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第6章 友達の家に遊びに行きます、夏休み後半戦
舞踏会での揉め事、果実酒は染みると取れないから
しおりを挟む数人の女性に詰め寄られているのは、桜色のベールが付いた小さな帽子を被った令嬢だった。チェリーブラウンの髪をきっちりとアップに結い上げ、口元までベールに包んでいる。
柔らかな桜色のドレスは、凝った装飾が施され可愛らしい。年頃は、俺たちと同い年くらいではないだろうか?
不穏な空気が漂う中、その令嬢は怯えることもなく、事も無げに小さな口を動かした。
「私が目に病を患っていることは、父から高貴な方々にご説明していると伺っておりました……。皆様がご存じないのなら、父か、あるいはご家族間で、情報の行き違いがあったのでしょう」
桜色のドレスから想像した儚げな印象と違い、その女性は実に落ち着いた、はっきりとした口調で言葉を続けた。
「……幾度となく、狭量で事情も知らない方々にベールを脱げと脅され恐怖を覚えました。……この高貴な夏の宴では、そのような方はいないと、とても安堵しております」
令嬢はそう、周囲の女性たちに宣った。その言葉に含まれている意味に、令嬢をいびって楽しもうとした面々の目が、大きく見開かれる。
瞬時に動揺を取り繕おうと微笑んでいるが、女性たちの厚化粧をしたこめかみに、筋が立っている。
先程のご令嬢の言葉は、おそらくこういった意味だろう。
『父は娘が目の病を患っていると、高位貴族に伝えている。それを知らない貴方たちは、高貴な身分ではない。あるいは、情報さえも親から教えて貰えぬほど、教養が無いのか?』
『自身が無知な故に事情も知らず、他人の衣装をなじる心の狭い人は、この宴に相応しくない』
落ち着いて相手を言い負かしたベールの令嬢は、逃げるでもなく背筋を伸ばして、そこに佇んでいた。ベールの下に隠れた目が、底意地の悪い年上の女性たちをただ淡々と見つめている気配が伺えた。
なんとも、強く清々しい令嬢だ。
……でも、あの特徴的なチェリーブラウンの髪色は、どこかで見たことがあるんだよな……。
俺が考えている間に、言い負かされた女性の1人が怒りの滲んだ声を出す。
「……平民風情が公爵家に拾われたからと言って、良い気になり過ぎではなくて?……精々、この場を楽しんで行かれることね」
表情を変えないまま、地獄の底から出たような低い声だけで、その女性が凄む。怒りをそのままに、近くにいた給仕からさっとグラスを取った。
鮮やかな紫色の酒が、並々と継がれたワイングラス。そのまま口元へと持っていかれるはずの手が、不自然な動きをする。
俺は嫌な予感がして、終始その状況を見ていた。銀色の盆からグラスの底が離れる。ベールをした令嬢のほうへ向けて、グラスが勢いよく動き出した。
まずい。
揉め事を起こしたら、このパーティーは台無しになる。
貴族が大勢集まる中でのトラブルは、すぐに社交界で噂が駆け巡る。ベールの令嬢だけではなく、この一流ホテルの名にも、傷がつく恐れがあるのだ。
別の客に飲み物を提供しつつ、俺は周囲の人に気が付かれない様に魔力を練った。
怒りに震える女性の手に握られた、不自然に傾くグラスから紫色の果実酒が躍り出ようとする。 その瞬間、俺は背中に回していた右手の指を、ひそかに打ち鳴らした。
勢いよくグラスから飛び散ろうとする酒に、瞬時に魔力を飛ばす。一瞬で構築したイメージで、なんとか間に合うだろう。
「……えっ?」
令嬢に酒をぶっ掛けようとしていた女性の、呆けた声が聞こえる。
突如として薄紫色の小花が、ふわりと優しく令嬢に降り注ぐ。
桜をイメージした紫色の小花は、薄く透き通る花びらを宙へ浮かべ、雪のように儚げに床へ落ちた。桜色のドレスには、淡い紫色の小花が点々と模様を描く。
「……綺麗……」
そっと手を前に出して、降り注ぐ花を手の平に集めるベールのご令嬢は、そう呟いて小さく微笑んでいた。
令嬢の儚げな雰囲気も相まって、桜の精霊姫がいるような幻想的な光景だった。周囲の人々から、感嘆の溜息が漏れ出る。
「夏に咲く桜とは、なんとも見事で美しい魔法ですね。……宴を盛り上げるための一興を、ありがとうございます。レディ」
酒をご令嬢に浴びせようとしていた女性に、いつの間にかアルカシファ様が近づき恭しくお礼を述べている。美麗な顔が、女性の目の前でとびっきり美しく微笑みを浮かべた。
「……い、え…… 」
女性はアルカシファ様のあまりの美貌に、一瞬にして固まる。呆けたまま、アルカシファ様の麗しの微笑みに頬を赤く染めていた。
「……実に名残惜しいですが、この花は私共が拾い上げておきます。……さあ、こちらでお飲み物をどうぞ」
アルカシファ様はそう言って、女性の右手をするりと持ち上げ別の場所へと誘導した。女性はアルカシファ様に見惚れて、言われるがままにその場を後にする。
その間に、ベールのご令嬢は付添人と思われる執事と他のホテル従業員の誘導で会場を後にした。見事なチームプレイだった。
俺はソルとガゼット、リュイのそれぞれから視線を送られた。長く一緒に行動しているから、3人にはあの花の魔法が俺の仕業だと勘付かれたようだ。
ガゼットと視線が合わさると、近くのバルコニーへ目配せをされた。少しほとぼりが治まるまで、そこにいろと言う事だろう。
俺は了解の意味を込めて頷くと、飲み物の載った盆を持ったまま、さりげなくバルコニーへと掃けた。バルコニーに行く間際、3人が花びらが落ちている場所に行くのが見えたから、これから掃除してくれるのだろう。
重厚なカーテンを潜ると、既にそこには先客がいた。
「……なあ。その飲み物、俺にも一杯くれねえか?」
この高貴な宴には些か相応しくない口調が、静寂なバルコニーから聞こえた。その低い男性の声には、愉快気な音が混じっている。
鋭利な三日月の夜の下。朧な青白い光が、バルコニーの欄干に行儀悪く背中をついて、こちらを見遣る男性の姿を映し出していた。
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