11 / 26
第一章 オレはただの神官です、怪盗なんて関係ないです
不思議な月の精霊(レイside)
しおりを挟むレイside
揺らぐ暖色のランプに、飴色がトロリと輝く。グラスの中にある氷を揺らしながら、レイは仄かに掠める熟成された木の香りを楽しんでいた。まろやかな甘さが喉を通り抜けた途端、身体が熱を帯びていく。
正面の一人掛けソファに座る中年の色男は、酒を一気に煽ると不敵に笑った。逞しい身体に、右目に縦に切り裂かれた傷跡が不穏さを増す。凄腕の暗部はどこか独特の陰湿な覇気がある。
軽食をローテーブルに置いた壮年の執事長が、自分の右側のソファに座ったところでレイは口を開いた。
「今回も、皆よく尽くしてくれた。礼を言う。……ただ、いくつか気になる点がある」
この屋敷の重鎮だけを集めた会議も、今夜で何度目になるだろうか。氷が崩れる軽い音が部屋に響く。
「……あの元子爵だけで、御家乗っ取りの計画を立てたとは到底思えない」
侯爵夫人を死に至らしめた遅効性の毒。無味無臭なあれは大変高価な代物で、平民に落ちていた元子爵がとても買えない。
さらには多数の使用人に一切気づかれず、侯爵夫人に何年にも渡って毒を盛れる手練れの暗殺者を雇える、裏の人脈があるとも思えない。
「王立騎士団の牢屋に忍び込んで、元子爵本人にも聞こうとも思っていたが……。相手のほうが一枚上手だったな」
空になったグラスへ年代物の酒を惜しげもなく注ぎ、目の前の暗部隊長ヒューズは肩をすくめる。子爵は盗賊たちとともに王立騎士団が管理する牢屋に入れられた。
御家乗っ取りはこの国でも重罪。慎重に尋問すべく準備をしていた数時間の間に、子爵と盗賊は物言わぬ屍となった。牢屋の石壁が血飛沫で真っ赤に埋め尽くされ、見張りの騎士ともども、子爵や盗賊たちは綺麗に首を切られて死んでいたと言う。
そこまでして、相手は自分たちの正体を塵ほども残したくないらしい。愚者を操っている、狡猾な者の影が見え隠れする。
「……侯爵家の鉱山が一つ、早々と売られたことも気になります……」
執事長グレイスは孝行爺のごとく穏やかに告げたが、皺の目立つ目元から発する眼光は鋭い。かなりの歳ではあるが、この公爵家の全てを取り仕切る役割の彼の能力は、衰えることはない。
あの侯爵家は魔石の採れる鉱山を保有し、さらに質の良いものが採掘されるとあって、魔石の宝庫としても知られていた。魔石は魔力を詰め込める石であり、あらゆるものの動力だ。生活に欠かせないもので、侯爵家の財源になっていたのも確かである。
しかし、今回買い手が付いたのは魔石の採れない山なのだ。子爵が不要と考え売ったという可能性もあるが、買うほうの意図も分からない。自分たちの得体のしれないものが、蠢いている気配がする。
「……ヒューズは暗殺者関係から情報収集を。グレイは鉱山についてもう少し調べてくれ。……やつらに繋がるかもしれない」
そう言った自分の声には、憎しみが混じる。
今でも鮮明に瞼の裏に焼き付く、血に染まった両親の亡骸。抱きかかえた両親の身体は生命の温度を失くし、無機物な人形のように冷たかったのをありありと覚えている。噎せ返る鉄の匂い。
仄暗い炎が身体からこみ上げてくるのを、度数の高い酒を煽って抑え込む。
「はいよ」
「承知いたしました」
暗部隊長はグラスに残った酒を一気に飲み干すと、片手を上げながら部屋を出て行った。早速仕事に取り掛かってくれるようだ。暗殺者たちに後れを取ったことも、彼らにとっては腹立たしいのだろう。
空になったグラスに、すかさずグレイが酒を注ぐ。飴色の液体がグラスを満たすのを見ていた視線が、ふとローテーブルに飾られた花瓶へと移った。
透明なガラスの花瓶に小ぶりの白百合が咲く。純白の花と蕾が、先日出会った美しい青年に重なった。カランと小さな音を立てて差し出されたグラスに気が付くと、我が家の執事長が悪戯っ子のように目を細めていた。なんだか、嫌な予感がする。
「……なにか、楽しいことでもありましたか?」
彼とは生まれたときからの付き合いだから、自分の些細な変化も手に取るように分かるのだろう。普段は、そういった心の機敏にあえて口を出さないはずなのに、今日は違ったらしい。どうやら、人に言われるほど感情が漏れていたようだった。らしくない、と自分でも思う。
「……さあな」
素っ気なく返事をしたレイに、壮年の執事長は肩をすくめさせる。目の前で咲き誇る満開の白百合に手を伸ばして、花びらをそっと撫でた。薄く柔らかく見えて、意外にもその花びらはしなやかでみずみずしい。
あの侯爵家には、元々両親と繋がりがあったから訪問する予定だった。実際に調べてみれば元子爵の御家乗っ取りと、侯爵令息の監禁という情報が手に入ってしまい、今回の計画を実行するに至ったのだ。
ブローチの奪取はあくまでも目くらまし。実際の狙いは侯爵令息の救出だったのだが、令息の居場所がどうしても掴めなかった。どの部屋を仲間に探させても令息の姿が見当たらない。巧妙に隠されてしまっていた。
ブローチに細工があるのを見つけて、中から小さな鍵が出てきたまでは良かった。鍵の花の模様に既視感を覚えて、教会のステンドグラスのことまで思い出せた自分を褒めてやりたいくらいだった。深夜に小さな教会の扉を開けた瞬間、祭壇の近くで祈る人影のようなものが見えて、すかさず闇魔法の『隠蔽』が施された眼鏡を付けた。
その日は、神官の訪問日でもなかったし、外出禁止命令が出されているときに祈りにくる者もいないはず。では、今いる人物は一体何者なのか?
足音も立てず、気配を消して近づいた。白い衣を着たその人物は、微動だにせずずっと祈りを捧げているようだった。触れれるほどに近づいた瞬間、口から美しいと感嘆の息が零れそうになった。
柔らかそうな髪は、白に近いベージュ色。月に照らされれば白にも見えてしまうほど、儚い。
綺麗というには幼さの残る顔立ちで、大人になり切っていない危うさが、魅惑的な清純さを感じさせた。陶器のように色白な肌にほんの少しだけ朱が差して、浮世離れしている美しさに生命を宿していた。
胸の前でその細い指を組んで祈る姿からは、静かな凛とした空気が漂う。
月の精霊がいる。
気が付けば、計画のことを忘れてしばし魅入っていた。
白磁の教会に蒼白の光が支配する世界。その月明りを一身に浴びて祈る純白の花。
ずっと見ていたい。そう思ってしまった。
ふと我に返って、旅人を装って話しかけた。ゆっくりと閉じられた瞼が開けられる瞬間を、心待ちにしていた。2つの宝石と目が合ったとき、自分は確かに彼に魅入られた。
澄み切った水を思わせるアクアマリンの水色、青葉を思わせる淡い緑色の宝石が私を射貫いた。息を飲むほどに美しい、静寂の夜に純粋な祈りを捧げる、汚れを全く知らない花。
いや、未だ咲かせるときを待つ蕾か。
「……彼は、一体何者なんだろうな」
容姿の良い者たちには惑わされたりしない。実際に見惚れてはしまったものの、敵の可能性も考え警戒を解いたりはしなかった。その後の彼の行動は、自分の予想の斜め上だったのだけれども。
不思議な魅力の青年は、自分が鍵を持つことをなぜか知っていて、教会の仕掛けを共に解いて侯爵令息を救った。彼がいなければ、あの教会の仕掛けにも気が付かなかっただろう。
時折、苦しそうに顔を歪めていたのは気にかかったが、地下通路を必死の形相で走り抜ける青年に、敵かもしれないと言う疑念も解けた。
気が付いたら自然に自分の真名を、しかも愛称を相手に教えてしまっていた。どうしてか、あの純粋で清廉な神官様に、自分の名前を呼んでもらいたいと思ってしまったのだ。そこまで考えて、自嘲のため息が漏れた。
「……本当に、らしくない」
なんのためらいもなく、息を吸うように甘い言葉を紡いで相手の心をくすぐり、虜にすることに長けてしまった自分は、恋情といった感情からは縁遠いはずだ。なによりも、成し遂げるべき事があるのに、そんな陳腐な感情に流されている暇はない。
彼の纏う澄み切った空気に、心を乱された。
手を伸ばして触れたい願ってしまったのは、清らかさに目が眩んだからだ。
汚れの無いものとは、どうしてこうも人を惹きつけるのか。触れたいという願いが入り混じった衝動に駆られて、勝手に手が伸びていた。正体を口にしようとした薄紅色の唇を口付けで塞いだ。
普段はそんなことしない。甘い言葉とともに、眠気を誘う嗅がせ薬で眠らせるだけだったのに……。たった一度きりだったとしても、あの青年の中に、自分を刻みたいと願ってしまった。
あの二つの宝石を宿す、清らかな青年は何者なのだろうか。今となってはもう、知る由はない。
それでも、もし叶うのなら。
「……もう一度だけ」
この身が復讐を果たして、闇に墜ちていく前に。
口付けに驚いて見開かれた宝石は、彼の纏う清らかさを表すような水色に、初心な心を思わせる若草の色。闇にも乱されない、芯に美しい花。
二つの神秘の宝石を目に宿す清廉な花の青年を、もう一度だけ眺めたいと思った。
211
お気に入りに追加
295
あなたにおすすめの小説

王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?
名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。
そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________
※
・非王道気味
・固定カプ予定は無い
・悲しい過去🐜
・話の流れが遅い
・作者が話の進行悩み過ぎてる
捨て猫はエリート騎士に溺愛される
135
BL
絶賛反抗期中のヤンキーが異世界でエリート騎士に甘やかされて、飼い猫になる話。
目つきの悪い野良猫が飼い猫になって目きゅるんきゅるんの愛される存在になる感じで読んでください。
お話をうまく書けるようになったら続きを書いてみたいなって。
京也は総受け。
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
悪役令息の七日間
リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。
気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

いつかコントローラーを投げ出して
せんぷう
BL
オメガバース。世界で男女以外に、アルファ・ベータ・オメガと性別が枝分かれした世界で新たにもう一つの性が発見された。
世界的にはレアなオメガ、アルファ以上の神に選別されたと言われる特異種。
バランサー。
アルファ、ベータ、オメガになるかを自らの意思で選択でき、バランサーの状態ならどのようなフェロモンですら影響を受けない、むしろ自身のフェロモンにより周囲を調伏できる最強の性別。
これは、バランサーであることを隠した少年の少し不運で不思議な出会いの物語。
裏社会のトップにして最強のアルファ攻め
×
最強種バランサーであることをそれとなく隠して生活する兄弟想いな受け
※オメガバース特殊設定、追加性別有り
.
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる