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しおりを挟む風呂から上がる頃には、すっかり酔いも覚めていた。身体に纏わりつくアルコールの匂いも洗い流されシャンプーの清潔な香りに変わっている。
安いシャンプーのわりに香りも良いので最近気に入っている物の一つだ。
「はー、生き返った」
俺はタオルで髪の水気を取りながら冷蔵庫を開き浄水ポットを取り出す。これは通販で適当に買ったのだが、中々コスパも良く手軽に美味い水が飲める。雑味の無い水に慣れると、素面では水道水がもう飲めない身体になってしまった程に。
よく冷えた水を一気に飲み干せば熱った身体をひんやりと内部から冷やしてくれる。
「あれ、花坂水飲んで無いのか?」
「へっ!?えっへ、へぇ」
背を向けた花坂は大袈裟なくらい肩をびくりと振るわせると、江戸っ子のような奇妙な返事を返してくる。
ローテーブルの上には蓋の開いていないペットボトルが置いてある。
俺は家ではポットの水を基本飲むが、会社に持って行く用にペットボトルもいくつかストックしている。濾過してあるとは言え来客に水道水を飲ませるわけにもいかないので花坂にはペットボトルの水を渡したのだ。しかし風呂に入る前に置いた場所からペットボトルは一ミリも動いていない所を見ると花坂はそれに手をつけていないのだろう。
会社でも普通にペットボトルのコーヒーやお茶を飲んでいる姿を見ているので、ペットボトルの飲み物が嫌と言うわけではないばずだ。
「遠慮せず飲め」
「い、頂きます」
ぎくしゃくとした動きでテーブルに腕を伸ばすと、ぱきりと音を鳴らしようやくペットボトルの蓋を開ける。風呂から上がり時間が経っているとは言え、何も飲まずにいると喉が渇くだろう。その証拠に花坂は勢いよくペットボトルを傾けると、一気に半分の量の水を飲み干した。水のCMにでも出れそうな飲みっぷりだ。
「はあっ」
「良い飲みっぷりだな」
花坂は豪快に口元を拭うと、蓋を閉め直しテーブルへペットボトルを置いた。
「あの、風呂とか歯ブラシとかありがとうございました」
「いいよ、ストックいっぱい買ってあるし」
「それでですね、本当に俺は今夜泊まって良いんでしょうか」
深刻な表情で何を言うかと思えば、風呂に入る前にしつこい位に問答した件だった。
家まで遠くないし泊まるのは悪いと譲ろうとしない花坂を、やや強引に風呂場へ突っ込んだのだ。遠くないと言っても数分の距離では無いだろうし、家に帰ってから更に風呂に入ったりするのも面倒だろう。
幸い花坂は営業の俺と違いスーツを着ているわけじゃないので、中の服さえ貸してしまえば外は会社指定の作業用ジャケットを着れば良い。同じスーツを二日連続で着れば家に帰っていない事がバレるかもしれないが、花坂はその点に関して問題無い。
風呂も着替えも寝る時間も確保できて利点しか無いのに、どうしてこうも食い下がろうとするのか。慰安旅行の時同じ部屋割りだったが、枕が変わったからと言って寝れなくなるタイプでは無かったはずだ。
「もしかして泊まるのが本気で嫌だった?」
「いえ違います!」
食い気味に否定され、若干安堵する。実は俺の部屋が臭いとか居心地が悪いからだったらどうしようかと思っていた。清潔に保っているつもりだが、そう言う事は遠慮して花坂は黙っていそうだし。
「その、あのですね」
「ああ」
「柚木さんこそ分かってます?」
「うん?」
「俺、柚木さんの事好きだって言いましたよね」
その言葉にこくりと頷く。
だけど花坂が俺を好きな事と泊まりたく無い理由が結び付かない。好きならむしろ少しでも長く一緒にいたいだろうし泊まりたいものじゃないだろうか。
「襲いますよ柚木さんの事」
襲う。
普段硬派で真面目な花坂の口から出るには余りに似合わない台詞だ。予想外の理由にぽろりと本音が溢れる。
「えっ、お前俺に勃つの」
「はあ!?逆に何で勃たないと思うんですか。いや、確かに今俺の股間には勃つものも無いですけど」
「あ、悪いそう言う意味じゃなくて」
ちんこを失っている花坂にこの言い方では誤解を招く。俺が言いたい事はそうじゃない。ただ花坂が俺に向ける好意とは、憧れの意味が強く性欲の絡まない感情だと何となく思い込んでいた。
「あー、悪い、そっか。うん」
「何ですかその反応。どう言う意味が含んでるのか怖いんですけど」
「いやお前俺の事本当にそう言う意味で好きなんだよな」
「最初からそう言ってます」
「そっか、そうだよな。よし」
花坂の思いをちょっと侮っていたと内心反省する。
花坂と付き合うのは平穏な俺の城を取り戻す為ってのが第一ではあるけど、可愛い後輩を心配する思いだって当然あった。
身体の一部が突然失われるなんて、普通じゃ起こり得ない状況が怖く無いわけない。だから兎に角元に戻せるなら協力もやぶさかでは無いと言うノリで付き合う事を了承した。でも花坂にとって俺は好きな相手で、俺と付き合う事はちんこを取り戻す以上の意味があるって事をあんまり考えていなかった。
でもそれじゃ良くないって分かった。不誠実って言うにはちょっと違うかもしれないけど、それに近い気がする。花坂の想いに対して向き合っているいないと言うか。
うん、兎に角良くない。
「ちょっと動くなよ」
「え?」
花坂に一声かけてから、両手を広げ正面から抱き付く。
「!?」
花坂から声にならない奇妙な音が聞こえたが、それを無視し背中に手を回す。
うん思った通りだ。
嫌じゃない。むしろ俺より高い体温が心地良いくらいだ。
「花坂」
「は、は、は、は」
「ははっ、何それ笑ってんの?」
「違う!いきなり何なんですか柚木さん、あんた本気で襲いますよ」
「いいよ」
「柚木さん何言ってるか分かってます?」
ちんこを戻す目的があるとは言え、付き合う事を了承した以上腹を決めた。
「俺、花坂の事を好きになりたい」
「柚木さん」
「明日もし神社でお礼参りしてこれが元に戻ったとしても俺は別れないから」
だってこれで別れたら、花坂の告白を俺はきっと無かったものにしてしまう。一件落着だと笑って元の生活に戻るだろう。でもそれじゃ駄目なんだ。
今回の事が無ければ、花坂が告白をしてくる事は無かっただろう。その感情を飲み込んでただの後輩の一人として振る舞っていたに違いない。そんな悲しい事させたくない。今後恋愛感情を抱くか分からないけど、少なくとも俺は花坂の事を好ましく思っている。
花坂以外の野郎のちんこがいくら失われようと、善意だけで告白に応じる程お人好しじゃ無いつもりだ。
「明後日、いやもう明日か。土曜日デートに行くぞ!」
自覚する以上に、花坂は俺にとって特別な後輩らしい。
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