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1巻

1-2

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 つまり、銀色の髪を持つ青年の父が誰かなど想像に容易いという事だ。初めてお互いを視認した時、青年の表情は驚きと絶望に満ち、随分と滑稽だった。思わず吹き出してしまいそうだったが、俺は根性で痛ましい表情を浮かべてみせた。同情されたと思ったのだろう、それ以来蛇蝎だかつの如く彼には嫌われている。あの場で爆笑するよりはマシだと思ったんだが。

「寛大な御心に感謝します。では部屋を移動しましょう」

 祈りの部屋から少し離れた個室へ案内され、ソファへと腰掛ける。一見質素な作りだが、座り心地は悪くない。身分の高い者が座ることも考えられているのだろう。

「さて、では寄付についてだが〝いつも通り〟で構わないな?」
「ええ、いつもありがとうございます。あなたに神のご加護があらんことを」
「その言葉、謹んで受けよう。エセルバート神官長」

 因みに俺は、父に似て宝石も金も権力も大好きだ。それを悪いとも思わない。人間であればそれらに魅力を感じるのは当然であり、貴族である限り相応しい物を身につけるのも同様だ。
 それに、高位貴族が高級品を纏うのは、何も贅沢のためだけじゃない。貴族と平民のあり方に、明確な線を引くためでもある。
 もし俺がその辺にいる農夫と同じ服を纏ったとしよう。どういう結果をもたらすか分かるだろうか。彼らは愚かにも、貴族である俺と同等だと勘違いし、ひいては王への権威さえ疑うようになる。自分も簡単にその地位に立てるのではないかと、脳みその足りない彼らは錯覚するのだ。
 そのような事を避ける為、貴族は貴族らしくあらねばならない。贅沢をするのは悪い事ばかりでは無いのだ。
 つまり何が言いたいかというと、領民の金を横領するのも少しは許されて然るべきだという事である。
 その隠れ蓑として、俺はある程度の額を神殿に寄付し、また個人的に貧しい者たちへの施しをそこそこ行なっている。領民を苦しめるほどの税は集めていないし、きちんと国に納めるところは納めているし、貧しい者や神殿は潤うし、おまけに俺の懐も潤う。双方にメリットがあるどころか三方良しの関係なのだ。エセルバートは当然横領の事実を知らないが。
 さて、今回は寄付を目的に神殿へ足を運んだわけでは無い。あくまでこれはオマケだ。何せ六日後には、俺は有する全ての富を失うかもしれないのだから。
 寄付の話を終えた後、本題に入るべく意図して会話を途切れさせる。エセルバートが怪訝に思い顔を上げると、ぎょっと驚きに目を見張った。
 普段自信に満ちたユリシーズが何か思い詰めたような表情を作っているのだ、当然だろう。

「ユリシーズ様、どうされました!?」
「……?」
「どこか体調でも優れませんか?」

 おろおろと手を忙しなく動かしソファから立ち上がると、エセルバートは俺の隣へ座りハンカチを差し出した。涙で潤んだ目をエセルバートに向けると、彼がはっと息を呑む音が聞こえる。

「エセルバート神官長、神に仕えるあなたに、どうか懺悔しても良いだろうか」
「そのような……、あなたがそれ程まで追い詰められるほどの事なのですか」

 俺はつとめて悲しげに見えるよう、視線を机に下げた。目元を拭わないまま、手に力を込め受け取ったハンカチに皺を作る。

「俺は罪を犯しました。婚約者エリック様の心が移ろう事を恐れ、過度に己が身を装飾し、清貧から程遠い振る舞いをしました」

 筋書きはこうだ。
 第一王子であり婚約者でもあるエリックは、俺のことをもともと毛嫌いしていた。
 本来、政略結婚に好きも嫌いもない。利害関係があるのみだ。第一王子に嫌われていた俺は、それでも王子のことを愛していた。空回りだと知りながら、王子に少しでも振り向いて欲しくて自分を華美に飾り立てた。
 しかし輝かしい宝石も煌びやかな服も、どれだけ身に纏おうと第一王子の心が俺に靡く事はなかった。それどころか、平民、アンブローズに熱を上げいまや己の立場も危うい。嫉妬に駆られた俺は数々の嫌がらせをアンブローズに行った。
 そのように思わせるのだ。
 王子の事なんざこれっぽっちも好いていないが、婚約者がありながら別の男に手を出すのもどうかと思う。そんな事をしたら、付け入る隙を与えるようなものだろう?
 健気な様を演じながら、敬虔な信徒の如く己の『罪』を告白する。

「きっとこんな俺を神はお赦しにならないでしょう」

 表面張力によって保っていた涙の膜は、眼球を動かしたことで重力に逆らわず落ちていく。落ちた雫はハンカチを握りしめた手の甲に落ち、つるりと滑っていく。

「そんな事はありません!」
「っ!」

 不意に膝上の両手を握り締められ、ぐっと向き合う形になる。その拍子にハンカチが手から滑り落ち、エセルバートとぶつかった膝の上にはらりと落ちる。

「あなたの感情は人として当たり前のものです。愛する婚約者が奪われたのだから。それにユリシーズ様は行いを悔いていらっしゃる、そのようなあなたに我らが神は赦しを与えないわけがない」
「……エセルバート神官長」

 ぐっと眉根を寄せ、苦悩の表情を浮かべる。溢れる涙はそのままに、エセルバートをじっと見つめた。
 ものすごくシリアスな場面のはずなのだが、その時俺が感じたのは――こいつ無自覚面食いな上、外見で中身に夢見るタイプだ、という事だった。確かに俺の見た目はすこぶる良い。銀髪に青紫の目。滑らかな白い肌。目や鼻といったパーツは完璧な位置にある。身長は高くないが、顔が小さく足が長い。神殿に置かれた天使像より天使らしい見た目をしているだろう。それは認める。
 しかしこのエセルバートの熱は度を越している。俺を励ます真っ当な台詞だけでは伝わらないだろうが、どうにも対面するエセルバートの様子がおかしい。法悦に浸る様は蕩然と表情を崩し、神官長らしい厳かな気配など吹っ飛んでいる。むしろ閨で愛を囁く時のような居た堪れない雰囲気を醸しているのである。
 健気な態度を崩すわけにもいかず握られた手はそのままにしているが、内心正直ドン引いている。

「ゴホッ」
「!」
「あっ」

 態とらしく咳き込んだのは、俺の従者である。その存在は本音を言うとすっかり忘れていた。エセルバートも忘れていたのだろう、はっとすると俺の手を解放し後ろで手を組み赤い顔で忙しなく慌てる。おろおろと神官長らしさをかなぐり捨てたエセルバートは、つるりと口を滑らせる。

「だ、だいたい婚約者のいる身で姦淫に通ずる方が余程罪深いでしょう」
「ん?」
「あっ、いやっ」

 慌てて取り繕う様が、それを事実たらしめる。なるほど? 良い事を聞いた。
 ゲームのイベントでは夜の大聖堂で致すシーンがあった。確か、第一王子とアンブローズが遠乗りに出かけ、その帰りに雷雨に見舞われるのだ。もう少し馬を走らせれば王宮に着くものを、二人はあろう事か神殿で雨を凌ごうとする。冷えた身体を温めあうために、という王道展開だ。神の御前での交歓は、さぞかし刺激に満ちていた事だろう。
 青い顔で励ますエセルバートには悪いが、俺は内心歓喜していた。
 何せ俺と第一王子はまだ婚約関係にある。その上嫌われている俺は、第一王子と肉体関係に至っていない。俗物的な表現だが、俺は童貞処女である。当たり前だ、第一王子の婚約者である俺は他人に身体を許したりしないし、閨教育も知識だけのものだ。俺の全ては第一王子のために取っておかなければならなかった。そういう意味では、口付けさえした事ない俺の身体はまっさらと言えるのだろう。
 それに対し第一王子はあろう事かアンブローズと肉体関係を持っていると言う。
 これが喜ばずしてどうする?
 明確な裏切り行為は、俺にとって願ってもない。

「ユリシーズ様、お気を確かになさって下さいね、私にできることがあれば仰って下さい」
「ありがとう、エセルバート神官長。でも良いんだ。俺は……もう疲れた」

 その言葉に、エセルバートは痛ましげな表情を浮かべる。震える肩に手をかけるが、返す言葉に悩んでいるようだった。
 俺は疲れた表情を浮かべ、挨拶もそこそこに部屋を辞した。
 従者に促され、俺は力なく馬車へと乗り込む。公爵家の馬車らしく、座り心地の良い座席へ腰を下ろした。いつもそうしているように従者が向かい側の座席へ腰掛けると、馬車が緩やかに走り出す。
 従者はかける言葉に窮しているのだろう。馬車内は重苦しい空気に包まれている。彼もまた、エセルバートと同様に同情の籠った目で口を開閉させていた。
 俺は口元に手を当て、肩を小刻みにふるわせる。

「くっ、……ぶふっ、ぁっはははははっ!」

 ああ、駄目だ。堪えられない!
 対面する従者がぽかりと間抜けな表情を浮かべるが、気にかける余裕などない。従者の手前、婚約者に名実ともに裏切られた俺は、健気で哀れな男を演じなければならないのに。

「くくっ、実に愉快、そうは思わないか?」
「は? 自分にはよく理解が……」
「あちらから墓穴を掘ってくれるとはな。手間が省けた」

 さあ、これでほんの少し光明が見えてくる。断罪イベントまで今日を含めあと六日。
 せいぜい足掻いてみせようじゃないか。




   三日目


 神殿の帰り道、俺が馬鹿笑いを見せた従者の態度は幸いにも変わる事はなかった。そういうわけで気持ちを切り替え、今日も今日とて生き残る術を模索する。

「それで、この手紙に書かれた十名が、其方の推薦として良いのだな?」
「はい、陛下」

 今日は王宮に来ていた。今回召喚に応じたのは他でもない。記憶を取り戻した日に手配した手紙に関する事だ。
 流石に奴隷の身分であった従者もどきを連れ歩くわけにもいかず、あれは馬車で待機をさせている。登城するのは俺一人だ。
 俺は片膝をつき胸に手を当てた状態で王の問いに応える。顎を引き目線を低く保つのは、王の尊い御身を不躾に見ないためだ。片膝をつくのは無抵抗のあかし。胸に手を当てるのは心臓を捧げる事を意味する。貴族であれば、王に侍る姿勢の全てに意味があると知っている。神殿での作法と同じように。
 洗練された所作は俺の見た目と相まってさぞかし見栄えのする事だろう。背骨を丸めずわずかに前のめりになる姿勢は普段使わない筋力を使うため、謁見が終わる頃にはいつも身体がばきばきになるのだが。しかし何時間もこの姿勢を保つわけではない。少しの間くらい耐えてみせよう。

「ふむ、其方の選んだ人材であれば問題なかろう。では早速明日から王宮に仕えてもらおう。其方の方から使用人には伝えよ」
「承知いたしました」

 恭しく命令を承る。
 権力大好きな俺だ、当然王への態度も抜かりない。従順で忠実な家臣のふりをする俺を、ありがたいことに王は随分買ってくれている。

「ところで、〝あれ〟はどうだ?」
「は、あれと申しますと」
「其方の婚約者、エリックだ」

 言うに事欠いてあれとは随分な言い草だ。そのうえ〝俺の〟婚約者。実の息子に向ける表現としては不適切だ。仮にも第一王子は王位継承権第一位。王太子である。

「平民に熱をあげておると聞く」
「陛下、恐れながら申し上げます。そのような言葉をいったいどこで……」
「ふっ、面白い言い回しではないか、まさしくあれは病にかかっているのだよ。其方という者がありながら、愚か極まりない」

 ゲームの世界では断罪イベント後に王がアンブローズを認めるイベントが起こる。逆に言うと、断罪イベントが起きるまではアンブローズへの評価はいまいちという事だ。婚約者のいる第一王子に言い寄るアンブローズは、王にしてみれば婚約者持ちの王子をたぶらかしたとんだビッチというわけである。

「多少の火遊びなら許容も出来ようが、これ以上問題を起こすならば王位継承も考えねばならぬ」
「陛下、それは」

 おいおい、どういう事だ。
 ゲームでは王の存在は後半になるまでほとんど出てこない。なんせメインはご都合主義たっぷりのラブコメだ。凌辱監禁薬漬けも、選択肢のミスでヤンデレ化した攻めたちによる行き過ぎた愛ゆえの行動だ。どろどろした政治やら権力争いやらは極力描写されていなかった。
 だからこうしてはっきりと口に出されるまで自覚できなかったが、第一王子の立場は俺が思っている以上に危うい状態なのではないか?

「ふ、老いぼれの戯言と思い聞き流せ」
「そのようにおっしゃる年齢でもありますまい」

 そもそも前提がBLゲームだからと気にも留めていなかったが、第一王子に男の俺が婚約者の時点でおかしいだろう。第二王子がいるとはいえ、世継ぎの問題が確実に起こる。
 第一王子の婚約者が、男でなければならない理由があるとしたら。
 俺は自分の考えに、ぞくりと背筋に悪寒を走らせる。もしこの仮定が正しければ、王はとんでもない秘密を抱えている事になる。

「つまらぬ話を聞かせたな。もう下がってよい」

 思考を働かせながらも、体に染み付いた動作は完璧だった。ちらりと王の姿をバレない程度に一瞥し、俺はその場を後にした。

「ユリシーズ殿じゃないか」
「ダグラス様」

 馬車へ戻る道すがら、聞き覚えのある声に呼びかけられる。第二王子ダグラス。彼もゲームの攻めの一人だ。王宮内にある図書館からの帰りなのだろう、彼の手には分厚い書物が五冊抱えられていた。
 ダグラスの色彩は柔らかく、淡い茶色の髪にくすんだグリーンの瞳。顔立ちも柔和なので、随分優男の印象を受ける。
 第一王子が派手なキンキラキンの見た目なので、色合いで言うと彼ら兄弟は似ていない。王の髪も年齢の所為かくすんではいるが金色なので、どちらかと言うとダグラスが王に似ていない、という表現が正しいのだろう。
 とはいえ顔立ちは母親である側妃によく似ており、髪の色は彼の祖父のものと同じなので全体的に母方に似たのだろう。
 第二王子という立場、王に似なかった顔立ち。この二つの理由が彼から自信を奪った。

「重そうですね、手伝います」
「ああ、すまない。丁度腕が痺れてきてたところだったんだ。助かる」

 重ねられた書物の内、上の三冊を持ち上げる。ずしりと重いそれを五冊も抱えてきたのであれば、腕が痺れるという台詞も頷ける。
 感謝の言葉をさらりと告げられ、俺はぱちぱちと瞬きを繰り返した。記憶を取り戻す前から感じていたが、ダグラスは王族と思えないほど腰が低い。
 王族がまず簡単に謝罪を口にする事自体があり得ないのだ。書物なんて運ばせれば良いのに、彼は必ず自分で部屋まで運ぶ。そしてその行動を、彼自身が露ほども疑問に思わないのだ。

「今日は天気が良いだろう、だから庭で読書でもしようかと思ってね」
「えっ、護衛も付けずにですか?」

 思わず俺は素っ頓狂な声を上げる。

「ああ、だって必要ないだろう。僕には」

 必要ないわけがない。
 おそらく次の王は第一王子だと決まっているからこその態度なのだろう。王にならない。ただその理由だけで彼は驚くほど自分への評価が低い。
 この国は後継者争いを無駄に起こさせないため、必ず長子を王太子とする。多少頭の出来が悪かろうと、多少道徳心に欠けていようと、何より生まれた順番が優先されるのだ。王としての器はそこまで求められない。
 何故なら優秀な家臣が政治は勝手に行ってくれるし、王は象徴として玉座に君臨するだけで意味があるのだ。
 第一王子も例に違わず、王としての資質は〝まあまあ〟と言ったところだ。もしアンブローズが第一王子とくっつかなければ、さぞかし操りやすい人形となっていただろう。現王からの信頼も厚く、身の振る舞い方を心得ている俺が婚約者に選ばれた理由の一つには、第一王子をより操りやすくする意味があったという事だ。
 今更しゃしゃり出てきたアンブローズの存在は、王やそれに準ずる家臣にとってさぞかし目の上のたんこぶであろう。
 それでも今のところ王が第一王子の振る舞いに目を瞑っているのは、アンブローズが男だからに他ならない。ついでに言うならば、平民であるという点もプラスに働いた。
 王は、もともと第一王子に王位を継がせたくなかったのではないだろうか。しかし長子たる第一王子を王位につけないわけにもいかず、苦肉の策で婚約者を男にした。第二王子には女性の婚約者がいるため、恐らく彼の子どもが成長するまでの繋ぎの王とするつもりだったのかもしれない。
 第一王子は、おそらく王の子ではない。
 その考えに至ったのは、王の第一王子への態度、そして先ほど確認した額の形だ。王と王妃の額がまっすぐなのに対し、第一王子の額はいわゆる富士額と呼ばれる形をしている。
 第一王子の額の形は優性遺伝であり、両親どちらかがそうでなければ産まれない。
 王妃の不義の子か、はたまた他に理由があるのか。仮説を立てるには情報が圧倒的に足りない。
 しかし俺の考えが正しければ、第一王子を王太子の座から引きずり下ろす事が出来る。俺だけが破滅への道を歩むなど、不公平ではないか。
 そのためにもこの第二王子を焚き付け、〝その気〟になってもらわなければ困るのだ。
 ダグラスと俺の関係は、将来の義兄弟だ。もしこのまま俺が第一王子の婚約者であったなら、そのうちダグラスに義兄上と呼ばれることになっていただろう。それ故これまでもほどほどに付き合ってきたが、ダグラスの持つ歪みに対しあえて触れる事はしてこなかった。
 しかしここにきて、俺は彼の持つ歪みを利用する必要が出てきた。

「それでは僭越ながら私が護衛となりましょう」
「ははっ、ユリシーズ殿が? 君は確か剣が得意ではなかったと記憶しているが」

 その通りだ。ダグラスの言う通り、俺は剣に関してからきし才能がない。以前試しに素振りをしたが、剣が手からすっぽ抜け、危うく己を真っ二つにする所だった。その場にいたとある騎士が剣を弾いたおかげでその時は無事だったが。それ以来剣にはめっきり触れていない。たまに気分が乗り素振りをしようかと思う時もあるが、その時の出来事を話した為か、従者に全力で止められるのだ。

「不甲斐ない限りです、私の事はエリック様から?」
「ああ、いや。エリック兄上は君の話を殆どしないから、僕の友から聞いたんだ」
「友?」
「うん。エリック兄上の側近の一人なんだけど、おっと、噂をすれば」

 王宮の窓は贅沢に硝子が使われている。
 透明度が極めて高く、意外にも日本の硝子に負けず劣らずの品質だ。
 そんな窓からは、外の様子がはっきりと見える。ダグラスに促され視線を移すと、その先には訓練中の騎士たちがいた。

「ほら一列目の一番端にいる彼だよ」
「あ、」

 ダグラスの言う〝彼〟に、たしかに俺は会ったことがある。第一王子との婚約が定められた日、俺は今日と同じように召喚され、王宮に赴いたのだ。
 その帰り際、訓練している騎士たちに興味が惹かれ足を運んだ。
 そこで剣を握らせてもらい、試しに素振りをしたところ剣が高く宙を舞ったわけである。その時にいた騎士というのが、ダグラスの言う彼と同じだった。当事者であれば当然知っているわけだ。
 側近と言っていたが、そもそも第一王子に俺は嫌われている為会う機会自体が少ない。そして何より興味が無かった為、記憶にも薄かった。思い返してみれば確かにあの時の騎士と後ろで侍っていた側近の顔は同じだったような気がする。今更だが。第一王子の側近とするには、随分年が離れているな、と初めて見た時は思ったような気がする。

「本当は少しだけ、騎士という存在に憧れてたんだ」
「え? 騎士になりたかったんですか、ダグラス様」

 ゲームでは見た目通り穏やかな王子様キャラを前面に出していた。ダグラスルートではアンブローズも彼の包み込むような優しさと穏やかな人柄に惹かれていくのだ。騎士と言えば聞こえは良いが、ようは暴力を生業としているわけだ。品よく振る舞っていようと剣を振る以上血生臭いことに変わりはない。
 穏やかなダグラスが憧れているという事実に小さく驚きを覚える。

「ふふ、内緒だよ? 剣一つで大切な人を守るなんて、格好良いでしょう」
「そう、なのでしょうね」
「ん?」

 歯切れの悪い俺の言葉に、ダグラスは足を止め振り返る。少しの逡巡の後、彼は表情をくもらせた。

「そうか、君の父君は……」

 ダグラスの言葉に、俺は静かに頷いてみせる。
 俺の父は騎士に切られ死んだ。
 まあ、あれは十割父が悪かったのだが。散々悪事を働いていたし、結果としては仕方なかったと納得できる。お互いに親子の絆は希薄で、どちらかと言うと悪事を行う際の共犯者という感覚が近かった。だから悲しみなんて殆ど感じなかった。
 当然表向きはきちんと悲しむふりをしたわけだが。
 それよりも、予定より早く俺が爵位を継ぐことになった所為で今度はアディンソン公爵家の後継問題が起こったのだ。神殿にいる異母弟を養子として引き取ろうかとも思っていたのだが、俺が断罪されればその必要もなくなる。我が公爵家は、ユリシーズ=アディンソンの代で潰える事になるのだろう。

「ダグラス様、私の父は悪人でした。あなたがそのような顔をする必要なんてないんですよ」
「いや、しかし、たった一人の家族だろう。たとえ君の言う通りだとしても、……悲しむ事すら、罪なのか」

 第二王子ダグラス。やっぱりあんたはゲーム通りの人間だ。
 思慮深く、親切で、慈悲深く、この上なく――情に飢えている。
 まったく境遇など似ていないと思うのだが、どこに共通点を見出したのか。俺と父の関係に、自分自身と王の関係を重ねているらしい。

「ダグラス様、先に謝ります」
「え?」

 俺はそう言うと、たまたま近場にいた使用人へと声をかけ手にしている本をダグラスの部屋へ持っていくように頼む。そうして身軽になった手で、これまた身軽になったダグラスの腕を掴み力強く引っ張る。

「ちょ、僕はこれから庭に行くと」
「だから謝ったではありませんか! どうぞこちらへ、ダグラス様。〝俺〟についてきて下さい!」

 戸惑うダグラスには悪いが、多少強引に事を運ばせてもらう。腕を引っ張るなど、第一王子にやろうものなら周りも本人も黙ってはいないだろう。
 しかし彼は第二王子ダグラスだ。優しい人柄に加え自己評価は底辺。そんな彼が俺に罰を与える事は恐らく無い。
 俺が笑顔を向けると、困惑の表情を浮かべながらもダグラスが抵抗する事はなかった。
 王宮から神殿の方向へ二十分ほど馬を走らせた場所に、目的の塔がある。
 元は白かったであろうその塔は、長い時間をかけ蔦に覆われ、いつしかその存在すらも忘れ去られた。
 この場所は、第一王子のルートで遠乗りに出かけた際、アンブローズが連れて来られる場所だ。
 劣化してはいるがきちんとその役割をはたしている螺旋階段を登りきれば、城下だけでなく遥か遠くまで景色を一望できる。国境の山々から夕日がのぞき、あたりを橙色に染めていた。普段は新緑の木々も、今では紅葉の如き色合いだ。

「すごい、こんな場所があったなんて」
「今は使われていませんが、隣国との小競り合いがあった時、監視目的で建てられたんだと思います。ほら、国境がよく見えるでしょう?」
「ああ、本当だ」

 景色に圧倒され、俺の話もまともに耳に入っていないのだろう。階段を登った為か、それとも興奮しているからか。呼吸を早くしながらも眺めに夢中のダグラスは感嘆の声をしきりに上げる。俺も息切れしていたが、何とか呼吸を整え景色に夢中な彼の横に立つ。

「この場所は、エリック様に教えてもらったんです」
「エリック兄上に? まさかそんな」
「ふふ、今では信じられないでしょうが、婚約関係を結ぶ前は俺たち仲が良かったんですよ」

 これは至って事実である。
 年齢が一桁の時は随分と第一王子に俺は懐かれていた。懐くという表現は向こうの方が年上なのでおかしいかも知れないが、それくらい俺は気に入られていたのだ。確か俺が十歳になる辺りから、関係が崩れていった。第一王子の態度が一方的によそよそしく、段々と攻撃的になったのだ。
 いまだに理由は分かっていない。さして興味もないが。

「あの頃のエリック様は、ご自分の宝物をなんでも見せたがって、たまたまここを見つけた時も真っ先に俺へ教えてくれたんです」

 今と比べ、幼少期の第一王子は随分と可愛げがあった。金色の髪に緑色の目。今では男らしく育ったが、当時の彼は顔立ちも幼く少女めいていた。ここ数年で抜かされたが、昔は俺の方が身長は高かったのだ。
 俺も美少年だったので、二人でいると一枚の絵画のようだとよく褒められていた。金と銀でバランスも良いしな。
 そんな可愛らしい見た目に反し、第一王子は好奇心旺盛でよく探検をしたがった。それに付き合わされる俺は内心面倒臭がっていたが、表向きはにこやかに付き合っていた。第一王子の機嫌を取る方が手間だったとも言う。
 少女然としていようと、第一王子も〝男の子〟だったと言うわけだ。秘密の探検を彼は好んでおり、護衛がつくのをよく嫌がっていた。次期王たる第一王子に護衛をつけないわけにもいかないので、ばれないよう影でこっそり護衛をする彼らの姿は良い思い出だ。さすがと言うべきか、護衛の存在を第一王子が気づく事はなかった。
 そしてこの場所を見つけたのも、そんな王子の探検中だった。
 子供の足でよく王宮から離れたこんな場所へこれたもんだと今なら感心するが、当時付き合わされていた俺にしてみれば何度第一王子を置いて王宮に戻ろうかと思ったほどだ。足は痛いわ歩き疲れたわで散々だった。
 それでもこの塔からの眺めを見てそんな疲れは吹っ飛んだ。
 第一王子エリックの正妃となった暁には、ここから見える全てを俺が手に入れたにも等しくなる。それに相応しい権力、地位、金。全てが手に入るはずだった。けれど歳を重ねるにつれよそよそしく攻撃的になる第一王子の態度に、俺は早々に見切りをつけた。
 表向きでは第一王子の関心を引くふりをしつつ、本心から彼の興味を惹こうとは思わなかった。それよりも今持っている公爵という地位で得られる範囲の贅沢をしようと考えたのだ。すでに手にしている地位でも、そこそこ満足のいく生活ができた。

「ダグラス様、ここからの景色は素晴らしいでしょう」
「ああ、そうだな、とても見事だ」
「ここから見える全てが。いや、見えないこの先までもがエリック様のものになるんです。必ず彼はこの国の王になる。そう定められている」

 王という単語に、ダグラスはぴくりと肩を反応させる。それはダグラスが、いくら望もうと手に入りえない立場。第一王子の後に産まれた、ただそれだけの理由で望むことさえ許されない。
 ここから見える景色はさぞかし素晴らしいだろう。幼き日の俺が〝これ〟を見て、未来を夢想したほどだ。


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