失せ物探しは、秘めやかに(追想の神官は、騎士と怪盗に挟まれてお腹いっぱいです)

雨月 良夜

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第一章 オレはただの神官です、怪盗なんて関係ないです

貴方の正体は……。口止めって……?同性ですよ?

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「……あの元子爵は、身柄が王立騎士団に引き渡るように手配しておいた。侯爵令息の証言もあれば、確実に死罪は免れない。毒を盛ったことだし、あの男も痛みに耐えかねて話すだろう」


 元子爵に先ほど飲ませた薬は、侯爵夫人に飲ませていた毒の原液だそうだ。死に至る量ではないが、身体を針で刺されているような激痛が走るらしい。 
 解毒剤欲しさに男も白状するさ、と祭壇を見上げるレイは語った。そのすらりとした長身の背中を見ながら、イリスはふと街の人たちが話していたあの噂話を思い出す。

 
『叫びの教会』から聞こえていた獣の呻き声の正体は、おそらく地下通路に流れた隙間風だ。牢屋に繋がる扉を開けたときに、閉じ込められた空間へ勢いよく外気が入り込んだ風切り音。
 
 女性の泣き声に聞こえたのは、侯爵令息の哀しみと怒りだ。本当にこんな小さな身体で、よく耐えてくれた。
 

「……うぅっ……」
 
 苦し気な呻き声が聞こえて、イリスは膝にある温もりを覗き込んだ。小さく上下する胸を、労わるように優しく擦る。礼拝堂のベンチに座るイリスは膝に侯爵令息の頭を載せて、仰向けに眠らせていた。琥珀色の綺麗な髪を、白手をした手でそっと撫でつける。

 泣き疲れて眠ってしまった少年の目元は、真っ赤に腫れてしまっていた。怖い夢でも見ているのか、眉間に皺を寄せて苦悶の表情をしている。


 当主が亡くなった今、このご令息がその後を引き継がなければならない。この子もまた、これから多忙な身となってしまうだろう。両親が死んで間もないというのに、この小さな身体に重責が圧し掛かる。


「せめて、今だけでも……」

 琥珀色の柔らかな髪を撫でながら、イリスは魔力を自身に纏わせて祈りを捧げた。足元から淡い緑色に輝く植物のツタが伸び始めて、地上へと生命を伸ばしていく。柔らかそうな青葉を宙へ広げ、小さな蕾を幾つも膨らみ始める。

 やがて小さな蕾が静かに開いて、満開の白百合が次々と咲き乱れる。イリスと侯爵令息の周囲を、清浄な空気を纏った純白の百合が埋め尽くした。


 白百合は花びらを開くとゆっくりと散り、眠る侯爵令息の上へ静かに優しく舞い降りる。雪のように静かに少年の胸に落ちて、溶けるようにその身体へと消えていく。


 この辛い哀しみが、早く癒えますように。
 彼の人生に安らぎと幸福を。彼の心に、再び平穏が訪れますように。


 膝に眠らせていた侯爵の口元が、ほんの少しだけ微笑んだ。一筋の涙が、あどけない少年の頬を伝っていく。イリスはその涙をハンカチで拭うと、少年の頭をベンチに寝かしつけた。神官服の上着を丸め、枕代わりに侯爵令息の頭の下に差し込む。

 健やかな寝息が聞こえたことに安堵し、イリスは立ち上がった。祭壇を見上げている男性の背中にそっと近づいた。


「……君は、不思議な人だ……」

 くるりと毛先の丸い癖毛が風に靡いた。眼鏡の奥から覗く神秘の蒼が、じっとこちらを見つめている。

 教会には、朝の気配が漂い始めていた。白んだ空の色が教会内に入り込んで、夜の怪しく幻想的な闇に支配されていた空間が徐々に明けていく。本格的に夜が明ける、白く眩しい光が祭壇の前。ステンドグラスに描かれた生命の緑の色が、振り返る男性の横顔に木洩れ日のように映っていた。

 レイの小さな呟きに、イリスは視線を合わせることが怖くて、そっと目を伏せた。


 短い時間であったが、彼は勘が鋭いように思う。おそらく、イリスの異質な性質も何とはなしに見抜いているだろう。皆と同じでないものを、人は受け入れがたい。不気味だとか、疑心を向けられることには慣れている。でも、あの美しい瞳で嫌悪の眼差しを向けられたら、少し応えるかもな。

 嫌な過去に引きずられ、心が暗く沈んでいくイリスへ、レイの声が静かに強く届いた。



「今回の探し物は、君の力のおかげで見つかった。ありがとう」


 イリスは、勢いよく顔を上げた。今聞いた言葉が、信じられない。


 自分の胸の中を、爽やかな風が優しく抜けていった。そのさざ波が少しずつ心に広がっていく。彼にとっては、本当に些細な一言だったのだと思う。でも、イリスにとっては、動けなくなってしまうほどの衝撃だった。


 初めてだった。
 この力で、お礼を述べられたことが。


 人から不審な目で見られることを、哀しいと思わなくなったのはいつからだろう。人と関わりを必要以上に持たないと決めて、波風が立たないように灰色の雲で心を覆ったのはいつだったか。


 イリスの胸に沈んでいる鈍く重い闇の全てが、取り払われたわけではない。
 それでも灰色の厚い雲に覆われた空に風が吹いて、その僅かな隙間から一閃の陽の光が差した。溶けるはずがないと思われていた凍てついた地面が、届いた陽の温かさでほんの少しだけ氷を溶かした。そんな気がした。

 
 今まで渇望していた言葉は、さらりとして清々しく、とても優しかった。


「……さて、私もそろそろお暇しようかな。世話になったね、イリス神官」

 平凡で少し顔の整った旅人に男性は、その身にまとう柔らかな雰囲気を途端に変える。全体的に野暮ったさがある旅人のだったはずなのに、今は頭を芯から冷やすような鋭利さが際立つ。よく研ぎ澄まされた刃物を思わせる、隙のない佇まい。

 目の前の彼の姿は、記憶に残らないような特徴のない美形ではない。


 最初から、違和感があった。


 しがない旅人だと言う彼が、どうして小さな教会の神官訪問日を知っていたのか。教会に彼が入ったときに、どうして物音や足音も、気配の一つも一切しなかったのか。

 
「……レイ。貴方は___ 」


 あの鍵の記憶を読み取ってときに侯爵家の悲劇の記憶と混じって見えた、もう一つの事実。
 

 蒼白の月光に踊る漆黒のコート。芯の通ったすらりとした長身の体躯に、端正な輪郭。艶やかな蒼みがかった黒髪を夜風になびかせ、顔の大部分を漆黒の仮面で覆っているが、秀麗だと分かる目鼻立ち。唯一隠されていない形の良い唇は、ゆるく弧を描いていた。


 闇夜を優雅に舞う神秘の蒼を称えた胡蝶。颯爽と華麗に獲物をその手に収め、神出鬼没にして、影さえも人々に捕らえさせない。


 どうして、そんな美しく哀しい瞳で。
 泥棒という汚名を浴びながら、悪しき者たちの秘宝を奪うのか。

 次の言葉を紡ぐか逡巡していたイリスは、意を決して顔を上げた。途端に、なぜか薄暗くなった視界と、自分が大きな影に覆われていることに気が付く。すぐ間近に怪しげな蒼が目に飛び込んできて、思わず目を見張った。


 その不思議で鮮明な蒼に囚われて、魔術にでもかかったかのように一瞬で思考が奪われる。どうして自分は、こうも神秘の蒼に惹きつけられ、動けなくなってしまうのだろう。

 旅人の真の姿を暴こうとしたイリスの唇に、柔らかな感触が触れる。


「っ?!!」


 それは、ほんの一瞬の、ただ軽く触れるだけの優しい口付けだった。

 落ち着いた魅惑な甘さに、静かな知性を思わせる冷たい爽やかさを感じる香りが、ふわりとイリスから離れていった。


「___秘密を持つ人間は、とても魅惑的だろう?……そう、まるで、私と君のように」

 太い黒縁眼鏡を、そのしなやかな指先で優雅に外す。平凡で柔らかそうな茶色の癖毛が、途端に夜空を思わせる青みを帯びた黒へと変貌する。艶やかな黒髪は、彼の瞳と良く似合う。旅人のコートは漆黒に変わり、長い裾は優雅に翻る。夜闇の支配者。人を惑わす青い胡蝶。


 目の前の秀麗な紳士は、自身の唇に人差し指を押し当て、イリスに暗黙するよう仄めかした。意味深に静かな蒼色の瞳を細めて、唇がゆるく弧を描く。

 唇をなぞる紳士のしなやかな指先を、イリスは無意識に目線で追ってしまった。先ほど自分に触れていたふわりと柔らかな唇の感触を、否が応にでも意識させられる。



 闇の胡蝶の蒼が、イリスの目を射貫く。長い睫毛が見える程の距離にいる怪盗『隻影』に、イリスは息を飲んだ。目をそらすことは許さないと、皮手袋のひんやりとした感触に顎先を持ち上げられる。


「……もし、私を暴こうと言うのなら、今度は君のことを攫わないといけない。……ああ、でも___ 」


 イリスは、近づいて来る美麗な顔から逃れられなかった。


 先程啄むように施された口付けをした唇は、名残惜しそうに震えるイリスの唇を悪戯に通り過ぎて、そのままイリスの耳元へと寄せられる。


「_____ 君がお望みとあらば、いつでも奪って差し上げよう。……その身体も、心さえも」


 告げられた忠告は穏やかで優し気なのに、イリスは甘く脅されているような気分だった。


 不意打ちで直接触れた肌からは、怪盗が考えた過去、感情が流れ込んでくる。流れ込んだものに、イリスは目を見張った。

 人の感情と言うのは複雑で、自分の中に流れてくるときは雑音や暴言、負の感情の淀みが混じって尾を引く。その不快さから、イリスは人と肌を触れることを避けていたのだ。でも、今流れてきた感情は、とても短い言葉だった。


『また会いたい』


 とても純粋な、ただ素直な想いだった。

 そしてその背景に、絶壁に堕ちるような底知れない暗闇が見えた。背景が哀しみの漆黒に塗りつぶされていたからこそ、その言葉だけが鮮明に浮かび上がっていた。


「さようなら、美しく敬虔な神官殿。……よい夢を」


 再会を望む心とは裏腹に、怪盗が告げたのは一方的な別れの挨拶だった。

 返事は不要だというように、イリスの耳元で別れの言葉を告げた怪盗は、いつの間にかイリスの背後に回ると、イリスの両目を手で覆った。黒色の皮手袋が見えたと思ったときには、イリスの意識は既に眠りに堕ちていた。





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