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しおりを挟む一歩その場所へ足を踏み入れれば非日常が広がる。
銀色の光を反射する小さな鰯が群れを無し、同じ水槽にいるのが不思議なくらい大きな鯨がゆっくりと目の前を泳いで行く。
見上げる水面は随分と遠く、魚たちが泳ぐ水槽がいかに広いかを伝えて来る。
「柚木さんの来たい場所って水族館だったんですね」
入口から入ってすぐ一際目を引く巨大な水槽は、この水族館の目玉の一つでもある。
土曜日と言う事もあり親子連れが目立つ中、彼らに混じり巨大水槽で泳ぐ魚たちの姿を楽しむ。
花坂の横顔をちらりと横目で見遣り、俺はその言葉に頷いた。
「そう、水族館って行きたいなって思っても意外と行く機会無いじゃん」
それに水族館と言えばデートの定番場所の一つだろう。
「分かります。何故か時々来たくなりますよね、実際行く機会って本当に無いですけど。あ、イルカショーが11時からやるみたいなので後で向かいましょう」
「いいな、イルカショーとか何年ぶりだろ」
花坂の持つ三つ折りされたパンフレットにはフロアマップが描かれている。イルカショーは日に二度、午前と午後に行われるらしい。
ショーが終わればちょうど昼時になるが、食事場所は客でごった返しそうだしあえて昼をずらしても良いかもしれない。そう広い水族館では無いし、一通り見てから外で食べても良いだろう。
チラリとスマホ画面を確認すれば時間は9時半を示している。イルカショーまで時間は十分にあるので、それまで別の水槽を見ていよう。
「どこから行こうか」
「そうですね、ここ行きたいです」
そう言って花坂が示したのはくらげコーナーだった。
「良いけど、くらげコーナーって箸休めなイメージあるよな」
「えっ、そうですか?でもくらけだけの水族館とかあるじゃ無いですか」
「別にくらげが嫌って訳じゃないからな、いきなりそこ行く奴が珍しくないかってだけで」
くらげコーナーは巨大水槽から左手に向かい、ヒトデ触れ合いコーナー、日本海の魚コーナーを過ぎたその奥にある。
くらげコーナーには小ぶりの水槽が約10種類と、中央に恐らくこの場所のメインであろう円柱状の水槽が一つ設置されている。紫や青にライトアップされたクラゲがふよふよと水の中を泳ぐ姿は神秘的でどこか愛嬌もある。
魚の様に目や口がある訳じゃないのにどことなく可愛く感じるのは、不規則に思えるその動きのせいだろう。
「改めて見るとくらげだけでも結構種類あるもんだな」
「ですよね、くらげって謎の可愛さありません?顔があるわけじゃなのに不思議ですよね」
「うーん、小さいし白いからかな。結構前に巨大なくらげが海で大量発生したニュースとかあったじゃん、あれは可愛くないよな」
「ありましたね」
取り止めのない話をしながらくらげを堪能し、一回素通りしたヒトデ触れ合いコーナーに戻る。
石造りのゴツゴツとした水槽の底には数匹のヒトデがいる。小さい子供に人気なのか、狭いスペースながら意外と人が密集している。
体験系はやはり人気らしい。
子供に混じりながら俺もヒトデを掌に乗せる。不思議な感触だ。
「おお、何気に初めて触るんだよね。こんな感じなんだな」
「ひぇ、柚木さんよく触れますね」
花坂は苦手らしく、俺の手元を見ながら顔を青くさせた。俺も小さい頃はヒトデコーナーは少し苦手だった。今は全く怖くないので、小さい頃自分が何故あんなに怖がっていたかわからない。
家族で水族館を訪れた時は、妹が異様にヒトデを気に入り、家に持ち帰ると号泣していた思い出がある。
両親に宥められる妹を見ながら俺は子供ながらにほっとした記憶がある。その時の自分と今の花坂の姿が重なりほんのり懐かしくなった。
花坂が怖がっているので掌のヒトデを水の中へ戻せば、隣から明らかにほっと息を吐く音が聞こえる。
「次は日本海コーナー行くか」
「そうですね、時間もそろそろ良い感じですし、そこ見たらメインプールに向かいましょう」
時間を確認すると時計は10時半を指している。
周りの親子からは良い席を取る為早めに移動しようと言う会話が聞こえて来る。水族館の一番の目玉と言う事もあり、イルカショーは人気だ。流石に席が全て埋まる程では無いが、確かに前の方に座るなら早めに向かったほうが良いだろう。
「柚木さんは前に座りたい派ですか?」
「いや、濡れるし後ろの方でも気にしない派」
「俺もです。イルカショーって観覧席に入る時って列できるじゃ無いですか。うちの家族は少し遅めに行って並ばない派でしたね」
「じゃあ今回もそうするか」
メインプールは連絡通路から別館に移動した先にある。イルカやシャチ、ベルーガを飼育する水槽もそちら側にあるようだ。
連絡通路の方角へ歩いて行く親子連れが多い中、流れに反し俺たちは日本海コーナーへ向かう。
「ん?」
「どうした?」
「いや、すみませんちょっと待っててもらえますか?」
そう言うと花坂はたっと走っていった。
花坂の走っていった先には小学一年生位だろうか。そんな小さな子供が一人、ぽつんと心許なさそうに立っていた。少年の周りには親らしき人物は見当たらない。もしかしなくても迷子だろうか。
移動する人が結構いる中で花坂も良く気がついたな。
「君どうしたの、迷子?」
「・・・」
花坂が声を掛けるが、少年は無反応だった。
警戒されているのかもしれない。最近は特に防犯意識をきちんと持つ様に教育されているだろうし、何より花坂の場合体格が良く小さな子供には圧迫感があるだろう。
ここで待っている様に言われたが、二人の間に続く無言に見かね俺も少年へ近付いた。
「大丈夫?お母さんどっか行っちゃった?」
「・・・お兄さん誰?」
「俺?俺は柚木、こっちの大きいお兄さんは花坂って言うんだけど、良かったら君の名前も教えてくれる?」
「・・・ようた」
しゃがみ込み少年の目線と合わせると、警戒しながらも名前を教えてくれる。無言が続いたらどうしようかと思ったが、会話をしてくれるらしい。良かった。
「そう。ようた君は名前を言えて偉いね、水族館へは一人で来たのかな」
「ううん、ばあちゃんと弟と三人で来たの。気づいたら二人ともいなくなってて」
ばあちゃんと弟か。ようた君の弟と言う事はもっと小さな子供だろう。ちょうどこの時間はイルカショーで人の動きがあるし、この年頃の子供は見失いやすい。今頃孫がいないことに気づいたおばあさんは焦っているだろう。
「柚木さん、すみません。話しかけたは良いけど俺じゃ怖がらせちゃったみたいです」
「良いよ。それよりこの子、迷子センターに連れて行こう」
「そうですね、この子のおばあさんもきっと心配しているでしょうし」
迷子センターに行けば館内アナウンスをかけてもらえるはずだ。
「迷子センターは入口の近くにあるみたいです」
「了解。ようた君、俺たちに着いてきてくれるかな?おばあさんにようた君がいるって知らせてくれる場所があるから」
「でも、知らない人についてっちゃダメって教わったよ」
「そっかぁ」
うーん、手強い。
防犯意識がちゃんとしてる点は褒めるべきだけど、どうすれば迷子センターに着いてきてくれるだろうか。流石に無理矢理連れて行く訳にもいかないし。
そんな事すれば俺たちの方が不審者だろう。
そんな風に悩んでいると、鞄からタオル素材のハンカチを取り出した花坂が何やらごそごそとしている。ハンカチを2回三角に折りくるりと端を巻き付けると、簡単な作りの兎が出来上がる。
「花坂?」
「"ようた君、僕とお話ししてほしいぴょん"」
「ぐっふ」
俺と同じようにようた君の目線に合わせてしゃがみ込んだ花坂は、兎を手に下手な裏声の腹話術でそう言った。場違いにもその声と謎の語尾に笑いそうになるが、花坂は至って真剣だ。ここで俺が笑う訳にはいかない。
ようた君は目をパチクリとさせると、顔すらないハンカチ兎をじっと見つめた。
「"ボクはうさぴょん。ようた君のおばあちゃんをボクと一緒に探そうぴょん"」
「うさぴょん?」
「"そうぴょん、ボクに着いてきてほしいぴょん"」
「でも知らない人に着いていっちゃいけないんだよ」
「"ボクとようた君はもうお互いに名前を知ってるぴょん。知らない人じゃないぴょんね?"」
裏声で話し続ける花坂のーーー正確にはうさぴょんの言葉に納得したのか、ようた君は頷いた。
良かった、花坂の言葉に納得してくれたようだ。
これで迷子センターへ連れて行ける。
連絡通路へ向かう人に流されないよう、俺と花坂でそれぞれようた君の手を繋ぐ。因みにうさぴょんは花坂の片手に握られたままだ。
小さな子供の歩幅に合わせた為時間が掛かったが、無事に迷子センターまで到着した。
「陽太!」
「ばあちゃん!」
女性職員と話している50代ほどの女性が俺たちに気がつくとだっと駆け寄って来る。
ようた君がばあちゃんと言っていたので勝手にもっと年上の女性を想像していたが、小学一年生ほどの孫を持つ年齢としてはその位でも不思議は無い。
「良かった無事で、ごめんね、ばあちゃんが目を離したから」
「ううん、ぼくも離れてごめんなさい」
女性はようた君をぎゅっと抱きしめると、涙目でこちらを見上げた。
「あの、ありがとうございました。あなた方のおかげで陽太と会えました。本当にありがとうございます」
「いいえ、当たり前の事をしただけですから」
「ようた君、最後まで泣かなかったんです。強い子ですよ」
花坂の言葉に女性はさらに目を潤ませると、ようた君の身体をもう一度ぎゅっと抱きしめた。
「にぃいちゃぁ~!」
「あらあら」
「こうた!泣くなおとこだろ」
ようた君の弟はこうた君と言うらしい。小さな子供らしい高い鳴き声が良く響く。ようた君は困ったように笑うと、弟の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。小学一年生とは思えない男らしさだ。
「じゃあ俺たちはこれで」
「あのっにいちゃんたち、ありがとう。あとうさぴょんも!」
「ああ、またな」
三人に手を振ると、俺たちは迷子センターを後にした。
時計を見ると、イルカショーも半分を終える時間になっていた。花坂はその事に気が付くとしょんぼり肩を下げ謝ってきた。
「すみません、柚木さん。俺に付き合わせてしまい」
「はあ?そんな事言うなって」
正しい事をしたのに、花坂が俺に謝る必要は無い。
「イルカショーは午後の部を見れば良いし、早めの昼食にしよう。この時間なら空いてるはずだし」
俺は落ち込む花坂の背中をばしりと叩く。予想より良い音が出て若干焦ったが、痛がっている様子も無いし大丈夫だろう。
「それに見直したよ。やっぱお前良い奴だな」
花坂が真面目でお人好しなのは知っていた。迷子に声を掛けたのも多分初めてじゃないだろう。声の掛け方に迷いが無かった。自分が体格で子供に怖がられやすい事も知っていたんじゃないだろうか。
それでも放っておけなかったのが、花坂の性格だろう。
「それにしてもうさぴょんか」
「ちょ、柚木さん!?」
「もう一回言ってくれよ、うさぴょん」
「揶揄わないで下さい、改めて言われると恥ずかしい」
花坂は俺の言葉に顔を赤くすると、手にしていたハンカチを兎の形から呆気なく解いた。
「それ後で折り方教えてくれよ」
「良いですけど、どうするんです?」
「休み明けデスクに置いておく」
「やっぱり揶揄ってますね?」
「いやいやそんな事無いって。それよりほら何食べる?俺はあんかけ焼きそばかな」
じとりとした目で見られたのでわざとらしく話を逸らすと、花坂はふっと笑った。あえて誤魔化されてくれたのだろう。
昼を食べたらペンギンでも見に行こう。
午後の部のイルカショーは確か14時からだったはずだ。最後は土産コーナーも行きたい。
「俺はカレーが食べたいですね」
「カレーも良いよな」
因みに俺の注文したあんかけ焼きそばは片栗粉かダマになっててあんまりうまくは無かった。
完食したけども。
それを哀れに思った花坂からカレーを一口もらったが、レトルトっぽい味ではあるがこれは結構うまかった。
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