愚者の勲章

Canaan

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第3章 Long Way To The Hero

03.囚われのお姫様

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「マキシム! 私をどうするつもりなの!」

 アッサズの領主館に連れてこられたデボラは、マキシムと対峙していた。
 ハーブを摘んでいたデボラが、そろそろ戻ろうと腰を上げた瞬間、上から狩猟用の網が降ってきたのだ。
 デボラはそのままマキシムの兵士にとらえられ、領主館へと運ばれた。

 伯父が生きていた頃はしょっちゅうここを訪れていたのだが、マキシムが領主となってからは次第に足が遠のき、デボラの父が亡くなった後は一度も来ていない。
 その間にマキシムは、住まいを贅沢に増改築したようだ。デボラの記憶にある内装や間取りと、現在の領主館は少し違っていた。

 兵士に腕を押さえられて身動きできなくなっているデボラをあざ笑うように、マキシムは目の前をうろうろとする。趣味の悪い金色と紫色の縦縞のマントを靡かせながら。
「私を殺しても、シラカはあなたのものにはならないわ」
 デボラとロイドの間に子供がいれば、その子のものになる。だが、デボラが死んでロイドだけが残された場合は……どうなるのだろう。父の遺言ではそこまで決められていなかったはずだ。
 だがマキシムは他の土地の例を知っていた。
「そうだな。デボラ。お前が子をなさぬまま死ねば、シラカは一時的に国王預かりの土地となるだろうな」
 そして王宮から調査のための役人がやって来て、問題がないとみなされれば、シラカは残ったステアリー一族……マキシムの手に渡る。
 継承し得るステアリー一族が存在しなければ、そのまま国王のものとなり、やがて手柄を立てたどこかの誰かが新しい爵位とともに受け取る土地となるらしい。
「ロイド様や領民たちはあなたが良き領主ではなかったと、国王の使者に訴えるわよ。あなたのものにはならないわ」
 マキシムは領民たちを脅して、使者と口を聞かないように命令するかもしれない。だがロイドは元王宮騎士だ。彼の意見ならば通りやすいだろう。それに、シラカとアッサズの間に問題があることを記した書簡はすでに出してある。
 やはり、シラカがマキシムのものになることはない。デボラはそう思った。

「デボラ。誰もお前を殺すなんて言ってないぞ」
「え……」
 マキシムがにやにやと気味悪い笑みを浮かべながら言った。
 デボラは首を傾げる。
 マキシムはデボラをさらったが、殺さないという。では、自分は何のために……。そこまで考えて、ぎくりとした。
「まさか……ロイド様をおびき寄せて、私たちに何かするつもり!?」
「フン、それも違うな」

 マキシムはまだシラカを諦めていない。シラカを手に入れるために、彼は何を考えているのだろう。
 デボラを殺すつもりもなく、ロイドを誘うために攫ったのでもない。それでいてシラカを手に入れる方法。そんなものが、あるのだろうか。
 マキシムができる、デボラの領地を手に入れるための一番簡単な方法は……デボラが独身のまま二十三歳になることだった。
 そうでなければ、自分がデボラと結婚することだった。
 デボラはマキシムと結婚なんて考えるだけでも寒気がするし、彼もそんなことを考えてはいなかっただろう。当時は。

 そしてデボラはロイドと結婚し、マキシムはまだシラカが欲しい。
 シラカを簡単に手に入れる方法。
 未亡人となったデボラを無理やりにでも娶れば、デボラの土地はマキシムのものになる。

「まさか……」
 その可能性に思い当った瞬間、ざっと血の気が引いた。
「おっ、気がついたのか?」
「マキシム! ロイド様をどうしたの!」
 マキシムに飛びかかって首を絞めてやりたかったが、押さえつけられているのでそれは出来なかった。
 そんなデボラを笑いながら見下ろし、バカにするようにマキシムは手をひらひらさせた。

「まだ何もしちゃいないさ。まだ、な」
「ロイド様に何をするつもりなの!」
「オレは何をするつもりもない」
 そう言った後で、いったん言葉を切る。

「だが、あの男はもうすぐ死ぬ」
「……!」
 それだけ告げると、マキシムは笑いながら出て行ってしまった。



 マキシムが「あの男は死んだ」と答えていたら、デボラは信じなかっただろう。マキシムに他人を殺めたりする度胸はなさそうだから。
 だが、「もうすぐ死ぬ」……?
 思わせぶりな科白だが、「死んだ」と言われるよりもずっと恐ろしくなった。
 デボラはすすり泣きを漏らした。


*


「ちょっと! デボラ様をどこにやったんだい!」

 ベティの怒鳴り声でロイドは目を覚ました。

「デボラ様は無事なんだろうね!?」

 辺りは薄暗いが、自分が石の床に横たわって気を失っていたのは分かった。
 空気はじめじめしていて、カビの臭いがする。
 ここがどこなのか、それからベティはどこで叫んでいるのか確かめようとして身体を起こした。

 薄闇の中でも目の前に鉄格子があるのが分かって、その不気味さにぎくりとした。
 それから鉄格子の内と外を見比べ……こちらが内側、つまり自分が牢獄のような場所に閉じ込められているのだとロイドは理解した。
 狭い通路を挟んだ向かい側にも似たような部屋があるが、中には誰もいない。
 どうやらベティはロイドの隣の牢獄にいるらしい。

「ちょいと! ここからお出し!」
 彼女は鉄格子をガチャガチャと揺らしているようだ。
「……ベティ殿?」
「ロイドさん!? 気がついたのかい?」
「ええ。あの、俺たちは……」
「……覚えてないんですか。ひょっとして打ち所が悪かったんですか」
「いや、覚えてます……」

 林の中にデボラのカゴが落ちていて、ロイドとベティはそれを拾った。
 その途端、上から狩猟用の大きな網が降って来て、もがく二人を囲み、外側から棒でぼこぼこと叩く者たちがいた。そこで気を失い……ここに連れて来られたようだ。
 ロイドはこの地にやって来て間もないから、知り合いと呼べるのは現在の領民たちだけだ。だが自分にこんなことをする人間なんて思い当たらない。……いや、一人いた。
「……マキシムか」
「そうですよ! マキシムの野郎ですよ! キィイイイ! カール! ここからお出し!」
 カールとは、マキシムの子分の名前だったか……ロイドが思い起こしていると、通路に足音が響く。

「う、う、うううるさいぞ。さ、さ、叫んだってたた助けないからなっ」
 ランプを持ったカールがやって来て、ベティにそう告げた。
「デボラ様は! デボラ様をどこにやったんだい!」
「う、うううるさい。お、おお前らに、おっ、おお、お教える必要はないっ」
 カールがマキシムの言葉を繰り返すのは聞いたことがあったが、どうやら彼は主の真似をしないとスムーズに喋ることができないらしい。

「デボラ様ー! デボラ様ー!!」
 再び鉄格子を揺すりながらベティは泣き叫んでいる。
 ロイドは考えた。
 林に落ちていたカゴは、ロイドやベティを捕まえるためのエサだったのだろうか。
 では、今頃デボラは……カゴを落としたとかカゴだけ奪われたのならば、まだいい。彼女がマキシムに連れ去られたのだとしたら。
 それに、ロイドとベティをこのような場所──未だにここがどこだか分からない──に閉じ込めて、マキシムは何を企んでいるのか。

 ……もともとマキシムはシラカの領地を自分のものにするつもりだった。だが、デボラが結婚したことで、その望みは絶たれた。
 それでもまだシラカを諦めていないのだとしたら。
 一番単純な方法は、ロイドを亡き者にして、未亡人となったデボラを無理やり娶ることではないのか……?
 うっかりそんな可能性に思い当って背筋が寒くなったが、そうすればマキシムは、間違いなく二つの領地を手にすることができる。
 恐ろしい考えだが、これが正解だとすると、少なくともデボラの命は無事だ。今のところは。

「お出し! ここからお出し! マキシムの野郎を連れて来い! ひき肉にして腸詰の材料にしてやるっ」
「うっ、うう、うるさいって言ってるだろっ。マ、ママママキシム様はっ、こ、ここ来ないっ。い、家にいるっ」
 ……家、とは、アッサズの領主館のことだろうか。ということは、この牢獄はアッサズ領主館とは別のところにあるのだろう。

「ベティ殿。この牢獄……ここがどこだか知ってますか」
「ええ? あたしが知るわけないじゃないか……あ。いや、ちょっとお待ちよ。ここは……」
 ベティは鉄格子を掴み、身を乗り出して通路を見渡しているらしい。暫くして彼女が言った。
「多分、だけど……昔、シラカとアッサズが一つの領地だった時……その時に使っていた地下牢獄があるって、聞いたことがあるよ。カール! どうなんだい?」
「し、しし知らないっ。マ、マキシム様に、な、何も言うなって言われてる……!」
 カールは焦ったように後ずさりし、通路から姿を消した。明かりも持って行ってしまったので、牢獄は真っ暗になった。おそらくはベティの言う通りだったのだろう。

「ベティ殿、ここがその牢獄だとして……場所は分かりますか」
「二つの集落の間にあるんだ。でも、入り口しか見たことがないよ。前は、人が立ち入れないように封鎖されてたはずだけどね」
「そうですか……」
 自分が殺されるとしたら、そのうちマキシムの私兵がやってきて連れ出され、どこかで首を刎ねられたりするのだろうか。それとも、ここでこのまま骨になるのだろうか……。

「ああ、デボラ様ぁ……」
 ベティは再びすすり泣きを始めた。
 ロイドはそれを聞きながら、手探りで鉄格子の甘くなっている部分や、床や壁が脆くなっているところがないかを確認した。



 隣の牢獄からはベティのいびきが聞こえてくる。
 最後に腹の虫が鳴ってからどれくらい経ったのだろうか。
 ロイドは何度かウトウトしたり、暗闇の中で探れる範囲を調べたりしていた。
 真っ暗だから今が何時なのかもわからない。
 このままここで衰弱死コースなのだろうか? 体力が無くなる前に、どうにかして脱出したい。
 そう考えていると、足音とともに明かりが近づいてくる。
 カールがやって来たのだ。

 彼は牢獄の中を照らし、ベティとロイドの存在を──或いは生存を──確認しているようだった。
 カールの手にはランプ以外のものは無い。つまり、水や食料の類を与えられることはないのだ。やはり衰弱死を狙っているのだろうか?
 そう思った途端、異常に喉が渇いてきた。
 だが、この男に懇願しても無駄だろう。それが分かっていたから、ロイドは別の手段に出た。

「あっ」
 カールが踵を返そうとした瞬間、ロイドは小さな声をあげた。

「うわ、壁の中に何かある……これ、何だろう……?」
 ロイドは牢獄の壁に向かって一人でしゃべり続ける。
「おっ……もしかして……金貨? うわ、昔の囚人が隠してたやつかなあ。どのくらい昔の金貨なんだろう」
「お、おい。な、なな何を見つけたんだ?」
 カールの興味を引いたらしい。ランプの明かりがロイドの背中に向けられたのが分かった。
 思った通り、カールは短絡的な男だ。上手くいきそうだったので笑いそうになったが、まだ罠にかかったとは言えない。ロイドは独り言を続ける。
「昔のお金って、今のやつ以上に価値があったりするって、聞いたことあるんだよな、そういえば。これ、保存状態はどうなんだろ……暗くてよく見えねえな……」
「お、おいっ。み、みみ見せてみろっ」
 金属のガチャガチャする音──鍵を開けているのだ──がしたかと思うと、背後にカールの立つ気配がした。

「み、み見せてみろ!」
 自分のすぐ後ろで声が聞こえた瞬間、ロイドはさっとカールの腕を取り、身体を入れ替えて床に組み伏せる。
「ぐ、ぐわ、な、何を……」
 カールの上に乗って彼の身体を調べ、そして鍵束を奪った。
「お、おいっ。お、お前……だ、だだ騙したのかっ?」
 鍵を奪われてはじめて、カールは騙されていたことに気付いたらしい。
「き、金貨っ。きき金貨は? う、嘘だったのか!?」
「あるわけないだろう、そんなもん」
 起き上がってきたカールを奥の方へ突き飛ばし、その隙にロイドはランプを持って牢獄から出る。
 鍵束といっても鍵は二つ──ロイドとベティの房の分だ──だけだった。カールを閉じ込めた場所に施錠し、今度はベティのいる房を開ける。

「ベティ殿、大丈夫ですか。ベティ殿」
「……んっ? おやっ?」
 彼女はちょっとした騒ぎがあったにも関わらず眠っていたようだ。身体を揺すると目を覚まして、驚いたように辺りを見回している。
「あいつ……カールの野郎は?」
 そう訊ねられたのでロイドは隣の房に視線をやった。
「お、おいっ。だ、だだ騙したなっ? だ、出せ! こ、ここから出せっ」
 カールは鉄格子を揺すって叫んでいる。
「おびき寄せた後で、鍵を奪って閉じ込めました」
「へえ。ロイドさん、あんた、やるじゃないか」
「まずはここから出ましょう。いったん、城に戻った方がいい」



 階段をのぼって地上へ出たが、ロイドには周辺の景色に見覚えはなかった。
 どれくらい閉じ込められていたのだろう。木々の隙間から入ってくる日差しは、午後遅くのものに見える。
 振り返れば、地下牢の入り口は草に埋もれていた。

「昔はここに通じる小道があったらしいけどね」
 ベティは知っていることを語った。

 シラカとアッサズが一つの領地だったころに牢獄として使われていたようだが、ベティが子供の頃にはもう封鎖されていた、と。
 当時の子供たちの間ではちょっとした恐怖スポットとなっていたが、入り口は固く釘を打たれていたので、中に入ることまでは出来なかったようだ。
「確か……こっちに進めば、シラカに帰れるはずだよ」
「分かりました、急ぎましょう」

 ベティの言う方へ進んだが、途中で彼女は草の根に足を引っかけて転んだ。
 そこからはロイドが彼女を背負って、シラカの城を目指す。
「悪いねえ。重たいだろう」
「いえ、平気です。それより……ベティ殿、すみません。俺と一緒にいたせいで……」
 ロイドとともに行動していたことで、ベティまで巻き添えになってしまった。責められることを覚悟していたが、ベティはロイドを悪く言わなかった。
「悪いのはマキシムの野郎さ。あいつ、あんたが邪魔なんだろう」
 デボラを未亡人にして、無理やり妻にする……ベティもマキシムの考えをそう読んでいた。そうだとしても、一つ不思議なことがある。
「マキシムは、どうして俺を殺さなかったんでしょう」
 ロイドは気を失っていたから、いつでも息の根を止めることができたはずだ。しかしマキシムはそうしなかった。

 ベティはフンと鼻を鳴らす。
「そんな血を見るような度胸、マキシムの野郎にある訳ないじゃないか! 何より、あたしたちを衰弱死させた後で山に捨てておけば、迷って死んだだけの遭難事故ってことになるだろう? あいつはそれを狙っているのさ、きっと」
「なるほど……」
「ロイドさん、こうなったらあんたが頼りだよ! デボラ様を……この土地を助けておくれ!」
「は、はい!」
 肩をばしっと叩かれ、ロイドは背筋を正した。


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