愚者のオラトリオ

Canaan

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第2章 Surrender

02.とある侯爵令嬢の年譜 2

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 三年間をドンスレーの街で過ごしたステラに、また異動命令が下った。
 今度は、海軍の黒鴎騎士団であった。そこでははじめから団長の地位が約束されていた。侯爵家の力ではなく、自分の実力で勝ち取った地位だった。
 海軍の拠点は各々の船だが、陸地で使う拠点も用意されていた。港には各騎士団の詰所と宿舎を合わせた大きな建物があった。

『はじめまして。私は黒鴎騎士団副団長のジェイソン・ゴーラムです』
『貴様が副団長か。私はステラ・ハサウェイだ。これまでミルッカ砦とドンスレーの街に駐留していたが、海軍ははじめてだ。色々と世話になる』
『こちらこそ、よろしくお願いいたします』
 港の詰所を訪ねると、副団長のジェイソンがステラを出迎えたが、他の団員たちの姿は見当たらなかった。
『おい……他の団員は?』
『あ、その……』
 途端にジェイソンの顔が曇った。
 騎士団長の就任日に集まらないとはいい度胸である。それとも、女だからとなめられているのだろうか。だが副団長はしっかり挨拶にやって来た。では、この副団長には統率力がまったくないとみるべきだろうか。
『そういうことではないのです……いえ、そういうことかもしれませんが、実は……』
 ジェイソンはこの騎士団に起こった出来事を語り始めた。

 海軍に所属する騎士団は、どれだけ多くの海賊船を捕まえられるかを競っている。奪還した宝は──持ち主がわかっていれば──持ち主に返還し、何割かを国に納め、残りを船の修繕などといった騎士団活動費に充てる。
 戦闘の機会が多い騎士団はたいていが実力主義であったが、海軍に所属する騎士団はそれが顕著だった。
 そして海に出た船は、孤島でもあり密室でもあると言えた。騎士団の指揮官は、絶大な統率力を求められる。部下たちに慕われる必要はない。だが嫌われていれば事故を装って夜の海に放り出される可能性もある。慕われる必要はないが、畏怖される存在でなくてはいけなかった。
『以前の団長は……全員に嫌われているわけではなかったし、怖れられているわけでもなかったと思います』
『凡俗な上官といったところか』
『ええ、まあ……事件が起こるまではそうだったと思います』
『で、事件とは何だ。エジソン』
『……私は、ジェイソンです』
『いいから早く言わんか!』
『は、はい! それが……』

 騎士団長は真面目で慎重な人物で、命を大切に扱う傾向があった。つまり、無理をして海賊船を追うことはしない。天候の変化に伴って追跡を断念することも珍しくなかった。勝利や獲得の瞬間を味わう機会がないから、騎士団員たちの士気も高くはなかった。
 よって、凡俗な騎士団長が率いる黒鴎騎士団の海軍での成績は、下から二番目か三番目をうろついていた。最下位が何期も続くと騎士団は解散を命じられるが、それをぎりぎりかわしている状態であった。
『凡俗どころか、ただの使えない臆病者ではないか。なんでそんな男が団長を務めていたんだ?』
『前々騎士団長が退役する際に任命していったんですよ。それで、前団長は奥さんと娘さんもいましたから……無事に陸地へ戻りたいと思うのも、無理はないかと』
『ふん。妻子持ちの騎士などたくさんいるではないか』
 前団長はやっぱり臆病者だと思った。
『で、事件とは何だ? 勿体ぶるのもいい加減にしろ』
『は、はい! 前団長は、騎士団の予算を持ち逃げしたんです』
 しかし、その臆病者は大それた事件を起こしたのである。
 成績が悪いから国からの予算はそれほどおりない。そこを海賊船を捕まえることで補填すべきなのだが、それもやらない。なけなしの予算だが、騎士団にとっては貴重な金であった。それを騎士団長が盗み、姿を消した。
 話を聞いたステラは宙を仰いだ。
『……けち臭い事件だな』
『けど、慎重で真面目な男で通ってましたからね。前団長にしては、思い切った行動だと思います』
『で? そいつは捕まったのか?』
『はい。ルルザの街で、夫人ではない女性と一緒のところを』
『……!!』
 なんと、慎重で真面目だったはずの前騎士団長は、愛人と逃げるために金を盗んだらしかった。もちろん彼は騎士の称号を剥奪された。未使用の金は返還されたが、騎士団を今後も維持するには到底足りない額であった。

『お金がないので事件後は巡航へもでていません。船の修繕費用もない状態なのです。団員たちも一人二人と辞めていきました。残った者たちも港をぶらぶらするだけの毎日です』
『なんだと……? 騎士団として、まったく機能していないではないか!』
『はい、その通りです。この状態では、黒鴎騎士団はまもなく解散となるでしょう。ハサウェイ団長、言い難いのですが……貴女は、泥をかぶるために派遣されたのではないでしょうか』
『……。』

 不祥事を起こした騎士団長。彼の次に団長に就任したのは女騎士であった。
 進んで女に従おうとする男は少ないし、女のほうにもリーダーとしての器はなかった。
 黒鴎騎士団の瓦解は致し方ないことだったのだ……。

『そして黒鴎騎士団を解散させる……そういうシナリオなんだと、私は思いますよ。海軍は実力に伴って大きな儲けが出るので、参入したがっている騎士団は多いと聞きます。私どもが解散に追い込まれれば、ひとつ、空きが出るわけですから』
『ふうん……そういう風に持って行きたいやつが、上層部にいるということか』
『飽く迄も私の推測ですが』
 自分だって貴族ということで融通を利かせてもらって騎士になった。同じように、家の力やコネを使って騎士団の瓦解を企む人間がいても不思議ではない。
 そこまでは理解したが、気に入らない。今回ばかりは実力で勝ち取った団長の地位だと思っていたからだ。それに、自分の前任者が愛人と逃げた男だというのも、まったく気に入らない。
『私も、なめられたものだな……だが、』
 だったら自分の力で黒鴎騎士団を再生させてみようではないか。
 ステラは詰所から窓の外を見た。港にはいくつかの船が停泊しているところが見える。使用していない船は基本的にドックに入れるそうなのだが、修繕費用もなく、次に使用する見通しが立っていない騎士団のボロ船は、一番遠い桟橋のはずれで放置されているらしい。
『私を騎士団の船に案内しろ、ジョンソン!』
『……ジェイソンです。ジェイソン・ゴーラムです』
『いいから早く来い!』
『は、はい!』

 天気が良い日だったから、数少ない団員たちは騎士団所有のボロ船の上で好き勝手に過ごしていた。
 甲板に椅子を置いて読書するもの、上半身裸になり寝そべって肌を焼いているもの、手すりの近くで釣りをするもの、団員の数は少ないなりにもその様子は種々であった。
 ステラは眉を顰めつつ、彼らを──やる気のない彼らを──統率するには何が必要かを考えた。そして最初が肝心だと判断した。
 ダン、ダンっとわざと大きな足音を立てて甲板の中央へと大股で歩く。メインマストの近くで足を止めて周囲を見渡す。こちらに気づいた者もいたが、そうでない者もいた。ステラは腹の底から声を出した。
『おい、よく聞けクソども! 私は今日から団長を務めるハサウェイだ!』
 皆、わけがわからないといった風だったが、中にはあからさまに厭な表情を作るものもいた。
『今さら女が来てどうなるって言うんだよ』
『団長じゃなくて娼婦の間違いなんじゃねえの』
 ステラは無言で短剣を投じた。それは「娼婦」と言った騎士の足元にぐさりと刺さる。
『うおっ!?』
『今のはわざと外してやったんだ。次は当てるぞ』
『あっ、危ねえじゃねえかよ! 何しやがる!』
 股間と口の中、どちらに命中させてほしいのかを訊ねる前に、騎士は顔を真っ赤にして詰め寄ってきた。彼はステラに掴みかかろうとしたので、逆にその手首を掴み、捩じりあげる。さらにぎゅっと握ると、骨の軋む音が聞こえたような気がした。
『いで! いでででで!!』
 歯向かってきた騎士を取り押さえながらもう一度顔をあげると、甲板の空気が一変しているのがわかった。そこで追い打ちをかけるように怒鳴った。
『私に従えないやつは今すぐ船を下りろ! だが、手柄を立てた際の報奨金は約束してやる。平民出身だろうが何だろうが、出自も問わん。使えないやつは捨てていくし、活躍したものは取り立てる!』

 そう宣言したあと、ステラは私財を投じて船の修繕と改造に取り掛かった。これまでに受け取った給金や報奨金を使うことに躊躇いはなかった。必要な投資だと思えたからだ。
 速くて頑丈な船を用意すると、今度は海運会社から腕の良い船乗りを引き抜いた。測量や操舵を任せられる優秀な騎士は、ほかの騎士団からのスカウトなどですでに黒鴎騎士団を去ってしまっていたのだ。
 ほかには、有名なレストランからコックも引き抜いた。寂れたミルッカ砦にいた頃、食事の質は騎士たちの士気に大いに関わると学んでいたからだ。
 人材不足は深刻だったので、騎士ではない者を取り立てることにもやはり躊躇いはなかった。
 そして初めての任務で手に入れた宝は、団員たちに分け与えるほか、船のさらなる改良に使った。それから、前団長の妻を探し当て──離縁して実家に帰っていた──見舞金を渡した。
 国王の機嫌を取るために、入手した金品を規定よりも多めに納める騎士団は多いと聞く。だがステラは団員たちへの還元と、船の改良を優先した。

 こうして解散寸前と噂されていた黒鴎騎士団は、ステラが団長になって二年とかからずに、海軍で一番の騎士団だと認められるまでになったのだった。


*


「ほんとうに……すべて、叔父上のおかげなのです」
 ステラは自分の手のひらを見つめ、それを握り、再びひらいた。
 この手のひらは、剣よりも強くて信頼に足る自分だけの武器だ。
 男と同じ重さのものを持ち上げたり引っ張ったりする必要はない。自分の体躯に見合った筋力を得て最大限にそれを利用する……叔父の柔軟なアドバイスがなければ、ここに辿り着くまでにもっと時間がかかっていただろう。
「しかし、あの生真面目で従順だったステラが、海軍の騎士団長を務めるまでになるとはねえ……無理はしていないかい?」
「ご心配なく。私はもともとこういう人間だったのです」
 昔は両親や兄の言うとおり真面目な淑女であろうとしたが、それが騎士として真面目に生きることに変わっただけだ。
「うん、うん。お前のお父さんたちは未だにお前のことを心配しているようだけれどね、私はお前が活躍の場を見つけたこと、心から嬉しく思うよ」
「ありがとうございます……」

 しんみりした雰囲気ではあるが、ステラにはさっきから気になっていることがある。
 叔父の、積み重ねた枕の隙間に、本のようなものが挟まっているのだ。

「分からないことがあったら、私になんでも聞きに来るんだよ」
「はい。ですが今のところ、バーキンという男が色々と手伝ってくれております」
「……バーキン?」
「はい」
「バーキン……? バ……バー……バークレイ君じゃなくて?」
「いえ、そいつではありません。バークレイとよくつるんでいる、黒髪の……」

 ステラは他人の名前──敵の名前以外──を覚えるのが苦手だ。
 なんとか・バーキン……背が高くて肩幅が広くてふさふさした黒髪の男。ただでさえはっきりした顔立ちなのに、海軍騎士よりも肌が浅黒いので、ますますくどい顔に見える男だった。
 はじめの頃は動物が乱交している場面や、奴の尻の穴と股間のいきり立ったものの映像が先行していたが、今は顔のほうをすぐに思い浮かべることができた。

 ──あんたが命を懸けるのは、自分の騎士団を護る時だけにしておくべきだ

 気遣いを受けるなど実に久しぶりであったが、「女なんだから無理するな」「女なんだからやめておけ」……バーキンはそういうことは言わなかった。彼はステラを畏怖しながらも、それなりに尊重しているようにも思えた。
 ……ここで、奴の名前をちゃんと覚える努力をすべきかもしれないと考える。

「あ、ああー……、ラスキン君ね!」
「ああ、ラスキンでしたか」
「うん、うん。彼はなかなかできる男だ」
 叔父が動くたびに、枕の間に挟まっていた本がずりずりと押し出されてくる。
 やがて、本の半分近くがはみ出して見えた。
 厚みといい、表紙の色合いといい……どこかで目にしたことがあるような気がした。ステラはそれをさっと引き抜くと、表紙を確認した。
 ヒツジを襲うオオカミたちが描かれている。襲う、というのは、純粋な食事の意味ではない。やたらと人間くさくて婀娜っぽいイラストが描かれているのだ。
 性には疎いほうだと思うが、これが新聞紙のように幅広く出回っているもの──ひとりにつき一部所持していてもおかしくないもの──だとは、とても考えられなかった。

 無言で表紙を見つめるステラに叔父は気づいたようだ。
「えっ? あれっ? それは……!」
 叔父は慌てふためいている。
 ステラは目を細めた。
「叔父上。これは、いったい、どういうことなのですか?」


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