない、教官を続けるうちにヒューイはそう気づいたのだった。
それから、オーウェン・ブリットにかけられた疑いの事を思い起こした。
ヘザーとの関係が露呈するのは、今は避けたい。だが絶対に伏せておけるとも限らない。だったらここで教官長に告げてしまうべきだろうか。ヘザー・キャシディとは結婚を視野に入れた交際をしていると。予め申し出ておくのと、「ばれてから認める」のでは印象が全然違う。
……教官長に告げるとなると、ヘザーの退職時期や、挙式の日まで決まっていることが前提でなくてはおかしい。以前、勝手に決めようとしてケンカになったことを思うと……。
ヒューイが考えを巡らせていると、
「ステイプルトン君の表彰式は大々的に行う予定だったそうなんだがね、同時に、残念な事件も明るみに出たらしいんだ」
「残念な事件、ですか」
「うむ。ステイプルトン君の上官が密輸グループから賄賂を受け取って、これまで犯行を見逃していたと言うんだよ」
「それはまた……」
上官はもちろん処分、可哀想なことにステイプルトンはひっそりと勲章を受け取ることになったようだ。
「部下が優秀でも、上官がこんなことではねえ……本当に、残念だ」
「仰る通りです」
だめだ。どちらにしろこのタイミング──上官の不祥事の話の後──で申し出るのは拙い。
*
物置小屋のポーチに腰かけ、ヘザーは鎧を磨いていた。これは研修生たちが稽古で使うものだが、造りがしっかりしていて実戦でも問題なく使用できるという。自分で使うものは自分で手入れする決まりになっているので、ヘザーが手にしているのは予備のもの。いつでも使える状態にしておかなくてはいけない。
教官によっては、どうせすぐダメにするものだからと安物を使っているところもある。だが、腕が未熟だからこそ自分を守る鎧は確かなものでなくてはならない……これはヒューイの方針であった。そのお陰で、ヒューイの受け持つ研修生の中で、大きな怪我をした者はいないらしい。もう少し様子を見つつ、他の教官たちのグループと怪我人の数の差が顕著になってきたら、会議で稽古用鎧の統一化を提案してみると言っていた。
ヒューイ・バークレイは──ヘザーが個人的に惚れていることを抜きにしても──本当にすごい人だと思う。
彼は常にどうしたら状況が良くなるかを考えていて、ちゃんと実行する。態度や言葉に棘があるから煙たがられることも多いが、それに関しては取り繕うことをしない。
そういえば、男は決断力と実行力だ……というのが、ヘザーの父ヴァルデスの持論であった。その父も、ヒューイのことは認めている。
ヘザーはヒューイと出会うまで、異性と恋に落ちることもなく過ごしてきたわけだが、モテそうになったことは何度かあった。
闘技場で剣士をやっていた頃、ファンだと名乗る男から花を貰ったことがあるのだ。しかし、その数少ない男たちは、ヘザーとヴァルデスが父娘だと知った途端、尻尾を巻いて逃げ出した。
ちなみに、父が彼らを威嚇したわけではない。男たちは父の存在を知っただけで怖気づいたのだ。だからこそ父は「俺と対峙する度胸もない奴はだめだ。早めに分かって良かったな」と言い切った。
そしてヒューイは、ヘザーの父を見ても怯まなかった。いや、多少は怯んだかもしれないが、言うべきことはきちんと発言した。あれはまだ恋人同士になる前だったが、父に会うためとはいえ、無断で行動したヘザーを叱責したのだ。
あの時のことを改めて考えると、ヒューイがかっこよすぎてムラムラしてくる……じゃなくて、ドキドキしてくる。
そこで手が止まっていたことに気づき、慌てて作業に戻った。今の自分にできる事と言ったら、この鎧を少しでも良い状態に保っておくために丁寧に磨くぐらいだ。
磨き終わった鎧を傾け、継ぎ目のところが痛んだりしていないかをチェックしていると、ふと視界が翳った。
オーウェン・ブリットが含み笑いをしながらヘザーを見下ろしていた。
「どうしたの?」
なんか嫌だなあと思いつつも、鎧を置いて立ち上がる。
「キャシディ副教官って、やっぱりバークレイ教官と付き合ってますよね」
「え……ま、またその話?」
「俺、もう一回考えたんですよねえ……」
彼は気怠そうに顎を擦りながら宙を見つめた。
「あの夜、二人で飲み物共有してたでしょう? 貴女はともかく、バークレイ教官はそういうこと、絶対にしないタイプです」
公演が終わった後の様子も見られていたようだ。見られていることも知らずに、あの時のヘザーは幸せだなあと呑気に考えていた。
「……オーウェン。貴方が思っているような事ではないわ」
「じゃあ、どういう事なんですか?」
うわー。やだなー。今はヒューイがいないから、自力で乗り切るしかない。鎧をしまって立ち去ろうかとも思ったが、それではますます怪しいかもしれない。
「勘繰りすぎよ。そういう妄想ばっかりしてると、稽古中に怪我をするかもしれないわよ」
すると、手首を掴まれて引き寄せられた。
「な、ちょっと……!」
オーウェンはヘザーの首のあたりに顔を寄せ……掴んだ時と同じように、いきなり手を離した。そして笑い出す。
「交際してること、なんで隠すんですか? バークレイ教官の立場が悪くなるから?」
その通りだよ……と正直には言えないのでヘザーは首を振る。
「だから、別に交際とかしてないし!」
「じゃあどうして貴方たち二人、同じ香りがするんですか」
「……!」
さっきのあれ、匂い嗅いでたのか。失敗したなあ。そこに目をつけられるとは……。何か言い訳を考えないと。ヒューイがいつも良い匂いをさせているから、どんな石鹸や香水を使っているのか訊ねて、ヘザーも同じものを買いに行った……とかどうだ。いやでもあのお店は自分の給料で気軽に買物できるようなところではない。そこを突っ込まれたらまずいな……。
「もういい、いいです。分かりましたよ、副教官の態度分かり易過ぎますよ」
「……。」
なんだか色々悟られてしまっている。これ以上の否定は墓穴を掘るだけのような気もしてきた。というか、この男の目的は何だ。そんなことを知ってどうすると言うのだ。
「隠したがるってことは、ばれたら拙いんでしょう? 二人の関係。黙っててあげてもいいですけど……」
「何? お金? お金を強請ろうっていうの? 言っとくけど、そんなに持ってないわよ」
「知ってますよ。けど、バークレイ教官は手強そうだから、貴女と話そうって思ったんです」
つまり、ヘザーの方がバカだから話をつけやすいと踏んだらしい。というか、オーウェンの目的は本当に金品なのだろうか。
「別に……お金じゃなくてもいいですけど」
オーウェンがヘザーの身体を眺めまわしたので、飛び退いた。どこまで本気なのだろうこの男は。
「バークレイ教官が貴女とできてるなんて、信じない奴も多いだろうなあ。けど、そんな話が出た時点で、貴女たちの言動に注意を払う奴も増えるでしょうね」
オーウェンの言う通りだ。多分最初は誰も信じない……が、以降は二人に注目する者も出てくるだろう。そして、ボロを出すとしたら自分の方だ。ヒューイは好奇の視線に晒されて……次期教官長のポストはどうなるのだろう。
「い、いくら欲しいのよ」
「うーん……最初は、金貨二枚でいいですよ」
「さ、最初ですって?」
「ええ。取り敢えずは」
ということは、今後も強請るつもりだ。しかも何だその上から目線は。
「ちょっと怖い人にお金借りちゃってて……それだけあれば、暫くは凌げそうなんで」
なんか、こういう人知ってる。よ~く知ってる。ヘザーは思った。常に借金があって、常に誰かに集ってる人。一度それで何とかなってしまったから、さらに続ける人。自分の母親である。
ヘザーとて大してお金を持っているわけではないのに、どうしてこう金の無心をしてくる輩が多いのだろう。そういう星の下に生まれてしまったのだろうか……。
ここで言いなりになったら、ヘザーが素寒貧になるまでオーウェンは強請り続けるのだろう。どうする。ヒューイに相談する? それだと、結局お金を払うか二人の関係をばらされるかしかないんじゃないの?
本当に。結婚を急ごうとしたヒューイは正しかったのだ。そして彼はヘザーの我儘を聞いてくれた。
避妊薬──使う機会がさっぱり訪れないのだが──の事だってそうだ。おそらくヒューイは結婚まで我慢することが出来る人だ。ヘザーがイチャイチャしたいと言うから、彼は避妊薬を用意したのだ。
ヒューイが自分のためにどれだけ譲歩してくれているかを考えると、涙が出そうになった。
ここでヘザーが「強請られてる」なんて泣きついたら、ヒューイの胃に穴が開いてしまうのではないか。
ヘザーは深呼吸してからオーウェンに向き直った。
「借金って、賭け事か何か?」
「ええ。カードとサイコロで、ちょっと……」
「ふーん。賭け事、好きなんだ」
「はい。キャシディ副教官もですか?」
「まあね。じゃ、私と勝負しない? 負けた人が勝った方の言うことを聞くのよ」
──大衆酒場『七色のしずく』──
オーウェンは、脱いだ上着を椅子の背にかけた。
「勝負の前に確認しておきたいんですけど」
「ええ。何?」
「キャシディ副教官って、相当飲める方なんですってね。俺、ここに来る前にちゃんと情報収集したんですよ」
ばれていたか……。まあ、女の方から飲み比べに誘うなど、かなりの自信がないとできない事だ。
「いいわよ。私の方がハンディキャップを負うわ」
「へえ。言っとくけど、中途半端なのはお断りしますよ」
「最初に選んだ種類のお酒を飲み続けるの……そして純粋に何杯飲んだかで勝負を決めるのよ。私は……このブランデーを飲み続けるわ」
ヘザーはメニューにある酒を指で示した。
「いいんですか? これ……かなり強い酒ですよ。俺はビールにしますよ。この、マドルカス産のやつ。ブランデーに比べたら水みたいなものですけど」
「ええ。ただし、席を立った時点で負けよ。酔い潰れるのも吐くのも寝るのももちろんダメ」
「いいっすよ。それでやりましょう。そうだ。酔い潰れたから記憶にない~ってのも、ナシですよね」
「ええ」
「それから、俺が勝ったら……」
オーウェンは金貨二枚ではなく、十枚払ってもらうと言った。少しずつ強請っていたら、ヘザーが退職する形で逃げるかもしれないと危ぶんだようだ。一度に搾り取れるだけ取ってしまおうと。その前に、そんなに持っていないのだが……持っている物を売り払って退職金を合わせたとしても、それでも足りないような気がするのだが……まあ、負けなければよい話だ。
「分かった。払うわよ。でも私が勝ったら、口を噤んでいてもらうわ」
「いつまでですか? 二人が結婚するまで? ……そう言えば、結婚の約束ってしてるんですか。バークレイ教官って、恋愛結婚するようなタイプにはあんまり見えないんですけど……」
「そこまで話すつもりはないわ。とにかく、私たちが結婚しようがしまいが貴方は一生黙ってて!」
「うわ、怖いなあ。興奮すると早く酔っ払っちゃうかもしれませんよ。俺はその方が都合良いですけどね」
「……。」
こうして約束を取り付けたとしても、この手の人間の言葉は信用できない。母親が良い例だ。だから、逆にこっちが脅迫できるような、恥ずかしい現場を押さえてやらなくては。
ヘザーはカウンターの中にいる店主に向かって手をあげ、酒を注文した。
*
帰宅する前に、ヒューイは兵舎の自室へ立ち寄った。軽く掃除をするためだ。
あれ以来──オーウェンに疑われて以来──ヘザーと個人的に会ってはいない。外で会うのは止めようと言っただけだが、兵舎の中でだって見られる可能性は充分にある。むしろ互いの部屋に出入りしているのを見られる方が拙いのだ。それでどちらからともなく、自粛モードになっている。もう十日近くになるだろうか。
ヒューイは部屋に入ると、まずは机の抽斗の鍵を開けた。ここには避妊薬が入っている。わざわざ取り寄せたのに、まったく使う機会が無い訳だが。
「おーい、ヒューイ。いるんだろ?」
その時、やや乱暴なノックとベネディクトの声が聞こえて、ヒューイは慌てて避妊薬を抽斗の中に戻した。
「どうした。何か用か?」
「いやあ。どうもこうもさあ」
ベネディクトは勝手に入って来て、勝手に椅子に腰かけた。庭を通った時にヒューイの部屋の明かりが灯っていたので、話をしにやって来たらしい。そして彼が受け持っている研修生の愚痴を零しだした。なんでも、複雑な家庭で育った研修生がいるらしい。
「腹違いの兄弟がいっぱいいて、そいつらと上手くいってないんだってさ……そう言われてもなあ……どこまで立ち入っていいのやら」
「ふむ。彼が君に何を求めいているか、それは分かるのか」
ただ自分の身の上話を聞いて欲しいだけなのか。解決を求めているのか。
「うーん……」
ベネディクトは頭の後ろで手を組んで身体を揺らしていたが、ある場所でふと視線を留めた。
「あれ? お前、なんで酒なんか置いてんの?」
「……。」
それはヘザーのために用意した酒だった。自分を待つ間、寒かったら飲むようにと。
「お前って、あんまり飲まない方だよな? なんで……って、あれ? なんか物が増えてないか?」
ヘザーとの関係が始まってから、この部屋を使う機会も増えた。薪や、予備のリネンを置いてある。
「……以前が、少な過ぎただけだ」
「まあそうなんだけどさ。けど……」
「今期は受け持つ研修生が多い。こちらに泊まることも増えるかもしれないと想定したんだ」
「ふうん……あ。お前の研修生って言えばさ。問題児いるだろー?」
脳裏にふとオーウェン・ブリットの顔が過ったが、指導者として決めつける訳にはいかない。
「問題児? 誰のことだ」
「他の奴らよりちょっと年上のがいるだろ? なんとかブリット……」
「……オーウェン・ブリットか」
「そうそう! そういう名前だった! なんで留年したか知ってるか?」
「大病を患ったんだろう」
「それ、表向きの理由な」
ベネディクトは語り始めた。現在、王立学校の教頭をベネディクトの伯父が務めているらしく、そこから聞いた話のようだ。
オーウェン・ブリットは十七歳の頃、ある貴婦人に手を出した。挙句、自分との関係を亭主にばらすと言って彼女を強請ったらしい。オーウェンには賭博で作った借金があった。
貴婦人からは何度か金品を受け取ったが、やがてその夫に全てが知れる事となった。これ以上は払えない、秘密にも出来ないと、女が夫に打ち明けたのだ。夫は激怒し、決闘騒ぎとなった。
そこでオーウェンの父親も息子の所業を知った。彼は、病気の療養という名目で異国に送られた。
「それで、ほとぼりが冷める頃に呼び戻されて、二年遅れたって話だぜ」
「……そういう事だったのか。大きな病気をしたようには見えないから、おかしいとは思っていた」
「でも賭博好きは治ってなくて、卒業前にもまた借金を作ったんだってさ」
学校の卒業を控えていたこともあって、その借金は親が払ったらしい。ベネディクトは、オーウェンは今も賭場通いしているのではないかと言った。研修生が問題を起こしたら、ヒューイも責任を問われる場合がある。だから気を付けろよ、と。
オーウェンに今も借金があったとしたら……ヒューイとヘザーのことを知りたがっていたのも、弱みを握る為という事だろうか。
オーウェンの真意を確かめるために、ヒューイは研修生たちの部屋があるエリアへ足を運んだ。
研修後に地方へ割り振られる場合も多いので、彼らの部屋は暫定的なものだ。基本的に三、四人で共同生活を送っている。
オーウェンはいなかったが、彼のルームメイトは行先を知っていた。
「酒場に行くって言ってましたよ」
「酒場だと……?」
研修中にふらふらと夜遊びするとは、良い度胸である。
「なんだっけ……『なんとかのしずく』ってお店でした」
「……『七色のしずく』か」
「ああ、それです!」
「……。」
ヒューイが、ヘザーと初めて口をきいた酒場である。妙な縁のある場所だ。
ヒューイが酒場の中へ入ると、
「トイレにっ! トイレに行かせてください!」
オーウェンの悲痛な叫びが聞こえた。
「だったらここに一筆したためなさいよ! 負けました、絶対に喋りません、って」
しかも何故か、ヘザーの声が続いた。これは予想外だった。驚いたヒューイは二人の声がする方へ急ぐ。
「なんか、ずるくないですかあ……? 俺にはビールばっかり飲ませて……」
「何がずるいのよ。ビールは自分で選んだんでしょ。それに席を立った時点で負けって、私、最初に言ったわよね! ほら、トイレに行きたいなら書いて!」
「けど、書いちゃったら……借金が払えないし……」
「負けるのが嫌だったらここで漏らしなさいよ。漏らしながら勝負を続ければいいじゃない。でも私、貴方がおしっこ漏らしたって、みんなに言いふらしてやるからね!」
「えっ……そ、それもちょっと……」
いったい、どういう会話なんだ……。二人ともそれなりに切羽詰まった口調だが、会話の中身は恐ろしいくらいに次元が低い。
壁際の奥の席を覗き込むと、二人は向かい合って席についており、オーウェンは──我慢の限界が近いらしい──身体を捩ってもじもじしている。テーブルの上にはジョッキとグラスが五つずつ、ぞんざいに置かれていた。さらにヘザーはオーウェンの目の前に紙を突き出し、何かを書けと迫っている。
「二人とも、何をしている!」
ヒューイの大声に、二人ともぱっと振り向いた。
ヘザーは一瞬「ヤバい」と言いたそうな顔になったが、オーウェンが席を立つ。
「やっぱりもう無理です! トイレ……!」
「あっ、ちょっと! 先に誓いを立てなさいよ!」
「後で! 後で書きますから! まずはトイレに行かせてください……!」
オーウェンはヒューイの脇をすり抜けて、妙な歩き方をしながら手洗い場の方へ消えた。
ヒューイはテーブルの上の物と、ヘザーの顔、オーウェンの消えた方角をそれぞれ見比べる。ヘザーは気まずそうに縮こまった。この様子と先ほどの会話を重ねて考え、ようやく合点がいった。
やはりオーウェンは二人のことを疑っていて……どこかで確信に変えた。そして、彼は先にヘザーの方を脅迫したのではないか。ばらされたくなかったら金を払えと。
金を無心されたヘザーは勝負を持ち掛け、逆に脅迫し返した……というところだろう。
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