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第8章 乙女ゲームが始まる

乙女ゲームの火蓋は切られた、聖女は知り合いでした

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「……あや、は……?絢巴なのか??」

「……そうだよ!……ずっと、ずっと……。会いたかったよ。お兄ちゃん……!!」


こんなにも間近で見れば、聖女の瞳は懐かしい色そのものだった。伊賀崎絢巴(いがさき あやは)。この名前を忘れることなんて、俺にできるはずがない。

俺の実の妹の名前だ。


力いっぱい抱き着く妹に、俺も胸からこみ上げてきた感情のまま、か細い背中に手を回す。滲んできた熱を目を閉じてぎゅっと堪え、思いっきり妹を抱きしめた。


「絢巴……!」

噛み締めるように、俺は妹の名前を呼ぶ。

この世界に来てから、家族のことを忘れた日なんてない。でも、俺は日本で死んでしまったから、今世では家族に生きて会えないだろうと諦めていたんだ。

生きて家族に会えたことは、俺にとって夢のようだった。


髪の色や容姿は日本にいた姿とは全く違うけれど、こうやって抱きしめ合えば不思議と妹なのだと分かる。これが、兄妹というものなのだろうか。


「……こら、あんまり泣くと目が溶けちゃうだろ?」

絢巴の頬に両手を添えて、頬へと零れ落ちる涙をそっと親指で拭ってやる。泣き虫なのは、幼いころから変わらないな……。泣いた妹を、こうやっていつも慰めていた。絢巴は頬を赤らめながら、「えへへっ」とはにかむように笑った。この照れつつ嬉しそうにするところも、懐かしい。

しばらく2人だけの世界に入っていると、俺たちにさっと気配が近づいてきた。


「……感動の再会に水を差してすまない。少し、時間が無くてな……?」

アウルムが俺の肩に手を軽く置いて、やんわりと絢巴から離れさせられる。肩に置かれた手が僅かに食い込んでいる気がするのは、気のせいだろうか?

アウルムに言われた通り、確かに今は始業前の忙しい時間だ。それに、本来ならご令嬢を抱きしめるというのはマナー違反だしな……。どうやら、色々と俺はやらかしていたようだ。


「……アヤハとヒズミは、知り合いだったのか?」

訝しげに問いかけるアウルムに、俺と絢巴は仲良くギクッと身体を強張らせた。そういえば、この世界では俺とアヤハに接点がないからな……。再会した喜びで、コロっと頭から抜け落ちていた。


「えっと……。私が幼い頃に色々とお世話になって……。私は兄と慕っていたんです。本当に会えて嬉しい」

絢巴に「ねっ!」と強めの相づちを求められ、俺も「ああ……」と同意する。俺たち兄妹はお互いに顔を見合わせて、話を合わせようとアイコンタクトを交わした。


「へぇ……。そんな繋がりが……」

アウルムが顎に手を当てて思案気に呟く。信じているとも、いないとも言い切れないニュアンスに冷や汗をいた。かなり無理がある言い訳かもしれないが、半分以上は事実だ。

幼いころから不在がちな両親に変わって、俺が妹をお世話していたからな!妹が純粋に俺を慕っていてくれたことは、お兄ちゃんとても嬉しいです。


「あー……。ごほんっ。では、改めて。」

ワザとらしく咳払いをして、生徒会長のロワが全員にアヤハを全員に紹介した。国でも有数の医学・薬学に長けた公爵家の長女であり、これから生徒会メンバーとして活動をすること。

そして、魔王討伐の要である『聖女』であること。


「私のことは『アヤハ』とお呼びください。……数年前まで平民として生活しておりました。至らない点があるかと思いますが、どうぞよろしくお願い致します」

アヤハの挨拶を聞きながら、今朝の朝会の目的を思い出す。俺たちが生徒会室に集められたのは、聖女との顔合せだけが目的ではない。


この学園に通う生徒の多くは貴族の令息令嬢。欲望が渦巻く社交会とは、切っても切り離せない関係だ。子供たちが主体的な世界だと言っても、親たちや大人が間接的に悪だくみをしてくる可能性は多いにある。


数々の悪意から聖女を守ること。
それが、これからの俺たち生徒会の使命だ。


聖女は数々の嫌がらせや、悪い噂の的にされることになる。その悪意を攻略対象者と一緒に解決していくのがストーリーではあるけれども……。


俺の目が黒いうちには、妹を絶対に虐めさせたりなんかしない。妹の悲しむ姿を見るなんて、俺には絶対に耐えられない。

可愛い妹は、お兄ちゃんが必ず守ってやる!


心の中で熱い決意の炎が揺らめくのと同時に、授業の予鈴が部屋に鳴り響いた。アヤハは転入生のため、担任教師が生徒会室に迎えに来る手筈になっている。

生徒会室を出ようとした俺へ、アヤハは話し足りないと不満げに顔を膨らませた。俺は思わずクスっと笑って、アヤハの艶のあるチェリーブラウンの髪に手を伸ばしそっと撫でた。


「今日の午後は授業がないだろう?カフェスペースでゆっくりと話でもしよう」

「……!うん!」


花が一斉に咲き誇るようなアヤハの笑顔を、微笑み返して見ていた視界の端で、俺は鋭い視線に気が付いていた。いつも何事にも動じない、アウルムの穏やかな深蒼の瞳に険しい警戒の光が宿る。


あの視線は以前にも感じたことがある。
愛しい人を取られまいとする牽制の目だ。


既に攻略対象者であるアウルムが、聖女に心を揺り動かされている証拠だ。その隣に立つクレイセルも、どこかむっとした表情で目を眇めている。


……もう、乙女ゲームが始まっているんだ。


教室に向かう途中、空いた廊下の窓から春風がそよいで、ひらりと白い花びらが舞い来む。白い花びらがみずみずしい香りを運んで、俺の前を通り過ぎたとき、乙女ゲームのオープニングのようだと思わず苦笑した。






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