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第2章 Viva! Stupid People
02.初夜の壁
しおりを挟むデボラの朝は、家畜の数の確認から始まる。
家畜小屋や柵が壊されていないか、家畜が減っていないかを数え、彼らに餌を与える。鶏小屋を覗いて卵を手に取って厨房へ向かい、ベティと一緒に食事の支度を始めるのだ。
その後は城の中の掃除や手入れ、山へ行って食べられる山菜を採ってきたりと雑事に明け暮れる。
アッサズへ行ってしまった村人たちの家や畑も痛まない程度に面倒を見てやりたかったが、今の人数では手が回らなかった。
今回デボラの元へ現れた村人たちは三家族、合わせて十二人。一番最後までシラカに留まっていてくれた人たちだった。
「みなさん、お帰りなさい!」
「デボラ様……すみません。わしら、裏切るような真似をして……」
彼らは数日で戻ってきたことになるせいか、決まり悪そうにしている。
「いいのです。状況的に、仕方のなかったことですから。それよりもあなたたちが戻って来てくれたことが嬉しいわ」
デボラの結婚を確認したマキシムは、自分の領地に戻ってもそれを村人たちに伝えようとしなかったらしい。ただひたすら機嫌が悪かったと。口を滑らせたのは彼の子分のカールであった。
今日戻ってきた十二人はアッサズに入って間もなかったこともあって、身軽に引っ越しすることが出来たようだ。
「では、他のシラカの方たちは……」
デボラの問いに、戻ってきた村人は沈んだ顔で首を振った。
「わしらがアッサズを出ようとすると、マキシム様は『貴様らのような薄情な住民などこちらから願い下げだ』と怒鳴りました。それから、他の村人たちに向かって……『だが今後はアッサズを出ようとする者は罰する』と言って……」
「なんですって」
領主の結婚によってシラカも安定すると……希望を持ったシラカの元領民たちは多かったが、それをマキシムが遮った。
これまでマキシムはデボラが外へ出られないように、シラカとアッサズの領地境に兵を置いていた。今度からそれらの兵は領民がアッサズからシラカへ流れないように監視するらしい。
ただでさえマキシムはシラカから領民を掠め取ったようなものなのに、心底ずるい男だと思う。
話を聞いていたロイドがそこで手をあげた。
「このまま外界との接触手段が絶たれるのはまずいな。俺、キドニスへ行って手紙を出してくるよ」
「ロイド様……! ですが、キドニスへは……」
アッサズの領地を通過しなければ、キドニスへは繋がらない。ロイドは頷いた。
「林を抜ける。俺が……君と初めて出会った場所があるだろう」
「あ……」
そう言われてデボラはあの瞬間を思い出す。
彼は何も身に着けておらず……ベティがとんでもない誤解をした、あの時のことを。
「結婚の報告もしなくちゃいけないし……上手くいけば、戦力になる兵士を回してもらえるかもしれない」
ロイドはモルディスに住む姉を訪ねた後、調査のためにシラカへやって来た……というか、迷い込んできたのだ。
そこへデボラが結婚を申し込み、彼は……困っている女性を放っておけなかったのかもしれない。デボラの頼みを聞いてくれた。
あれは彼の騎士道精神だったのだろう。
そしてロイドは、慣れないなりにシラカについて学ぼうとしている。
──俺だって……シラカのために何かしたいよ
作業場の掃除を手伝ってくれたのもそうだし、林を抜けてキドニスへ行くと言ってくれたのもそうだ。シラカの現状をなんとかするために。
ロイドの出した手紙が王宮へ届き、兵士を寄越してくれたらマキシムは大人しくなるだろう。領民たちも帰ってくる。だが、その後は……?
今の自分とロイドとの間には、見えない隔たりがある。そんな気がする。
「夜明けと同時にシラカを出るよ」
夜、床に入る前にロイドはそう言った。
キドニスへはシドも同行することとなっている。彼の経験のため、それから司祭に頼まれた品物──主にお酒とタバコである──を購入するためでもあった。
林を抜けた後に出る街道ならば駆け足で馬を進めることが出来るが、買い物をしたり手紙を出したりしていては、一日で往復するのは無理だろう。
彼が帰って来るのは明後日になる。
「はい。旅の無事をお祈りしています」
「大げさだなあ。でも、ありがとう。シドもいるし、充分に気を付けるよ」
ロイドは毛布を捲り、デボラの隣に身体を滑り込ませた。
デボラは彼が触れてきてもびっくりしたりしないように心の準備を整えていたが、やはりロイドが触れてくることは無かった。
どうして。どうして初夜の壁を超えることが出来ないのだろう。
自分は彼の好みとは大きくかけ離れているのだろうか。
騎士道精神を発揮させて結婚を承諾したは良いが、デボラ相手では初夜を完遂できそうにないのだろうか。
思い切って訊ねようかと考えたが、彼は優しい人だ。そして正直な人でもある。デボラが傷つかないように、しかし嘘を吐くことは出来ずに言葉に詰まってしまうのでは。
そんな状態のロイドを見るのは怖くて、デボラから彼に問うことは出来そうにない。
問うことは出来そうにないが……。
「ロイド様……」
デボラはロイドの方を向いて、毛布の中で彼の腕に触れた。
途端、ビクッとロイドの身体が跳ね上がった。
「えっ、な、何……!?」
動揺しているのだろうか。声まで裏返っている。
やはりデボラと触れ合うのは嫌なのだろうか……悲しくなったが、彼の動揺ぶりが哀れでもあった。
「いえ……おやすみなさいませ」
「う、うん。おやすみ……」
色仕掛け……とも呼べぬような行為は、あえなく失敗に終わった。
本来ならばもっと色っぽい誘い方があるのかもしれないが、デボラにはよく分からない。
ベティに相談してみようか。いや、彼女のロイドに対する評価は妙に厳しい。ロイドが触れてくれないことをベティに言うのは、良くないような気もした。
「じゃ、シド。タバコはゴダール産のものを頼みますよ。酒は……キドニスのものでもサリマのものでも構いませんから」
「はい、司祭様」
翌朝、キドニスへの出立の準備をするシドに、司祭は買い物を頼んでいる。タバコの葉と酒のことらしい。
デボラは馬の点検をしているロイドへ近寄った。
彼は自分の大きな馬と、それからシドにも扱える大人しい牝馬に馬具を装着している。
「ロイド様。どうかお気をつけて……」
「うん。デボラ殿は……街で買ってきてほしいものはある?」
ベティにはスパイスの類を頼まれているようだ。確かに塩や砂糖はまだ余裕があるが、胡椒やシナモンが少なくなってきている。食料関係で気になることはそれだけだったので、デボラは首を振った。
「いえ。特には」
「好きな菓子とかあったら、買ってくるけど」
そこで、彼はデボラ個人のために質問をしているのだと気がついた。
「いえ……ロイド様が無事に帰ってきてくだされば、私はそれで……」
こうして気づかってくれるのだし、ロイドはデボラを嫌っているわけではないのだと思う。でも……抱けるほど好きではないということなのだろうか。
確かに自分は愛してくれなくても構わないと言ったが……夫婦の間に何もないというのも、困る。
ロイドが帰ってきたら、ちゃんと話し合ってみようか。それとも、寝巻を工夫するとかして、もうちょっと大胆に迫ってみようか……。
ロイドとシドは馬を引きながら林の中へと入って行った。
「では頼みましたよー」
司祭は手を振りながら彼らを見送っていてが、二人の姿が見えなくなると庭に蹲り、落ち葉を集め出した。
「ベティさんに茶葉を使うなって怒られちゃったんですよ。シドが帰ってくるまで、これで凌ぐとしますかね」
「……そうですか」
なんと彼は、乾いた落ち葉を細かく砕いてパイプに詰めようと考えているようだ。
そこまでして吸いたいものなのだろうか。
見送りが済んだ後で、デボラは寝室へ向かった。
衣装箱を漁り、ちょっと手を加えれば色気の出そうな肌着を探す。
それから我に返って恥ずかしくなった。
夫を誘惑することばかりを考えるなんて、自分はなんて不埒な女なのだろうと。それに、まだ昼にもなっていない。
いいえ、不埒かもしれないけれど、シラカの将来を思えばとても大切なことだし……熱くなった頬に手を当てて考える。
すると、
「デボラ様、ちょっといいですか?」
扉の所から、ベティが顔を覗かせている。
「え、ええ。どうしたの?」
彼女は非常に厳しい顔をしてデボラの前まで歩いてきて、ため息を吐く。
「言おうか言うまいか迷ったんですけどね……」
「ええ……何?」
あまりいい予感はしない。というか、ベティの様子からして悪い話に決まっている。デボラは身構えた。
しかしベティの言葉は、デボラの予想を上回るものだった。
「あの騎士……ロイドさんね……あいつ、女いますよ」
デボラは返事をすることも、唾を飲み込むことも出来ずにいた。
彼女の言葉を受け止めようとして深呼吸するも、それすら上手くいかない。
「あたし、聞いちまったんです。ロイドさんが鍛錬だとか言って滝に打たれてる時なんですけどね……」
それならばデボラも目にした。
邪魔をしては悪いと思ったのでずっとそばにいることは無かったが。
「あの男……すいませんシェリー様……とかなんとかって呟いてたんですよ!」
「シェリー、様……?」
デボラはぼんやりとその名を繰り返した。
「シェリー様……」
「そうですよ! 王都に残してきた女の名前だ……って、あたしはピンときましたね!」
シェリー様。
結婚を申し込む前、デボラはロイドにいくつか確認をした。
彼は独身であったし、彼を待っている人……恋人や婚約者もいないと言っていた筈だ。
それが本当ならば、シェリーという女性はロイドの想い人なのだろうか。完全な片恋か、或いは……他人の妻。
彼がデボラを抱こうとしても抱けなかった理由に、ようやく思い当たった気がした。
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