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第六章 最後の精霊の棲み処へ
愛しいあの人
しおりを挟む梅の木々も、幼い頃の思い出が詰まった宝物庫も、家も何もかも……。何も残っていない。
ただ虚無のように、深さのある地面が痛々しい。
涙は出ない。
もう、涙を流すことさえ忘れていた。
それぐらい、呆けていた。
目の前で映像を映し出していた、ゆらりと漂うしゃぼん玉が、パシャっと割れて細かな水滴に変わった。短い線になった水滴は、光を反射しながら小雨のように、冷たく俺に浴びせられた。
『そっちの世界の、魔導士はすごいねー。封印が解けた場合を想定していたようだよ。邪神シユウと餓鬼たちを血縁者の魂を使って、神社ごと消滅する術を施していたんだね。あの男は腐っても魔導士の血縁者だった。……邪神を消滅させるには、力が足りなかったけど。』
裁決者は興味深げに、ふむふむと頷いた。そして、俺に向かって視線を移す。
『真実を見るか。』と、最初に俺へ問いかけたときと同じように、裁決者はこてんっと首を傾げた。
『例え、邪神シユウを倒して元の世界に戻ったとしても、ミカゲには何もないよ?』
裁決者の言葉は、ただ真実を述べているだけだ。
そう、ただの残酷な真実を。
『……それでも、まだ戦うの?』
心底不思議だと言うように、裁決者は問いかけてくる。喪失感にぽっかりとしていた心に、追い打ちを掛けられた。
何もかも、自分は失った。
帰りたいと思っていた場所も、家族も。
今までひたすらに『自分のせいで』と、無理矢理にでも言い聞かせて、戦ってきた。
それは確かな気持ちでもあった。
邪気のせいで失われた命に、申し訳ないという気持ちは確かにある。
ただ、目を背けていた感情もあった。それが今、波のように一気に自分に押し寄せる。
目を向けてしまえば、自分の身体が動かなくなりそうだったから。
言葉にしてしまえば、鈍い錆のように、しつこくこびり付いて。心から離れそうになかったから。
……どうして、俺だけがこんなに失う。
……どうして、こんなに頑張らなければならない。
家族と一緒にいる幸せな時間を失って、哀しい。
懐かしい、思い出溢れる場所も失って、憎い。
いつも死と隣合わせのこの状況が、恐ろしい。
邪神シユウを倒すという使命が、重い。
ただ、辛い。
どんなに俺が頑張っても、俺はただ失っていくだけ。自分にとって大事なものは、ことごとく壊されていく。
心は、折れそうだ。
ふと、視界の端に、光がぼんやりと浮かんだ。
白金色の光がふわり、ふわりと宙を浮いて近づいてくる。
パタパタと透明な羽根を動かす、小さな一人の子ども。風船のように膨らんだ服に、星みたいな形をした襟。襟についているのは白色の石。光精霊だった。
光精霊の光の色は、眩しさを感じる白金色。
その色は、ふと誰かを連想させる。
金糸のように美しい髪。
深緑色の宝石を思わせる穏やかな瞳。
俺に愛を告げてくれた、あの人。
その姿を思い出すだけで、心が少しずつ凪いでいく。
穏やかな風と光で、心が満たされていく。
愛しい。
恋焦がれるような、それでいて穏やかな優しい気持ちにもなる。不思議な感覚。
あの人がいる、この世界が好きだ。
あの人がいる、この世界を守りたい。
___________あの人を、守りたい。
俺を包み込んでくれた優しい人に、
ただ幸せになってほしい。
それは、確かな俺の意志。強い願い。
『……ミカゲは、なぜ戦うの?』
再び問いかけてくる裁決者。その声音は、どこまでも不思議そうに純粋だった。その問いに、俺は自然と静かに言葉が出ていた。
「………愛しい人がいる、この世界を守りたい。……スフェンを守りたい……。」
本心から出た言葉は、自分でも驚くほど落ち着いたものだった。
『……例え、自分には何も残らなかったとしても?死んでしまうかもしれないのに?』
「……あの人が、幸せでいてくれるなら。もう、それでいい。」
それだけでいい。
本当に、そう思えるほど、
俺はあの人が愛しい。
草原にあった大小のしゃぼん玉が、パシャっと小さな音を立てた。次々と弾けて細かな水滴に変わっていく。俺の頭上から、日の光を浴びてキラキラと輝く小雨が降り注ぐ。
『それだけでいいなんて、人間は不思議だね。……でも、その魂の美しさは気に入ったよ。』
たった一つだけ残されたしゃぼん玉に、裁決者は足を組みながら座っている。
しゃぼん玉に左手をついて、右手の人差し指を宙へと立てた。指先に、オーロラ色のしゃぼん玉が一つ生み出され、形がどんどんと変化していく。やがてそれは、古びた金属製の鍵になった。
裁決者の後ろにはダークブラウンの木製の扉が、いつの間にか現れている。
『……ミカゲは、ずっとキレイで、不思議だねぇ。……ああ、楽しかった。……さあ、鍵を取って扉を開けて。光精霊が待ってる。』
にっこりと口角を上げて、裁決者が俺に近づく。俺は両掌を差し出して鍵を受け取った。
木製扉の鍵穴に、古びた鍵を差し込んで回す。カチャリっと、重い感覚と共に鍵の開いた音が聞こえた。
『また、遊ぼうね。ミカゲ。』
「……ああ。またな。」
手を降って見送る裁決者に別れを告げて、俺は扉を開けた。
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