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第11章 苦難を越えて、皆ちょっと待って
優しき青年騎士、真心を貴方にも
しおりを挟む逞しい騎士は、そっと俺の右手を恭しく持ち上げた。長いまつ毛に縁取られた瞼を閉じると手の甲に顔を寄せる。柔らかな感触が手の甲に触れて、啄む音を一瞬だけ立てて離れていった。淀みも雑味もない氷を思わせる瞳がふっと和らいだ。
「年甲斐もなく、こんな気持ちに浸るのも悪くはなかったな……。なぁ、ジェイド?」
「なーに、年寄りみたいなこと言ってるんすか、団長。次は俺っすよ?」
緑風騎士団団長に、こうも親しげに軽口を叩ける人物は限られている。踊る身体の動きに合わせてヴィンセントに離された手を、淡い翡翠色の髪をなびかせた騎士がタイミングよく受け取った。
「一曲お相手願えませんか?宵闇の姫君?」
二枚目な美男子のジェイドは、古めかしいダンスの誘い文句を口にする。俺の右手をことさら恭しく持ち上げると、茶目っ気たっぷりに俺へウィンクした。あちこちから、ジェイドの色気に当てられた女性の溜息が聞こえる。
その流れるように放たれキザな仕草も、ジェイドがやると本当にさまになる。さすがは王都でも人気の美青年騎士だ。厳かな雰囲気が漂う舞踏会でも、彼は余裕ある洒落た青年として際立っていた。
それにしても、宵闇の姫君とは……?
「姫ではないけれど……。喜んで、ジェイド」
俺の返事を聞いてふははっ、と声を上げて笑ったジェイドに手を握られて、広間へ颯爽と躍り出る。セピア色のスーツに、くすんだ緑色のシャツが実にお洒落で何処か抜け感のある衣装は、ジェイドの雰囲気にピッタリだった。スラリとした体躯に甘いマスクは、舞台俳優と言われても誰も疑わないだろう。
それに今日のジェイドは随分とご機嫌で、先ほどからご令嬢たちのため息が漏れ出る程に麗しい。
「俺は団長と違って、ダンスが得意なんだ。楽しく踊ろうね」
ジェイドの手が俺の腰に回された瞬間、柔らかな風が頬を撫でた。そよ風が俺を包みこんだかと思うと、身体が一気に軽くなったように感じて、目を見張る。というか……。
「……足が、浮いてる?」
先程まで地面の硬さ踏みしめていた俺の足が、ふわりと風を切って舞っている。ジェイドが風魔法を使って、浮かせてくれているらしい。空を飛んでいるような不思議で心地よい感覚に驚いていると、ジェイドは悪戯が成功したとばかりに、俺の耳元で囁いた。
「このほうが疲れないでしょ?少ししか浮いてないから周りにはバレないよ。……そのまま、俺に身体を預けときな」
確かに、これなら足も疲れない。ほんの少し踊り疲れたなと思っていたところに、ジェイドのさりげない気遣いが心を温かくする。目の前の騎士はよく人の心の機敏を捉えて、その時に相手がしてほしいことを自然にさらりとしてくれる。
こういう繊細な部分が、異性同性に関わらず人気なんだろうな。
「ありがとう、ジェイド」
先程よりも賑やかな曲調の音楽に変わって、俺とジェイドは小気味よくターンしながら踊る。ジェイドの緩くウェーブした若葉色の髪が、身体を動かすたびにふわりと舞う。悪戯好きな美形の妖精と、戯れに浮遊してダンスしているような、そんな錯覚を覚える。
いつもの優男風とは違う、生命が芽吹く温かくも優しい春風を思い起こさせる美男子を見上げていると、ジェイドはゆっくりと言葉を重ねた。
「……ヒズミが初めてだったんだ。俺の奥深くに触れたのは……」
自分でいうのもなんだけど、この容姿は良く目立つだろう?と苦笑気味にジェイドは言葉を零した。彼が口にした生い立ちは、あまりにも過酷だ。
今でこそ緑風騎士団副団長として貴族の爵位も有している彼だが、元は娼婦の子供だった。父親が誰かも分からず、愛情深かった母も病気で他界した。母親譲りの美しい容姿を持った美少年は、大人の欲望が渦巻く色街で標的にされながら必死に生き残る。
そんな中で身に着けた処世術が、相手の悪意と欲を見抜く洞察力と、人を油断させるための話術。弱みを見せてはいけないという心の鎧。
「……そんな処世術を身に着けたからかな。貴方には心がないとか、うわべだけの人間だとか、散々言われるようになった」
自分でもそれは自覚していた。自分の容姿に惹かれた人間に愛を囁き、嫌悪を抱いた人にも感情を押し殺して微笑んだ。もはや偽りの顔は張り付いて、自分自身のことが分からなくなっていた。
なんて自分は汚くて、心が空っぽな人間なんだろう。
そう自分に虚無感を抱いていたと、遠い記憶をジェイドは静かに語った。音楽が足休めのために、少し穏やかな旋律に変わった。その曲調に合わせるように、ジェイドが左右に揺れるように動くと、ゆっくりと足を止めた。
遊び人のような軟派な雰囲気はどこか鳴りを潜めて、若く心優しい青年の顔が真剣味を帯びる。思わず息を飲んでしまうほど、熱が宿った翡翠に真っ直ぐと見つめられた。
「だから、ヒズミに『心が温かい』って言われた時は、すごく驚いたよ。そして……、泣きたいほど嬉しかった」
こんな自分でも『心』があったのだと、思い出させてくれた。何よりも、温かいと微笑んでくれた。
それがどれだけ、この空虚だった器を満たしてくれただろう。冷たく闇深い深海に、一筋の光が届いたように。眩しくて優しいものだったと、翡翠の瞳が揺れる。風魔法によって宙を舞っていた俺の身体を、ジェイドはそっと床に降ろした。
「愛の言葉なんて、今まで何度も囁いた事があるのに……。ヒズミの前では、とても緊張するな」
俺の両手を、騎士の手が遠慮がちに握った。指先だけを優しく包むように。
「俺に心を取り戻させてくれて、ありがとう……。愛しているよ、ヒズミ。こんなにも愛しくて、恋したことを嬉しいと思えたのは、ヒズミだけだ」
感謝とともに伝えられた愛の言葉は、誠実そのもので。年相応の微笑みは、今まで見てきたどの表情よりも柔らかく、ジェイドの心の全てを俺に見せてくれている気がした。
「俺も、優しいジェイドに愛してもらえて、とても嬉しいよ。……ジェイドが汚い人間だなんて、あり得ない」
ジェイドはその容姿と話術を活かして、副団長の仕事の傍ら自ら諜報活動も行っていた。全ては騎士団と仲間を守るために。自分のことを二の次にしてしまうほど、彼は仲間想いなのだ。
それにジェイドの歴代の恋人たちの中で、彼のことを悪く言う人はいないのだと、上司であるヴィンセントから聞いたことがある。彼は自分が生き抜くためとはいえ、他人を裏切ったり、傷つけたりすることは決してなかった。
「貴方ほど思い遣りのある素敵な人を、俺は知らない。真心っていう言葉が、ジェイドには一番良く似合うと思う」
偽りや飾り気の無い、ありのままの美しい心から生まれるジェイドの振る舞いは、他者の芯に届く。もちろん、俺にも届いているよ。淡く揺れる翡翠色の瞳を、俺も心を込めて見つめ返した。
「……ヒズミは、本当に眩しいな」
そう一言だけ、ジェイドは切なげに呟いた。俺の右手をそっと持ち上げ、愛を紡いだ形の良い唇に近づけた。目をゆっくりと閉じる青年騎士は、思わず魅入ってしまうほどに麗しい。
俺の右手の指先に、柔らかな感触が押し当てられた。ほんの一瞬だけ触れた唇が離れると、年相応の青年の姿はもう消えていた。
「あーあ。本当は、団長と2人で囲い込むつもりだったのに。……でも、ヒズミは自由に羽ばたいているほうが、楽しそうだからな」
悪いことは考えるものじゃないね、とジェイドは茶目っ気たっぷりに笑う。
「さて、次がお待ちかねだよ。覚悟は良い?ヒズミ」
それっ、と勢いをつけて、ジェイドに手を離される。星屑のように美しい銀が、視界の端で瞬く。しなやかな指先が俺の手を持ち上げると、細身の貴公子が微笑んだ。
「踊っていただけますか?美しい人」
「ふふっ。……美しいのは君だろう?エスト」
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