愚者のオラトリオ

Canaan

文字の大きさ
上 下
29 / 41
番外編

毎日あんたで抜いてやる 2

しおりを挟む



 ──これから、毎日あんたで抜いてやるからな!
 ──あんたをオカズに、毎日抜いてやるって言ってんだよ!

 ステラは朝からベネディクトが放った捨てゼリフのことを考えていた。
 ステラには、彼の言う「抜く」と「オカズ」の意味がよくわからなかった。

 何を「抜く」というのだ。
 それに他人を惣菜扱いするとは、いったいどういうことなのだ。

 下品な内容であるのはなんとなくわかる。これまで、こういった質問をぶつけるのはベネディクトがちょうど良かったのだが、今回はベネディクト本人から言われたセリフだった。
 改めて訊ねるにしても、「上官と部下」である期間内は私事での接触を避けたい。
「もしかして……」
 敢えて謎めいたセリフを残すことで、ステラがその意味を聞きにくるだろうと踏んでのことだろうか。
 だとしたら、わざわざ確かめに行くのは癪というものだ。
「……。」
 実は、昨夜のあの瞬間、ステラは彼が別れを口にするのではないかと思っていた。
 ベネディクト・ラスキンがド阿呆だということはじゅうぶんに承知の上だが、それでも彼は少々浮かれすぎだ。ちょっとでも接触を許したら、絶対に周囲に悟られるとステラは警戒した。
 叔父が戻ってくるまであと二、三週間。ステラがもとの任務に戻れば、フェルビアを離れるのも二、三週間。それくらいの期間が我慢できないようであれば、どちらにしろベネディクトとはやっていけないとステラも思う。
 思うが……「やっぱり、あんたとは無理だ」彼の口からそんな言葉がでてくるところを想像したら、急に怖くなったのだ。
 しかし、ベネディクトが口にしたセリフは、ステラの予想とはまったく違うものであった。

 ステラは手元の教材に目を落とした。
 これは、新人騎士たちが使うものだ。今のところ、目を通さなくてはいけない書類は渡されていないし、今日はやることが無いのだ。
 やることがないから、新人用の教材をいたずらに捲りながら、職務中にこんなことを考えてしまう。
 どこかのクラスの見学にでも行ってみようか……そう考えながら顔をあげると、ベネディクトと目が合った。

 ステラは無視して別のどこかへ視線を移そうとしたが、それができなかった。
 彼が、やたらと官能的な笑みを浮かべたからである。まるで、ステラの足の間に顔を埋めようとした時みたいに、どこか嗜虐的でもあった。
 ステラがぎくりとすると、ベネディクトは自分の机の上に視線を落とす。……いや、彼が見ているのは机の上ではない。彼は机の下──ステラからは死角になる場所──で、なにかごそごそとやっているのだ。
 片方の手で何かを持ち、もう片方の手を上下に動かしている。そんな風に見えた。
「……?」
 何をしているのだろう。ステラがベネディクトの動きに釘付けになっていると、彼はもう一度顔をあげ、勝ち誇ったようないやらしい笑みを浮かべる。そしてまた手を上下させる作業に戻った。ゆっくりとストロークさせたかと思うと、次は小刻みに動かしている。
「……!!」
 ここでようやく「あんたをオカズに抜く」という意味を悟ったステラである。
 あれは、ステラを題材にして自慰をするということだったのだ。
 しかし……まさか、ここでやるとは思わなかった。
「な。ま、まさか……」
 ステラは慌てて周辺を見渡した。幸いにも、ベネディクトの怪しげな動きに気づいている者はほかにはいない。
 だがベネディクトは何を考えているのだろう。冷たくされてへそを曲げているのか、ステラの気を引きたいだけなのかはわからないが、職務中に自慰をするなんて、誰かに見られでもしたら、騎士生命だけでなく人として終わりではないか。
「お、おい。ラスキン……貴様、いったい何を……」
 ステラは立ち上がり、ベネディクトの机に近づくと、恐る恐る彼の手に握られたものを確認した。

 そこには、ペン軸があった。
 ベネディクトは、ペン軸を布で磨いていたのである。

 呆れるべきなのだろうが、職場で自慰をしているのではなかったことにステラは安心してしまった。
「な、なんだ……」
 ほっと息を吐き出すと、ベネディクトがにやつきながらステラを見上げる。
「なんっすか? 俺は、筆記具の手入れしてただけですけど」
「……なんでもない」
 彼はステラをからかっていたらしい。「貴様!」と怒鳴って彼の首を締めあげたい衝動に駆られたが、ステラは深呼吸してから踵を返した。
 しかし背後から、
「いったい何だと思ったんっすかねえ~」
 などと煽られたので、結局振り向いて怒鳴ってしまった。
「貴様、ふざけるなよ!」
「おっと」
 ベネディクトの上着の襟を掴んで彼を立たせると、周囲がざわついた。
「おいおい。またあいつ何かやらかしたのか……?」
「けど、代理の手が出そうだぜ。さすがに止めたほうがいいんじゃないか……?」
 そんな言葉も聞こえてくる。
 しかも部屋が騒がしくなったのをいいことに、ベネディクトはステラにだけ聞こえるようにボソッと呟いた。
「あんたがこんなに近くにきたら、マジで勃っちまいそうなんだけど。ブチ切れてるあんたって、けっこうエロいんだよな……」
「クソッ……変態め!!」
 ステラはベネディクトの襟からバッと手を放し、一歩後退した。
「え? いま、あいつ何かした?」
「わからん。何か呟いたみたいだけど……」
 ステラが急に距離をとったので、今度はそんな疑問の声があがる。
 傍から見たら、今の自分はベネディクトに強烈な反撃をくらったみたい──実際、そのとおりなのかもしれないが──ではないか。
「貴様ら、何をじろじろ見ているんだ!? 仕事に戻れ!!」
 ステラはこちらに注目している教官たちを睨み、そう吐き捨てて自分の席へ戻った。もう、屈辱感でいっぱいである。



 その鬱憤は、海賊たちへの尋問で晴らすに限る。

 新人教育課が休みになる前日、ステラは港にある海軍の施設へと戻った。
 いつものようにジェイソンがステラを出迎える。
「団長、お疲れ様です」
「サンダンスの野郎はどうなってる」
「は。現在、地下で取り調べを行っておりますが……奴の手首のことでしたら、定期的に軍医に診てもらっています」
 サンダンスとは、人質騒ぎがあった時、ステラに手首を折られた海賊だ。アリスターを捕らえて人質交換を申し出た海賊の頭目らしかった。
「で? 『死の舞踏』を構成する海賊たちについては、何か吐いたのか?」
「いえ……それについては、何も」
「チッ……」
 海賊たちは意外と口が堅い。サンダンスが率いるメンバー全員を捕らえ、船まで没収したはずだ。失うものが何も無ければ、簡単に「死の舞踏」について口を割ると踏んでいたのだが。
「サンダンスの配下の者は全員捕らえたと思っていたが……そうではなかったのだろうか」
「それは私も考えました。実務をサンダンスが請け負っていただけで、ブレーンの役割をする者はほかにいるのかもしれません」
「ふむ。では『死の舞踏』についてではなく、『サンダンス海賊団』に絞って尋問してみるか」
「は。それがいいかと思われます」
 ジェイソンとそんな計画を立てながら、地下へと向かう。
 取調室の扉を開けると、そこにはステラの部下と、両手を縛められた状態で椅子に腰かけたサンダンスがいた。片方の手はステラが折っているから、固定器具と一緒に縛られている。
 サンダンスはステラの姿を見ると、いやらしくて嫌味ったらしい表情になった。
「おうおう、なんだ、女団長さんのおでましかよ」
 彼は手首を顎で示しながら続ける。
「あんたが俺の利き手をこうしてくれたせいでマスもかけねえ。代わりに、俺の逸物はあんたがしごいてやってくれるんだよなあ!?」
「……。」
 ステラは、サンダンスを見つめた。
 これまでならば、彼らの言っている意味がよくわからず、また、見当がついてもどう振る舞えばよいかがわからなかった。
 しかし、今ならばそれがわかる……気がする。「マスをかく」とは自慰のことだろう。なぜ、自慰に関しての表現がこれほどバリエーション豊かなのかまではわからないが。
「……いいだろう」
「えっ」
 ステラがそう答えると、「えっ」と反応したのはジェイソンであった。サンダンスは期待に満ちた表情でステラを見上げている。
「おおっ。そうこなくっちゃな! あんたは舎弟どものちんぽもしごいてやってんだろう? 俺にも、やってみせてくれよ……うをっ!?」
 期待に応えるべく、ステラはサンダンスの椅子を蹴飛ばした。彼は床に尻もちをつく。
「だが貴様は喋り過ぎだ……少し黙ってろ」
 ステラはサンダンスに近寄り、その股間を足で踏んだ。
「貴様の言うとおり、部下たちの相手で忙しくてな。少々疲れている。今はこれで我慢しな」
「おっ、おぉおお……!?」
 そう言って、サンダンスの股間を踏む力に強弱をつけた。
 別に部下たちの相手などしたことはないが、こんな風に肯定しても、誰も本気にはしないだろう。今のステラにはそれがわかるようになっていた。
 ズボン越しにブーツで踏みつけ、つま先で突き、ときおりごしごしと擦る。すると、サンダンスの股間は硬く張りつめてきた。
「ほう……貴様、足でしごかれて興奮できるのか。なかなかの変態ではないか……?」
 だが、硬くなったところを踏みつけながらも、違和感を覚えた。

 小さい。
 ステラが知っているサイズよりも、やたらと小さいのである。

「うん……?」
 ステラは訝しみつつ、サンダンスの股間を観察し、つま先で形を確かめるようになぞってみる。サンダンスが勃起していることは確かなようだ。では、これがこの男の最大のサイズなのだろうか。
「う、ぉあああ……」
「おい。貴様!」
 ステラは、うっとりとしているサンダンスに詰め寄った。
「貴様のこれは……勃起している状態なのか!?」
「お、おおう」
 そのうめき声は、肯定のように聞こえた。
「これで勃起しているだと!? 親指ほどしかないではないか!! これで、どうやって女と性交するのだ!?」
 ステラは、純粋な疑問を口にしただけのつもりであった。
 ステラが初めて間近で見た勃起状態のそれは、ベネディクトのものであった。いざ繋がる時は、「こんなものが本当に入るのか?」と慄きはしたものの「同じ場所から出てくるという、赤ん坊よりは小さいはずだ」と自分に言い聞かせたものだ。
 しかし、サンダンスのものはそれとは比べ物にならないほど小さかった。
 人によってサイズは異なるらしいという知識はあったが、ここまで違うとは思っていなかったのだ。
「こ、これでは……入っているかどうかもわからないではないか!!」
「ぅぇえ……そ、そんな……」
 途端に、サンダンスのうめき声は悲痛なものに変わり、股間はどんどん硬さを失っていく。しまいにはブーツ越しではあるのかないのかすらわからない状態になり、サンダンス自身もまた、生きているのかどうかよくわからない状態になった。

 尋問もままならなくなったのでサンダンスを牢へ戻し、ステラたちも執務室へと戻る。
 その際、ジェイソンが言った。
「ハサウェイ団長って、下ネタはお嫌いなのかと思っていました。いつも、相手にしておられないようなので」
「うん? あ、ああ」
 ステラは曖昧な返事をしたが、後ろについて来ている他の部下たちも、興奮した様子で頷いている。
「同じ男としてはちょっと気の毒だったけどな。あいつ、たぶんもう勃たないんじゃないか?」
「たしかに、最後のアレは強烈でしたね~! 最初はドSっぽく振る舞ってたのに、いきなり素に戻って辛辣な疑問をぶつけるところ! 俺、団長の演技に感動しましたよ!」
「う、うむ……?」
 演技ではなく、本当に疑問に思っただけなのだが、
「団長って下ネタも大丈夫だったんですね!」
「ああいうこともできるなら、団長ってもう最強じゃないですか!? 今回は尋問できなくなっちゃいましたけど……でも、長期的に見れば、さっきの作戦は海賊に多大なダメージを与えられますよ! 出し惜しみせず、どんどんやっていきましょう!」
「う、うむ……」
 はしゃぐ部下たちの手前、頷いておくしかないステラだった。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

嫌われ女騎士は塩対応だった堅物騎士様と蜜愛中! 愚者の花道

Canaan
恋愛
旧題:愚者の花道 周囲からの風当たりは強いが、逞しく生きている平民あがりの女騎士ヘザー。ある時、とんでもない痴態を高慢エリート男ヒューイに目撃されてしまう。しかも、新しい配属先には自分の上官としてそのヒューイがいた……。 女子力低い残念ヒロインが、超感じ悪い堅物男の調子をだんだん狂わせていくお話。 ※シリーズ「愚者たちの物語 その2」※

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

男装騎士はエリート騎士団長から離れられません!

Canaan
恋愛
女性騎士で伯爵令嬢のテレサは配置換えで騎士団長となった陰険エリート魔術師・エリオットに反発心を抱いていた。剣で戦わない団長なんてありえない! そんなテレサだったが、ある日、魔法薬の事故でエリオットから一定以上の距離をとろうとすると、淫らな気分に襲われる体質になってしまい!? 目の前で発情する彼女を見たエリオットは仕方なく『治療』をはじめるが、男だと思い込んでいたテレサが女性だと気が付き……。インテリ騎士の硬い指先が、火照った肌を滑る。誰にも触れられたことのない場所を優しくほぐされると、身体はとろとろに蕩けてしまって――。二十四時間離れられない二人の恋の行く末は?

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈 
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

処理中です...