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第二章 イケメン副騎士団長と同居って、おかしくないですか?
放浪の神官、自分には過分な願いです
しおりを挟むエセンシアはイリスの髪を優しく撫でると、甘い雰囲気のままイリスへ問いかける。
「……イリス。俺たち、結構長い付き合いだろう?」
「……そうですね」
柔らかな風が頬を撫でていく。
「俺のことは、シアと呼んでくれないか?」
「……えっ?」
『シア』って、確かエセンシア様の愛称だったはず。家族や親しい友人だけに許す特別な呼び方だ。今だって、二人きりのときは家名ではなく名前を呼ばせてもらっているくらいなのに、愛称までとなると……。
さすがにイリスも委縮してしまう。覗き込んでくるエセンシアの瞳を、戸惑ったまま見つめ返す。
困り果てているイリスとを、エセンシアは変わらず優しい微笑みで見つめていた。
「エセンシアなんて、長いし呼びにくいだろう?……それに、イリスに『エセンシア様』って言われていると、寂しいんだ」
俺たちは、そんなに遠い関係ではないだろう?と寂し気な顔でエセンシアに言われれば、ますますイリスは返答に困った。
自分たちの関係は、一緒に暮らしている同居人ではないのだろうか?でも、ただの同居人と言う、まるで他人事のような言葉を心で反芻すると、胸にチクリっと鈍い痛みが走る。
「……やはり、俺を愛称で呼ぶのは嫌か……?」
「っ!!そんなこと、ありません!!」
微笑んでいた美しい騎士が、途端に眉根を下げて哀しそうな顔をする。屈強な騎士が今や哀し気な声で鳴く大型犬に見えて、イリスは慌てて否定した。
首を左右に振って懸命に否定したイリスの両手を、エセンシアはそっと大きな手で包み込んだ。自分よりも少し高い体温が、手袋越しでも伝わって来る。この人の手は、いつもイリスに温かさをくれる。
「……ほら?イリス?」
見上げた先で微笑む深紅の美男子は、甘えて強請るようにイリスに促す。険しい時は燃える太陽のように感じる瞳も、今は紅玉の色を持つ蜜のように甘い。
そういえば、この人はこうやって甘く囁いて、少し強引にお願いを押し通す人だということを、今更ながらに思い出した。なんだか、うまく誘導された気分だ。
しばらく黙ったまま、躊躇って目を伏せたイリスは、やがて観念しておずおずとエセンシアを見つめ返した。 名前を呼ぶだけなのに、緊張して口が上手く開かない。
「……シア……」
か細く呟いたはずなのに、目の前の騎士にはしっかりと聞こえたようだ。芳醇な紅がさらに深まって、エセンシアが心底嬉しそうに顔を綻ばせる。炎を思わせる深紅を纏った、美しい騎士の穏やかで優しい微笑み。
その優しさに、強い熱を感じてしまうのはどうしてなのだろう。
「イリス……」
朗らかに笑う騎士の姿は、陽光に負けないほどに眩しい。つられるように自然と微笑み返したイリスに、エセンシアはさらに嬉しそうに目元を細めた。
その後イリスが慣れるまで、ずっとエセンシアの愛称を練習させられた。愛称を呼ぶ度に、シアは甘い熱を声に乗せてイリスを呼んだ。
爽やかに流れる風と、波紋のように広がっていく下草のささやかな葉音。木洩れ日が美しい騎士に映り、穏やかに時間が過ぎていく。昼食は教会の庭先に敷物を敷いて、エセンシアとともに温かな春を楽しんだ。
(ずっと、こうしていたい……)
辺境地の人々は、左右の目の色が違うイリスを不気味に思わない。街の外から来た人間であっても、のんびりとした穏やかな空気で包み込んでくれる。
そして、隣には頼もしい友人である深紅の騎士。イリスが目を向ければ、いつだって優しい瞳で答えてくれる美しい人。
こんなにも心穏やか時間を、イリスは過ごしたことがない。
できることなら、ずっとこの場所に……。
イリスはそう考えた直後、目を閉じて思考を無理矢理止めた。これ以上考えてしまったら、自分自身が苦しくなる。
一つの場所に長くとどまることは、自分の持つ特性上出来ない。イリスはそのことを、短い人生ではあるが身に染みてよく分かっていた。人は違和感に敏感で、いつかは『物の記憶を読み取る』という不気味さに、気づく者が現れるのだ。
それから逃げるように、修行中の神官という職業を選んだのだ。数年ごとに必ず異動する放浪の神官を。今までは自分のその選択に後悔はなかったし、居場所を渡り歩くのが自分の生き方になるであろうと覚悟もしていた。
でも、あまりにもこの辺境地の居心地が良すぎて。
初めてこの地に残れないだろうかと、心が揺さぶられる。
手に持ったコップの中に、情けない自分の顔が写り込む。イリスはコップを傾けると、清涼感が香るハーブティーを自身の切ない願いとともに流し込んだ。
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