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第1章 Tempest Girl
04.思わぬ再会
しおりを挟む新しい制服──ルルザ聖騎士団の制服──が仕上がった。
グレンはそれを受け取り、宿舎の自室でさっそく身に着けてみる。そして姿見に映しておかしなところがないかを確認した。
サイズは合っている筈だが……自分の身体にもう少し厚みがあれば、もっと見栄え良いだろうにと少し残念に思う。
グレンは身長も平均以上に伸びたし手足も長い。肩幅もある。だが、身体の厚みが足りない。どんなに鍛錬をしても、横から見ると「薄っぺら」なのである。これがグレンの悩みと言えば悩みだ。
そんな自分を伯父のレジナルドは「スタイルが良くてモデルさんみたいでカッコいいよ!」と言ってくれているが、騎士としては、もう少し身体の厚みが欲しいところだ。
それから、乱れている訳ではなかったが何となく手で髪を整えてみる。
前髪が伸びてきているが、上から注意を受けるほどではないだろう。
やはり櫛を入れておこうと考えなおし、身繕いの道具をしまってある引き出しを開けに向かった。
その時、吊るしてある夜会服が目に付いた。
「……。」
ブライス伯爵家のパーティーに着ていった上着だ。櫛のことは後回しにして、グレンはその夜会服のポケットに手を入れ、あるものを引っ張り出した。
それは、レースの手袋である。
この女性用の手袋は、あの、妙な娘の忘れ物のようだった。
書斎に隠れていたことはこちらも内緒にしておきたかったので、廊下で拾ったことにしてブライス家の使用人に届けようと試みたグレンだ。
だが、グレンがこそこそと隠れなくてはならない原因を作った伯爵の娘、リフィア・ブライスがあらゆる場所をうろつきながら「グレン様を見ませんでした?」と訊ねて回っていた。
彼女に見つかってはたまらないと、グレンは手袋をポケットにしまい、こっそりと伯爵邸を後にしたのだった。
あの夜、顔を合わせるなり自分はリフィア・ブライスに気に入られてしまったようで、彼女はグレンの腕にぶら下がるようにくっついて屋敷中を歩き回ろうとした。
その光景を目にした伯爵は──ルルザ聖騎士団の男は有望株だと判断したのだろうか──何も言わなかった。
このままべったりとくっつかれて妙な噂を立てられてはまずい。自分は誰かの「特別」になるつもりはないし、誰かを自分の「特別」にするつもりもないのだから。そう危惧したグレンはリフィアの隙をついて逃げ出し、書斎にこもっていたのだ。
そこへ妙な娘が書斎へやって来た。
はじめ、侵入者はリフィアかもしれないと思ったので、グレンは息をひそめていた。
しかし後からやって来た人間は、背格好がリフィアとは大きく異なっていた。さらに彼女は本棚を物色し始める。
相手がリフィアではないと知ったことで、グレンには侵入者の行動を観察する余裕も生まれた。
彼女は本棚から何かの本を引き当てると、それを持ち出そうとした。いや、持ち出すだけならばグレンは黙ってみていただろう。屋敷内の別の部屋へ持って行って、そこで改めて読むのかもしれないのだから。
だが娘は本をスカーフで包んだうえ、それを持っていた巾着の中へ忍ばせる。
どうやっても黙って持ち出すつもり……というか、盗みの現場に見えた。
さすがにグレンは声をかけた。
騎士として人として、窃盗を見過ごすわけにはいかないと思ったからだ。
彼女の正面に立ってみて初めて分かったが、ずいぶんと背が低くて、子供みたいに見えた。部屋が薄暗かったから黒っぽく思えたが、たぶん、明るい場所で見たら焦げ茶色の髪の毛なのだろう。
それから彼女はちょっとぽっちゃりしている風にも思えたが、背が低くて顔が丸くて胸が大きい……この点が肉付きよく見える原因なのだろうとグレンは考えた。実際、彼女の腰の細さは身長に見合ったものだったし、鎖骨は綺麗に浮き出ていた。
はち切れそうな胸が気になりはしたものの、グレンは娘の手に興味を引かれてもいた。
彼女は手袋をしておらず、その手は、ガサガサだったのだ。
爪の先は荒れていて、とくにささくれ立っている。それは家事や労働をしている人間の手に違いない。伯爵家のパーティーに招かれるような家柄の娘の手だとは、とても思えなかった。
身分を偽って紛れ込んでいる泥棒なのかもしれない。
稀に別人の名を名乗ったり、架空の人物を作り上げたりして社交界で人脈を広げ、詐欺を働く人間もいるという。彼女はその手の犯罪者なのではないか。グレンはそう考えた。
……が、娘のあの言動。
思い出すたびにグレンはふっと笑ってしまいそうになる。
彼女のごまかし方はあまりに稚拙過ぎた。邸宅に忍び込んでしょっちゅう盗みを働いているような、世慣れた狡い女性だとは考えられなくなった。
となると、娘が持ち出そうとしている本の価値も知れてくる。大したものではないのだろうなと。
自分が書斎に隠れていた後ろめたさもあるにはあった。
彼女とは早くお別れして、この書斎で起こったことはお互い忘れる……そうするのが一番良いような気もしてきた。
グレンは彼女に「見逃す」と告げ──実はグレンにも後ろめたいことがあると知られてはいけない。立場を優位にするために、恩を着せる言い方をした──娘を部屋から追い出したのだった。
その後で、残されたレースの手袋に気がついた。
あんなにガサガサの手を剥き出しにしてパーティー会場をうろついていたら目立つことこの上ない。だから、この手袋は彼女のものなのだろう。
伯爵邸での出来事を思い起こしながら、グレンは手袋を観察した。
女性の小物に詳しいわけではないが……ちょっと作りが雑なのは分かる。手触りも高級品のそれではない。新しいものだが、たぶん、安物だ。
しかしあの娘の手……あれは労働者の手だ。この安物の手袋も、彼女にとっては貴重品なのではないだろうか。
いや、趣味で菓子をつくったり、庭いじりをしたりする令嬢もいると聞く。手が荒れていたからといって、彼女が労働者とは限らない。デザインや品質に無頓着な女性だっているだろうから「安物の手袋イコール貧しい」とも限らない。
「……。」
手袋をつまんで、あの娘を取り巻く環境について推測を重ねてみたが、グレンがいくら考えたところで本当のことは分からない。
それに、彼女とはもう会う機会もないだろう。
だからと言って、あっさりと手袋を処分してしまうのは気が引けて、取り敢えず引き出しにしまった。
手袋の存在を忘れた頃にふいに目につくことがあれば、捨てるのを躊躇う気持ちも無くなっているだろう。その時に改めて処分すればよい。そう考えた。
その後で、宿舎の食堂に向かった。
グレンが所属することになったルルザ聖騎士団は、ルルザ大聖堂に拠点を置いていて、独身騎士たちの住まう宿舎も大聖堂と同じ敷地内にある。
大聖堂の方は司祭や修道士ばかりうろついているが、騎士の宿舎の方はそうでもない。騎士の他に、掃除、洗濯、賄いと、騎士の世話をする女たちも多いのだ。
ただし、女と言っても若い女ではない。
「あー……ほんと、ここって坊主とおばちゃんばっかなんだなあ……」
グレンが食堂へ入ると、誰かがそう呟く声が聞こえる。声の主を見てみれば、グレンと同時期に入団した若い騎士たちが、食後のお茶を飲みながら話をしているところだった。
「大聖堂は坊さんだらけだろ。で、宿舎はおばちゃんだらけ。せっかく聖騎士団に入ったのになあ~」
「若い娘なら、街の巡回でいくらでも目に出来るだろ」
「そうそう。それに聖騎士団に所属している限りは、この前の伯爵家のパーティーみたいなのに呼ばれる機会が増えるぞ」
「いやあ、俺が言ってるのはさあ、日常的にふと感じるささやかな華……目の保養っていうのか? そういうのだよ。生活エリアに華が欲しいんだよー」
「ああ、そういうことか。確かにむさくるしいよなあ」
彼らの会話を聞きながらグレンは少しがっかりした。
ルルザ聖騎士団にはもっと志の高い人間が集まると思っていたからだ。たとえば、かつてのヒューイのような。
それが、若い女だの目の保養だの言っているようでは、ここは自分が考えていたほど、ストイックなエリートの集団ではないのかもしれない。
若い娘の働き手がいないのには理由がある。
騎士たちと間違いを起こさぬようにするためだ。
王城の騎士と、メイドや侍女が恋に落ちる話──或いは一方的に遊ばれてしまう話──はよく耳にしていたが、ここは宗教施設でもある。そういった可能性をできるだけ排除したいのだろう。
「けどさ、この食堂……厨房の方にすっげえ巨乳がいたぜ」
騎士たちの話はまだ続いている。
「ええ? 巨乳ったって、おばちゃんなんだろ」
「まあ、そうなんだろうけどさ、顔はよく見えなかったんだよな。作業着(スモック)着てるのに乳が、こう、主張しててさあ。思わず見入っちゃったね」
「そりゃあ、顔がよく見えなかったんじゃなくて、胸しか見てなかっただけだろう」
そこで騎士たちはどっと笑った。
ここはもっと厳格で神聖な場所だと思っていたのだが。
グレンはこっそりとため息を吐き、トレイを持ってカウンターに並んだ。
カウンターは厨房と繋がっていて、奥の方で鍋をかき回したり皿を洗ったりしている者たちが見える。そこにトレイを持った騎士が並ぶと、料理の入った皿を乗せてもらえるシステムになっていた。
グレンはトレイを持ったままカウンターのところで待ったが、料理を持った人が誰もやって来ない。
今は正午をだいぶ過ぎた時間で、食堂にいる騎士たちも食べている者は殆どおらず、大抵は仲間たちとだらだらと話をしているだけのようだ。
ピーク時は怒号が飛び交うほどの混雑ぶりだし、時間を外すとこういったことになってしまう。自分にとってちょうど良いタイミングを測って行かねば……と、そう思いながら厨房に見える後姿に向かってグレンは声をかけた。
「すみません」
子供みたいに背の低い料理人は一生懸命鍋をかき回している。グレンの声は聞こえていないようだ。
「すみません。ちょっと、いいですか。昼食を取りたいんだけど」
「え? あっ。はいはい、今持って行くわ!」
料理人はようやく顔を上げた。スープ皿に鍋の中身を掬って移し、グレンに配膳するためにこちらを振り返った。
「お待た……あっ、あああ!?」
その時、料理人は皿を持ったまま叫んだ。
一体何事かと思ったが、彼女はグレンの顔を見て驚愕しているようだ。グレンも彼女の顔を見返し……考えた。
背の低い料理人は白いスカーフで髪の毛をぴっちりと押さえている。それに、口元を同じく白いスカーフで強盗のように覆っていた。髪を押さえるのは分かる。が、口元は……料理に唾が入らないようにするためなのだろうか? 食べる方としてはその気遣いは有り難いが、ここまでやる料理人は珍しいと思う。
それから彼女の胸元に目をやり、作業着越しに主張する胸を確認した。きっと、さっきの騎士たちは彼女のことを言っていたのだろう。
確かに騒ぐだけの大きさがある。
「あ、貴方……貴方ねえ……!」
料理人はまだグレンを見上げて声を震わせているが、グレンには彼女がどうして驚いているのかちっとも理解できない。
だいたいルルザにやって来て間もないから知り合いという事はない筈だ。
それに彼女の顔面の大半は隠れてしまっている。
だが、見えている部分の肌は、ツヤとハリがある。彼女は「おばさん」という年齢ではない気もした。
知らない女性の筈だが、でも、声には聞き覚えがあるような……。
「あっ」
グレンはやっと彼女の正体に思い当った。
声。身長。そして何よりあの胸。
彼女は、ブライス伯爵邸にいた娘ではないか。
グレンはその指先を確認した。やはり酷い荒れ具合だ。
ひょっとしてここで働いているのだろうか。
食堂の賄いをするような娘が、伯爵家のパーティーに? なぜだ? 彼女はやはり身分を偽って盗みを働く犯罪者なのでは……。
グレンは彼女について思い当たる限りの可能性を挙げていった。
しかし、娘が衝撃から立ち直る方が早かった。
彼女は皿を持っていない方の手で拳を作って振り回し、思い切り声を張り上げたのだった。
「よ、よくも……よくも、私をオモチャにしてくれたわねっっ」
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