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第三章 不穏な足音はします
怪盗の犯行予告
しおりを挟む「……多くの人が助かるのなら。オレの出来得る限り、協力する」
そして、この力を不気味に思うことなく欲してくれた貴方に、少しでも応えることが出来るなら。
そんな思いを込めて、彼の大きな手をぎゅっと握り返した。レイは目を見張ると、『ありがとう』と小さく呟いて微笑んだ。
お互い地面に座り込んで向かい合ったままである事に笑いつつ、ベンチに移動する。
気持ち悪かった体調はすっかり落ち着いて、隣に座る神官服を着たレイへと視線を移した。レイは急かすことなく、イリスが言葉を発するのを待ってくれている。
少し躊躇いはあるけれども、この紳士的な怪盗は自分の言葉をけして蔑ろにしないだろう。イリスにはそんな確信が不思議とあった。
レイの端正な顔に木洩れ日が揺れるのを眺めつつ、イリスは口を開いた。
「……これは感染症なんかじゃない。人為的に仕向けられた、呪いなんだ」
黒色の痣の下に巧妙に隠れた、肌と体内をはって絡みつく蛇。先ほど呪いの記憶から読み取った、取引の様子。
おそらくだが、小箱に入った何かがこの呪いの根源なのだろう。イリスが記憶の断片を話すと、隣から息を飲む声が聞こえた。美しい宝石の目が見開かれるのを見ながら、イリスは言葉を続けた。
「さっきは、水の中にある呪いを見ていたんだ。……おそらくだけど、水源に呪いを混ぜて、街に流しているんだと思う……」
人間が生きるには必ず必要になる水。飲むなというのは不可能だ。イリスがこうして、悔しさに歯を軋ませている間にも、実際に口から入れてしまっている者がいるだろう。
「ちょっと待て。君は先ほど手を突っ込んでいただろう?呪いは大丈夫なのか……?」
今までに見たこともないくらい怖い顔をして問いかけてくるレイに、イリスは面食らった。レイのこんなにも怒った顔を初めて見る。
「……だい、じょうぶ。……触れるだけでは、体内に入ることは出来ないみたいなんだ。傷口とか、あるいは粘膜から入るんだと思う……」
目の前で手をヒラヒラさせるイリスに、レイは安堵のため息を零しながら、なんとも言えない苦い顔をする。『なんて無茶を……』と小さく呟き、イリスへ咎める視線を向けた。
「イリスはこれ以上、水に触るな。……しかし、水源か。なるほどな」
レイは顎に手を当てて、しばらく考え込む。青みがかった黒髪がサラリと風に揺れ、端正な顔に影を落とす。目を伏せる美青年は、何かに納得したように一人頷くと、ゆっくりと力強く言葉を紡いだ。それは、
「標的は決まった。今夜、とある貴族の夜会に潜入する。君も一緒に来てくれ」
先ほどまで優し気にイリスを見つめていた蒼色の宝石が、夜の支配者のように深く強い蒼に変わっていく気がした。夜の帳が降りる。怪盗が姿を現す闇の世界が訪れる。そんな気配にイリスは喉を鳴らした。
午後の仕事に戻ったイリスに、ある貴族のもとへ予告状が届いたという噂が耳に入った。それは美しい金の模様に彩られた漆黒のカードだという。
___男爵家の秘宝を頂戴いたします___
夜会を開く男爵へ向けられた、怪盗『隻影』からの犯行声明文。暗い影を落とす街でも、怪盗の噂は瞬く間に広がった。流石は世紀の大怪盗。仕事が早い。
「応援に来ている騎士団が、男爵邸を急遽で警備するらしい。昨日来てくれたばかりだというのに……」
教会の薬剤室で調薬しているときに、様子を見に来たラルフ神官が世間話の合間に教えてくれた。イリスが騎士団の皆と仲良くしているから、気を遣ってくれたのだろう。
一層のことや夜会を中止すべきだという騎士団の忠告に、当の男爵は首を縦には振らなかった。それどころか、盗まるはずがないと高を括っているそうだ。
イリスの頭に、ふと深紅を纏う騎士の姿が浮かんだ。辺境地で共に穏やかな時間を過ごした、頼もしく優しい美男子。彼と一緒に無事に帰るためにも。今夜の怪盗との約束に、イリスは一人決意を固めた。
(まるで嵐の前の静けさのようだ……)
街道が月夜に照らされたかと思えば、程なくして周りが薄暗くなる。風が雲をせわしなく動かす夜で、月の光も落ち着かない。
風切り音だけが妙に響く中、イリスは茶色のコートを羽織り、フードを目深に被って息を潜めていた。夜にあまり人が寄り付かない場所と言えど、神官が夜に出歩いていると思われるは外聞が悪い。
待合場所にちょうど良い場所はないか、とレイに聞かれ提案したのは、教会の裏手にある墓地だった。そこを指定したときに、レイがなんとも言えない微妙な表情をしたのが可笑しかった。
(意外に、おばけとか幽霊を信じるタイプなのかもしれないな……)
美青年が子どものように拗ねながら、顔を歪める姿を思い出して笑っていると、イリスの耳に小さな蹄の音が届いた。徐々に音が近づいてきて、程なくして木製の簡素な馬車がイリスの前に停まる。
「こんばんは。どうぞ、こちらに」
馬を操っていた御者が、馬車の扉を開けてイリスを中へと入るように促す。開け放たれた扉から覗く馬車の内装は外観と同じで、向かい合わせにベンチが設けられたシンプルなものだった。
イリスは軋む階段を登り、馬車の扉をくぐったとき身体に違和感を感じて首を傾げた。一瞬だが、とぷんっと水の膜を通り抜けたような、不思議な感覚になった気がする。
次の瞬間、視界に広がった光景にイリスは唖然とした。
「待たせてしまったかな?すまないね」
低く落ち着いた声がイリスを労う中、イリスはあまりにも現実離れした光景に目を見張る。
落ち着いた色合いの紺の壁紙に、立ち上がってもぶつからないほど高い天井。窓枠からランプまで細部にまでこだわりつくされた、上品な室内。もはや馬車の中ではなく、一つの屋敷の部屋のような空間がイリスの前に広がる。
どう考えても、馬車の大きさに見合わない広さの部屋で、颯爽と一人の男性が駆け寄ってイリスの手を優しく引いた。
「亜空間馬車は初めてか?楽しませてあげたいが、なにぶん時間が無くてね」
上品な礼服に身を包んだレイは、驚くイリスに柔らかく微笑んだ。亜空間馬車など、この国でも数えるくらいしかない貴重な代物だ。魔法によって馬車の中が別空間に繋がり、就寝や食事などの一通りの生活が出来るようになっているそれは、屋敷1つが余裕で買える値段のもの。
一握りの貴族しか買えないはずのものを、なぜ目の前の怪盗が有しているのか?
レイは本当に、何者なんだ……?
彼の素性がますます謎に包まれる。
疑問が頭をよぎる中、イリスはレイに導かれるままに、上品なテーブルやソファを通り過ぎて部屋の奥へと進んでいく。艷やかな木の扉を開ければ、そこは服がびっしりと吊り下げられたクローゼットだった。
メイドらしき女性たちが、イリスに静かに頭を下げるので、イリスもおどおどと礼を返す。
「私は隣の部屋で待っているから、ここで着替えを済ませてくれ。……あとは任せる」
「承知いたしました。イリス様、どうぞこちらへ」
年長者らしきメイドさんがテキパキとした口調でレイに返事をして、イリスを中へと招く。イリスが茶色のコートを脱いだ瞬間、メイドさんの目がきらりっと妖しく光った気がした。
「まぁ!なんて清楚な方なんでしょう。これは久々に腕が鳴りますわ!!……さあ、皆さん美しく磨きましょう!!」
「「はい!!」」
小気味よく手を叩いた彼女に合わせて、元気よく返事をするメイドさんたち。その手が何かを掴むかのように広げられて、わきわきと動いている。
「……えっ??」
イリスが間抜けな声を出した直後、あれよあれよという間にメイドたちに服を着替えさせられたのだった。
「……似合うとは思っていたが、これほどまでとは。……今日が仮面舞踏会で本当に良かったよ」
そんな呑気なことを言うレイの隣で、一人の令嬢が遠い目をしながら鏡に映っている。
「……オレが、令嬢である理由は?」
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