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第一章 オレはただの神官です、怪盗なんて関係ないです

『叫びの教会』の仕掛け、早くしないと手遅れになります

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「……何か古いモノや、いわくつきの品をお持ちではありませんか……?」

 イリスの切羽詰まった問いかけに、レイの切れ長の瞳が一瞬だけ鋭くなった。刃物の切っ先が光るような警戒が浮かんで、今までの苦い経験がイリスの頭を一斉に過ぎる。瞬く間にその冷たい霧散させたレイは、先ほどと同じ穏やかな口調はそのままに、確かめるようにゆっくりと言葉を紡いだ。


「……いわくつきの品、かい……?」

 レイは困惑した様子で、首をコテンっと傾げて困ったように笑った。その目が全く笑っていないことに、イリスは気が付いている。警戒されるのは当然の反応だ。それでも、胸の焦燥に駆られて言葉を続けた。


「突然、こんなことを言って申し訳ありません。……でも、貴方がお持ちの物が良くないものと言いますか……。いえ、今の段階では良いのか、悪いのかも判然とはしませんが、何か感じるのです」


 自分で言っていても、怪しい商人や詐欺師のような言葉しか出なくて自嘲した。だけど、嘘を言っているわけではない。実際に、この手で直接触れければ確かめようもないのだ。この手で触れて記憶を左眼で見るまでは。

 イリスの視線は、レイの左胸に自然と移動していた。そこから鼓動を刻むようにずっと、キンッと甲高い音が響いて来る。


 しばらく、教会の中には夜風の音しか聞こえなくなった。イリスは俯いて顔を上げられない。レイの視線が自分に集中しているのが分かる。彼がどんな顔をしているのか、見るのが怖い。レイが自分の問いに答えなければそれまでだと、諦めかけていたイリスの耳にすっ、と衣擦れの音が響いた。


「……いわくつきの品というものではないけれど……。これなら持っているよ」

 そういったレイは、コートの胸元から金色の鍵を取り出した。親指くらいの長さで、持ち手にある大きな蓮の彫刻が特徴的な鍵。見えやすいように、レイはイリスの眼前に鍵を持ち上げる。


 間違いない。この鍵だ。
 鍵の周囲に、記憶の残滓であろう白い粒子が絡みついて揺らめいている。早く読み取らせろと、左眼の熱がさらに上がった。


「綺麗な鍵ですね。……手に取っても見ても、よろしいですか?」

 何をするのか興味深いというようにその神秘の蒼が怪しく細まった。金色の鍵をそっと差し出される。


「……どうぞ」

 イリスは白手の留め金に手を掛けて、ボタンをパチリっと外した。ずっと右手に嵌めていた白手を、そっと引き抜く。外で外すのはいつぶりだろうか。白手を外すだけでこんなにも緊張している自分を、レイは不思議に思っているに違いない。


「お借りします」
 
 レイにもう一度断りを入れてから、まずは白手をはめたままの左手で鍵を受け取った。白地の手に、花の大きな蕾を模した鍵が輝いている。波紋状の音は次第に早くなり、残滓の揺らぎも大きくなっていた。


 素肌を晒した右手が震える。情けないなと内心でため息を吐きながら、イリスはぎゅっと右手を握った。来たる衝撃に備えて、目を閉じて静かに深呼吸をする。

 やるしかない。
 あの叫び声を聞いてしまえば、なおのこと。


 意を決したイリスは、素手になった右手の指先で、手の平に乗せた古びた鍵を直接触れた。
 冷たい金属に指先が触れた瞬間、はっと息が止まった。


「っ!!!」

 頭のどこかで、ガラスが砕ける甲高い音が響く。直後に一方的に記憶が頭の中を一斉に駆け巡っていった。


 葡萄をモチーフにした、溜息が出る程美しい金細工のブローチ。中央に付けられた大きい紫のアメジストが、赤い液体で染まっていく。
 ブドウの花言葉は陶酔と狂気。その花言葉に相応しいほど、男性の弧を描いた醜悪な口元。血が滴るナイフ、見知らぬ幼い少年の怯える顔。

 そこに自分がまさに居るように、生々しい。
 むせ返る血の匂い。
 混乱、憎悪、恐怖、絶望。


 渦巻く負の感情と、演劇の場面をほんの数秒づつ見せられて、すぐに切り替わって流れていく凄惨な光景。見境なく、場面が切り替わることに眩暈を覚える。

 残像が駆け抜けていくのを早く収まってくれと耐えていると、もう一度凍てついた高い音とともに唐突に記憶の光景は途切れた。


「……大丈夫?」

 はぁ、はぁと肩で息をするイリスを、蒼い瞳が心配気に見下ろしている。

 気が付けばイリスは、レイの胸元に縋って抱き着いていた。彼が自分の背中に手を伸ばし、背中を擦ってくれている。自分よりもたくましい胸の中に抱かれて、イリスは驚いて腕を突っぱねる。……この人、ビクともしないんだが?!


「こら、暴れるんじゃない。体調が優れないなら、君はもう休んだほうがいい。……このまま、寝室に運んであげようか?」

 からかい混じりだが、心から心配してくれているレイに、イリスは力なく左右に首をふる。そして、真っすぐと彼の瞳を見て言い放った


「急がないと、取り返しがつかないかもしれない」


 自分のこの能力に、幼い命がかかっている。
 今の自分の顔は、ひどく青ざめているだろう。背中に嫌な汗が流れていくのが、冷たさで分かった。



 こちらの緊張した感情が伝わっているのか、隣に座るレイの表情も硬くなる。長々と説明している時間も惜しかったイリスは、記憶を見た衝撃でふらつく身体を叱咤して祭壇へと歩き出した。


「レイ、一緒に手伝ってください」

「……分かった」


 レイは、短く了承の返事をしてくれた。彼の瞳は不信感よりも興味深いとイリスの行動を観察している。月光に照らされた祭壇を、二人で足早に通り過ぎる。後ろに続くレイに振り向くことなく、イリスは言葉を続けた。


「この教会を建設したのは、初代の侯爵様です。そのため、侯爵家の皆さまが祭壇に入りたいと言われれば了承するようにと、神官たちに伝えられています」


 本来、祭壇域と言われる祭壇の裏側は、神官や司祭、関係者しか入ることは許されていない。公爵家は教会の建設者と言うこともあって、祭壇域に入れる特別関係者だった。イリスは迷うことなく、祭壇のさらに奥へ進んでステンドグラスの真下へと辿り着く。


「……これは、また凝った装飾だね」

 顎に手を当てながら、レイは関心した様子で漆喰に彫られている蓮の浮彫細工を眺める。横一列に並んだ5輪の蓮は左右2つが満開で、花芯に薄桃色の宝石が嵌めこまれていた。中央の蓮の彫刻は未だに蕾だ。

 滑らかな彫刻を前にしてイリスは深呼吸をすると、受け取った鍵の下部部分を持つ。もう一度、教会を彩る4つのステンドグラスを見上げて確認する。


「……このステンドグラスの蓮は、ただの模様じゃない。薄桃色の蓮が、この宝石に触れる順番を意味しています」


 ステンドグラスに描かれた薄桃色の蓮の個数は、左から1、3、4、2。イリスはその数に従って、順当に薄桃色の宝石に触れた。イリスの触れた順に、薄桃色の宝石が淡い光を放って明かりが灯る。
 最後の宝石に触れて全てが発光した瞬間、部屋の空気が一変した気がした。

 中央に掘られた蕾のままだった蓮の彫刻が、ゆっくりと花びらを外側に開いていく。花芯の中央に、小さな鍵穴が見えた。レイが隣で息を飲む音が聞こえた。


「この鍵は、ここに使います」

 イリスは、現れた鍵穴に先程の古びた鍵を差し込んだ。カチッと何かがかみ合った小さな音が聞こえて、鍵を引き抜いた瞬間、地面を引きずる大きな音が聞こえ始める。


 中央の蓮を真っ二つにするように線が現れ、壁が左右に開いて小さな隙間が生まれている。これは、いわゆる隠し扉。左右に分かれて動く壁は、轟音とともにポラポラと石屑をこぼしながら、徐々に開いていく。

やがて一部の壁にぽっかりと四角い穴が開いた。


「……これは、一体?」

 重い音が止んだ。目の前には自分たちを誘うように独りでに灯る橙色の炎が下へと続く。レイの疑問の言葉が、下の闇へと響いた。


「……この教会は、いざというときに領主館と外を結ぶ脱出路だったんです」


 これは、あの鍵から読み取った記憶。
 物言わぬモノたちが教えてくれた、秘密の通路だ。


「行きましょう」


 旅人と一緒に、イリスは階段へ足を踏み入れた。



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