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第六章 決戦の地へ
平穏な時間
しおりを挟む朝の喫茶店は人がまばらで、お湯の沸き立つ小さな音もよく聞こえる。コーヒーの香ばしい匂いがふわりと包む店内に、魔道具からのささやかな音楽が流れるこの時間が、最近の僕のお気に入りだ。カウンターの内側でコーヒーを注ぎつつ、手早く注文された朝食を作って行く。庭で朝採れた新鮮なレタスを最後に挟んで完成した卵サンドを、カウンターに座っている常連客の目の前に差し出す。
常連客は読んでいた新聞を手早く畳んでカウンターに置くと、サンドイッチを美味しそうに頬張る。その置かれた新聞の一面にふと、目が留まる。そう言えばこの時期だったかと、遠くの記憶が頭の中にうっすらと蘇ってきた。
もう、あの戦いから5年経ったんだな……。
新聞に大きく書かれていたのは、僕がかつて苦しみを味わった場所であり、愛しい人に巡り合えた場所でもある国の復興事業が完了したという記事だった。
ロイラック王国との戦争は、ラディウス国の圧勝で終わった。僕を異世界から召喚した国王は、その罪を世界各国から問われ大罪人として処刑された。僕も処刑現場に立ち会ったのだけれど、その魂はやはり精霊たちによって天ではなく、別のところに連れて行かれたようだった。因果応報だと、国王の亡骸を冷静に見つめていた僕も随分と強くなったな、と自分自身に感心したものだ。
その後、ラディウス国に亡命していた第三王子が国王になったけど、圧政で国力を貪りつくされていたロイラック王国は、さらに多くの国民を魔力の生贄という形で犠牲にしたため、自国の力では復興不可能な状況だった。
そこで手を差し伸べたのが、勝利国であるラディウス国だった。敗北国は、本来であれば戦いに勝利した国の属国となるのが常だけれど、ラディウス国は和平協定を結ぶだけに留め、さらに戦後の復興に協力したという。全てはラディウス国の、賢き王太子殿下のお考えだった。
そんな数年前の出来事を、淡々と文字が滑っているの見つめていると、パタパタと忙しない音が軒上から聞こえてきた。足音が近づいて来るのを聞きながら、2人に持たせてあげるお弁当箱を可愛らしい布で包んだ。
「じゃあ、行ってきます!」
「……行ってきます」
金色の頭と水色の頭が階段脇から降りてくると、元気よく僕の前に整列した。小さな茶色のリュックを背負って、気をつけの姿勢を取ったシエルとステラは、この世界でいう小学校の制服を着ている。シックな色のセーラー服は、二人の明るい髪色によく似合う。双子にお弁当を手渡ししつつ、ステラの髪の頂上に、ひょこっと伸びる寝ぐせを見つけて僕は思わずクスっと笑ってしまった。
「ステラ、寝ぐせついてる……。よし、直った」
壁際にある棚の引き出しから櫛を取り出して、ステラが動く度に揺れる寝坊助な髪を整えてやる。その様子を羨ましそうに見ているシエルの頭にも、サラリと櫛を通してあげた。シエルの髪は自分でしっかりと整えたのか、櫛を通すまでもなく流れていく。シエルは目を細めると、少し気恥ずかしそうに頬を染めながら微笑んだ。
その様子があまりにも可愛くて、僕はその小さな身体をぎゅっと抱きしめた。両耳の辺りで嬉しそうに笑う声がして、僕もほっこりと幸せな気持ちになる。
「ステラ、シエル。気をつけて行ってらっしゃい」
「うん!」
「……うん」
ステラとシエルは常連客にも朝の挨拶をすると、二人で仲良く手を繋ぎながらお店の出入り口に向かう。
シエルとステラは、あの戦いの3年後に目を覚ました。精霊の加護のおかげで歳もとる事無く、身体も健康で目覚めてくれて心から安堵したものだ。今では僕とレイルと一緒に、この家で4人で暮らしている。最近は子供らしく甘えて我儘を言ってくれることが多くなった。双子が、我儘を言っていいと思えるくらい、気兼ねなく安心してこの家に居てくれているのだと分かって嬉しい。
客の出入りを報せる小さなベルのチリンッという音とともに、小さな背中が扉を出ていくのを見送っていると、僕の斜め前から低い男性の声で話しかけられた。
「あの二人は、学校で成績優秀なんだってね。運動神経も良いし、魔力も多い……。将来有望だね」
切れ長の目をチラリとこちらに向けながら、しなやかな指先で卵サンドを持ち上げて頬張る男性を、僕は軽く睨みつけた。といっても、愛しい人の上司である彼には全く通用はしない。前にも『リスに睨まれているみたいだな』と軽く笑われてしまった。
「……そちらには、うちの子はあげませんよ?」
「えぇー。将来有望なのに……」
とくにシエルはうち向きなんだけどなー、と子供っぽく口を尖らせて言う暗殺部隊長に、僕は苦笑いする。コーヒーを飲む口元は微笑んでいるのに、相変わらず目の奥が笑っていない。
ステラとシエルは、レイルに体術を教えてもらっていた。もともとの身体能力が高いのか、素人目から見ても双子の体術の吸収速度が速い。とくにシエルに至っては、気配と足音を消して僕に悪戯をしてくるからびっくりする。確かに将来有望だとは思うけど……。物騒なことを言う暗殺隊長を、再度じとっ、と睨みつけてみたけど、暗殺部隊長はふふっと小さく笑うだけだった。
「……いつも美味しいコーヒーを、ありがとう。ここのコーヒーもハーブティーも、どれも優しい味がする……。若い連中が入り浸るのも分かるよ」
若い連中が世話になっているね、と言う暗殺隊長に僕は小さく首を振る。この喫茶店は、一般のお客さんも入ることが出来るけれど見つけるのは難しい、隠れ家的な場所だ。ここを運よく見つけた旅人さんや冒険者がリピーターになってくれることもあるけど、常連客のほとんどが暗殺部隊の人だ。
「……皆、優しい人たちばかりだから」
「……そう言ってくれるのは、サエ君くらいさ」
コーヒーカップを静かにソーサーに置いた暗殺隊長は、目元を僅かに細めた。先ほどの作り物めいたものとは違う、人の温かさが垣間見える瞳は、この喫茶店の常連客になってくれてから時折り見せてくれる。
暗殺部隊の人達は雨漏りしていた時なんて屋根に軽々と登って修理してくれたし、街で重い荷物を運んでいる僕を見かけると手伝ってくれたりもする。暗殺や諜報を仕事としている人達だからと言って、別に性格が冷酷だったり狂人だったりというわけではない。
命を懸けた危険な仕事を誰かのためにしてくれている。そんな彼らの心と身体が少しでも癒されればいいと思って、料理を提供している。
「ここに来た連中は、どこか穏やかになって帰ってくるよ。」
「そうだな。ここはあの湖と同じ空気がして、穏やかで心が休まる……。サエが店を開いてくれたおかげで、私も息抜きを出来る場所ができた」
暗殺部隊長の隣に座る、金糸を思わせる髪を持つ青年が、同意の言葉を呟く。エメラルドを思わせる瞳を持つ美青年は、その佇まいからして高貴でハーブティーを飲む所作まで洗練されていた。
王太子殿下は、今回の戦いの功績によって国民から絶大な支持を得て、ラディウス国の国王になった。当初はあまりの忙しさに、おぼつかない足取りでお店にやって来ることも多かったけど、最近は業務が落ち着いたらしい。
それでも多忙な身である彼の身体が心配だから、いつも彼に提供するハーブティーには少し多めにあの力を入れてある。
5年前に店を開いた当初からの常連客と、話に花を咲かせていると、店の奥から木扉を開ける軋んだ音が聞こえた。お店の奥は居住スペースで、そこに繋がる裏戸を開けられる人物は魔法によって制限されている。コツコツと、わざと足音を立てて入って来た人物に僕は笑顔で振り返った。
「おかえりなさい、レイル」
シルバーグレーの髪をサラリと揺らしてお店に姿を現したレイルに、僕は思わず駆け寄った。レイルは両手を広げて駆け寄った僕を抱き留めると、そのまま腕の中に僕を閉じ込めた。ミントを思わせる爽やかさと、ほんのりと苦みを感じるよな大人っぽい香りは愛しい人そのもので。僕はその香りを堪能するように、レイルの胸に頬をすり寄せた。
「……ああ、ただいま。サエ」
普段は感情の読み取れない淡々とした口調で話すのに、頭上から聞こえた低い声には柔らかさが混じっている。見上げた色気ある切れ長の目は紅玉を思わせる美しさで、それでいて金色の粒子が滞留する神秘的な唯一無二の宝石だ。その瞳が僕に向けられると優しい色になるのを、僕だけが知っている。
しばらく仕事で会えなかった愛しい人との抱擁を交わしていると、コホンッとワザとらしい咳払いが聞こえて、僕は我に返った。そういえば、まだ営業中だ。咳が聞こえたほうを振り返れば、カウンター席に座る男性2人に生暖かい目を向けられてしまった。頬が赤くなって、恥ずかしさであわあわとした声しかでない。
「おっと、もうこんな時間か……。私たちはそろそろ、仕事に行こうかな。サエ、ごちそうさま」
「レイル、長期任務お疲れさん。しばらく休め。追って連絡する。……サエ君、しばらくレイルは休みにしたから、二人で仲良くね」
レイルの姿を認めた二人は、『お邪魔虫は早く退散しよう』などとからかう言葉を残しながら、足早にお会計を済ませて出て行ってしまった。チリンッと小さなベルの音が止んでしばらくすると、ずっと僕を後ろから抱きしめて、腰に手を回し離れようとしないレイルへと向き直る。相変わらず、美形の顔が近くにあるのは慣れない。気恥ずかしさに身を捩りながら、ぶっきらぼうにレイルに言う。
「……今日はもう閉店にしちゃうから、少しだけ離して?」
「もう先に、看板を『閉店』に代えておいた。……俺から、離れていこうとするな」
いつの間に?と驚いて固まった隙を突かれて、レイルが僕の膝裏へ素早く腕を通した。瞬く間にお姫様抱っこされた僕は、落とされないようにレイルの首に腕を巻き付けた。
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