愚者の聖域

Canaan

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第1章 Tempest Girl

01.ルルザのメイトランド姉弟

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 ”ネドシア島を出立した私たちは、フェルビア王国に到着した。
 居を構えるのはルルザという大きな街だ。
 ここで夫とともに商売を始めるつもりである。

 私たちはこのルルザの街に骨を埋める覚悟でいるが、ただ、少し心配な話を耳にした。
 有事の際──異国との戦争などで国中からお金を集めなくてはならない時、有志からの支援では賄えなくなった時だ──は、まずは移民から財産を没収していく方針らしい。
 そのような出来事はここ百年以上起きていないと聞くが、備えがあるに越したことはない。

 商売の足掛かりにするつもりでネドシアから持ち込んだ財産であるが、これらの一部を誰にも見つからない場所に隠しておこうと思う。
 私と夫のために。そして、これから生まれてくるであろう子供たちのために。

 まだ見ぬ子供たちよ。そして子孫たちよ。
 困ったことが起きた時……そしてそれがお金で解決できる問題であれば、私の日記を読み解きなさい。

 ──シャーロット・メイトランドの日記──”



***



 キャス──キャスリーン・メイトランド──は、弟のアンドリューに耳打ちした。

「アンドリュー。見張りを頼むわよ」
「わかった。じゃ、俺はここにいる」

 このルルザの街のスミッソン氏の邸宅では、規模のやや大きなパーティーが行われている。
 下のフロアからは、音楽や笑い声が聞こえてくる。庭の方へ出ているカップルも何組か確認した。葉巻やワインを楽しむための部屋に男の人たちが集まっていることも。
 だから、キャスとアンドリューの二人が見当たらなくとも、おかしいと思う人はいない筈である……十分か、二十分くらいならば。
 というのも、今夜の招待客に亡くなった両親の知り合いの女性がいたのだ。

 その婦人は両親亡き後のキャス姉弟を心配している……風を装いながら、実のところ好奇心でいっぱいなのだろう。
 両親亡き後のキャスたち姉弟がどんな暮らしをしているのか詮索したくてたまらないらしい。彼女はキャスの姿を見かけるたびにあれこれ聞き出そうと話しかけてくる。

 今の自分がどんな暮らしをしているか……表向きには、両親の会社を畳み、屋敷を売ったお金で姉弟二人、静かに暮らしていることになっている。
 だが本当のことはあまり知られたくないし、出来ることなら話したくない。特に両親の知り合いたちには。
 しかしその両親の伝手がまだ微かに残っているからこそ、こういった夜会に招待される機会もある訳で。
 はっきり言って夜会に呼ばれるたびに、準備のためのお金が吹き飛んでいくので、生活はかなり苦しかった。

 しかし。曾祖母の……シャーロット・メイトランドの日記をすべて集めることが出来たら、新しいドレスだってたくさん買えるし、以前住んでいた屋敷を買い戻すことだって出来るだろう。姉弟二人だけだから、前の屋敷を取り戻したところで広すぎてかえって不便かもしれないが……でも、思い出の詰まった屋敷をもう一度自分たちのものにできたら、どんなにいいだろう。

 とにかく、曾祖母の日記を揃えて隠された財産を見つけること。
 キャスとアンドリューは現在、その日記を揃えるために生きていると言ってもいい。



「姉さん。本当に大丈夫なの? やっぱり、俺が行こうか?」
「あら、大丈夫よ。姉さんを信用しなさい」
 これからやることに不安そうな顔をする弟に向かって、キャスは胸を張り、腰に両手を添えて彼を見上げた。
「私は世事に通じた大人の女ですからね。何かあっても、立派に切り抜けて見せるわ」
「えぇええ……」
 だがアンドリューは半目になった。どうやら弟はあまり姉を信用していないらしい。
「アンドリュー。言い合っている時間がもったいないわ。早く見張りについて」
「わかった……けど、本当に無理はしないでよ。誰かが来たら、俺は大声でその人に話しかけるから、姉さんはすぐ逃げるか隠れるかして……それで、見つかっちゃった時のごまかし方だけど……」
「ええ、ええ。もちろん、ちゃんとやって見せますとも」
 心配し続ける弟を半ば強引に引き下がらせる。

 キャスはアンドリューと視線で合図しあってからこの屋敷の書斎の扉を開け、そこに身体を滑り込ませた。

 昔の人の日記というものは、当時の人々の暮らしや考え方などが赤裸々に記されていることが多いから、学問や研究の対象となるらしい。
 数世紀前のものなどは書物として出版されていたりもする。
 秘密の恋心を綴ったものや、姑、小姑への恨み言を記したものなどが古典文学として親しまれているわけだが、書いた当人は遠い未来に自分の秘密が晒されるだなんて思ってもみなかっただろう。
 ところで曾祖母シャーロットの日記は……これは八十年程前に書かれたもので、歴史の研究資料とするには新しすぎた。ちなみに一冊目が八十年前であるから、二冊目、三冊目になると、もっと最近のものになる筈だった。
 だが、そういったものが古書店に出回ると「今のうちに入手しておいて、いずれは資産になることを期待しよう」「その時代にちょうど興味がある」「歴史とかはどうでもいいからとにかく他人の日記や秘密が見たい!」こういった人たちから需要があるらしく、そこそこの値段がつくようだ。

 キャスとアンドリューがこの日記の存在を知ったのは、両親が亡くなって家を売りに出した時の事だった。
 まずは父親の所持品である書物や骨董品を売りに出した際、そこに曾祖母の日記が紛れ込んでいたようだ。そして最後に家具を売り払う時……本棚を動かしたら、その裏側に一冊目の日記が落ちていたのだ。
 メイトランド家の財産の処理に関しては叔父が請け負っており、この日記を見つけたのは彼である。叔父はキャスの元へその日記を持ってきた。「片づけの最後の段階でこれだけ出てきたが、古書の類は最初に纏めて売り払ってしまったから、これだけあってもどうしようもない。処理の仕方は任せる」と言って。

 叔父はこの本を「誰かの古い日記」だということは把握していたようだが、その中身には注意を払っていなかった。
 しかしキャスとアンドリューは祖先の書き記した内容に、大いに興味があった。この日記を手に入れた二人は夢中になって読み進めた。
 曾祖母の日記の存在、そして残り何冊かあるだろうものは売られ、おそらくバラバラになってしまった……奇しくも同時に判明したのである。

 だから、財産の在処が記されているはずの日記を集め直さなくてはならない。集めた日記を読み解かなくてはならない。
 キャスとアンドリューの姉弟がそう決意したのは言うまでもなかった。

 二人はルルザの街の書店や古書店、古物商を巡った。
 夜会に出席した際には、どこの誰が古い日記をコレクションしているのかを聞いて調べて回った。

 そこで今夜のパーティーの主催者、スミッソン氏が、古い書物──出版されたものではなく、一般人が書き記した日記やメモ──を蒐集していると突き止めた訳だが、そこで問題が持ち上がる。
 スミッソン氏のコレクションの中に、キャスの曾祖母の日記があるかどうかの確認の仕方だ。
 いきなり屋敷を訪ねてコレクションを見せてくださいと頼むのか。だが「本物」を見つけた場合、それからどうする? 貸してもらう? 買取りを申し出る? 曾祖母のものだと証明できれば、情けから譲ってもらえるかもしれない。それを期待する?
 キャスもアンドリューも一冊目の日記以外に何が書かれているのかを知らない。財宝の在処を匂わせる文章が散りばめられていたら。そしてスミッソン氏がそれを把握していたら……簡単には見せてもらえないし、譲渡など以ての外だろう。

 ああでもない、こうでもないと二人で頭を悩ませていると、両親のかつての縁故からキャス姉弟が夜会に招待されたのである。願ってもないことであった。
 そして相談せずともやることは決まった。

 日記の持ち主かもしれないスミッソン氏には黙って確認する。これに限る。



 キャスは書斎に忍び込むと、手にしたランプで本棚を照らした。
 目の前には実用書と思しき本が並んでいるから、コレクションの類はこのエリアではない。
 少し歩いて、ボロボロの本が詰まっている本棚を見つけた。
 手元にある日記は赤い革表紙──擦り切れて色褪せているが──のものだが、すべてが同じ日記帳とは限らない。
 ランプを脇に置き、棚から数冊を引き出して中身を確認すると、手書きの文字が現れた。紙は劣化して所々がちぎれていたが、誰かの日記のようだ。しかし、シャーロットの筆跡ではなかった。
 キャスは二冊目、三冊目と確認していく。やはり曾祖母のものではない。
 目についた一帯を調べ終えると、今度はランプを持って背後を振り返った。価値のある本だと知った持ち主は、他の日記とは別の場所……鍵のかかる引き出しなどに保管した、そういうことは考えられないだろうか。

 思わず顔を顰めた。
 鍵を壊す道具など持ってきてはいないし、そんなことをしては本格的に泥棒になってしまう。今だって、かなりギリギリのことをしているのに。

「おや、どうしました。アンドリュー君」
「あっ。スミッソンさん……」

 そんな時、廊下の方から今夜のホストと弟の会話が聞こえてきて、キャスはぎくりとする。
 パーティーは一階部分と庭で行われているから、本来ならば、書斎のある二階に客が立ち入ることはない。
 アンドリューも大いに焦っているに違いないが、キャスに聞こえる程度の大きな声を出しつつ、なんとかのんびりした口調を保っていた。
「いえ、姉の姿が見当たらなくて……探していたんですよ」
「お姉さんが? それは……誰かと庭に行ったとか、そういうことではないのかな?」
「ああ……まあ、そういうことも考えられるんですけど」
 スミッソン氏はキャスがどこかの男に誘われて、イチャイチャするために庭へ出たのではないかと仄めかしている。キャスに対して甚だしく失礼ではあるが、現に、そういう誘いに乗る娘は少なくないらしい。

 キャスはランプを消して深呼吸してから、書斎の扉を開けた。
「アンドリュー。私はここよ」
「あっ、姉さん。ここにいたのか!」
 アンドリューはわざとらしく驚いて見せる。
「ミズ・メイトランド。ここは、私の書斎ですが……?」
 スミッソン氏はもちろん怪訝そうな顔をした。パーティー会場は一階なのに、二階の書斎でいったい何をしていたのかと、訊きたそうな顔を。

 キャスはこほんと咳ばらいをし、左右を見回す。それから自分で自分を抱きしめるようにして両腕をさすった。
「ごめんなさい、スミッソンさん。しつこく言い寄って来る男性がいたので……ここに、隠れていたんです」
 迷ったという言い訳はできないだろう。だから、しつこい男から逃げ隠れていたという理由をでっちあげることにした。
「それはそれは。申し訳なかった。君に迷惑をかけたのは、誰だったのかな。今後はホストである私が注意を払っておこう」
「いいえ。あれくらいの誘いは、私が上手くかわすべきだったんです。それに、これからは弟とともに行動しますから。スミッソンさんが気を揉む必要はありませんわ」

 キャスはにこりと笑ってお辞儀をし、アンドリューの手を取って階下へ戻る。
 ランプを書斎に置いてきてしまったが、もともと廊下に置いてあったものを持ち込んだだけだ。スミッソン氏がランプを見つけたとしても、使用人が置き忘れたのだと思うだろう。

「ちょっと危なかったね」
 一階へ戻り、だが招待客がたくさんいる場所からは充分に距離を取ったところでアンドリューがこっそりと言った。
「あら。私は立派にやってみせると言っていたでしょう」
「いや、スミッソンさんは姉さんの胸ばかり見ていたからね。だから、何を言っても彼はごまかされてくれていたと思うよ」
「な、なんですって?」
 弟の言葉に、ぎょっとしてキャスは自分の胸を見下ろした。
「大抵の男なら姉さんの胸に目が行くよ」
「まあ……」
 ドレスを身に着けた時には意識していなかったのだが、弟に言われた途端に胸の開き具合が気になりだして、キャスはなんとなく姿勢を悪くする。

「で、どうだったの。日記の方は」
 キャスは首を振った。
「確かにスミッソンさんは古い日記をたくさん集めていたわ。でも、ひいおばあさまの書いたものは本棚には無かった」
「じゃ、スミッソンさんは持ち主じゃなかったんだ」
「……日記の秘密に気づいて、どこか別の場所に保管してあるのかもしれないわよ」
「それはどうかな」

 一冊目のシャーロットの日記は、故郷のネドシア島を出港したところから始まっている。そしてフェルビア王国へ入り、ルルザの街に辿り着いた辺りで、謎めいた文章が登場した。その後は再び普通の日記が続くのだ。

「だから、日記に何か秘密があるなんて、気づかないと思うよ」
「どうかしら。私たちは一冊目以外の日記に何が書かれているか知らないわけだし」
「そりゃそうだけど……集めただけで満足して、中身には興味のない人だっているからね。とにかく、スミッソン氏のコレクションを詳しく調べるのは後回しにしようよ」
 まずは広く浅く調査してみようと、アンドリューは言う。
 たしかに、古い日記の蒐集家は他にもいる。
「そうね。ルルザの外に持ち出されていなければいいのだけれど」
 夜会の招待客に、世間話のふりをしてだれがどういったものを集めているのか聞いて、さらに情報を集めてみよう。今夜の収穫がなければ、また次の機会に備えるしかない。
 キャスは自分の着ているドレスをもう一度見下ろした。

 今のキャスに、仕立て屋でドレスを作る余裕なんてない。
 これは、安い既製服を直して直して、なんとかそれっぽい雰囲気に飾ったドレスだ。
 次に夜会に出るとしたら、フリルや飾りをつけかえなくては。それから、手袋も擦り切れそうだった。これは新しく買わなくてはいけない。
 自分の稼げるお金と、出ていくお金のことを思うとため息が出そうだ。

「あーあ。服の飾りを買うために、おやつを我慢しなくちゃいけないなんて。アンドリュー、男の人はいいわよねえ。何回同じ衣装で出席しても、あんまり噂されないんだから」
「いや。俺もそろそろ言われてると思うよ。あいつ、いっつも同じ服だって」

 しかし、シャーロットの日記を集め、宝の在処を読み解けた際にはこんな気苦労ともお別れ。そう、その筈だ。
 キャスとアンドリューは見つめ合い、それから同時に頷いた。

「絶対見つけるわよ。ひいおばあさまの日記を、全て」
「うん。もちろんだ」
「私たち、お金持ちになって、以前の生活を取り戻すんだから!」
「うん、もちろんだ!」

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