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番外編

Radical Romance 2

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「見て、ベネディクト様だわ!」
 城のメイドが渡り廊下の窓から身を乗り出した。
 ヘザーがちらりとそちらを見ると、ベネディクトが研修生たちを引き連れて稽古場に向かうところだった。
「あんた、ほんとにベネディクト様が好きねえ」
「だって、カッコいいじゃない!」
 茶色の巻き毛を高い位置で結ったメイドは、小さく飛び跳ねながら興奮気味に同僚に訴えている。
「教官たちの中では一番のイケメンでしょ! あたしたちメイドにも優しいし、若いし、非の打ち所がないじゃな~い!」
 彼女の言葉を聞きながらヘザーも考えた。
 確かにベネディクト・ラスキンはかなりのいい男であった。ヘザーの好みからするとちょっと顔が濃すぎるが、気さくで話しやすい。女性から人気があるのも頷ける。
「確かにベネディクト様は素敵だけど……」
 そこで黒髪のメイドが首を傾げた。
「あたしは断然ヒューイ様だなあ」
「ええっ」
 ……ナヌ? 巻き毛のメイドが仰け反ると同時に、ヘザーも思わず固まった。
 ヘザーは廊下のコルクボードに、新人騎士たちに向けた情報──今週のスローガン、前回研修を終えた騎士たちが今どこでどんな風に職務についているか、などなど──を貼り付けているところだったが、手も止まってしまう。
「あの人、いつも怒ってない? なんか怖そう~」
「まあ、そうなんだけどさ。顔は整ってるし……」
 今のヘザーから見たヒューイは世界で一番素敵に見えるが、これは好きになってしまったせいもあるのだろう。思えば一番初めの印象は最悪だった。カッコいいとか整ってるとか思う暇もなく、最悪であった。それもお互い様なのだろうけど。
「あの人と結婚したら小言とか嫌味ばっかり言われそう~。絶対気が休まらないわよ~」
「う、うん……。まあ、そんな感じはあるんだけどさ……」
 そう。そうなんだよ。確かに小言が多い。彼の口からは文句しか出て来ないのかと初めの頃は思っていた。というか、黒髪のメイドはそこまで承知していて何故ヒューイ派なのだろう。不思議に思っていると、巻き毛のメイドがため息をついて首を振った。
「ま、あたしたちみたいなのが上流階級の男と結婚なんてできる訳もないけどさ」
「そこよ! そこなの! ベネディクト様は嫡男じゃないにしても伯爵家の息子でしょう? どうひっくり返ってもメイドなんか選ばないわ。でもヒューイ様は、家柄はいいけど貴族って訳じゃないでしょ? 玉の輿を狙う庶民のギリギリ射程内なのよ!」
 あー、そういう切り口かあ。なるほど。ヘザーは鋲を弄びながら納得した。もっとも、メイドたちにも身分制度のようなものがあって、騎士たちがしょっちゅう行き来するこの廊下をうろつけるのならば、彼女たちも出身は中流以上の家柄の筈だ。本人の容姿や親の評判が良ければ、上流階級との縁組も無くはない、と思う。
「ええ? でもヒューイ様って野心ギラギラだって聞くわよ。貴族の娘と結婚して、もっと上に行きたいんだとか。あたしたちじゃ無理よお」
「……そうなの? ああー……でも、そんな感じもするなあ」
「次期教官長のポスト狙ってるんでしょう?」
「あ、それ聞いたことあるかも」
 それは初耳である。教官長とは、全ての教官を取りまとめる役目を担っている。ヒューイが次期教官長……となるには、年齢が若すぎる気もするが。だが彼は騎士教育の質の向上に尽力したとして、何度か表彰されていると聞いた。実績があるのだから、あり得ない話ではないのかも。
「だから醜聞とかにすっごい気を付けてるんだって」
「ああー……ガード固そうだもんね……」
 うん、そうそう。そう言えば、いいとこのお嬢さんと結婚したいって話だった。ヘザーもメイドの話に心の中で同意する。……それがなぜかヘザーと結婚の約束をしている訳だが。ちなみに彼のガードが固いというところにも同意だ。
「これまでも、女性の噂とか全然ないらしいじゃない。それに、あたし思うんだけどお、」
「うん、なに?」
 巻き毛のメイドの声が小さくなったので、ヘザーは耳を澄ます。
「……ヒューイ様って、ゲイだったりして」
 続いた彼女の言葉に、ヘザーは噴き出しそうになった。
「あ。ああー……」
 そして何かに納得したような黒髪のメイドの反応に、またまた笑いそうになって肩をプルプル震わせる。
「女っ気ないし、すっごい綺麗好きだっていうし、神経質そうだし、なんだかそんな気がしてならないのよねえ」
「ああー……なんか分かるかも。ヒューイ様とすれ違うと、清潔ないい匂いしちゃってるし」
「貴族の娘っていうのも、たぶん偽装結婚とかが狙いでさあ……」
 もうだめだ。笑いが堪えられない。
 止せばいいのに、しかもヒューイったら避妊薬の管理してるんだぜ……あのヒューイ・バークレイが! 避妊薬の管理! などと思い起こして遊んでしまい、本格的に噴き出した後、咳をしてごまかした。

「大丈夫ですか?」
「えっ」
 背後から声をかけられて振り向くと、すぐ近くにオーウェン・ブリットの顔があった。
「あ、いや……咳き込んでたみたいだから。具合でも悪いのかと」
「え、ええ。ちょっと咽ただけ。大丈夫、大丈夫」
 というか、振り返った時顔が近すぎてびっくりした。彼とは身長が同じくらいだから、唇の位置もだいたい同じくらいなわけで……危なかった。
「もうちょっとでキスしちゃうところでしたね。あはは」
「……!」
 オーウェンが敢えて突っ込んできたので、鋲の入った箱を取り落としそうになった。
「今の、惜しかったですよね」
「や、やだなー。何言ってるの……あ、あはは……」
 オーウェンは綺麗な顔をした青年であった。おそらく女慣れもしている。しかも生意気にもヘザーの反応を見て楽しんでいる……というところまでは分かるのだが、非モテ街道を突っ走ってきたヘザーには、こういう男への対処の仕方が分からない。
「キャシディ副教官って、俺たち研修生にけっこう人気なんですよ。今度、飲みに行きませんか?」
「あー……研修期間中の個人的な付き合いは禁止だから。残念だけど」
「え? ラスキン教官は研修生たちと飲んでるみたいですけど」
 ベネディクトは研修生たちを連れて城下町へ繰り出す機会が多いと聞く。気前よく奢ってあげて、仲良くなろうという方針だ。しかしヒューイはそういう事はしない。少なくとも教官と研修生という間柄の時は。どうしても飲食を挟まなくてはいけない時は、兵舎の食堂を使う。
「そういうのは、教官によってやり方が違うのよ。私はバークレイ教官の助手だから」
 そう告げた後で、この説明だと「自分は行きたいんだけどヒューイのせいで行けない」みたいに聞こえないだろうかと気づいた。「じゃあ研修期間が終わったら……」なんて誘いをかけられたら、どう断ったらよいのだ……。
「じゃ、昼メシはどうです? ここの食堂なら大丈夫なんですよね」
「……ハッ!」
 オーウェンの言った「昼メシ」でヘザーは思い出した。
「え? え、ど、どうしたんですか……」
「ねえ、今何時かわかる?」
 二人とも時計など持っていなかった。今の位置からだと、司令部の中にある時計と、一階ホールの大時計とどちらを見に行くのが早いだろう。すると、オーウェンが窓から身を乗り出して、王城の敷地内にある時計台を確認してくれた。
「あと十分くらいで十一時ですね」
「わかった! ありがと! じゃ!」
「えっ。あ、ちょ……」
 オーウェンが何かを言いかけていたが、それどころではない。今日は昼休憩を一時間ほど早く、かつ多めに取らせてほしいと、ヒューイには申し出てある。
 ヘザーは城下町へと向かわなくてはいけない。大切な用事があるのだ。


*


 先ほどからグゴゴゴ……と地を這うような音がしている。
 何の音なのか見当はついている。ヘザーの腹が鳴っているのだ。
 ヒューイはこれから行うテストの問題の見直しをしているところだった。これまで行った授業をよく聞いてノートを取っていたとしても、ポイントをうまく掴んでいないと点数は伸びないように問題を作ってある。要領の良さのチェックみたいなものだ。
 再び、ゴゴゴ……と聞こえた。
 ヘザーは素知らぬ顔で手元の紙とにらめっこしている──研修生たちの掃除当番を割り振っているのだ──が、音の出どころは彼女以外にない。
 ヒューイは懐中時計を確認した。十四時十五分。
 ヘザーは昨日からヒューイに頼み込んでいた。今日は一時間早く、できれば多めに昼休憩を取りたいと。切羽詰まった様子だったし、今日は朝稽古と午後のテスト時に監督を頼む以外の大きな仕事はなかったので許可した。
 今日の彼女は十一時から昼休憩に入っている。……十一時に昼食を取ったとしても、こんな時間に腹が減るものだろうか。ひょっとして食べていないのか? だが何故。
 グギョ! といっそう大きな音がして、ヒューイは問題用紙を置き、ヘザーの方を見た。
「ヘザー君。食堂へ行って、何か腹に入れて来たまえ」
「えっ」
「腹が減っているんだろう? 食堂に行って来たまえ」
「い、いいの……?」
「さっきから煩くて仕方がない! 僕が気になるんだ! いいから行って来たまえ!」
「あ、ありがとう。じゃ、行ってきます」
 やはり腹が減っているらしい。ヘザーは急いで立ち上がった。
「十五時から研修生のテストだ。その十分前までには戻ってくるように」
「はい!」
 ヘザーの背中を見送りながら、本当にどうしようもない女だ……と片付けようとしたが、休憩時に彼女が何をしていたのか気になって仕方がない。

 というわけで、仕事が終わった後でヘザーに訊ねた。
「あのね、カナルヴィル出身の『スカル・スカベンジャーズ』っていうバンドが王都でライブをやるんだけど」
「……。」
 昼休憩時の行動を訪ねたかっただけなのだが。ヘザーの口から耳慣れない単語が飛び出して、ヒューイは一瞬口を噤んだ。
「……バンド、とは、ブラスバンドか何かなのか?」
「えーと、吹奏楽器には限らないんだけど……リュートとか、ティンパニとかもいてね、カナルヴィルではすっごく人気があるバンドなの。それが、今度は王都でもライブをやるんですって!」
「ライブ……? 目の前で演奏する以外に何があるというんだ」
「もう! 『スカル・スカベンジャーズ』の演奏会は、ライブって言い表す事になってるの!」
 ヘザーは興奮気味に話す。
 要するに、彼女の故郷の楽団が王都に進出してきたのだ。そしてヘザーはそのチケットを買うために、昼食を取らずに並んだ。そういう事らしい。
 しかしすごい名前の楽団である。
「ス、スカル……?」
「スカル・スカベンジャーズ! 略してスカスカって呼ぶのよ! カナルヴィルではほんとに有名なんだから」
 そのスカル・スカベンジャーズとやらは、元々はカナルヴィルの闘技場で、試合と試合の合間に余興として演奏をしていたという。次第に人気が出てきて、剣士よりも楽団目当てで闘技場を訪れる者も増えたのだとか。
 そう聞くと、彼らがどんな音楽を奏でるのか興味も湧いてくる。
「……誰と一緒に行くんだ?」
「前にニコラスに話したら、聴いてみたいって言ってたし、誘おうと思ってたんだけど……」
 ヘザーは二枚のチケットを手に、ちょっと寂しそうに俯いた。
「昨日から休暇に入って、実家に戻ってるんだって」
 ニコラス・クインシー、相変わらず間の悪い男だ。
「他に誘う人間がいないのなら、僕が行く」
「ええっ」
「……なんだね、その顔は。チケット代ならば払う」
 ヘザーときたら、ものすごく嫌そうな顔をしたのである。演奏会に一緒に出席するのに、何故そんな表情をしなくてはならない。ヒューイが行くと都合が悪いのだろうか。
「まさか、演奏会とは名ばかりで、妙な集会なのではないだろうな」
 薬とか。変な宗教とか。反社会的な団体の集まりとか。ヒューイが取り締まりの対象となるような事柄を挙げていくと、ヘザーは慌てて否定する。
「違う違う! たぶん、貴方の好みとはかけ離れてるから」
「そんなことは、実際に聴いてみなくては判断できないだろう」
「ええー……じゃあ、貴方はふだん、どういう音楽聴いてるのよ」
「うむ……王立歌劇場の催し物にはよく足を運ぶな。ルグウォーツ国からやってくる合唱団の公演にも毎年行っている。だが一番好きなのは……大聖堂にあるパイプオルガンの音だ。あの音色はとても……身が引き締まる」
 ヒューイが言葉を続ける毎に、ヘザーの表情がまたまた微妙なものになっていく。
「だから、なんだね。その顔は」
「いや、たぶん、ほんとに、貴方には向いてないと思う」
「何故そう言い切れるのだ。聴いてみなくては分からないだろう!」
 自分が負けず嫌いな性質であることは自覚している。ヘザーが、貴方には無理だ無理だと言い続けるので、ヒューイもつい、むきになってしまった。
「じゃ、じゃあ。そんなに言うなら……」
 ヘザーも渋々という形で折れた。なぜ彼女の気がそこまで進まないのか、さっぱり理解できない。正式に婚約した後は、演劇や演奏会などの様々な催し物に二人で出席する機会がたくさんある筈だ。予行練習だと思えばちょうど良いではないか?
「えーと……じゃあ、あんまり飾りとかのついてない、動きやすい服装で来てもらえる?」
「うん? ……分かった」
 妙な方向性のドレスコードだと思った。
 それから、チケットに記載された演奏会の会場が、フェルビア港の第三倉庫なのが気になった。何故そんな場所で楽器を演奏するのだろうと。



「イカれたメンバーを紹介するぜえ!」
 この夜、ヒューイ・バークレイは思いもよらぬ催し物に参加する羽目になったのだった。
 ダラララララ……と、奏者がティンパニ──というかティンパニとシンバルが一体化したような楽器であった──を高速で叩く。バァン!とシンバルが大きく鳴った。
「バグパイプのジョニーィイイイ!!」
「イェエエエエイ! ジョニー!!」
 ヘザーはバグパイプのジョニーがお気に入りらしく、彼が紹介されると飛び跳ねながら声援を送っている。その隣でヒューイは瞬きを繰り返すのみである。
 こんな楽団は見たことも聞いたこともなかった。まずは立ち見なのである。座る場所がない。そして歌い手はストラップでリュートを肩にかけ、演奏もこなしている。衣装もすごい。メンバーが身に着けている鋲を打った革のジャケットは袖の部分が千切れた状態で、彼らの両腕にはびっしりと刺青が彫ってあった。あんな衣装、どこで作っているのだろう。髪型は様々で、女みたいに背中まで伸ばした髪を振り乱して演奏している者もいれば、整髪剤か何かでツンツンに尖らせている者もいる。スキンヘッドの歌い手は、頭皮にまで刺青があった。
 歌詞もなかなかに酷い。「酒場でケンカしてブタ箱行き」とか「崖っぷちを綺麗な姉ちゃん乗せた馬で爆走」とか、大体そんな感じである。とは言え、この騒ぎの中でヒューイにも歌詞が分かるように歌えるのだから、声量は大したものだ。
 演奏が激しくなって、客が前方に集中して固まっていく。
「来るよ! そろそろダイブ来るよ!」
「……は?」
 ヘザーはヒューイを小突き、そのまま前の方へ行ってしまったが、ヒューイには彼女の言葉の意味が分からなかった。
 ひときわ歓声が大きくなったかと思うと、歌い手がステージ──この演奏会のための急ごしらえのものだ──から観客に向かって飛び降りた。
「な……」
 なんだあれは。
 歌い手は、もみくちゃに胴上げされた状態で、観客たちの上を移動していく。無理な体勢だからか、口を動かしているのは見えるがさすがに歌声はここまで聞こえない。
 ヘザーは群衆の端っこで手をあげて待っていたが、歌い手は彼女とは別の方向に運ばれて行ってしまった。残念そうな表情で、ヘザーが戻ってくる。
 ヘザーがダイブとやらのタイミングを知っていたという事は、スカル・スカベンジャーズの演奏会は常にこんな風なのだろうか。訊いてみようかと思っていると、バグパイプ奏者がステージを降りて観客のいる位置までやってくる。もちろん、彼に触れようと人が殺到する。
「キャー! ジョニーィイイ!!」
 ヘザーも例外ではない。あっという間にそちらの方へ行ってしまった。
 メンバーたちのパフォーマンスによって、観客の集中する場所が変わり、ヒューイの周囲にはそれほど人がいない。呆然と突っ立ている者が十数人といったところだ。やはり、ヒューイのようによく知らずに来てしまった人や、付き合いで無理やり連れてこられた人たちなのだろう。
 もう一度ヘザーの方を見る。
「ジョォオオニィイイ!!」
 彼女は荒ぶっていて手が付けられない状態である。
 飾りのついていない動きやすい服装で参加しろと言われた理由が、ようやく分かったヒューイであった。


*


「だ、大丈夫……?」
 スカル・スカベンジャーズのライブが終わった後、ヘザーは遅くまでやっている港の屋台で飲み物を買って、ヒューイに手渡した。
 会場から連れ出した直後は目の焦点が定まっていなかった彼だったが、冷たいお茶でも飲んだら落ち着くのではないだろうか。
 ヒューイはお茶を受け取ったまま、口をつけずに虚ろに宙を見つめている。
 あ、これ。レイプされた人の目だ。レイプされた人って多分こんな目になる。ヘザーは思った。
 ヒューイは観客の殺到する場所に自分からは行かなかったはずだが、それでも服と髪が乱れていた。こんな風にくたびれているヒューイは妙に色っぽくて……このまま押し倒したくなる。ああ、いけない私ったら。こんなこと考えるなんて。ヒューイはレイプされたばかりなのに(されてない)。
「な、なんか……ごめんねえ……ライブの前にもっと詳しく説明すれば良かったんだけど、言っても伝わらない気がして」
 あの場所がヒューイ向きでないことは分かっていた。しかしオペラだのパイプオルガンだの言っている人に、スカル・スカベンジャーズのパフォーマンスはどんな風に説明しても事前には伝わらないような気がしたのだ。
 そこで、ようやくヒューイが気を取り直した。お茶を一口飲んで、大きく息を吐く。
「……いや。一緒に行くと言ったのは僕だ。君が謝ることではない。そうだな……インパクトは、凄かった」
 普段はきつい科白の多いヒューイだが、今は一生懸命言葉を選んでいる。ヘザーが好きなものを否定しないようにしているのだ。多分次回からは誘っても来ないだろうけれど。
「じゃあ、今度は貴方が贔屓にしている楽団の演奏会、付き合うわね」
「いいのか? 君は五分と持たずに眠りに落ちるぞ」
「失礼ね!」
 お上品な演奏会には王女付きの近衛として何度も参加したことがある。当時のヘザーは王女が眠ってしまわないように目を光らせている立場であった。が、あれは仕事だったから出来た訳で。プライベートでの参加となるとちょっと自信がない。
「……十五分位だったら、起きてられるわよ」
「期待はしないでおく」
 ヒューイはお茶を飲み干そうとしたが、ヘザーが何も持っていないことに気づいたようだ。
「君の飲み物は」
「私は買ってないの」
 そもそもヒューイを落ち着かせるために購入したものだ。彼は飲み物をヘザーに差し出した。
「ウィンドール産の茶葉だな。自然の甘味が良かった。君も飲んでみたまえ」
「うん」
 受け取って、自分でも飲んでみる。これを買う時、無難に一番売れていそうなものを選んだだけだったのだが、ヒューイは気に入ったらしい。それをヘザーにも味わえと言う。
 イチャイチャするのもいいけど、こんな風に色んなものを共有しようとしてくれるのがすごく嬉しい。
 ヒューイは騒音の中でもみくちゃにされたりレイプされたりで(だからされてない)散々な夜だっただろうけれど、ヘザーはかなり幸せな気分で帰路についた。

 兵舎に戻って、ヒューイのくれた良い香りの石鹸で身体を洗い、さらに自室では香料入りの蝋燭に火を灯す。なるほど、ヒューイの香りだ。幸福の余韻に浸ったまま毛布に潜り込み、そこで次期教官長のことをまだ訊ねていなかったなと思い出した。



 問題が起こったのは、翌日のことだ。
「午前中の訓練はこれで終了! 午後は十四時三十分から、二階の第五会議室で研修を行う。筆記用具を持参したまえ。以上!」
 稽古場でヒューイが朝の訓練の終了を告げた。当番の者が道具を片付けるところを見守りつつ、午後の研修についての打ち合わせを軽く行う。
「ヘザー君には資料室へ行ってもらうことになる。持って来て欲しい資料は……そうだな、複数あるから、メモしたものを渡す。いったん司令部へ戻ろう」
「ええ、わかったわ」
 午後はこの国で使用されている紋章を学ぶ授業である。新人騎士は王都の門番に回されることも多い。そこで王都に出入りする貴族の紋章を見分ける必要があるのだ。すべての紋章を覚えていないと、仕事に時間がかかる。悪ければ、揉め事となってしまう。大まかにであれば学校でも学ぶが、研修中に行うのは総仕上げである。
 二人の前に、ふらっと人影が現れた。オーウェン・ブリットであった。
「どうした。質問でもあるのか」
「ま、質問といえば質問なんですけど」
 オーウェンは含み笑いをしながら、ヘザーとヒューイを交互に見やる。なんだか、嫌な感じだ。
「スカル・スカベンジャーズ。お好きなんですか? 昨日、ライブに来てましたよね」
 ヘザーはぎくりとする。だが答えてよいのかどうか分からない。それも、オーウェンはまだ二人を交互に見ているのだ。ヒューイとヘザー、どちらに対する質問なのか判断がつかない。
「あれ……? 来てましたよね。二人で。俺は友人に誘われて行ったんですけど、教官たちも来ているとは思いませんでしたよ」
 これは二人に対する質問だ。オーウェンに見られていたのだ。ヘザーは昨夜のことを思い起こす。昨日はキスしたり抱き合ったりなんてしていない。二人が交際していると、はっきりわかるような事はしていない……はずだ。けど。ヒューイ・バークレイは女と二人で夜に出かけるような人物像ではない。しかもスカル・スカベンジャーズみたいなバンドの催しには。キャラ違反すぎる。
「ああ。それなら」
 ヘザーが冷や汗をかいていると、ヒューイが口を開いた。
「ヘザー君の故郷では有名な楽団らしいな。ヘザー君が自慢げに語っていた。興味が湧いたので僕も行って見ることにしたんだ」
「へえ……スカル・スカベンジャーズって、なんか、バークレイ教官のイメージじゃないですけどね」
「そうか? 僕は保守的な人間に思われることが多いようだが、そういうつもりはない。新しい事への挑戦も重要だと考えている。教育面でも、私事でも」
 なんかすごい強引に誤魔化したぞ……。しかし彼は嘘は言っていない。
「なるほどね。で、どうでした? ライブは」
「うむ。実に前衛的な楽団であった」

 オーウェンの姿が消えて、二人は司令部へ向かって歩き出したが、暫くはどちらも何も喋らなかった。危なかったとため息を吐くのも憚られた。
 建物の中に入る前、周囲に他人の気配が無くなった時、ヒューイがぽつりと言った。
「外で会うのは止めよう」
「……うん」
 ヘザーも、そう答えるしかなかった。
 騎士同士の恋愛は禁止されているわけではないが……ヒューイが「部下に手を出した男」と認識されるのはすごく拙い気がする。それこそ彼のイメージとかけ離れ過ぎているのだ。次期教官長のポストとやらも遠のいてしまうのでは。
 二人の関係は絶対に周囲に悟られてはいけない。特に研修生たちには。自分の指導者たちが交際しているなんて分かったら、彼らのやる気にも関わってくる。
 以前、ヒューイは結婚を急いでいた。ヘザーを退職させて、一人でどんどん準備を進めようとしたのだ。それでケンカになったのだが……同じ職務についている間は、二人の関係を周囲に悟らせてはいけない。彼はこういう事態を懸念していたのかもしれない。そう思った。



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