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第三章 不穏な足音はします

魔力消耗症、患者の数が異様です

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 商業都市フール。
 温泉が有名な観光地でもあり、特産の金細工を目当てにして商人が訪れる楽器ある都市。表通りは観光客と商人で賑わい、夜になれば路地裏に広がる歓楽街で大人たちが夢のひとときを楽しむ。

 そんな広い観光通りは、今や人の姿がまばらで閑散としている。昼間だと言うのに、扉を閉め切ってる店も少なくない。


「これは……」
「表通りでもこれということは、裏通りは危険だな……」

 商人というのは、良くも悪くも耳が早いものだ。異変を敏感に感じ取って、今はこの街に近づいてこなくなったのだろう。商品が来なければ、店も開けられない。

 騎士団の列を見る人々の目は、疑心に囚われどんよりと濁っている。それに……。


(さっきから、子供たちの姿を見かけない……)

 お昼を過ぎた時間帯なはずなのに、外で遊ぶ子供たちの姿はおろか、声も聞こえない。
 軒先で店番をしている者たちも、若者がほとんどいないのだ。亡霊のように暗い空気が漂う街道は、商業都市の面影がなくなっている。


 灰色の虚しさが色濃い街並みを進んでいると、馬車近くを騎乗で進んでいたシアの苦い呟きが聞こえた。


「ここしか、通れないか……」

 シアの呟きの意図を、外を眺めていたイリスはすぐに理解した。

 車窓から見えたのは、ひと際高い白磁の塔と金細工の建物。王族を模した像が杖を掲げた大きな石像が目を引き、細かな彫刻が施された大理石が乱立する。両開き扉は上質な木材で、その引手にも金を使う贅沢ぶりは目に余る。


 街の中心部に聳え立つ、美しくも厭らしさの目立つ王族教会の前を隊列が通り過ぎようとしたとき、悲痛な訴えがイリスの耳に届いた。


「お願いです!どうか、息子を……!!」

 王族教会の扉に続く大理石の階段に、2つの人影が蹲っている。中年の男の腕の中には、ぐったりと力の抜けた少年が抱かれている。おそらくは夫婦とその子供なのだろう。

 階段に膝をついて涙の混じった訴えを上げた女性を、数段上の階段から黒色の神官服を着た男が見下ろす。


「……何度も申し上げたはずです。貴方たちは受け入れられません。お帰りください」

 事務的に云い放った男性は、冷たく侮蔑の眼差しを夫婦に向けた。嫌悪を隠そうともせず、わざとらしく大きなため息を吐く。背を向けようとした神官に、少年の母親は階段に手をつきながら頭を下げて懇願する。


「そこをなんとかっ!!こんなに幼い子が苦しそうで!」

「……では、こちらをご用意いただけるのですか??」


 神官は長い袖から、小さな一枚の紙を取り出した。イリスも何度か目にしたことのある細長いそれは、王族教会に寄付した証として配布される護符だ。確か面面に、金額が書かれていたはず。


 神官はわざと見せつけるように、女性の眼前にその紙を差し出した。イリスはその様子を見ながら、胸の内にふつふつと怒りが湧いて来るのを感じていた。この後の話の顛末が、イリスは嫌でも予想できた。

 目前に示された紙を見て、目を見張った女性は、見る見るうちに青ざめていく。


「っ?!……こんな、大金……」

 男性も紙に書かれた金額を見たのだろう。驚愕する声を、王族神官の男は鼻で笑った。夫婦は決して、みすぼらしい恰好をしているわけではない。

 むしろ一般的な平民よりも裕福そうで、身なりもしっかりと整って商売人のようにも見える。それでも、彼らにとっては大金だったのだろう。


「特殊な治療法を用いますので、このくらいの寄付を頂かないと……。神の使徒である王族方へ、寄付はせめてもの感謝の形です。感謝を示せないのなら、どうぞお引き取りを」


 その後も言い募ろうとする夫婦に、美しい刺繍の施された神官服を着た男は冷たい一瞥を送り背を向けた。教会内に入った王族信仰の神官に追い縋ろうとした夫婦は、扉の横に立つ騎士によって阻まれる。

 神官はそんな夫婦に振り返りもせず、扉は鈍い音を立てて閉まった。夫婦の腕の中には、首元まで黒い痣で覆われた少年が、ぐったりとした様子で抱えられていた。


 少年を抱きながら、無機質な大理石の階段で泣き崩れる夫婦の姿に、イリスは馬車の椅子から身を乗り出していた。御者に馬車を止めるよう声をかけようとした瞬間、鋭い命令が隊列に下される。


「止まれ!!」

 シアの制止の声が聞こえて、唐突に馬車が動きを止めた。すぐさま扉を開けて馬車から出ようとしたイリスの前に、騎乗した深紅の騎士が手を軽く上げて押しとどめる。シアの赤い瞳にも、ありありと怒りが滲んでいるのが見えた。

 何も言わなくとも、お互いの意図が汲み取れた。


「イリスはここに居てくれ。……俺が行く」

 そう言うが早いか、素早く馬から降りたシアは、王族教会の階段を何とか降り切った夫婦のもとに走って行く。夫婦へ優しく話しかけたシアは、未だにぐったりとしている少年を腕に抱えて足早に戻って来た。

 イリスは馬車の中にシアを招き入れると、馬車の椅子に少年を横たえるように促す。首元から見える黒い痣を確認しつつ、眼をつむる少年の額へ手袋越しに触れた。


「っ!すごい熱だ……」

 すぐに神官服の胸元から『魔力消耗症』のポーションを取り出し、荒い呼吸を繰り返す少年の口元にポーションの飲み口を当てた。

 小さな喉が上下するのを確認してしばらく、少年の苦し気だった呼吸がほんの少し落ち着いてイリスは安堵の息を零す。


 額の熱も少し和らいだところで、少年の両親がシアに誘導させながら馬車へと乗り込んできた。イリスの姿を見た瞬間、夫婦は気まずそうに目を逸らした。
 夫婦の様子に訝しさを覚えながらも、イリスは少年への治療行為を説明する。


「……特効薬を飲ませましたが、しばらくは家でも様子を見てあげてください」

「……。……ありがとう、ございます……」


 女性は何も言わず黙り込んで、男性は煮え切らない様子でイリスに礼を言った。別に治療をしたからお礼を言って欲しいとか、そういう想いで助けたのではない。でも、夫婦のこの態度を見るに何か引っかかる。

 動き出した馬車の中、少年の頭を膝に乗せ、イリスと向かい合わせで座った女性が俯いた顔を上げる。虚ろな女性の目から、イリスへの疑心が見て取れた。


「……何度、息子はこの薬を飲めばいいの……?」
「……お前……」

 止めるんだ、と女性を窘めた男性も、苦い顔をしながら言葉少なになる。

 とりあえずは数日飲んでもらう薬を処方してもらうため、精霊教会へ夫婦を連れて行くことになったが、夫婦の顔は暗い表情のままだった。先ほどの女性の言葉がどうも引っ掛かる。


 『魔力消耗症』は、特効薬を数日飲めば完治するものだ。原因も免疫が低下した体内に細菌が入り込むことで起こると分かっている。女性の口ぶりからするに、少年はすでに薬を服用しているということだろうか?

 そうであれば、こんなにも症状が悪化しているはずが無いんだけど……。


 車内の空気が陰鬱としたまま、馬車は街外れにある質素な石壁の建物の前で止まった。建物自体は大きいが、装飾のない壁は一般的な平民でも入りやすい雰囲気がある。馬車から夫婦とともに降りて教会内に入ろうとしたイリスは、若い男性の声で呼び止められた。


「おい、勝手に開けんなよ。今は患者とその関係者以外、教会内は立ち入り禁止だ」

 教会の扉の傍に立つ青年は、イリスを警戒するように低い声で忠告する。イリスよりも背の高いすらりとした年下の青年は、猫を思わせるつり目がちな瞳でイリスを睨みつける。

 まるで門番のように威嚇してくる青年に、イリスは首元にぶら下げている銀のロザリオを見せた。


「辺境地から応援に来ました、神官のイリスと申します。不足している薬剤を届けに来ました。……それと、この方たちの治療をお願いします」


 イリスが後ろに居る少年を抱えた夫婦へと目を向けると、門番らしき少年ははっとした表情をする。青年は夫婦に抱かれた少年を見て、苦々し気に呟いた。


「……あんたらは、数日前にも……。分かった、入りな」


 青年は木製の扉を開け、イリスたちが礼拝堂に入ったのを確認するとすぐさまに扉を閉めた。室内に入って、彼がなぜすぐに扉を閉めたのか理由が分かった。


「これは……。どうして、こんなに……」

 教会内の広い礼拝堂は、沢山の簡易ベッドで埋め尽くされている。ベッドの数は実に40は超えていて、ベッドの隙間を神官たがあわただしく動き回っている。

 ベッドに横たわっている患者は、手や足に黒色の痣が植物のツタ模様のように発現している。熱にうなされて苦し気な患者をよく見れば、イリスと同じくらいか、それよりも若い者ばかりのように見えた。


 明らかに異様な光景に、イリスは思わず息を飲む。いくら感染が広がっているとはいえ、数が多すぎる。
 今までに類のない事態に唖然としていると、30代半ばの神官が足早にイリスへと近づいて来る。


「イリス神官!よく来てくれた」
「ラルフ神官長」


 若くして商業都市の教会長である、ラルフ新官長。常に冷戦沈着と噂の彼の顔にも、疲れが出ている。

 ラルフ新官長はイリスの傍にいた夫婦に気が付くと、別の神官にすぐに診察室へ案内するように伝えた。案内係に促された夫婦はラルフ新官長に何か言いたげにしながらも、諦めたように案内係についていく。


 夫婦の小さな背中が礼拝堂から消えたのを確認して、ラルフ神官は口を開いた。


「来てくれたありがとう。薬を作る人が足りなくてね。本当に助かる」
「いえ……。それよりも、この患者の数は一体……」


 疑問を口にするイリスを促し、ラルフ神官長は薬剤室へ向かう道すがら詳細を説明してくれた。

 自体はイリスの思っているよりもかなり深刻だった。数か月前までは数人であった感染者が、今や街中の若者のほとんどが感染している状況らしい。
 病床の数が足りないため、症状の軽い者は、家で薬を飲んで療養してもらっている。教会にはいるのは重篤な患者たちだという。


「なによりも問題なのが……」

 ラルフ神官長は、眉間にしわを寄せて悔し気に声を震わせ、言葉を絞り出した。


「……明らかに症状は『魔力消耗症』なはずなのに、特効薬が効かないんだ」





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