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第九章 真相

背中 (スフェンside)

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(スフェンside)



邪神シユウを倒し、治療を終えて数日後。ミカゲに「聖殿に行きたい。」と告げられた。


……ああ、とうとう、この日が来てしまった。


ミカゲは精霊王ベリルに、邪神シユウを消滅させたことを伝えに行きたいと言っていたが……。
その言葉を聞いた私の顔からは、血の気が引いていたのではないかと思う。


ミカゲがこの世界に来た理由は、邪神シユウを倒すため。


もう、その偉業をやり遂げた今、ミカゲがこの世界にいる理由が無くなってしまった。いつか、この時が来るとは覚悟していたが、心の準備などする余裕もない。


ミカゲが、元の世界に帰ってしまうかもしれない。


日本というミカゲの故郷は、魔物も戦いも存在しない、信じられないほど平穏な国。こちらの世界より何倍も安全で、死という事柄とは遠い世界だ。

その世界に帰ったほうが、ミカゲは今よりも安全であることは、言わずとして分かる。


それなのに……。

私は、浅はかにも、ミカゲに帰ってほしくないと。
ともにこの世界で、一生を傍で添い遂げて欲しいと、口に出してしまいそうになる。


私自身は、ミカゲを生涯を持って愛し、幸せにする自信がある。その覚悟も、準備も全て出来ている。


私がミカゲに「元の世界に帰らないでくれ」と乞い願えば、心優しいミカゲは、この世界に留まってくれるかもしれない。


しかし、ミカゲのその後の幸福を、奪うことにもなる。
世界を渡って来たミカゲの望郷の念は、私の計り知れるものではないだろう。きっと誰よりも複雑で、強い思いだ。


私のドロリとした、淀んだ感情を孕んだ言葉で、ミカゲを混乱させたくなかった。


一緒に聖殿に赴く日になり、せめて僅かな時間だけでもミカゲに触れていたいと、お互いに手を握った。

指と指を絡ませて、お互いに隙間ができないように握る。一まわり小さな、滑らかな手。温かいぬくもりを嬉しく感じながら、もしかすると、これがミカゲに触れる最後の時間ではないかと臆病に震える。


王族である私は、自分の感情を表に出さない様に教育させ、空気を吸うようにそれを実践していた。今はどうだろうか。

私の怯える心と同じように、身体が強張り緊張している。
繋いでいる右手に思わず力が入ってしまっているが、この強張りを自分ではどうしようもできなかった。


この手を、離したくない。


いっそう、このままどこかに連れ去ってしまおうか。

精霊王や精霊たちに連れ去れないように、囲い込んで。
私だけしか、その神秘的で美しい宵闇の瞳に映らないようにして。甘く怪しい蜜に存分に浸して、依存させる。


私がいなければ、生きていけないように。


何と醜く、汚れて穢れた感情だろうと、心の中で自嘲した。
こんなこと、ミカゲにはとてもじゃないが、言えない。


いつもと違う私の様子に気が付いたのだろう。街並みをそれとなく見ていたミカゲが、不意に私の顔を見て、穏やかに美しく微笑んだ。

繋いでいる手に、そっと力が込められる。きゅっと握り返された。私を安心させようと、慈しむ気持ちが伝わってくる。


それだけで、私はミカゲへの愛しさが増してしまう。


些細な感情の変化にも、気が付いてくれるミカゲ。お互いの魔力を注いだ宝石を渡し合った仲だ。
ミカゲの中で、私はただの男ではないはずだ。特別な存在になっていると信じたい。


私の心の中が、ドロリと渦を巻いて葛藤していく中、とうとう聖殿に着いた。木製の扉を開けて、ミカゲと共に中に入る。


ここは、落ち着いて、私のお気に入りの場所だった。静かに迎え入れてくれる空間。
今の私にとっては、ミカゲを連れ去ってしまうかもしれない、恐怖の場所。


祈祷場所まで歩みを進めるミカゲの背を見て、思わず引き留め、その細い身体を抱き込んでしまった。


どうか、行かないで。
このまま、私と一緒にいよう。


情けなくもミカゲの肩に額をついて、心で乞い願う。


ミカゲの手が背中に回されたときに、私は目を見開いた。春の風に包まれたような、穏やかで優しい体温に、泣きそうになる。


固く目を閉じて、意を決して身体を離した。


ミカゲの両頬を手で包み込み、見上げさせる。不思議そうに俺を見つめる愛しい人の額に、口付けを送った。


「……ミカゲ、私はここでずっと待っている。だから、行っておいで。」


ここで、君を待っている。

もしも、ミカゲがあちらの世界に帰ってしまったのなら。
私が今度は会いに行く。必ず、迎えに行く。


ミカゲの背中をそっと押した。一つ頷いたミカゲが、祈祷場所まで歩いていく姿をずっと見送る。聖殿にあるベンチの最前列に座り、ミカゲが祈りの姿勢になるのを見た。


ミカゲは片膝を着いて祈りの姿勢のまま、ずっと動かない。
どれぐらいの時が経っただろうか。私には果てしなく長い時間だった。


祈祷しているミカゲの身体が、銀色に輝く。そして、左耳にはいつの間にか、耳飾りがついていた。銀色の金属の縁に、宵闇の蒼い宝石。
今までにミカゲが着けていた記憶がないが、とても馴染んでいるように見える。


私はミカゲの一挙一動を見逃すまいと、聖殿のベンチに座って眺めていた。ミカゲの全身を覆う銀色の光が、強くなっていく。


今すぐにでも、ミカゲを祈りから目覚めさせたい。
爪が食い込むほどの力で、拳を握りしめて耐える。


やがて、光が弱まり収まった。片膝を着いたミカゲがそっと立ち上がる。

私は反射的にベンチから立ち上がった。長くなった白雪色の髪を僅かに靡かせ、振り返る愛しい人。


蒼色にも見える不思議な黒色の瞳が、此方を見て破顔した。


「……スフェン、ただいま。」


駆け寄って胸の中抱き込む。もう、言葉に詰まって上手く声が出ない。


「……ああ、おかえり。ミカゲ。」

やっと絞り出した声は、自分でも情けないくらい震えていた。帰ってきてくれた。私のいる場所まで。


「……全てが、終わったよ……。スフェン。」

そう言ったミカゲの顔は、心からの安堵で微笑み、身体を全て俺に預けた。


「……部屋に帰ったら、話したいことがたくさんあるんだ。」


私の胸に顔をうずめるミカゲは、胸元の服を両手でぎゅっと縋るように握った。細い身体は、小刻みに震えている。

ミカゲの背中に回した左手を、ポンポンと慰めるように擦り、右手はミカゲの柔らかな髪を梳くように撫でる。


「……そうか。本当に、よく頑張ったな……。」


胸の中で小さな、小さな嗚咽が聞こえた。


部屋に帰ったら、ミカゲの気が済むまで、たくさん話をしよう。君の声なら、ずっと聞いていたい。



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