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第三章 不穏な足音はします
甘露の夜会、気味が悪い
しおりを挟む「……似合うとは予想していたが、これほどとは。……今日が仮面舞踏会で本当に良かったよ」
そんな呑気なことを言うレイの隣で、一人の令嬢が遠い目をしながら鏡に映っている。『良い仕事をしてくれた』と言うレイの労いに、胸を張ったり、ハイタッチをしたりと喜んでいるメイドさんたちの姿が、鏡越しに見えた。
『これほどの原石を磨くことが出来て、大変嬉しゅうございました』と、年配のメイドさんが満足げに微笑み、深々とお辞儀をしている。
いや、夜会の潜入のため、貴族に見えるように多少の煌びやかな装飾品を身に付けたり、薄っすら化粧を施すのは分かるんだ。だけど……。
「……オレが、令嬢である理由は?」
鏡越しに、飽きずに自分のドレス姿を上から下までじっと見つめているレイを、イリスは批判の眼差しで睨みつけた。
深緑色の上着を基調としたドレスは、女性が着るには少し地味な印象になりがちだが、このドレスはむしろ可憐さが際立っている。
腰から下にふわりと広がり、幾重にも折り重なるフリルが見事で、色彩も落ち着きのある水色から、足元に向かって淡い緑に染まっていく。
動くと足元からチラリと覗く、白色レースが可憐で、深緑色の上着と相まって、まるで緑の蕾から美しい花びらが見え隠れしているデザインなのだ。
髪はベージュ色の付け髪を後ろで結い上げ、ダイヤモンドを散らした留めが朝露のように、控えめに輝く。
あどけなさを残しつつも、大人の女性に成長しようとしている。そんな、上品でありながら、みずみずしい美しさを綻ばせるご令嬢。
「夜会への出席はパートナー同伴が必須なんだ。そして、主催の男爵が中々の女好きでね。……男よりもご令嬢のほうが、警戒されないだろうと踏んだ」
確かに男性よりも、女性が同伴の方が警戒は薄れるだろう。潜入には危険が伴うから、女性にこの役割をさせるのも気が引ける。
ならばレイが女装をすべきでは、と一瞬だけ思ったが彼の体格を見て口を噤んだ。もっともらしい理由を聞いて納得せざる負えないけれど、心が釈然としない。
レイは嬉しそうに微笑みながら、未だにふてくされているイリスへと近づく。年配のメイドさんが恭しく持っていた小箱から仮面を取り出すと、イリスの目元へそっと被せた。
「今宵の私はなんて幸運なのだろう。美しき可憐な花をパートナーに出来て、果報者だな。……いいかい、イリス。この仮面を絶対に外してはいけないよ?」
イリスの左右で違う色の瞳が、柔らかく細い白金属の曲線のマスカレードマスクで彩られる。鳥の羽根をモチーフにした白い仮面は、繊細な線の合間にレイの瞳と同じ蒼の宝石が散りばめられていた。
溜息が出る程に煌びやかで美しく、芸術品と言っても過言ではない。素性を隠す仮面だけでも、貴族というのは気が抜けないらしい。
(仮面舞踏会か……。貴族の淫れた饗宴と聞くけど……)
平民のイリスでは想像もできないが、仮面によって素顔も身分も隠した、秘め事の多い宴。羽目を外す者も出てくるからという忠告にイリスが素直に頷くと、レイはイリスの前髪を優しく払いのけた。
少しひんやりした額に、ふにっと指先よりも柔らかな感触が触れて目を瞬いた。同時に聞こえた可愛らしいリップ音と、相手の感情が一瞬だけイリスへと流れ込む。
___愛らしい、私の清らかな花。
目の前の怪盗から流れ込んできたそれは、爽やかな風の中にほんのりとした甘さの混じった、呟きともとれる小さな感情。
どうしてか、その無言の呟きにイリスの鼓動が変に裏返った気がした。額に口付けられた衝撃と、今までにない自分の心臓の動きに困惑して、イリスは無言のまま、じっと蒼色の宝石を窺がう。
「……さあ、行こう」
馬車は平民街の道を通り抜けて、煌々とした人工的な明りの灯る屋敷へと近づいていく。人のざわめきや怪しい興奮の入り交じった雰囲気が漂うそこは、夜の静けさの中で異質な存在にイリスは思えた。
男爵邸の玄関で馬車はゆっくりと停まり、レイが先に折りて黒い皮手袋の手を差し伸べる。イリスがぎこちなく手を重ねると、黒色の仮面をつけた怪盗が小さく微笑んだ。
「ようこそ、甘露の夜会へ」
そう言って恭しく出迎えた門番に、レイが招待状を渡す。扉が開かれ男爵邸に入れば、すでに夜会が始まっていて廊下の奥から音楽の旋律が聞こえた。
初めて着るドレスとヒールに躓きそうになるイリスを、腰に回ったレイの手が優しくエスコートする。視界の端で、変装しているレイの焦茶色の髪が揺れる。
緊張で硬くなっているイリスの耳元で、レイが囁いた。
「私の腕に手を絡めて。……少しは歩きやすくなるだろう?」
イリスの右手を、自分の左腕に絡ませるようにレイが誘導する。より密着した身体が支えになって、幾分か歩きやすくなる。触れている部分から彼の体温を感じて、なんだか落ち着かない。
そわそわしながら大広間へ足を踏み入れば、シャンデリアに反射する光の眩しさに、イリスは一瞬目を瞑ってしまった。
(眩し過ぎる……)
月や星の素朴な明るさとは違う毒々しい強い光に、イリスは眩暈を起こしそうになる。昼間のように明るい室内に、沢山の華やかな衣装に身を包んだ人々がダンスや談笑に興じている。
そして、その全員が豪華で趣向を凝らした仮面をかぶり、口角だけを緩く上げていた。
(……それに、なんだろう。……気持ちが悪い……)
人々の表情が口元でしか感じ取れないし、視界を確保するための仮面の穴は、皆が一様に同じ形のせいで無機質な人形のように見えてしまう。
そして、無機質で表情が読めないというのに、華やかな大広間に足を踏み入れた直後から、イリスは人々の視線が自分へと集まって来るのを感じ取っていた。
仮面の下から覗く目に、品定めされている。
粘着質な厭らしさが、自分の全身に絡みついてくるのが分かる。
談笑しているように見えて、皆が何か狩りを楽しんでいるような異様で獰猛な興奮を孕んでいるように感じるのは、気のせいだろうか。
あまりの不快さに、イリスは咄嗟にレイの腕を掴む手に力を込めて、隠れるように身を寄せた。
そんな初心な様子に、周囲の者たちが狩猟本能と欲望を滾らせたことを露ほども知らず、イリスは自分へ向けられる視線が更にぎらついたことに恐怖を感じる。
縋るようにレイの左腕の服を引っ張ってしまったイリスの手へ、大きな重ねられる。
「……大丈夫。君は私の隣で堂々としていればいい」
レイを窺がうように見上げれば、仮面の下からでも分かるほどに優しい蒼色の目で微笑まれた。その落ち着いた声と眼差しに頷いていると、優雅に奏でられていた音楽が突如として止む。
広間の奥にそびえる演台に一人の男性が現れ、演者のように大きく手を広げた。小太りな男性の顔を見て、イリスは目を見張る。
「今宵は、密やかな仮面舞踏会にお集まりいただき、誠にありがとうございます。主催者である私から一つ、皆様にお見せしたいものがございます」
そう言って仰々しくお辞儀をした男性の声、何よりも欲望を隠し切れていない下品な笑み。間違いない。呪いの記憶の中で見た、怪しい取引をしていた男性だ。イリスはレイにだけ聞こえるように、小さく呟いた。
「レイ、あの人が……」
「ああ。あれが今回の獲物だ」
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毎日更新ありがとうございます😊
これからどんな話になるのか楽しみです!
カミル様
いつも素敵なご感想をありがとうございます!
カミル様ー!今作初めてのご感想を、カミル様に頂けて本当に嬉しいです!
楽しみと言ってくださり、ありがとうございます。
まだまだ序盤ではありますが、今後もカミル様に楽しんでいただけますと幸いです。
いつもご愛読頂きありがとうございます🙇