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本編
06.童貞を奪ってしまい、まことに申し訳ありませんでした……
しおりを挟む茂みに向かってクロスボウを構える。相手は手負いだ。普段よりも凶暴化している可能性を念頭に置きつつ、頭の中で獣を捕獲するシミュレーションをする。
こちらの武器はクロスボウと大振りの短剣。小型のクロスボウは持ち運びだけならば片手でじゅうぶんにできるが、構えるときは両手を使う。思いもよらない場所から首根っこに飛びつかれさえしなければ、なんとかいけると踏んだ。だが獣が逃げ込んだと思しき茂みからは、何の気配も感じられない。葉っぱの擦れる音すら聞こえてこなかった。
部屋に戻って、騎士剣を持ってきたほうがいいだろうか。当てずっぽうに飛び道具を使うよりは、騎士剣で茂みを切り払って、獣をあぶり出し、追い込むのである。しかしここを離れた隙に逃げられでもしたら……。
クロスボウを構えたまま、自室のほうを振り返ろうとしたとき、背後から何者かに口を塞がれた。
「静かにお願いします」
「……!?」
「エミリアさん。武器を下ろしてください」
「…………?」
それは、フレッド・アンブローズの声に聞こえた。
「……んっ、ん、んんっ……!」
待ってよ、いま、あの獣を捕まえられそうなの! そう伝えようとしたが、口を塞がれたままでは言葉にならない。
するとフレッドは何かをエミリアの目の前に差し出した。
「これ、あなたが放った矢ですよね? どうか、武器を下ろしてくれませんか」
たしかに、エミリアが獣に向けて放ったものだ。鏃に血が付いているように見えるから、命中したのだと思う。なぜそれをフレッドが手にしているのだろう。不思議に思ってクロスボウを下におろすと、口を塞いでいた手が外された。
「な、何……? いったい、何なの?」
小声で問いながら彼のほうを振り返り、エミリアは絶句する。
フレッドが、全裸だったからだ。
「な、なっ……むぐ。」
もしかしてノゾキってあんただったの? 全裸で女子宿舎を覗くのが趣味なの? このヘンタイ! と叫ぼうとして、再び口を塞がれた。
「お願いですから、聞いてください。あなたが狙った獣……あれは、俺です」
「……!?」
「俺はヒトを襲ったことはありません……もちろん、ノゾキをするつもりも……話を聞いてもらえますか?」
何言ってんだこいつ……と思わぬわけではない。どうして彼がここにいるのか、あの獣が自分だとはどういうことなのか、また、どうして全裸なのか、知りたいことはいろいろあった。そしてここで大声をあげて人を集めてしまったら、フレッドの謎には永遠に辿り着けなくなるような気がした。だからエミリアはこくこくと頷いた。
彼はエミリアの口を押さえていた手をそっと外しながら、耳元で囁いた。
「このまま庭を通って……俺の部屋に来てくれますか。窓が開いてますから」
フレッドはそう言ったかと思うと、エミリアが振り返る前に茂みに飛び込んだ。そしてその茂みから出てきたのは、さっきの黒い大きな獣だった。
驚いてクロスボウを落としてしまう。
獣はこちらを振り返り、それから男子宿舎のほうを向いた。まるで「こっちです」と言っているみたいだ。
ああ、と、そう思う。
あの獣は彼なのだ。どこにいてもエミリアを探し当てる能力。捜査における優秀っぷりも、イヌ科の追跡能力があるのだとしたら、納得がいった。
エミリアはクロスボウを拾いあげると、その先を地面に向けたまま、フレッドの後に続いた。
広い庭を突っ切ると、男子宿舎のエリアに入る。一階の端っこに窓の開いている部屋があって、黒い獣は身軽な動きで中にひょいと飛び込んでいった。そこはたしかにフレッドの部屋だった。
エミリアは寝巻きにサンダル、両手に武器という出立ちだったので、窓を乗り越えるのは少し苦労した。なんとか部屋の床に足を下ろしたときには、フレッドはヒトの姿になっており、ズボンを履き終えたところだった。
彼が全裸だった理由がわかった。服を着たままでは、いろいろと支障があるのだ。彼は獣の姿で部屋を出て、獣の姿でここに戻ってくるつもりだったのだろう。だが、エミリアに攻撃されたことで予定が狂った。そういうことだ。
姿を変える瞬間を目にしたわけではないが、やっぱりあの獣はフレッドなんだなあと思う。
「あの。なんであそこにいたの? 何かの捜査だったわけ? いままであの姿でこっそり捜査してたのね? 変身って意のままにできるの?」
頭に浮かんだ疑問を次々にぶつけながら彼のほうに近寄っていくと、彼の肩から血が出ていることに気がついた。おそらく、クロスボウが刺さったところだ。
「あっ、血が出てる……! ごめんね、傷見せて?」
「エミリアさん、待って」
だが、また手のひらを見せるポーズで制止された。
「何よ」
「もうちょっと、離れてください」
「けど、血が……それ、私がやったやつでしょう? 手当てしないと……」
「たいしたことはありません。それより、離れてください」
彼は後退りながら言葉を続ける。
「あなたの、匂いが……すごくて……やばい……」
「!?」
エミリアは自分の腕を持ち上げて匂いを嗅いだ。お風呂には入ったはずなのだが。失礼ね! と怒るべきか、ごめんと謝るべきか、反応に困る。
フレッドは首を振った。
「すみません、そういう意味じゃなくて、あなたのフェロモンが……」
「は? フェロモン……?」
訊ね返したが、彼は苦しそうに荒い息を吐くばかりだ。具合が悪いのかと心配になったが、よく見るとフレッドの股間は思い切り盛りあがっているではないか。ズボンを身につけただけで上半身は裸だったから、どれほど元気かがよくわかる。
え? 欲情してるの? いまって、そういう状況なわけ? なんか引くんだけど……。
「ぇええ……」
思わず呆れの声を漏らすと、彼はハッとしたように前屈みの姿勢をとる。それからおぼつかない手つきで机の引き出しの鍵を開け、古ぼけたノートを取り出した。
よろよろとした足取りで何歩か前に出てきて、そのノートをエミリアに差し出す。
エミリアが武器を置いてそれを受け取ると、彼はまたよろよろと離れていき、机に突っ伏した。
激しく欲情しているようにも見えるが、病人のようにも見える。とにかく、彼の様子は普通ではない。
「あの、大丈夫……?」
「それ……読んでください……」
「読むって、このノートを?」
「曽祖父が残した……人狼についての手記です……」
フレッドは息を切らせながらも、なんとか説明する。
人狼。
そうか。フレッド・アンブローズはそういう存在なのだ。
フレッドが普通の人間ではないと、ぼんやりとわかってきていたところだが、彼の口から「人狼」という単語が出たので、ようやく曖昧さが消えてはっきりとしたイメージが浮かんだ。フレッドは人狼。なるほど。
「このランプ借りるわね」
エミリアはナイトテーブルの上にあったランプを手に取り、フレッドの机とは一番離れた場所を陣取った。そして手記を捲りはじめた。
フレッドのハアハアという呼吸が気になって仕方がなかったが、
”我がアンブローズ家には、稀にヒトと狼の特徴を併せ持つ者が誕生するようだ。体毛の色がそのまま被毛に反映されるなど「狼」とは言い難い部分もあるが、便宜上、これを人狼と呼ぶことにしよう。”
その文が目に入った瞬間、先が読みたくて手が止まらなくなる。エミリアは夢中でページを捲った。
人狼は、世代を隔てたり傍系だったり、無作為に誕生するようだ。だから口頭で伝えられる者がおらず、わかっていることも少ない。
だが彼らはヒトの姿のままでも、犬や狼のそれに準じた嗅覚や聴力、身体能力を発揮できるらしい。そしてそれは、獣の姿をとることで完全となる──。
エミリアの脳裏に、研修期間中の出来事が思い浮かんだ。フレッドが本を落とさずに受け止めたときのことだ。
それに、彼は居場所を伝えずとも、エミリアのいるところにやって来た……。
ページを進めるごとに、どんどん腑に落ちていく。
そしてとうとう、人狼の結婚や性について記された部分にたどり着いた。
人狼と交わったヒトの雌は、淫靡な香りを纏うようになるらしい。それは、満月の前後に強力に香り、人狼の若い雄を惹きつけるという──。
エミリアは瞬きを繰り返した。ついさっき、あと少しで満月だと確認したばかりだ。
つまり、フレッドの様子がおかしいのは、彼がフェロモンに抗おうとしているからなのだろうか?
「ね、ねえ。さっき、あんたが言ってた匂いって……」
「……読みましたか……?」
「うん。だいたい、全部」
ノートを返そうとしてエミリアが立ち上がると、フレッドが大きく呻いた。
「くっ……は、はあっ……」
「あの、ほんとに大丈夫……?」
「ま、待って……こっちに、来たら危ない……」
「でも、」
「はあっ、はあっ……こ、来ないでください……あなたに、襲い掛かってしまう……」
フレッドは苦しそうな呼吸をし、机の縁を握りしめた。
「……くっ……」
「!!」
一瞬、彼の髪の毛が首の後ろを覆うほどに伸びて、机を握りしめる手が、獣のそれに変わったように見えた。
だがエミリアが瞬きするうちに、獣の気配はなりを潜めていた。
これはフェロモンに抗っているせいで、姿のコントロールまで難しくなっているということだろうか?
「ねえ。あんた、これまでどうしてたわけ?」
女性と関係するたびにこんなことが起こるのだとしたら、エドワード・アンブローズが記したように、相手をどこかに閉じこめて、気が済むまでヤりまくるしかないではないか。人狼とは、なんてエッチな生き物なのだろう……。
フレッドが答えないので、エミリアはもう一度訊ねる。
「ねえ、フレッド? あんた、これまでどうしてたの?」
「…………。」
フレッドはやはり答えない。代わりに部屋の中が重苦しい空気に包まれた。二人の間に大きな鉛の塊が横たわっているような気すらしてくる。
まさか。と、エミリアは思った。
「え、あ、あの……」
「手記に、書いてありませんでしたか……? 手当たり次第に種をまいてはいけない、と……」
「…………。」
今度はエミリアが黙る番だった。
もしかして、初めてだったの……?
フレッドのことを「意外とガツガツしている」と感じたのを覚えている。だが彼を経験者だと思い込んでいたし、エミリアだって初めてで余裕がなかったから、気づくことはできなかった。
なんということだろう。彼が大事に大事に守ってきたものを、ちょっとした好奇心とノリでエミリアが奪ってしまったらしい。
どうしよう。大変なことをしてしまった……。
フレッドは机を握りしめたまま、呟いた。
「エミリアさん。飲み会の日……あなた……俺と寝ましたよね?」
もうごまかせないと思った。というより、フレッドはとっくにわかっていたのだろう。エミリアが「違う」と言い張るから、それ以上の追及をしてこなかっただけで。彼は、とっくに知っていたのだ。
「う、うん。ごめんなさい……」
そう答えると、フレッドは机から離れ、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
「やっぱり……あなただったんだ……」
ハアハアと荒い息をしながら、彼はエミリアの両肩をつかんだ。そして自分の硬く盛りあがった部分を見下ろす。
「これ……鎮めてもらえますか……?」
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