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第7章 乙女ゲームのシナリオが少しずつ動き出す

魔力暴走、覚醒する英傑

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「魔力暴走だ!!!」

誰かの叫び声が訓練場に響いた。訓練場内はすぐさま騒然とする。騎士団員や先生が緊迫した様子で動き出した。不快なアラーム音が鳴り響き、緊急防御結界が作動した。

ブォンっと音を立て、訓練場と観覧席を隔てる防御結界の壁が出来上がる。


「ぐぅっ!!」

ソルの一番近くにいたアレンの身体が、風圧で宙に浮いた。華奢な身体が吹き飛ばされ壁に激突する。そのまま、地面にうつ伏せに落ちて動かなくなった。

顔色を変えた先生方がアレンへと駆け付ける。その様子にも、ソルは目を向けずに突っ立ったままでいた。虚ろな琥珀色の瞳は、何も映していないようだった。


「全員退避!!」

叫ぶ先生の声と、生徒たちの不安げなざわめきが聞こえる。急ぎ足で建物内へと退避する生徒の姿を視界が捉えた。

その近くに張られた防御結界が突然、パリンっ!と鋭い音を立てて割れる。


「キャァァッ!!」「大丈夫かっ?!」

「急いで建物内へと入るんだ!!」

連続した甲高い破壊音が響き、生徒の恐怖の悲鳴が聞こえた。ガラス窓が割れるように、緊急防御結界が次々と壊れて破片を散らす。


ソルの放つ魔力の強い風に、防御結界が耐えられていないんだ。壁に凭れ掛かった俺へも、結界の破片が降り注ぐ。俺の手の平に破片が落ちては、静かに消えていった。

ダメだ……。先程までしていた戦闘の疲労と、ソルの魔力の勢いでまだ立てそうにない。こんな時に……。奥歯を噛み締めて、俺は拳を握りしめて何とか身体に力を入れようと試みる。

キンッ!という甲高い音がして、俺の全身を穏やかな魔力が俺を包んだ。押し潰されそうになっていた圧力から、身体が解放される。自然と強張っていた息を零した。


「ヒズミ!!無事ですか?!早くこちらに!!」

「……ア、トリ……?」

俺と同じ防御結界を纏ったアトリが駆け寄ってくる。アトリは俺に肩を貸して、そっと抱き起こしてくれた。高くなった視界で辺りを見回す。

訓練場には俺とアトリ、黄金の炎の渦を纏ったソルしか残っていなかった。

アトリの心配げな声を耳元で聞きながら、俺はソルをずっと見つめたままでいた。俺の胸の中が、不穏なざわめきで落ち着かない。


その場から立ち去ろうとは、どうしても思えなかった。もう力が入るはずの足が、地面に縫い止められたように動かない。


「ソル!!」

アトリに肩を預けながら、ソルの名前を叫ぶ。ソルはゆっくりと顔をこちらに向けた。音がした方向に反応しただけの、意志のない緩慢な動きだった。


「……ヒズミ。……今は、自分の無事だけを考えなさいっ……」

耳元で絞り出されたアトリの言葉に、やり切れない感情が喉まで込み上げてくる。俺の背中に回されたアトリの手が、強張ったように震えていた。


本来なら、魔力暴走が発生した場合、その者よりも強い魔導師が魔法をぶつけて相殺したり、力づくで拘束したりして収束させる。

でも、ソルの場合は魔力量が膨大過ぎるんだ。
こんな大規模な魔力暴走は、誰にも止められない。それこそ、本人が魔力枯渇で意識を手放すまでは……。


魔力枯渇まで待つと、魔力暴走を起こした者の身体に大きな負担を残す。最悪の場合、後遺症が残って魔法が使えない身体になる可能性もある。

アトリも重々、承知しているんだ……。


「私達では、ソレイユを止められない……っ!」

それでも、この場にソルを置いていくことしか出来ない。アトリの苦しげな声に、全ての感情が籠もっていた。

魔力の渦は勢いが衰えない。ソルの癖のある黄金の髪が、魔力の強い風でぶわりと浮いた。髪に隠れていた、精悍な青年の美貌が露わになる。何も気持ちを読み取れない無表情は、魂が宿っていない精巧な人形のようだった。

その薄ら寒さを感じる美しい顔に、すぅっと一筋の光の線が流れた。


「っ?!」

ソルが、泣いている。

そこに在るものは何一つとして映していない、陰りに覆われた琥珀色の瞳。仄暗い宝石の瞳から、さめざめと涙が流れる。

形の良い唇が、小さく動いているのが見えた。周囲の風音や破壊音でソルの声は聞こえない。唇の動きを目を凝らして捉えた俺は、唖然とする。


_____ごめんなさい。


ごめんなさい、ごめんなさい、と痛みを伴って紡がれる唇の動きが、オレには良く見えた。

……もう、見ていられなかった。

俺の身体は、意志よりも先に動いていた。
身体に回されていたアトリの腕を振り払い、俺は持て得る全ての力を込めて走った。


「ヒズミっ!!危険です!行ってはダメだ!!」

アトリから今までに聞いたことも無いほど、切迫した叫びが聞こえた。危険なことは分かっている。でも……。

1人にしちゃいけない。
俺の心の深い部分で、そう叫んでいた。


「ソル!!!」

俺は駆けながら、ソルの名前を必死に呼んだ。ソルが放つ魔力の風のせいで、音が遮られて届いていないのかもしれない。


もっと近くに、誰よりも傍に。
ソルの隣に、たどり着かなくては。


長身の姿が間近に迫る。その人物を囲う黄金の渦は、まるで凶器のようだった。いつもの陽だまりを思わせる穏やかで、温かなソルの魔力とは全く違っている。

包み込むような優しさとは正反対な、全てを殲滅しようとする苛烈な光。


俺は構わず正面からソルに抱きついた。ソルからは何の反応もない。俺を受け止めることもしない、冷たい壁にぶつかったような感覚。


いつもなら優しく俺よりも少し大きな手が、そっと背中に回されるのに。その違いは、俺の心に冷たく棘を刺して切なくさせた。

美しい琥珀の瞳から涙を流すソルは、顔を正面に向けたままだ。


「ソル……!!」

ソルが何に苦しんでいるのか、俺には分からない。
でも膨大な魔力の中に潜んだ、心が引き攣って痛む哀しさと苦しさが、俺には届いている。


自分にかけて貰っていた防御結界が、ひび割れて軋む。アトリの強固な防御結界が、所々壊れていくのを肌で感じた。壊れた隙間から、ソルの禍々しい魔力の刃が俺を襲った。


「っ……!」

肌に痛みが走った。身体中の至るところからヒリつく痛みが生じる。そんなの大した傷じゃない。ソルのこの哀しい痛みに比べれば……っ。

涙が伝うソルの頬を、俺は右手でそっと拭った。そのまま俺へと顔を俯かせる。陽光を思わせる琥珀色の瞳は、ただ色を映すガラス玉のように空っぽだった。


「ソル……。何がそんなに、哀しいんだ……?」

服越しに伝わった鼓動が、ドクンっと大きく脈を打つった。ソルの身体が僅かに身じろいで、瞼がはっとしたように震える。

琥珀色の瞳と、やっと目が合った。


「……ヒ、……ズ…、ミ……?」

未だにどこか遠い場所にいるような朧げな様子だが、それでも意識がこちらに向いているのが、確かに分かった。


「……俺ならここにいる。ちゃんと、ここにいるよ。ソル……」

ソルの背中に回した左腕に、更に力を込めて抱き寄せた。俺の体温が、鼓動が、目の前のソルに伝わるように。

虚ろだったソルの瞳に、僅かに光りが戻る。


「……ヒズミ…………」

そう小さく呟いたソルの琥珀色の瞳には、俺の心配気な顔がしっかりと映っていた。ふっと瞼が眠たそうに落ちて、俺を写す琥珀色の瞳が隠れた。

糸が切れたように、音を立て吹いていた強風がピタリと止む。シュルッと小さな音が聞こえて、黄金の渦がはソルの身体へと吸収されるように戻り、魔力が治まった。


「っ?!ソルっ!!」

抱きしめていた身体から力が抜けて、ソルは俺に凭れ掛かった。肩口にソルの額が当たり、そのまま全ての体重が俺にのしかかる。俺よりも体格の良いソルを支えきれず、2人ともゆっくり横に倒れ込んだ。

力が抜けたソルの右手から、長剣がスルリと抜け落ちてカランっと床に落ちる。視線の端で地面に投げ出された長剣が、いつも以上に輝きを放っているのに気が付いた。気になって目を凝らす。


「っ!!」

芯部分だけが黄金だったソルの長剣は、今や全体が眩い金へと変化していた。銀色の刃体に、金線の流麗で繊細な模様が浮かんでいる。乙女ゲームで幾度となく見た、俺にとっては馴染みのある剣。


間違いない。
あれは、勇者の剣だ。


俺は恐る恐る、ソルの右手へと視線を移した。だらりと力なく下がったソルの右手。違和感にすぐに気が付いた。

右手の甲に、今までに無かった黒色の模様が現れていた。剣にひし形の羽根を生やした翼がついたような、特徴的な紋章。


「……勇者の紋章……」


勇者が、覚醒した瞬間だった。



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