9 / 61
『ゲイバーにいるのを生徒に見られちゃいました。』
昼休みの談話
しおりを挟む「ひな先生」
暗い夜の、繁華街から少し離れた路地裏。
オレはその声を聞いた瞬間、他人の空似であれと、何度も心の中で祈った。
でも、現実はそんなに甘くない。
「______佐々木……。」
声のしたほうを振り返ると、オレが思い描いた人物が、立っていた。
この子には知られたくなかった。
可愛い教え子に知られて、嫌われたくはなかったんだ。
___________________
昼下がりの温かな日差しが窓から射しこんでいる生物準備室。
昼食後のコーヒーを楽しんで、ほっと一息ついていたころだ。
もうそろそろ、彼が来る時間か。
ドアが2回ほど、コン、コンッとノックされ、男子生徒の声が聞こえてくる。
「先生、失礼します。」
「どうぞ。」
オレが返事をすると、生物準備室の引き戸がガラリと開かれた。すらりとした長身の男子高校生が入ってくる。
冷静で理知的な雰囲気。フチなしの眼鏡は彼の端正な容姿によく似合っている。いつも冷静で顔色を変えない生徒が、生物準備室に入るとほんの少しだけ頬を緩めた。
「今日は餌をあげてもいいですか?」
「どうぞ。」
彼は窓際に置いてある水槽に近づいて、水槽の隣に置いたある餌の入った缶を手に持った。
今、水槽にピンセットを使って餌を入れている彼の名前は、佐々木零次。
全寮制男子高校に通っていて、オレが監督している生物部に所属している。
成績優秀、才色兼備とは彼のような人間を言うのだろう。
学年トップクラスの頭脳。端正なルックス。見た目同様に冷静沈着な性格の持ち主。
だからと言って固いわけではなく、柔軟な性格をしているため周囲にも好かれている。
面倒ごとはのらり、くらりと躱していく賢さがある。
「ふふっ。相変わらず動かないなー。」
眼鏡の奥の瞳をほんの僅かに細めて、彼は小さく微笑んだ。
水槽には、ウーパールーパーが一匹飼育されている。
四つん這いで固まったまま動かないピンク色のウーパールーパーは、水草と一緒にふよふよと漂っている。
笑ったような表情をして、水中をただ漂っているが、エラが呼吸をするようにパクパク動いているので死んではいない。
こういうのんびりとした生き物だ。
ピンセットで挟まれた餌が自分の目の前まで来たところで、やっとこさ動き出した。
佐々木は、昼休みにこの水槽に餌をやることを日課にしていた。
生物部で大切に飼育しているのだが、彼は積極的にこの、あまり動くことのない、のんびりとした生物の世話をしたがった。
なんでも、自分とは正反対で、この呑気な感じが癒されるのだとか。
「はい。どうぞ。」
マグカップに氷を入れて、冷たい牛乳を注ぎカフェオレを作る。水槽の前に置かれた椅子に座っていた佐々木の前に、カフェオレ入りのマグカップを差し出した。生物準備室にはガラス製のコップなんてビーカーぐらいしかない。冷たい飲み物でもマグカップなのはご愛嬌だ。小さなお菓子も皿に乗せて一緒に出してあげる。
オレも水槽を見ながら回転椅子に座る。佐々木は向かい合って座っている状態だ。
「ありがとう。ひな先生。」
佐々木は素直にマグカップのカフェオレを一口飲んだ。ほっと息を吐いたあとに、皿に乗っていたチョコレートを三つほど口に放り込んだのを見て、オレは苦笑してしまった。
彼は見た目に似合わず、相当な甘党なのだ。
そんな様子を見て、オレもマグカップに入っているコーヒを口に含む。
オレはふと、彼が最初に生物準備室を訪ねてきたことを思い出した。
彼が1年生の時に、オレは彼のクラスの副担任をしていた。彼が日直のときに、授業の資料運びを一緒に手伝ってもらったのだ。そして、彼が生物準備室の机に資料を運び終え、オレがお礼を言った時だ。
「……かわいい……。」
本当に小さな声で、呟くように一言そういった。
うん?っと疑問に思って彼のほうを見てみると、水槽に視線を移して見つめていた。
「……ウーパールーパー、好きなの?」
「…いえ、初めて見ました。」
「そっか。でも、可愛いよね。生物部で飼育しているんだ。……良かったら餌あげてみる?」
そう彼に促すと、おずおずと水槽に近づいてきた。餌の与え方を教えてやると、ピンセットを使って餌を摘まみ、ウーパールーパーの目の前に慎重に落として餌をあげていた。
「………動きませんね。」
「ふふっ。今に食べるよ。」
そうオレが言うと、パクッと口を開けて餌の粒を食べ始める。文字どおりパクついている姿が面白くて、オレは自然と顔が綻んでいた。
水槽に顔を近づけていた彼も、オレと顔を見合わせるとふっと小さく微笑んだ。その思わずこぼれたような微笑は、年相応の幼さが垣間見えた。
オレはもう少し、彼の幼さの残る姿を見てみたいと思った。
「……よかったら、いつでも見においで。」
「いいんですか?」
「うん。いいよ。オレも生物好きが増えるのは嬉しい。」
気が付くと、オレはするりと言葉が出ていた。
その後、彼は生物部に所属することになった。部活では生物や植物の研究をしている。彼は毎日、昼休みのほんの僅かな時間にウーパールーパーを見に来る。
生物部自体は積極的に部活動をしているわけではなく、自分の育てたい植物や生き物を飼育し、マイペースに活動している。本当にゆるい部活である。
また、いつ頃からかは覚えてないが、オレと彼は昼休みの少しの時間にお茶をすることが習慣になった。
毎日、昼休みになると、彼が水槽の様子を見に来るのだ。
実は、ウーパールーパーは毎日餌をあげなくてよい、省エネな生物なのである。
3日に1回の頻度で食事を与える。だけど、彼は毎日、ほんの数十分だけ水槽を眺めてカフェオレを飲んで帰っていく。
オレと話をすることもあれば、黙って水槽を眺めたままの時もある。
彼のペースもあるだろうから、オレも無理に会話をしようとはしない。
ただ、カフェオレだけを淹れて彼に差し出すのだ。
最初は、彼のイメージでブラックコーヒーを出してあげたのだが、彼がばつが悪そうに一言、
「苦くて飲めないです。」とぽつりと白状したことで、甘いカフェオレを淹れることになった。
大人びた表情をしていても、可愛らしいところがあるのだなとほっこりしてしまった。
彼と過ごすうちに、今では少しだけ打ち解けられたと思っている。彼のクラスの副担任ではなくなってしまったが、こうやって縁が途切れないのは純粋に先生としては嬉しい。
彼との思い出に浸っていると、彼がこちらをじっと見つめていたことに気が付いた。
「……どうした?」
「……。いえ……。先生は夏休み、どこか出かけないんですか?」
今は7月の下旬。あと数日もすれば、学園は夏休みが始める。
生徒たちは夏休みに入るが、高校教諭は授業の準備やら部活動やら、はたまた教育研究会等で、生徒たちと同じように休めるわけではない。
それでも、お盆の時期は長期休みを取ることができた。
オレは独り身だし、実家には姉夫婦がいるため、顔を出すだけで泊まりはしない。
今年は、一人旅をしようとかと考えている。
結婚する予定は今のところないし、独り身の自由さを楽しく謳歌したい。
それにオレは、一生結婚できないかもしれないのだから……。
「そうだな……。お盆には旅行に行こうと思っているよ。」
オレは何とはなしに佐々木に答える。
「旅行ですか……。いいなぁ。……彼女とどこに行くんです?」
夏休みの独り身の淋しい男性教諭のスケジュールを聞いて何が楽しいんだ。
それに、オレに恋人がいないのを知っているだろうが。少し恨めしくなって、佐々木のことをじと目で睨んだ。
「彼女いないの知ってるだろ。……まったく。男の独り身のプライベートなんて聞いても楽しくないぞー。」
そういいながら、オレは佐々木のおでこを人差し指で軽く押した。佐々木は小さな声で「痛て。」と言って額に手を当てながらも、どこか嬉しそうな雰囲気で口角を上げた。
「へえ、まだいないんだ。……先生、モテそうなのに意外。」
「嫌味か。……佐々木は?どこか出かけないのか?」
高校男子の夏休みは、友達と遊んだり、海に行ったりと、青春を謳歌するだろう。
若いっていいな、と年寄りじみたことを考えてしまった。
「俺は従兄の店の手伝いをすることになりました。従兄がカフェを経営してるんで。」
「佐々木も忙しいな……。研究もあるだろうし、無理するなよ?」
佐々木は、生物部で植物の研究をしている。研究発表が夏休み明けの秋ごろにあるため、夏休み中に研究内容をまとめるのだ。研究合宿も行う予定である。
そんな何気ない会話をしていると、次の授業の予鈴のチャイムが鳴った。
「じゃあ、またね。ひな先生。」
「ああ。授業遅れんなよ。」
佐々木は律儀にもマグカップをさっと洗って、生物準備室を出ていった。
静かになった部屋の中で、オレも授業の準備をして生物室に向かう。
◆◆◆◆------------◆◆◆◆
はじめまして。
いつも御愛読いただき、ありがとうございます
( T∀T)
お気に入り登録もしてくださり、とても嬉しいです。是非、少しでも楽しんでもらえればと思います(・∀・)
15
お気に入りに追加
570
あなたにおすすめの小説


男子寮のベットの軋む音
なる
BL
ある大学に男子寮が存在した。
そこでは、思春期の男達が住んでおり先輩と後輩からなる相部屋制度。
ある一室からは夜な夜なベットの軋む音が聞こえる。
女子禁制の禁断の場所。

皇帝陛下の精子検査
雲丹はち
BL
弱冠25歳にして帝国全土の統一を果たした若き皇帝マクシミリアン。
しかし彼は政務に追われ、いまだ妃すら迎えられていなかった。
このままでは世継ぎが産まれるかどうかも分からない。
焦れた官僚たちに迫られ、マクシミリアンは世にも屈辱的な『検査』を受けさせられることに――!?

怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人
こじらせた処女
BL
幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。
しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。
「風邪をひくことは悪いこと」
社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。
とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。
それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?



ある少年の体調不良について
雨水林檎
BL
皆に好かれるいつもにこやかな少年新島陽(にいじまはる)と幼馴染で親友の薬師寺優巳(やくしじまさみ)。高校に入学してしばらく陽は風邪をひいたことをきっかけにひどく体調を崩して行く……。
BLもしくはブロマンス小説。
体調不良描写があります。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる