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第8章 乙女ゲームが始まる
守りたいものは何?、寮室で尋問されました
しおりを挟む溢れる感情のままに、脈絡のない俺の話を、スキアー先生は黙って見守るように聞いてくれた。
「……してはいけない恋……、か……」
グラスの紅茶に視線を向けながら、スキアー先生は吐息を漏らすようにぽつりと呟いた。しばらく沈黙が続くと、先生は手元で氷をぐるりと遊ばせて、手に持ったグラスをことりっとローテーブルに置く。
部屋に飾られた青白いランプの中で、数羽の黒色の蝶が、鱗粉を零して舞う姿が視界の端に映った。
「……ヒズミ君、今は辛いだろうけど………。どんなに苦しくても、好きな人の傍を離れてはいけないよ」
後悔の滲んだ声に、俺は俯いていた顔を上げると目を見張った。いつもの掴みどころがない飄々とした年若い先生とは違う。長い年月を生きて全てを悟った賢人のように。どこまでも落ち着いた雰囲気を纏い、物哀しさを感じさせる男性が、目の前で俺を射抜いていた。
「傍にいなければ、守りたくても守れない。……後悔してからでは、遅いんだ」
俺をまっすぐと見る焦げ茶色の瞳は、哀し気な暗さを帯びてかげった。右目に付けたモノクルが、青白い光を反射している。一瞬だけ、先生の右目が淡いスミレ色に色付く。その薄紫色があまりにも美しくて、俺は吸い込まれるように目を奪われた。
部屋に漂った仄暗い空気を入れ替えるように、スキアー先生は殊更に優しく目を細めた。
「それに、ヒズミ君は人を傷つけてまで、恋を叶えようとは決してしない子だ。……これでも、長く教師をやっているからね?僕がヒズミ君の人柄を保証するよ」
心配しなくて良いと、スキアー先生は柔らかく微笑んだ。無言で理由を問いかける俺に応えて、スキアー先生の穏やかな声が続く。
「君は愛しい人の幸せのために、命を賭ける覚悟があるのだろう?……そんな君が、彼を悲しませるようなことを、自分から進んでするとは思えない」
今は恋がもたらす、激しい感情の起伏に惑わされているだけだよ。よく、思い出してごらん。
なぜ、過酷な魔王討伐というの戦いに、臨むのか。
自分が守りたいものは、何なのか。
自分は、どう在りたいのか。
穏やかながらも強い思いがこもった声が、俺の全身をトクンっと打ち震えさせた。清らかな水がすうっと身体に馴染んでいくように、スキアー先生の言葉の一つ一つが確実に感情の靄を消していった。
もう一度、スキアー先生の言葉を頭に反芻する。俺がこの戦いに臨む理由、自分が守りたいもの……。自分はどう在りたいのか。
「妖精に近いエルフやドワーフと違って、人間の一生は短い……。その短い年月を大切にしないとね」
おもむろに、先生はよっこらしょっとソファから腰を浮かせると立ち上がった。いつもの飄々とした研究者に戻ったスキアー先生は、鼻歌混じりに研究室のドアに近づくと、ヒュッ!と風切り音がするほど勢いよく扉を内側に開けた。
「ちょうど良い頃合いに来たね?噂をすれば何とやらだ」
くすっと笑みを零して、スキアー先生は俺に振り返った。少し横にずれた先生は、ドアの前に立ち尽くした人物に、中へ入るように促している。
その人物の姿に、思わず俺は目を見開いた。
ランプの光を受けて、静かに輝く黄金の髪が綺麗な青年は、琥珀色の瞳を見開いて立っていた。
「えっ……?ソル……??」
話の中心人物の登場に、俺は明らかに動揺して固まってしまった。
以前は研究室にソルが迎えに来ることもあったが、最近はめっきりと無くなっていたのだ。ソルと俺の訓練時間が合わなかったり、俺が調べ物をすると言う口実で、訓練後に図書棟へ引きこもったりしていたから。
それに今日だって、ソルは訓練で遅くなると言っていた。こんなところで鉢合わせするはずはないと、俺は完全に油断しきっていたのだ。
ソルは驚いた様子をスッと引っ込めると、俺にまっすぐと視線を向けた。俺の疑問が顔に浮かんでいたのか、ソルは簡潔に事情を俺たちに話した。
「今日の訓練を、特別に早めに切り上げてもらったんだ。……スキアー先生、ヒズミを連れて行っても?」
俺は唖然としながら、スキアー先生に視線だけで助けを求めた。スキアー先生は俺と視線が交わると、うんっ、と頷いた。
「もちろん。今日はもう訓練が終わっているから、好きにしていいよ?」
「えっ」
俺の助けを求めた視線は、ことごとくスキアー先生に突き放される。呆けた声を出してソファに座ったままでいる俺の左手を、ソルが持ち上げて引っ張り起こす。
ちょっと待て、待ってくれ。
さっきまでしていた恋愛話の渦中の人が、突然目の前に現れてしまって俺は動揺を隠しきれないんだ。
「それじゃあ、遠慮なく。……失礼しました」
ソルは戸惑う俺を他所に、俺の左手を引いたまま足早にスキアー先生の研究室を出ていった。後ろのほうからスキアー先生の「がんばれー」という、間延びした励ましの声が聞こえる。
ソルは俺の左手を引いて、黙々と廊下を進む。男らしく成長したゴツゴツとした手と、ソルの体温を手に感じて心臓が早鐘を打つ。
頭にも響くうるさい鼓動が、ソルにも伝わるのではないかと気が気じゃなかった。俺がさり気なくソルと繋いだ手を緩め離れようとすると、逃さないとばかりにギュッと握り直される。
「……えっと、ソル……?」
俺が名前を呼んでも、ソルはひたすら無言で寮室へ俺を引っ張った。会話をしない冷たい態度のソルの背中に、俺は困惑しきりだ。何よりも繋いだ手から、俺のソルへの気持ちが伝わってしまいそうで焦っていた。
ソルと手を繋ぐことなんて、今までに数え切れないほどあったというのに。恋を自覚してからは、途端に恥ずかしさと嬉しさが身体から溢れて、熱になって俺の全身を火照らせるのだ。
今まで俺は、どうやってソルと手を握っていた?
程なくして寮室に到着すると、ソルは無言のまま扉を開け放った。俺の左腕を軽く引っ張って部屋へと引き入れる。
それからは、本当に数秒間の出来事だった。
俺が部屋に入った直後に、背後から風圧を感じて扉が勢いよく閉まった。ソルが風魔法で閉めたのだと気づいたときには、背中に木の扉がトンっとぶつかって、背後からカチリっと鍵の閉まる音が聞こえた。
俺の左手を離したソルは、身体を素早く反転させて俺と至近距離で向かい合った。俺を囲うように左肘を扉に押し付け寄りかかる。顔のすぐ右側をソルの腕で遮られ、左頬にはソルの右手が添えられる。
ソルに壁ドンをされた俺は、ゆっくりと顔を持ち上げられた。ソルと強制的に目を合わせられた瞬間、反射的にビクッと身体を強張らせてしまった。
優しい色を称えるはずの琥珀色の瞳は、仄暗い影が沈んでいる。ソルのただならぬ様子と威圧感に、俺は混乱しきっていた。
「……ソル……?」
不安に駆られて呼んだ名前は、どうしてもか細くなる。ソルは俺の左頬を右手の親指で擦ると、影のある瞳で俺を射抜いた。間近に迫った無表情さが、美貌によって更に冷たく感じてしまう。
形の良い唇が、ゆっくりと俺に問いかけた。
「……ねぇ、ヒズミ……。最近、どうしてオレのことを避けているの?」
「っ?!!」
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