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第一章 オレはただの神官です、怪盗なんて関係ないです
蒼を持つ旅人、どうぞ教会をご見学ください
しおりを挟む「____こんな夜更けに、お祈りかな?……お嬢さん?」
穏やかな口調に大人びた男性の低い声。間近で聞こえた声は意味深な笑みを含んでいて、イリスは瞑っていた目を開ける。月明かりに端正な輪郭が浮かび、口元は悪戯が成功したとゆるりと弧を描いていた。
「……えっ……?」
……誰?
呆けるイリスの右隣で、視線を合わせるようにしゃがむ男性は、眼鏡越しに瞳を細めて微笑んだ。着古された茶色の長いコートを着た彼は、一見して旅人のようだった。顔立ちはイリスより少し年上の、20代前半と言ったところだろうか。
茶色の髪は毛先にゆるい癖がある。輪郭がすっきりし彼には、ほどよく抜けた感じがして似合っている。
この国で一番多い茶色の髪に、何処にでも居そうな隙のない放浪の旅人。しかし、イリスは彼から目が離せなくなっていた。眼鏡のレンズ越しに見える切れ長の瞳が、イリスが今まで見てきた色の中で、一等に美しかったからだ。
真っ先に頭に浮かんだのは唯一無二の蒼を宿す、生きた宝石と言われた蝶だ。
朧気な月光で全てが影となり、自分や彼の輪郭さえも闇に溶け込む夜。そんな薄暗い月夜が支配する礼拝堂の中、男性の放つ深い蒼は鮮烈で、どこまでも強く静かだった。
深い森の夜闇に突如として姿を現し、魅惑の眩い蒼の羽根を優雅に羽ばたかせて。自由に夜を舞う孤独な胡蝶。その光沢ある蒼を宿す蝶は、たしかモルフォ蝶と言うのではなかっただろうか。
一瞬にして人々が目を奪われて、追いかけずにはいられない。追いかけてしまえば最後、蠱惑的な蒼に誘われるまま闇深い森の中に迷い込む。
「……綺麗だ……」
イリスは人知れず呟き、感嘆の息を零していた。するりと自分の記憶に入り込んできて、自分の芯に彼の存在を刻み込まれた。そんな不思議な感じがした。
蒼に魅入られて呆けているイリスに、旅人はくすっと小さく笑いながら言葉を続けた。
「お祈りの邪魔をしてしまったかな?……でも、君みたいな可愛らしいお嬢さんが、深夜の教会に一人で居るのは良くない。……不用心で関心しないよ」
低く落ち着いた声でイリスを諭すと、すっと男性は立ち上がる。さりげなくイリスへ手を差し伸べてくれるが、お嬢さんと言われたことに何となく面白くなくて、イリスは男性の手を取らずに自ら立ち上がった。
彼が立ち上がって分かったが、男性はイリスより頭一つ分以上、背が高い。スラリと伸びた長い脚でスタイルが良く、長い丈のコートもよく似合う。イリスは少し不貞腐れつつ、自分よりも高い位置にある蒼色の瞳をじとっと睨んだ。
「……オレは、お嬢さんではありません。精霊教会の神官です」
そう言って胸元に下げていたロザリオを掴んで、男性に見せつける。細いチェーンに下げられた花が巻き付いた十字架を見て、今度は黒縁眼鏡の男性のほうが大きく目を見開いた。
蒼色の美しい瞳を数度瞬かせると、しばらくして可笑しそうに声を上げて笑う。先ほどの魅惑的な雰囲気が幾分か和らいで、どこか抜けた青年に変わる。あははっと、ひとしきり笑った旅人は、笑いをこらえつつ丁寧に謝った。
「これはとんだ失礼を。月夜に祈る姿が、あまりにも健気で美しかったもので……。神官殿は、どうしてここに?今日は、訪問日ではなかったはずですが……?」
人好きする笑みを浮かべた旅人が、イリスへと疑問を投げかける。厭らしさを感じさせず、さらりと女性が喜びそうなことを言うあたり相当慣れていると思う。イリスは男だから、美しいとか言われても戸惑うばかりだ。
「この街に薬の材料を買いに来たんです。辺境から来たので、今日はここに泊まろうと。……貴方は、お祈りですか……?」
何か深刻な悩みを抱えた人は、人目を避けて深夜に教会を訪れ、人知れず神へ祈りを捧げることもある。この旅人もそんな苦しい思いを家抱えているかもしれないと考え始めたイリスに、男性は緩く首を振った。
「いえ、私は単なる旅人なんですが……。なんせ行き当たりばったりで旅をしているもので、困ったことに宿を取り損ねましてね?……ここで一晩お世話になろうかと、駆け込んだところなんです」
お恥ずかしい、と頬を染めながら、男性はふわりと揺れる癖毛の後頭を掻いた。その抜けた様子が、先程までの隙がない男性と違って人間らしさがあって、イリスは自然と頬が緩んでいた。
旅人となると、今回の怪盗騒ぎも知らないまま街に入ってしまったのだろう。今夜は何処の宿屋も、怪盗を警戒して深夜には客を入れないようにしている。
「客室に空きがありますから、すぐに用意しますね。少しお待ちください。ええっと……」
「……レイ、と言います。駆けこんだついでに、教会内を見学しても?」
もちろん、とイリスが答えると、レイと名乗った男性はベンチから腰を上げて、教会内をゆっくりと見回し始める。この教会に初めて来る人は、そのステンドグラスの精巧さや彫刻の繊細さに見惚れることが多い。
例に漏れず、レイもじっくりと教会内を楽しむことにしたのだろう。長身の背中を見ながら、イリスは急いで客室の用意を始めた。
教会は有事の際に一時避難所の役割を担うこともあるから、個室が何部屋か用意されている。どの部屋も綺麗ですぐに人を泊められる状態だ。、念のため汚れを落とす洗浄魔法を室内に施して、小さな汚れを一掃すると足早に礼拝堂に戻った。
レイは今まさに祈りを捧げようとしていたようで、祭壇の前で片膝をついていた。白磁の床の幾何学模様を、しなやかな指先でゆっくりとなぞっている。何か珍しいものでもあっただろうか?
胸の前で手を組んで、レイは神秘の蒼を瞼で隠した。蠱惑的な宝石が見えなくなって、少し寂しさを感じながら、彼のすんなりとした横顔を眺め祈りが終わるのを待つ。厳かな静けさが、礼拝堂を支配していた。
ぼんやりとしていたイリスは、油断していた。
必死に忘れ去ろうとしていた自身の忌まわしい力が、最近は鳴りを潜めて大人しくしていたから。
だからすっかり、忘れていたのだ。
自分の潜在的な力が、ずっと息を潜めて隠れていただけで、今か今かと、その機会を伺っていたことを。
それは、本当に突然だった。
「……っ?!!」
氷が凍てつく、キンッ!という甲高い音が、頭の中に大きく響き渡った。澄み切った冴え冴えとする音。
この音は知っている。
よく馴染みのある音で、イリスにとっては聞きたくないと願っていた音だ。
音がしたと同時に、全身が心臓にでもなったのかというほど、大きく脈打つ鼓動で息が止まる。雷に射貫かれたような強い衝撃に、もはやうまく呼吸が出来ない。
久々に感じた、共鳴音。
「……うっ……!」
イリスは短い呻き声を上げて、咄嗟に手で胸を掴んだ。
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